2009世界社会フォーラム(WSF)
   新たな出発印す

              エリック・トゥーサン―パウリン・イムバッハによるインタビュー

 ベレン宣言は今までと違っている。そこには、資本主義システムの危機に関するある種原則的な診断と、そこからいかに抜け出すかについての、一つの明確な立場が含まれている。「我々は、この危機に対して支払いなどしない!支払うべきは金持ちどもだ!反帝国主義の、反資本主義の、フェミニズムの、環境主義の、そして社会主義の代替方向が必要だ!」―この表題と副題は、この新しい姿勢の、いわば結論だ。

―このベレンWSFをもって、ある人々は、もう一つのグローバリゼーション運動に向けた新しい出発について語っている。あなたはこれを事実だと考えるか―

 2006,7,8年にWSFが困難な時期を通ってきていた以上、我々は今回を文字通り新出発と言うことができる。今回は様々な面で巨大な成功だった。
 第1に、相当な参加者を引きつけた。133,000名、おそらく140,000名の登録参加があった。これは記録的であり、ベレンWSFを最も民衆的なものの一つとしている。これと比べ得るものは、2004年1月のムンバイか、2005年のポルト・アレグレだ。ただ我々は次のことを心に留めなければならない。つまりベレンは、サンパウロ、リオデジャネイロ、ベロホリゾンテ、ポルト・アレグレのようなブラジルの大都市とだけではなく、いくつかの南米諸都市と比べてさえ、よく知られていない人口の少ない町だ、ということだ。ベレンにたどり着くことは実際困難だ。航空運賃は高く、バスでは、サンパウロから3日、ポルト・アレグレから5日、そしてブエノスアイレス(アルゼンチンの首都―訳者)、モンテビデオ(ウルグァイの首都―訳者)、アスンシオン(パラグァイの首都―訳者)からは6日かかる。ムンバイはインド人にとって、またポルト・アレグレはブラジル人、アルゼンチン人、ウルグァイ人、パラグァイ人にとって、はるかに来易いところだった。
 それ以上に、参加者の大多数は30歳以下の人々だった。これら全ての若者達は大挙して様々な催しに参加した。
 フォーラムの今回の成功に寄与したもう一つの要素は、先住民族の目に見えた、しかも活発な存在だった。彼らは主にアマゾン地域とアンデス地域からやってきた。
 その上で新出発を刻印しているものは、大多数の参加者がそこで切望していたものにある。それは、現在の危機の様々な側面に対する根底に達する説明であり、そこから彼ら自身の結論を引き出すことだった。同時に彼らはそうしながら、行動と代替路線の実行を熱望していた。
 これは、2007年ナイロビWSFとの対比で明白な変化だ。ナイロビの時には、運動は、推進力を使い果たし原理的な問題を提起できなくなっている様に見えた。前述の変化は今回のフォーラムを、2007年に始まった資本主義の危機と対決する最初の主要な国際的動員に転換した。
 WSFとオルタ・グローバリゼーション運動にとってのこの新出発は、ダボスの世界経済フォーラム(WEF)―資本主義を嘆き悲しんでいた―と著しく対照的だ。ルラ大統領は、以前はWEFに飛び立つ前に1日だけWSFにとどまっていたのだが、今回は、WSFにのみ姿を見せダボスには行かないと決めた。それは危機の深さを示すものであり最大級の意味深さのあるできごとだ。ルラは次のことを理解したのだ。すなわち、草の根からの多くの疑問に既に導いている彼の社会自由主義統治は、彼がもしダボスに出かけるならば、さらにもっと否定的に受け取られるに違いない、と。彼の左側からのあらゆる批判を押さえ込むために、彼はブラジルにいることを選択した。同様に、左翼のあるいは中道左翼のラテンアメリカの大統領は、何人かは招待されていたにもかかわらず、くだんのスイスのスキーリゾート地には誰一人出かけなかった。オバマ政権の重要閣僚が誰一人わざわざ出かける労を取らなかった以上、WEFは実際物悲しい光景となった。ただプーチン、中国首相(実に多くを語っているが)、そしてメルケルだけが、資本主義の生き残りを議論するためにそこにいた。サルコジ自身はダボスに行かないと決めた。もっとも彼は、ルラが行ったとすれば、あるいはオバマが高位の代表を送ったとすれば、確実にそこにいたはずだ。
 同時に我々はメディアの偏向を強調すべきだ。世界の指導的経済紙の一つであるファイナンシャル・タイムスは、ダボスに対して二回の特別版を発行し、通常版においても10頁以上を費やしながら、ベレンのWSFについては1行も書かなかった。多くの新聞と比べると、TVとラジオ局は特派員(約3,000人のジャーナリストがいた)を送り込み出来事を伝えた。そのある者は、オルタ・グローバリゼーション運動の「第2の風」、あるいは「再覚醒」を正しく強調した。パラ州の全日刊紙は、フォーラムについて毎日5から8頁を費やした。国際放送TVのアルジャジーラは、今回のWSFを大きく取り上げ、CADTM(第3世界債務取り消し運動―訳者)からの参加者に発言の機会を与えた。

