第16回世界大会議案

気候変動についての報告


《以下で、必要と思われる訳者の注は、※を付し各文末に加えた》


―われわれは、以下に気候変動と気候キャンペーン報告の改訂版を再版する。これは、ダニエル・タヌロが起草し、20092月の第4インターナショナル(FI)国際委員会 (IC)の会合に提出された。この報告は、この問題についての来るべきFI世界大会の決議を作成する基礎として採択された。

 われわれは、この報告が他の投稿を呼び起こせば良いと思っている―このテキストの討論に参加したICメンバーからであれ、あるいは「気候変動キャンペーン」に従事したり、あるいは環境保護と社会的活動をリンクしながら活動している活動家からであれ―。

 われわれは、このような投稿を出版することで、集団的な考察に貢献したい


I. 気候の脅威:原因、 責任、社会的・生態学的影響


1 気候変動は先例のない事実である。

気候変動は事実である。20世紀に、地球表面での平均温度は0.6℃上昇し、海面は10~20p上昇し、氷河はほとんどの地域で顕著に後退し、サイクロンは北大西洋で凶暴性を増し、さらに極端な気象現象―嵐、洪水、干ばつなど―が記録された。

これは周期的な変動(例えばエルニーニョ現象のような)ではなく、重大かつ長期的な変動、即ち気候システムの重大な全体的不均衡を表す問題なのである。

これらの均衡破壊の原動力―表面温度の上昇―は少なくとも1300年間では前例がない規模のものとなった。この上昇は、80万年間前例のないもう一つの現象と強く関わっている。すなわち、大気の炭素濃度の増加(炭素ガスやメタンという形で)だ―これらのガスの温室効果ははるか以前から物理学的に確立されていた―。

 温室効果ガスの排出が今の地球温暖化の主な原因ということは90%以上確実で、もはや科学的レベルでの信用性についての論争の対象ではない。現在の地球温暖化は前例がなく、地球の歴史上あった他の温暖期とは根本的に違っているということも立証済みである。過去の間氷期では、地球と太陽の位置関係や、太陽活動の自然の変動が地球温暖化を引き起こした。それは生物の成長を促し、その結果大気中のCO2濃度を上昇させ、さらに温暖化をくっきりさせた。今日、原因の連鎖は逆になった。自然の要因は温暖化の約5−10%に過ぎず、主な原因は、人間の活動によるCO2やメタンガスの大気濃度の急激な上昇から直接来ている。言葉を変えるなら、以前の地球温暖化は温室効果ガス効果を強める原因となったが、今や、温室効果ガス効果の増大が直接気候変動をもたらす。


2 「気候変動」“climate change”という表現はわれわれをミスリードする。即ちわれわれは、人類の時間スケール上逆転できない、残忍な一挙的移行(swing)に直面している。

「気候変動」という表現はわれわれを間違わせる。すなわち、それは緩やかな変化を想起させるが、われわれはますます勢いづく激しい変動に直面している。これは、温室効果ガスの大気濃度を上昇させる以下の3種類の経済活動による。

i)森林、自然の草地、土壌、泥炭地は有機物の形で炭素を蓄えている。

  森林伐採、自然の草地の耕作地への変換、湿地の干拓や粗悪な耕作には炭素を解き放つ効果がある。さらに、硝酸化合物の化学肥料(放出量の17.9%)の過剰な使用は亜酸化窒素―もう一つの温室効果ガス―の放出の原因になる。

 (ii)どんな燃焼も結果としてCO2を放出する。しかし、バイオマスの燃焼からのCO2と化石燃料(石炭、石油、天然ガス)を燃焼したときのCO2には大きな違いがある。前者は、なんら問題なく生態系(植物や海)が継続的にCO2を吸収、除去しリサイクルされる(炭素循環)。後者は、反対に、限られたリサイクルしかない。今や、2世紀にわたって、化石燃料の燃焼が、急激かつ継続的に、大量のCO2(放出量の56.6%)を大気に注ぎ続けてきた。