―WSFでの大きな関心は何だったのか―

 課題となったものは主要に三つあった。
 第1は、様々な次元における、すなわち、金融、経済、気候、エネルギー、食料、移住、そして「統治」などの側面における資本主義の危機という問題だ。最後の点については、G8、IMF、世銀、WTOに明白な正統性の危機がある。さらに、G20のような代わりとなる回答の正統性の欠如もまた中心的な問題だった。
 第2は、パレスチナ民衆に対するイスラエル軍の犯罪だ。パレスチナ人の問題は、ベレンがパレスチナから12,000qも離れているにもかかわらず、我々とまさに多くのものを共にしていた。開会行進のあった第1日目から、ブラジルの政党、PSOLの極左潮流であるENLACEの若者達によって、20メートルもの長さのパレスチナ国旗が広げられ、行進中運ばれた。何人もの人々がパレスチナ人の闘争との連帯を示す印を身につけていた。参加者は、様々な関心の下にやって来ていたにもかかわらず、パレスチナの人々との連帯を示すことを力説した。この特別の情勢と結びついて、イラクやアフガニスタンに対する戦争のような、まさに侵略戦争が標的とされた。
 特筆すべき第3の課題は、アマゾンとアンデスの先住民の闘争だった。フォーラム作業日第1日目は、全面的にアマゾン地域(ブラジルを超えて広がり、エクアドル、ボリビア、ベネズエラ、ペルー、コロンビアの一部を含むが、ギアナ、フランス領ギアナ、スリナムも忘れてはならない)の問題に当てられた。先住民の問題は、自然との関係そして自然を保全する上で先住民が果たしている役割、それと並んで彼らの文化的独自性に対する確固とした確認、その上で資本主義的グロ−バリゼーションによってそれらが危うくされる道筋という問題を取り扱った。先住民は多くの他の人々に教えるべきものをもっている。それは特に天地万物に対する彼らの姿勢に関わっていた(これは既に、エクアドルでは2008年に、ボリビアでは2009年に投票で採択された新憲法に部分的に統合されている)。フォーラムの議論と諸提案に対する先住民代表団の寄与によって、我々はただただ深い感銘を覚えることができただけだ。彼らは一つの大きな役割を果たした。アマゾンとアンデスの問題に関する諸討論に焦点を当てることで彼らは、フォーラムにその特別の基調を与えた。そしてそのようにして、気候変動への挑戦を、社会主義的かつ環境主義的思考の中心においた。
 以上の三つの中心的課題に次いで、我々はいくつもの重要な諸問題を討論した。例えば、「世界女性行進」の推力に助けを得て、フェミニズム的な取り組みは以前のフォーラムよりもより目に見えるものとなった。
 もう一つの本質的問題として、北だけではなく南に所在する多国籍企業もが演じる略奪的役割を理解することがあった。我々はベレンにいたが故に、多くの行動が、ペトロブラスやヴァレ(採鉱産業)のようなブラジル企業に向けられた。参加者のおよそ90%をも占めたブラジル人にとっては、たとえ世界規模とは言えないとしても、彼らの国に存在する企業の非道な行動に終止符を打たせることにおいて、市民としての彼ら自身の責任に自覚的となることは本質的なことだった。

―社会運動総会宣言の重要性とは何か―

 この宣言には根底的に新しい何ものかがある。我々は、2001年1月の第1回フォーラムから社会運動総会は常にあった、ということを思い起こすべきだろう。総会準備はフォーラム初日から始まり、総会は最終日に行われる。そして一つの宣言が、会合の最後に票決にかけられる。その宣言は社会運動の全分野の代表によって起草されてきた。
 今までこれらの宣言は、社会運動が認めた主要な課題の一覧と先に控えるイベントの一覧を超えるものではなかった。社会運動と様々なキャンペーンがそれら動員に向け、主な時期を提案した。
 ベレン宣言はそれとは異なっている。そこには、資本主義システムの危機に関するある種原則的な診断と、そこからいかに抜け出すかについての、一つの明確な立場が含まれている。「我々は、この危機に対して支払いなどしない!支払うべきは金持ちどもだ!反帝国主義の、反資本主義の、フェミニズムの、環境主義の、そして社会主義の代替方向が必要だ!」とした表題と副題は、この新しい姿勢の、いわば結論だ。
 それ故宣言は代替社会に向けた一つの課題設定だ。より踏み込んで言えば、それは、もし我々が被抑圧者の利害を熟考するならば、資本主義のこの危機はいくつかの規制の仕組みを単に回復させることでは解決できない、ということを表している。この危機に対する宣言の回答は、資本主義システムからのある種の離脱を含んでいるのだ。「この危機を克服するために我々は、問題の根源に取り組む必要があり、根源的な代替システムの構築に向けできるだけ早く進まなければならない。そのシステムは、資本主義システムと家父長制支配を廃絶するものとなるだろう」と。
 その上で宣言は当面の諸要求を盛り込んでいる。「我々は、一定数の以下のような緊急手段を強要するために、可能な最大限の民衆的動員に貢献しなければならない。その手段とは、補償なしのかつ全面的な社会的監視を伴う金融部門の国有化、いかなる賃金切り下げも伴わない労働時間の短縮、食糧とエネルギー主権を確保するための手段を講じること、戦争を停止し、占領部隊を撤退させ、外国の軍事基地を解体すること、人民主権と自治を認め、彼らの自己決定権を確実にすること、全ての人々の、土地、領域、仕事、教育、健康に対する権利の保障、通信と知識のための手段の利用を民主化すること」と。
 最後にこの文書は、2009年3月28日から4月9日の世界行動の週に特別の焦点を当てつつ、世界的なカレンダーを提案している。ここには、現在の危機に対する我々の支払いの拒絶、2009年4月2日のロンドンG20会合に対する反対、2009年3月30日のパレスチナ民衆との連帯、NATO60周年祝賀に対する反対と我々のその解体要求が含まれている。我々がこの日付及び主なテーマ双方で一致した以上、これは実際に世界的行動の1週間とならなければならない。さらに先のカレンダーには、定例となった動員日付が含まれている。3月8日の女性デー、4月17日の農民デー、10月12日の先住民デー(ヨーロッパ人がアメリカと呼ぶことが習わしとなったものに、コロンブスが1492年上陸した日付)だ。
 最後にこのイベント日付には、サルディーニャのマジャレナ島で2009年7月初頭
開かれるG8首脳会議、2009年12月の気候変動に関するコペンハーゲン国連サミットに合わせた大動員、さらに2009年10月8〜15日の国際金融機構と対外債務に反対する世界行動週間が含まれている。
 社会運動の宣言起草にもっとも活発に関わったグループは、CADTM(集団的起草のための1提案を推し進めた)、世界女性行進、ビア・カンペシーナ(農民の道、特にそのブラジル支部であるMST)、OCLAE(ラテンアメリカとカリブの学生)、ヨーロッパ、アフリカ、アジアの各社会運動の代表、アマゾンとアンデスの先住民団体代表だった。
 通常、社会運動総会(ASM)の結論は最終日に公表される。しかし今回は、最終日がテーマ毎の総会と総会の総会に当てられたため、それらより下位にあるASMはフォーラム閉幕の2日前、1月30日に開かれた。MSTのジョアオ・ペドロ・ステジレは、ASMの結論を聞き、鮮明な協議事項を確定したそのような宣言はASMの成熟の証しだ、と語った。今回のフォーラムにおいてもASMは、運動を鼓舞する役割を果たした。と言うのもそれは、課題を根底的な形で確定し、このフォーラムを通じて存在してきた一つの推力、すなわち世界的で根底的な説明と回答を追求する探求を強化したからだ。
 11のテーマ毎の総会のほとんどが2月1日朝に採択した宣言を読むならば、我々は、危機が繰り返し資本主義の危機として分析されている、ということに気づく。先住民、反戦運動、女性総会の各宣言を読めば、それは特に印象的だ。それらは宣言する、「我々は、今回の危機への対応における、市場の論理に基礎を置く苦痛軽減的回答には興味がない」、「それはただ、同じシステムの永久化に導く可能性をつくるだけだ。我々は、我々を搾取し抑圧している資本主義と家父長制のシステムと対決するために、それに代わるものの構築で前進する必要がある」と。
 先住民宣言は、反人種主義の、反家父長制の、そして母なる地球を尊重する社会主義的代替社会に向けた諸要求を定式化するために、ASM宣言の中に見出し得るものと似た用語を使っている。例えば、「資本主義的、ヨーロッパ中心主義的、家父長制的、人種主義的開発モデルの危機は全面的であり、それは人類史における最大級の社会的、環境的危機に通じている。金融の、経済の、エネルギーの危機は、構造的な失業、社会的排除、人種主義的暴力、男性優位主義、そして宗教的な病的執着に力を授けている。それほどに多くの深くかつ時を同じくする危機は、西欧的文明化における純粋の危機、つまり生命のあらゆる形態を危険にさらす資本主義的発展と現代化の危機を、はっきり説明している。それでもそのような難局の中でさえ、ある者達はまだこのモデルを改良すると夢見ている。さらに、現在の危機は、1民族1国家という、文化的等質性という、西欧の肯定原理という、そして生活の商品化というそのモデルを伴ったヨーロッパ中心主義に立つ、資本主義それ自身の産物だ、ということを認識するつもりがない」と。
 いくつかの社会運動やキャンペーン(特にヨーロッパのもの)は、社会主義的代替構想について、語ることを渋らないとしてもまだためらいがちだ。しかし先住民総会は、それについては全く明晰だ。そして、例えASM宣言が対応する運動全ての代表からなる一般総会で議論されたとしても、そしてそこにはもちろん先住民代表が含まれていたとしても(ASMには大挙して出席していた)、上記二つの文書はフォーラムの異なった会場で異なった人々によって起草された。これは強調されなければならない。
 起草委員会において我々は、資本主義的グロバリゼーーションと対決する闘争への先住民組織の貢献をどうすれば示すことができるかを論争した。最初の起草案は、私としてはほとんど満足を覚えることができなかったが、過去15年にわたって先住民運動は「再登場している」と述べていた。この文書が一般総会で読まれるや否や、先住民運動の何人かの代表は、文書は変更されるべきであり、過去の年月にわたる社会運動と先住民のいわば「新しい出会い」を述べるべきだ、と要求した。先住民の人々は正しくも以下のことを見ていた。すなわち、彼らは、他の社会運動をそれらを見出すためにただ待ち、その後彼ら自身の闘争を開始したわけではない、ということだ。彼らは、5世紀にわたって彼らに押しつけられてきた様々な形態の支配と資本主義とに、ずっと抵抗してきていたのだ。総会は彼らが正しいと考え、そして文書はそれに従って変更された。