(iii)一定の産業工程、それは未知の温室効果ガス(フッ化ガス)放出の原因となる。

炭素は自然には大気中に極めて薄い濃度でしか存在しない。人間の活動が気候システムにこのような影響を与えることができるのはまさにこの理由による。現状では、大気に放出された温室効果ガスの総量は自然の吸収能力の2倍になっている。残りは蓄積して、温室効果ガスを増加させながら、それ故に温度をため込み、そしてこの蓄積物は地球温暖化によりさらに増える。地球温暖化の主なメカニズムは、人間の活動由来のガス放出による炭素循環の飽和と要約できる。

この温暖化は、人類の尺度では逆転できない。たとえ大気の温室効果ガス濃度が直ちに安定したとしても、地球温暖化の影響は1000年近くに及ぶであろう。なぜなら、膨大な海水の温度が均質化するには膨大な時間が必要とされるからだ。事態が安定化されない場合、このメカニズムは必然的に劇的にスピードアップし、氷結した極冠の崩壊や、凍った大地(永久凍土層)―さらには深海―、に含まれたメタンの膨大な量の放出など、極端に危険な現象となって現れるであろう。

そのうちに石炭、石油、ガスが枯渇し、これらの大危機から人類を守るだろうといった考えに賭けるのは間違いで危険であろう。実際、化石燃料の確認埋蔵量(特に石炭)でも制御不能の加速を引き起こすには十分である。このようになれば、地球は6500万年間知られず、人類が全く経験したことのない状態となっているだろう。即ち、氷のない地球、そこは今よりも100m程海面が高いだろう。


3 気候の大変動は「人類の活動」一般のせいではなく、資本主義的産業革命からの活動形態のせいである。

 気候の大変動は、メディアやIPCC気候変動に関する政府間パネル)の報告が言うような、「人間の活動」一般のせいではなく、実際には資本主義的産業革命以後の人類の活動様式―特に化石燃料の燃焼―のせいだ。この現象の原因は、基本的には資本主義的かつ生産力主義的蓄積論理に基づいており、その歴史上の重心は帝国主義国家の中心都市にある。

産業革命から始まる経済的飛躍は石炭がなければ大規模には起こり得なかったであろう。しかしながら、「進歩」一般に気候変動の責を見境なく負わせるのは単純すぎるであろう。事実、かなり急激に、再生可能なエネルギー開発の可能性が生まれた。それは道理に合った発展と環境保護を両立させることができていたかもしれない。この観点から見ると、次の2つの間には目がくらむような対照がある。すなわち、光電効果(光電池)(1839年に発見)に対してはずっと無関心だったことと、資本主義(あるいは非資本主義)国が核分裂にすぐに夢中になったこととの間にだ。核産業の発展は、かなりの公的投資なしには不可能だったであろう。そしてそれは、この技術の恐るべき危険性にも関わらず認可されたのだ。太陽電池の可能性は、このような関心ごとから一切利益を得なかった。

資本主義の発展とともに、巨大なエネルギー産業群が、その利益に応じてエネルギーシステムを作ることができるという、決定的位置を獲得した。これらの群の力は、以下の結果である。すなわち、どんな経済活動もエネルギーを必須とし、エネルギー投資は長期的であるという事実のみならず、化石燃料埋蔵量には限度があるという特性と、従ってその私的な獲得の可能性は独占的価格を押し付ける可能性を持ち、それ故、エネルギー地代の形で安定した、大きな超過利潤を得る可能性をもつという事実の結果である。

高いエネルギーを持つ液体燃料の豊富で安い原泉としての、石油の中心的役割は、特に、ますます集中、集権化を高めるこの部門を支配する資本に、経済的・政治的レベルの両者で戦略的な位置を占有することを可能とさせた。石炭産出企業と同様、電力産業や石油に依存する大きな部門(自動車、造船、航空、石油化学製品)、石油多国籍企業は、一方では、システムと生産のレベルで過剰消費を助長し、エネルギー効率の発展を制限しつつ、代わりとなるエネルギー資源、その諸技術、またその配分モデル、それらの使用を、系統的に妨害した。