―WSFへの政党と一定の政府の出席については、どのようなことを言うことができるか―

 ブラジルとアフリカの以前のフォーラムでは政党が目立って多くいたわけではない以上、今回の政党の参加は一つの新たな発展だ。政党は、2004年1月のムンバイWSFやいくつかの地域的あるいは大陸規模のフォーラム、特に2006年のカラチ、カラカス、アテネのフォーラムにおいても、目立って多いというわけではなかった。
 中でも、ブラジルの政党(PT、PSOL、PSTU)が特にフォーラムプログラムそれ自身の中に登場したということ、しかしそれらの参加には本質的に異なるものがあった、ということは言うに値する。PTにとってそれは、政党としてのPTの参加というよりも多くはルラ政府と出席した閣僚に関わる問題だった。他方双方とも野党であるPSOLとPSTUは、両党が密接な関係をもつ労働組合の利益を支持する形で活動的な参加だった。
 フォーラムという領域内部の政党の存在は、私から見て決定的だと思われる。何故ならばフォーラムは、政党、社会運動、市民組織、さらに草の根の運動、それらの間の論争に向けた一つの討論舞台であるべきだからだ。社会フォーラムの全ての回で、フォーラムの歩みに結びついた政党がもし存在していたのであれば、それは完全に論理にかなっていたと思われる。今こそ、社会運動、NGO、そして市民運動それだけをゲットー的に閉じ込めることには終止符を打つべき時だ。その閉じ込めは、それらの運動には、資本主義的グローバリゼーションと対決して闘う意志のある政治組織との間で、活発に協力することはもちろんとしても、あたかも論争する能力がない、とでも言うかのようなものなのだ。
 今回のフォーラムには4人の大統領が共にあったということに留意しよう。つまり、エボ・モラレス(ボリビア)、ラファエル・コレア(エクアドル)、フェルナンド・ルゴ(パラグァイ)、ウーゴ・チャベス(ベネズエラ)のことだ。彼らは、全般的に世界的公正運動に対する、そして特にラテンアメリカの社会運動に対する熱望を示す。我々には思い起こすべきことがある。それは、2005年のWSF期間中にはラテンアメリカ大統領が存在した二つの会合があった、ということだ―第1のものにはチャベスが出席し、その後の第2のものにはルラが出席した―。それに加えて2006年のカラカス多極フォーラムの際にはチャベスが、もう一つの大規模な公開集会に加わった。
 ベレンで新しさを示したことは、今回初めて4人の大統領が社会運動との間の議論に引き入れられたことだ。社会諸運動は、いくつかの現実を大統領達に突き付け、代替モデルとラテンアメリカの地域的統合―民衆にとって純粋に利益があり、自然を尊重し、資本主義の多国籍企業に従属しない、そのような統合―の実行に向けた諸方策に、彼らを関わらせようと試みた。これはきわめて重要なことだ。また以下のことも強調されるべきだろう。つまり、4人の大統領を招待したものは、特にMST(土地なき地方労働者運動)、ビア・カンペシーナ、世界女性行進の主導の下に、社会運動だったということだ。そしてこれら3者は全て、反社会政策というルラ政権の中身を前提に、ルラの排除を決定していた。
 ルラの政治的立ち位置は、イギリスのゴルドン・ブラウンやスペインのサパテロの自由主義的社会モデルに近い。その政治方向は、ラテンアメリカ中に設立されているブラジルの大資本主義企業に主に利益を与えている。それらの企業は、ブラジルの強力なアグリビジネス部門であり、私有銀行システムであり、さらにブラジルに籍を置く大多国籍企業だ。そして政策としては、発展への原理としての輸出奨励政策だ。そこでは特に、エタノール生産向けのサトウキビ産業と遺伝子改変大豆の輸出が問題となる。しかしその政策の過去5年の結末は、環境分野で破局となってしまっているのだ。実際ルラの政策は2003年以降で、ベネズエラのアマゾン地域に等しい面積にわたるアマゾンの乱伐を引き起こしてきた。
 こうしてWSF期間中のルラ政権の目的は、ルラの新自由主義的政策に反対して政治的に関わっている若者達や左翼部分に対して、何ほどかの正統性を復活させること、であった。ルラ政権のメッセージは反新自由主義に向けてギアを入れられたが、参加者自身はもっとその先を行き、世界的危機に対する責任の所在を資本主義システムとして、まっすぐ判断した。
 4人の大統領が出席したこの会合には1,000名の社会運動代表が参加した。もっと多くのWSF参加者がそこへの合流を望んだが、代表委任での進行が必要だった。この会合は、ハイチのPAPDA(代替開発主唱のためのプラットフォーム)書記長、カミール・カルメによる政治的発言で始まった。彼は、ジュビリー・サウス、CADTM、さらにCOMPAS(社会運動カリブ連合)のメンバーだ。さて彼は先ず、エクアドル・コレア政権の率先性を発揮した会計検査と対外商業債務支払いの部分的留保がもつ積極的な性格を強調した。次いで彼は、チャベスとモラレスが彼らの国で各々債務の会計検査に着手しつつあることを強調し、コレアが出席した2008年11月末行われたカラカスのALBA(後述参照―訳者)会合の後で彼らがその実行に着手した、ということを彼らに思い起こさせた。大統領達が発言する前にさらに、二人のフェミニストも発言した。REMTEのマグデレーナと世界女性行進のナル・ファリアだ。