気候変動のメカニズムを理解するために、われわれは分析を補足する必要がある。つまり、一般に集中化・集権化に向かう資本主義の傾向、生きた労働を死んだ労働(即ち、資本―訳注)に絶え間なく置き換え、技術を画一化し、世界市場へ大量消費商品を過剰生産するという傾向を考慮することによってだ。第二次世界大戦の後、この傾向は、結果として特に数百万台の自家用車を製造させることとなった。戦後数十年の長い経済拡張の波を「牽引する」一方で、この生産は化石燃料使用を爆発的に増加させることとなった。排気ガスの増加もまたしかりである。

より最近では、新自由主義的資本主義グローバリゼーション、新興市場国への資本の大量輸出、世界市場向けの超低コスト生産、公共輸送機関(特に鉄道)の解体、航空輸送や海上輸送の目覚ましい増加は、この現象に新しいはずみをつけてきた。


4 「現存する社会主義」国家にもまた、重大な責任がある。世界革命と縁を切り、彼らは生産力主義を猿まねして、資本主義的技術をコピーしたからだ。

 気候変動の分析にあたり、資本主義とは別の道を歩みだそうとした国々も責任を免れることはできない。彼らの官僚的堕落の結果、これらの諸国は生産力主義に戻り、自然資源の浪費を行い、特にエネルギーにおいてそれは先例のないレベルにまで至った。

帝制ロシアは後進国であった。戦争、革命、内戦の後、化石燃料に頼らずに再建の軌道に乗せることは不可能であったろう。これはある部分では、再生不能な資源を基礎にしたシステムが必然的に陥る袋小路について、ソビエト理論家が予見できなかったことを説明するものである。しかし、おそらく他の要素が考慮に入れられなければならない(第4章参照)。確かなことは、ソ連邦のその後の経済発展は他の選択肢を探ることを可能にしたであろうが、スターリニスト独裁と“一国社会主義”の退化がこの可能性を妨げた、ということである。

世界革命の展望を捨て、自らの特権を自己防衛するために帝国主義との平和共存を期待し、創造的な思考を抑え込むことにより、スターリニスト独裁は先進資本主義国の、軍事技術により進化した技術的発展の後を追うとともに、資本主義の必要性の尺度で作られた資本主義のエネルギーシステムをまねることを選択した。この理論はアメリカに追いつき追い超すという幻想を抱きながら、フルシチョフのもとで頂点に達した。それは特に、核エネルギーの無思慮な開発を導き、チェルノブイリの大事故を招くこととなった。

原料の消費トン数に応じてボーナスを出すシステムを基礎に、生産の成果に応じた管理者への物質的動機付けという官僚的やり方が、浪費の特殊要因となった。結果として、参考にした資本主義モデルよりもさらに環境を汚染し、無駄の多いエネルギーシステムとなり、また、より非効率でさえあった。

最後に、大衆の必要性の軽視、彼らの政治的決定からの除外、彼らを社会的にアトム化状態にしておこうという意思が、各分野の全経過を通して多くはばかげた選択に導いた(国土計画、建築、都市計画…強制的農業集団化は言うに及ばず)。これらの選択は、資源浪費や全システムのエネルギー不足を悪化させ、言うまでもなく他の領域での、特に汚染や公衆の健康の領域での、深刻な結果を招いた。

かくの如くであったため、第2次大戦後、ソ連邦やいくつかの東欧諸国のCO2排出は、世界の排出量の大きな比率を示し始めた。これらの国々と先進資本主義諸国の、年間の一人当たり炭素ガス放出量を同時期で比較すると、気候を混乱させた点について「現存する社会主義」に大きな責任があるのは明らかである。ベルリンの壁が崩壊する直前に、例えばチェコでは年間一人当たり20.7トンのCO2を、東ドイツは22トンの CO2を放出した。比較すると、アメリカ、カナダ、オーストラリア―先進資本主義国で最大のCO2排出国―では、同じ頃に年間一人当たり18.9, 16.2 、そして15 トンのCO2を放出したと思われる。後者の国々では一人当たりのGNPがかなり高いにも関わらずである。