 最初に発言したのはコレアだった。フォーラムへの彼の到着は物議の種となっていた。彼の到着前日、エクアドル先住諸民族評議会(CONAIE)はWSFにメッセージを送り、かの国の採掘産業に対する外国投資に関する彼の政策に照らして、コレアは好ましからざる人物と明らかにすべきではないか、と問いかけた。その投資は先住民民衆に直接悪影響を与えるものなのだ。この急進的な提起に反応してコレアは、彼の発言の中で、21世紀の社会主義に関してきわめて左傾した主張を採用した。彼の発言は全体として肯定的と見られ得るとしても、前述の文脈にそれを置いた場合、その発言は、彼が国で引き入れつつある資本主義的、生産力主義的、かつ国威発揚的モデルによって傷つけられた一つの正統性を、再度高めようとする方法であるように見える。付け加えるならば彼は、カミール・カルメが冒頭提起でエクアドルの対外債務政策について前述のように肯定的に触れていたにもかかわらず、その問題には全く触れなかった。
 次いでルゴが発言した。そこで彼が強調したことは、イタイプ条約(イタイプダムの建設費とそれが生産する電力の売却に関する―訳者)の適用がパラグァイに恐るべきかつ不公正な負債の重荷を今も生み出しているが、それを正面から認めることがブラジルにとって絶対的に死活的だ、ということだった。この二国間企業であるイタイプには総計200億ドルの負債があるが、その支払いは、ブラジル、パラグァイが半々受け持つことになっている。しかしその負債のほぼ95%はブラジル企業からの借り入れなのだ。この条約の片務的性格を認識した上で、ブラジルが友好的かつ誇りある立場を採用するよう期待している、このようにルゴは説明した。パラグァイの当局と民衆は、恨みの元となっているこの負債が根底的に削減されるよう求めている。さらに彼らは、国家の収入を増やし、そうすることで2008年のルゴ選出でめざされた社会改革を開始する位置に立てるよう、彼らがブラジルに供給している電力価格を引き上げ、地域の他の国へも電力を売ることができるようになることを求めている。
 ルゴもまた、イタイプ条約に関する国際会計検査をめざす一つの委員会に着手する意図を持っている。彼はイタイプ条約の公開についてルラとの交渉を決定した。しかしルラ政権はその条約を機密の壁の中にとどめ、外交上の問題として扱おうとしている。
 モラレスが次の発言者だった。彼の発言は、彼自身を社会運動の一部に位置づけるという点で興味深いものだった。底深い社会的闘争がもしなかったのであれば、また社会運動が新自由主義政策偏向の大統領を繰り返し打倒することがもしなかったのであれば、今日ここにいる大統領は誰一人存在しなかったであろう、彼はこう断言した。社会運動は大統領に報告を義務づけるために定期的に大統領を召喚することをためらうべきではない、こう彼は社会運動に語りかけた。彼はまた、2009年1月27日(まさにWSF初日)の国民投票による新憲法採択後のかの国の情勢に言及した。この採択はボリビアにとって前進に向けた大きな一歩だ。
 最後に彼は、ボリビアのカトリック教会位階制の全面的な反革命的役割を説明した。WSFのスローガンをもじり、彼は、「もう一つの教会が必要だ」と声を上げた。このような形で彼は彼の同僚であるルゴ、すなわち元カトリック司祭かつ解放の神学者に、そして聴衆の中では、もう一人の解放の神学者であり貧者の教会のために活動しているフランソワ・フーターに呼びかけていた。
 チャベスの番になった。彼は、反資本主義的で社会主義的な選択肢を強調し、彼が堅固なフェミニストとなったと宣言することにより、フェミニズムの側面を付け加えた。
 これらの発言を受けて、MST委員長のジョアオ・ペドロ・ステジレは、やり方においてきわめて模範的な結語発言を行った。大統領を褒め称える代わりに彼が述べたことは次のようなことだった。すなわち、現在の危機を前にしたとき、人々の利益になる諸方策を採用する上で、彼らが無為に費やした時間と彼らが明かした無能力という事実は嘆かわしいことだ、と。このような形で彼は、12月にサルバドーレ・バヒアに会合した全ラテンアメリカ大統領を批判していた。彼の前にいる4人の大統領に語りかけながら彼は以下のように宣言した。すなわち、全大統領からの一体となった応答が不在である中では、社会運動は4人の左翼大統領に、資本主義の危機に応じるため遅滞なく原則的かつ構造的な諸方策を取るよう期待している、と。
 加えて彼は、彼らは社会運動によって召喚されることを待つべきではなく、社会運動を定期的に招き、社会運動が言わなければならないことに耳を傾けるべきだ、ということを示唆した。
 WSFという枠組み内においてこの会合は重要なものだった。そして社会運動と諸政権との間の対話という点で前進に向けた一歩だった。意見交換のこのような形は、いくつかの左翼政権がWSFという駆動力と結びついた急進的な社会的闘争から登場したという意味で、ラテンアメリカでのみ起こり得たことだろう。実際ルゴは、2008年に大統領に選出される以前に、パラグァイ代表団の一人としてアスンシオンからバスで旅し、2005年のポルト・アレグレWSFに出席していた。
 この日の終わりに大統領ルラは、ベレンの別の場所でもう一つの集会を呼びかけた―別の何かというよりも彼の政策の宣伝として―。彼は先の4人の大統領を招き、その全員も発言した。この集会は全く異なった流れの中で開かれた。ここには、社会運動との対話や彼や他の大統領の政策に対する結果的に生まれる批判に耳を傾けるという問題は、全く存在していなかった。

―いくつかのラテンアメリカ諸政権の中で、左への思いがけない転換といったものに我々が注目する可能性はあるのだろうか。地域統合の分野では何らかの前進があるのか―

 WSFに招待された四つの政権が左に動きつつあるとは、本当に言うことなどできない。ベネズエラでは、2008年に国有化の分野で一連の積極的な方策がとられた。例えば、一つの社会的対立が広がった後に決定された大製鋼企業シドルの国有化や、最大級を誇るスペインの私有銀行二グループの一つに所属するベネズエラ銀行の国有化がある。ルゴの場合は、彼が就任したのは2008年8月、すなわちまだ半年経っていない以上、その仕事を評価することは全く難しい。一定の見解を得ることができるためには、彼にもっと時間を与える必要がある。そうであっても以下のことを言うことはできる。つまり、ラテンアメリカの経済と住民を直接脅かし始めている危機という観点において、4人の大統領は、彼らが申し合わせた代替政治を実行する点で、ここまでどうにかやってきたと言うわけにはいかない、ということだ。
 人に期待を抱かせるものの一つの源は、ベネズエラ当局によって2008年10月招集された評議会、「世界的経済危機に対する南からの応答」、から出された諸提案だったと思われる。この評議会は結論的に一つの宣言に結実した。それにはきわめて具体的な一連の諸提案が含まれていたが、それらは不幸なことに今日まで、政策決定として引き継がれることにはなっていない。統合に関する限りは、2007年以降公式的には存在してきた「南の銀行」がまだ業務を始めてはいない、ということに注意すべきだ。この銀行は明らかに手詰まり状態にある。
 これらの極めて批判的な観察の上で、いくつかの肯定的な要素については光を当てる価値がある。その第1は、2008年12月にサルバドール・ド・バヒア主催で開かれた全ラテンアメリカ首脳会合であり、それは、ラテンアメリカという共通の光景の中にキューバが復帰したことを刻印した。この機会に、メキシコ大統領のフェリペ・カルデロン(右派政権)とラウル・カストロ(キューバ)は、アメリカ政府(この首脳会議に招待されていた)の介在なしに会うことになった。そして今まで、1959年のキューバ革命以来アメリカは、何とかキューバを外交的に孤立させ続けてきたのだ。その程度は、大陸規模の主要な会合といえば米州機構(OAS)の会合となる、というほどだった。そしてそのOASは、キューバを除く北とラテンアメリカの国家から構成されているのだ。しかし今や、右派政権を含むラテンアメリカ諸国家はワシントン無しで一つの連合を形成し、そうすることで、地域の問題を自分自身で解決しようとしている。そのような問題の1例は、エクアドル領内へのコロンビア軍の侵攻後2008年3月1日起こった紛争だ。ここに見てきた動きは肯定的なものだ。
 統合の歩みに関する肯定的な他の要素は、ALBA(アメリカのためのボリバーリアンオルタナティブ)(日本での通称は、米州ボリバール代替構想―訳者)の引き続く拡張だ。それが始まったとき(2004年―訳者)、そこに結集していた国は、キューバ、ベネズエラ、ボリビアだった。2008年にそれは、ホンジュラスとドミニカ島を含むまで広がった(現在は上記にニカラグァを加えた6カ国―訳者)。この数ヶ月間、我々はエクアドルの慎重な親善回復(オブザーバー参加―訳者)に注意を払ってきている。