5 気候変動は、人類や生態系に破滅的な結果をもたらしている。

気候変動は、生態系同様、人類にも破滅的な結果をもたらしている。プラスの影響に比して、悪影響がはるかに大きいことは疑いがない―仮に気温上昇が限られたものであってさえ―。IPCCによれば(注1)、以下の影響が予測されている。

1~5 ℃の範囲で気温が上昇すると、亜熱帯地方や亜乾燥熱帯地方で干ばつが激化するであろう。プラス2 ℃から、数百万人以上の人々が毎年沿岸の洪水に晒される。プラス3 ℃から、熱帯湿原のおよそ30%が失われるであろう。

現時点で地球温暖化は、地方の人々の生計手段を生産している小農や小漁民の収穫を減らしている。プラス1℃から、熱帯地方では穀物の一部の減収が拡大するし、プラス3.5 ℃から、これらの緯度においてあらゆる穀物が損害を受けるであろう。温暖な地帯(高緯度)では、プラス1℃からは、ある種の穀物は収穫が増えるであろうが、プラス3.5 ℃から、生産は段階的に減るであろう。

そしてまたすでに、公衆衛生部門は、気候変動の結果である低栄養、下痢、心・呼吸器疾患・感染症などにより、仕事が増加してきている。熱波、洪水、干ばつなどに晒される間に、ある種の媒介生物(マラリアを媒介するハマダラカ、ライム病を媒介するダニ…)のいる地域では、実際に疾病者や死亡者の増大はすでに明らかである。さらに、化石燃料の燃焼は空気を汚染している。特に、喘息のような呼吸器疾患を極度に増加させる主因である微粒子となって。

プラス1℃から、30%の動植物種に絶滅の危機が広がると評価されている。5℃の上昇については、世界のすべての地域で種の絶滅は顕著になるであろう。これらの予測は、他の要因(土地使用等)が、6000万年前の恐竜絶滅の時に地球が経験したよりもさらに巨大で急速な絶滅の波に今日貢献していることを考えると、一層恐ろしい警告である。その重要な美的、感情的、文化的効果に加えて、命あるものの急激な不毛化はゆゆしい脅威のもとである。実際、生態系―特に耕作が作り出す生態系―の適応能力を条件付けるのは、例えば気候変動に適応する耕作に適した作物を選んでいくという可能性は、生物多様性である。

2.5 °C上昇すると、地上の生態系の1540%は、吸収するよりもさらに多くのCO2を吐き出し始める。このことは、炭素サイクルの飽和状態が悪化し、地球温暖化は自らをコントロールできない雪玉効果(「暴走的気候変動」)を一層強めることを意味する。

人類のレベルでは、ある予測によると、いろいろな災害、疾患、さまざまものの不足によって追加される犠牲者の数は、気温上昇に伴いますます急激な増加に向かう。3.25 °Cの上昇(産業革命以前との比較)で、これはIPCCの予測の中ほどだが、沿岸地域の洪水は今から2050年の間に1億〜15000万人の犠牲者、6億人の飢餓、3億人のマラリアの原因となるだろう。その一方で水不足は35億に及ぶ人々を巻き込むであろう。

これらの見積もりは、明らかにかなり不確実な性格をもつものである。さらに言えば、特に、もしも地球温暖化がまだ限定的なものであるなら、その結果はある程度これらを増やしたり減らしたりできる社会的要因次第である。実情は、政治に変化がないという条件の下、脅威の全体的なスケールは重大なままである。