―債務問題に関しては何が進んだのか―

 いくつかの講演が債務問題を扱った。最も出席者が多かったものはおよそ500人を集め、それは、ラテンアメリカの債務会計検査と議会調査委員会を設立しつつあるブラジル議会に関するものだった。CADTMとジュビリーサウスはWSFにおいては最も代表的なネットワークだった。またラテンダード、ユーロダード、アフロダードも存在していた。債務キャンペーン運動の最終宣言が述べているように、新たな公的債務の危機は今生まれている最中にある。

―フォーラムの組織化については、新しいものが何かあったのか―

 あった。各々自主的に運営されたテーマ毎の総会に続いた総会の総会は、ある種重要な革新だ。最初の時から、WSFの社会運動は、フォーラムの公式プログラムとは別に招集される最終合同総会という伝統を作り上げた。フォーラムを構成する一連の部分は何年もの間、共通の代替方向、共通の行動と提案を生み出すために、参加諸組織間の方向の収斂を活発かつ意識的に助成するよう、フォーラム自身に求め続けていた。国際評議会(IC)内部には一定の抵抗があった。しかし今年は一つの転換点であり、総会の総会の招集として、WSFにとっての一つの前進を印した。
 第1日目(1月27日)、フォーラムは街頭での開会大行進で始まった。2日目には、全ての活動がアマゾン地域に焦点を当て、それらは、先住民民衆の貢献を際立つものとした。汎アマゾンデーに続いて、全ての問題が自主運営の活動で扱うことができた2日間があった。そして最後に、最終日(2月1日)の午前にテーマ毎の自主運営総会が開かれ、次いで午後、各テーマ総会の結論がASM(1月30日開催)の最終宣言と並んで発表された総会の総会が開催された。この全体は明白に極めて肯定的な選択だった。
 とは言えそれは、条件付きであるとすべきだ。というのも、ICと地域組織委員会は、3―4日目の自主運営活動の協調に十分なエネルギーを注いだわけではなかったからだ。その結果は、2,000に近い活動が組織されたからには、あまりの分散として帰着した。フォーラム前の4ないし6ヶ月、ボランティアと専従スタッフのグループは、その活動のグループ化と統合のために、活動を登録している全組織と連絡が取れているべきであった。そうすれば、多くの重複を避けることができたと思われる。この観点からCADTM(注1)は、その活動全てが他の組織との共同の下に組織された以上、特別の努力を払った。CADTMは自分だけではどのような活動も組織しなかった。現在の危機に対する応答が関わる限り、CADTMは、何十もの異なった組織を結集した二つの働きかけに関与した(注2)。債務問題に関する同様の活動は、ジュビリーサウス、ラテンダード、そしてブラジルが特筆できるがこの問題で活動的ないくつかの国民的キャンペーンと共に行われた。
 もう一つ弱点があった。それは、総会の総会開催の物質的条件が不十分だったことだ。それは、いかなる翻訳システムも欠いたまま野外で開かれた。参加者たちは、様々なテーマ別総会から届いた結論を読み上げる人々に質問を発することができなかった。それらの結論に関して真の意見交換を可能とするためには、次回には屋内の会場と翻訳システムが必要となる。