6 今日既に、南の人々は、気候変動に高価な支払いをしており、その主な犠牲者である。

平均して、2000年から2004年の間に年間326の気候的災害が記録されている。これらは26200万人の犠牲者を生んでおり、1980年から1984年のほぼ3倍の犠牲にあたる。彼らの2億人以上は、OECD に加盟していない、温室効果ガス増加にはほとんど責任のない国々で生活していた。2000年から2004年の間に、発展途上国では19人に1人が気候的大災害の影響を受けた。OECD加盟国のそれに相当する数字は1500人に1人(79倍少ない)である(注2)。

適切な政策がなされなければ、この気候的不公平はとんでもない割合にまで達するであろう。国連開発計画(UNDP)は、それ自体明らかに不十分であるにもかかわらず「ミレニアム目標」(※)さえも達成できないだろう、と認めている。気候が崩壊する局面では、貧困な国の一部は社会的経済的な抜け道のない衰退のスパイラルに突入するだろう。例えば、数億人の人類が海面の上昇により脅威にさらされている―中国(3000万人)、インド(3000万人)、バングラディシュ(1500―2000万人)、エジプト(1000万人)、そしてその他の三角州地帯、特にメコン川とニジェール(1000万人)で―。例えば海面が1m上昇するとベトナムの1/4の人口は移動する必要がある。

食料危機の増加にもう一つの目立った気候の不公平があらわれている。ある情報によると、先進国の農業生産は2080年までに8%増える可能性があるが、一方発展途上国では9%減るかもしれない。ラテンアメリカやアフリカは、12%以上、さらには15%にも及ぶ生産が消失することで、最悪の影響を受ける大陸となるであろう。サハラ砂漠より南のアフリカやアジアのある地域では、灌漑のない農業の生産性は、IPCCによると次の20年で半分にも減少するかもしれない。

その結果はおそらく資本主義的農業ビジネスへの依存という形で、そして大土地所有者による支配が増え、小農を貧困と飢饉が襲い、地方からの移住と生活環境の下落が増すという形で、見られるであろう。

※貧困対策として、国連主催のサミットで合意された計画、G8も資金拠出に合意した


7 サイクロン・カトリーナの例もまた、先進国の労働者や貧困者にとっての危険を示す証である。

2005年9月、ニューオーリンズを襲ったサイクロン・カトリーナが明らかにしたことは以下のことだ。つまり、先進国の労働者階級の最も貧困な部分は、帝国主義の支配下にある国々の大多数よりも気候変動に直面する準備がよくできているわけではほとんどない、ということだ。彼らは最も大災害に晒された地域に住み、逃げる手段を持たないか、あるいは戻ることができないのではないかとか、すべてを失うのではないかと恐れて逃げない。なぜなら、彼らの所有物は保険がかかっていないか不十分であるからだ。

カトリーナは1500人の死亡と78万人の立ち退きをもたらした。そのうち75万人にはどんな補償政策も取られなかった。ニューオーリンズ人口の28%は貧困層(合衆国平均は12%)で、その貧困層の35%はアフリカ系アメリカ人であった(合衆国平均は25%)。彼らの居住区域が一番被害を受けた。洪水に見舞われた地区の人口の75%は黒人であった。

公共機関は避難の取り組みをせず、住民48万人のうち138000人は窮地に陥った。飲料水も電気も電話もない中で、彼らは援助が来るまで5日以上待った。彼らのほとんどは貧困な労働者、失業者、貧困層の子供たち、資産のない高齢者であった。

このバランスシートは、先ず一般的にアメリカ支配階級の、次いで特にブッシュ政権の帝国主義的、人種差別主義的、階級的政策、と切り離すことはできない。2003年から、「テロとの戦争」に資金を流すために、連邦政府は組織的に、堤防の維持管理の部門に配分する予算をを減らした。2005年には、この部門は求めた予算の6分の1を受け取るのがやっとだった。この尊大で冷酷な政策は大災害の後も続いた。貧困者を町から追い出す目的の再建や、労働者の社会的利益を攻撃するという戦略―特に、最低賃金の廃止―を通して。

このバランスシートはまた、資本主義社会に特徴的な、その他の不平等、とりわけ女性に課せられた不平等と切り離すことはできない。アフリカ系アメリカ人女性(と彼女らの子供たち)が大災害に最も重い代価を払ったことは偶然ではない。一方、女性は気候の脅威の前面に立っている―なぜなら彼女らは貧困ラインの下で生活する13億人の80%を占めるからだ―。他方、抑圧されていることで、女性は特有の方法で蝕まれている。最も遅れた国々では、たとえば加熱のためにより多くの木材を集めなければならないとか、農作業からの収入の減少とかが気候変動によりもたらされるが、これらは主に女性の仕事である。もっと発展した国々では、不安定雇用、パートタイム労働、そして低賃金が特に女性に影響を与える。そして結果として彼女らには、気候変動の影響から自己防衛する可能性が少ししかなくなる。いずれの場合も気候変動は、母子家庭の女性、その中でも特に若い女性にはさらに過酷な影響をもたらす。


U 気候保全のために必要な物理的人的規制


8 気候変動の問題には極度の緊急性がある。温室効果ガスの排出を非常に徹底的かつ急速に削減したとしても、危険な閾値を越えないですむとは考えられない。

 IPCCは、現在の温室効果ガス排出の傾向が続くなら、今から2100年までに平均気温が1990年比で最低1.1℃から最高6.4℃の間で上昇するだろうと予測している。上昇温度にかなりの幅があるのは、一つは気候モデルに、もう一つは人的展開の予測に由来する二重の不確実さがあるためである。

 1990年から2006年の気温上昇が予測値の中でも高い方にあったという事実は、現在の政策を持続すれば比較的短期間のうちに人類が18世紀の終わりよりも少なくとも4.5℃高い気温変動に見舞われるだろうとの結論に導かれる。

 こうした気温変動は、少なくとも、2万年前の最後の氷河期と現代とを分かつ変化と同じほどの大きさをもつ、生存諸条件の一変化である。しかし数千年をとるまでもなく、そうした変化は、数世紀、あるいはもっと短期間に起こりうる。変化が急速であれば、人類や生態系がその変化に適応する可能性を減少させる。

 EU(欧州連合)は1996年、気候変動に関する政策目標として温度上昇を最大2℃にとどめると設定した。この決定は、当時の閾値に関する評価を基礎になされた。それ以後、この閾値は下方修正された。専門家らが1.7℃を超えると危険領域に達すると判定したからである。事実、こうした上昇がすでに危機を高めている。とりわけ生物の多様性の減少、海水面の上昇、熱帯と亜熱帯における農業生産性の低下という3分野で危機が明らかである。

 地球の平均地表温度は前工業期から0.7℃上昇した。さらに0.6℃の上昇が進行中である。したがって気候を保全するために行動する余地は極端に少ない。状況の切迫さは最大だと考えなければならない。

 温室効果ガスは、大気中に長期間留まる(CO2ではおよそ150年)。そのことから気温上昇を抑制するためには、ガス排出の削減をより急速かつ大規模にし、目標温度を低く設定することが求められている。

 IPCC2007年の第4次評価報告書において提示した最も抜本的なシナリオは、大気中のCO2濃度を350ppmから400ppm(温室効果ガスの総量をCO2換算で445ppmから490ppm)に収めることを目標としている(注3)。この目標が意味することは以下の2点だ。

(@)現在から2050年までに排出総量を50%から85%削減する

(A)全世界の温室効果ガス排出総量を遅くとも2015年までには減少に転じさせること

 先進工業諸国は、気候変動に関しては200年以上にわたって化石燃料を燃やし続けてきたので70%以上の責任がある。先進諸国と帝国主義に支配されている諸国とでは、それぞれの歴史的な責任に応じて努力目標が設定されなければならない。すなわち先進諸国は、2020年までに25%から40%削減することから始めて2050年までには排出量を80%から95%削減すべきである。帝国主義に支配された諸国は、IPCCによると2020年(アフリカ諸国は2050年)までは、「基準シナリオと比較して実質的な修正」をした数字を目標とすることになる(注4)。