―2007年ナイロビフォーラムと比べ今回のものは、より抑圧された人々にとって参加し易くなっていたのか。当地の住民は活発に参加したのか―

 フォーラムには地域の人々が極めて多く参加していた。ベレンがその首都であるパラ州からは、およそ100,000人が参加していた。ブラジル人にとっての入場料は合計30レアル(10ユーロに相当)となっていたが、それは、一般の食堂での8から10食分だ。それ故それは、その収入の80%をただ生き延びるためだけに費やす住民層にとっては、払うには高すぎる価格だった。もっと多くの参加を促すためには、入場料はもっとかなり低くされるべきだっただろう。
 組織委員会の責任ではなく連邦政府とパラ州の政策の結果であるが、問題のあるもう一つの側面は、ベレン市の最貧困地区に対する差別だ。二つの最貧困地区には、200人の機動警察官が配置され、当局はレイ・セカ、つまり夜間のアルコール販売を禁止する法律、を課した。それ故それは、19世紀的表現を使えば、「危険な階級」に対するあからさまな差別政策だ。市の残りの部分では、警察官の存在はほとんど目につかず、夜であれ昼であれアルコールはいつでも売ることができた。
 触れるべき点はもう1点あった。それは、フォーラムが開かれた大学周辺のテントのような家で暮らしていた住民が、その場所を「片付ける」ために、フォーラム直前に立ち退かせられたことだ。
 ICの中でCADTMは、組織委員会と共に入場料の問題を提起し、貧しい住民に対する州当局の姿勢を批判した。組織委員会のメンバーも、この種の政策を深刻に懸念している、と語った。
 結論を言えば、WSFは、いかなる金銭的な障壁も作ることなく当該地域の住民に十分に開かれるべきだ。また、警察が下層階級に狙いを絞るような安全保障措置がフォーラムの組織化に伴われてはならず、その一方、狙われた彼らこそが本来、WSFやオルタグローバリズムのような過程の中では、変革の中心的な活動主体であるべきなのだ。

―IC内部の発展とは何か―

 今回のWSFをめぐるIC内部には、一つの肯定的な進化が注目されている。一方では、フォーラム前、総会の総会を招集するという一つの戦略的選択があり、他方、フォーラム後、2日間のIC会議があった。フォーラムの成功は、ICの討論の公平な雰囲気と諸提案に結実した。その会議では、グス・マシャーによって提出された文書(注3)が口火を切った一つの戦略的な討論があった。この問題に関してはいかなる投票も行われなかったが、行動計画を、特にASMの総会が合意した世界行動週間を進めることに、ICはありありとやぶさかではなかった。過去の場合には、いくつかのフォーラム創設メンバーを含むいくつかの構成部分が、大デモをフォーラムとして組織することに反対した。それは特に、2003年と2004年の反戦デモの場合だ。しかし今回彼らは行動予定を承認した。資本主義の世界的危機が物事を変えたことは明らかだ。今や誰もが行動する必要に直面している。
 これはいくつかの疑問を提起する。先ず、それはICの反応能力を反映したものなのか、という点。なにしろICは、行動を促すことにはまどろみ渋ってきていたのだ。そして、ベレンフォーラム後に観察された変化は今後も続くものなのか、それとも一時的なものなのか、という疑問。
 正しい方向にICを活発に刺激することのできる組織が、彼らの責任を引き受けることが重要となっている。この点に関してCADTMは、ICが資本主義の危機という挑戦課題に立ち向かうことに貢献するよう、ICの機能を改善するつもりがある他の組織と共に、その責任を引き受ける固い意思をもっている。
 その上で、支持されるべき一つの提案がIC会議の中で送り出された。それは、2010年にガザで会合を開催するという提案であり、そこには、何百名もの参加者を見込んだ大衆的活動が付属することになっている。この計画は、パレスチナ民衆の闘争を支援するために、2010年前半に実現されなければならない。

―社会運動の行動計画は成功する見込みはあるか―

 ASMの呼びかけが成功するためには、フォーラムに参加したあるいはこの呼びかけを支持する全ての組織が、それを全力で組織しなければならない。そうすることで、各々の国と地域でこの呼びかけは動員に結実する。我々には参加しなければならない他のものもある。現在のあるいは最近の諸闘争(ギリシャで、フランスで、グァドループで、マルチニークで…)は、確実に先の予定を前に進める助けとなることができる。全経済部門の大規模なレイオフ計画で脅かされている労働者と労働組合が、先の計画に関わるようにならなければならない。
※ 筆者はCADTMの議長。
注1)CADTMのWSF代表団は30人近くからなり、出身国は14カ国(アルゼンチン、ベルギー、ベニン、ブラジル、コンゴ民主共和国、エクアドル、フランス、ハイチ、インド、象牙海岸、日本、モロッコ、パキスタン、トーゴ。コロンビア、ベネズエラ、チュニジアの代表団はベレンに来ることができなかった)
注2)これらの働きかけの一つが、「公的財政を本来の役割にしよう」との宣言に導いた。
注3)「世界的危機にはらまれた危険と好機」との表題が付けられている。





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