 CO2は、全世界のエネルギー源の80%を占めている化石燃料を燃焼すると不可避的に発生する。そのため上述の目標は、とてつもない目標である。つまり、ほぼ全面的な化石燃料の利用中止を意味することに他ならない。この目標を一世紀以内に達成するためには、根本的な社会経済的変化が必要である。

 上述の目標が達成されたとしても、気温上昇は2℃をわずかに超えるだろう。IPCCによると、この数字は2℃から2.4℃の範囲に収まる(およそ1000年紀の間で)。換言すると、危険領域に入ることはもはや避けられないようである。導かれる唯一の合理的な結論は、最も強制的な削減目標が必要であり、できるかぎり実現するというような漠然とした指示であってはならず、絶対に「実現する目標」でなければならない。


9 採用すべき諸目標はより一層必須であるが、IPCCは気候変動に関係する媒介変数のいくつかを過小評価している。

 実現目標の規模を全体的に測定するためには、IPCCの結論が伝統的な仮説を前提にしていることを明確にする必要がある。最も悲観的な数字を行動の基礎とし、そこから得られる目標を最低限なものと考えるのが賢明である。

 こうした対応は、ことに次の二つの要素から要請されている。

 a)IPCCは非線形的な現象を過小評価している。予測数値の不確実さをもたらしている主要な要因の一つは、グリーンランドと南極の氷冠崩壊のようないわゆる非線形的な現象の多大な複雑さを無視していることにある。連続的な過程である氷の融解とは違って氷冠の不安定化は、非連続の急激な変化であり、その変化モデルは現在まで構築できていない。このことが、1990年から2006年に観測された海水面上昇が年間3ミリであり、予測数字よりも60%も多い理由を説明してくれる。グリーンランドと南極に蓄積されてきた氷の全量は、グリーンランドが約6メートル分、南極が約60メートル分、各々海面上昇を引き起こす量に相当する。しかしながら一定の専門家たちは、大気中のCO2濃度は、3500万年前に起きた南極の氷冠形成に対応する質的な閾値を、逆の方向で越える過程にあると言っている。その結果として部分的な破局が短中期的に起こりうる。その場合、一世紀以内に数メートルの海面上昇がありうる。これが、気候変動が短中期的にもたらす最も深刻な脅威の一つである。

 b)IPCCは、経済活動による炭素排出量の明確な規制によらない自然発生的な減少を過大評価している。一単位のGDPを生産するためには一定量の化石燃料が必要であり、それ故そこから一定量のガスを排出する。産業革命以来、経済活動が必要とするエネルギー量(エネルギー集約度)とそこからの排出炭素量(炭素集約度)は、かなりの規則性をもって低下してきたことが経験的に分かっている(注5)。この傾向が持続するなら、所与の比率で排出ガスを減少させるために必要な対策の規模は、言うまでもなく、エネルギー集約度と炭素集約度が変わらない、あるいは増大する場合に比べて、かなり小さくてもよいことになる。IPCCの予測は、これを前提としている。しかし、この前提はこの数年間に観測された現実とは対立している。2000年以降、予測数字を超えている。その主たる原因は中国とインドにおける膨大な投資である。両国では、石炭火力発電所が多数建設され、安い電力と西側市場向けの安い製品が生産されている。いくつかの資料によると2000年以降に見られる経済活動上の炭素量増大の、つまりより汚染を拡大する技術の利用がもたらす排出ガス増大の、17%を両国が占めている。


10 排出ガスをその元で削減することが唯一の体系的戦略である。化石燃料の燃焼による排出ガスの削減こそが最優先されるべきである。

 理論的には削減は3方面から考えられる。森林や海洋、土壌などのCO2吸収源の保全と開発、CO2の分離と地質学的な隔離、そして排出ガスの原料レベルでの削減の三つである。この中で排出ガスの削減こそが唯一の構造的な解決策である。

 森林伐採が温室効果ガス排出の第二の原因であるから、現にある森林を保全することは、気候変動を悪化させない方法の一つである。だが構造的な解決策ではない。第一に、成長した森林は、光合成で吸収するのと同じくらいのCO2を酸化作用によって排出するし、第二に、これまで見てきたように地球の温暖化がある程度まで進行すると森林は吸収するよりも多くのガスを排出するようになる、からである。

 成長中の樹木は排出するよりも多くのガスを吸収する。一定の社会的経済的な条件下では、植樹は気候変動に対抗する手段になりうる。しかし構造的な解決策ではない。第一に、森林の拡大は利用可能な土地面積に限定され、第二に樹木に固定されている炭素は、その樹木の寿命が尽きたとき(あるいは何に利用されたかによるが一定の時間を経て)放出されるからである。

 「炭素の回収・隔離貯留」(CSC)とは、汚染工場が出す煙からCO2を分離して固形化または液化してガスが漏れ出すことがない、例えば地下深くの施設に貯蔵することである。そうした施設を構築できる場所は多くあり、貯蔵容量は多大である。この技術が大いにもてはやされるのは、石油や天然ガスよりもはるかに多くの埋蔵量がある石炭の利用を可能とするからである。このCSCが構造的な解決になりえないことも明らかである。というのは、貯蔵に利用できる石炭採掘跡のような場所は必ず有限であり、第二に、大企業が排出したCO2だけしか分離されないからである。

 温室効果ガスの排出源を削減することが、炭素循環の飽和という問題に対する唯一の構造的な解答の基本である。削減戦略は、関係するすべてのガスに適用され得るが、しかし化石燃料の燃焼によるCO2の大幅な削減こそが気候保全の戦略的な軸である。その理由は、以下の3点。

(@)化石燃料の燃焼が地球温暖化の主たる原因

(A)CO2が主要な温室ガス

(B)大気中におけるCO2の寿命が他のガスに比較して長期である

 これらの技術的な理由に加えて、社会的な問題として次の点が強調されるべきである。即ち、一方における自動車や航空機に由来する化石燃料によるCO2の削減の問題と、他方の米の栽培が生み出すメタンガス排出の削減や、森林地帯の住民が耕作のために行う伐採や焼畑などによる化石燃料を源としないCO2の削減問題を、同一のレベルに置くことなどできない、ということだ。


11 先進諸国におけるエネルギー消費の絶対的な削減が、再生可能なエネルギーの利用並びに気候救出へと至る道に通じる条件である。

 化石燃料に由来するCO2の抜本的な削減は、同時に二つの梃子を働かせることを意味する。ここで言う二つの梃子とは以下の二つだ。

(@)化石燃料に変えて再生可能なエネルギーを利用する

(A)エネルギー消費を削減する、

 様々な形をとっている太陽エネルギー(太陽熱、太陽光電池、水力、風力、波や潮の干満などの海の力)の技術的な潜在力は、世界全体のエネルギー消費の7倍から10倍に相当する(注6)。再生可能なエネルギー利用は、科学技術の発展によって今後数十年間には大幅に拡大するだろう。原子力に依存しないで世界経済の脱炭素化を実現することはこうして、非現実的、とはならない。この方向は、人間活動の発展や重労働、単調な繰り返し労働、危険な労働からの解放といった両面での著しい後退を意味しない。

 しかしながら、この膨大な技術的な可能性は、再生可能資源が化石資源に単純にとってかわり、その他すべては同じままであるというようなシナリオを有効にすることはない。というのは、実際、第一に太陽エネルギーは分散しており、第二にその出現形態は非常に多様で、世界の様々な地域では多かれ少なかれ使いにくく、そして第三にそのエネルギーの形態のほとんどが断続的だからである。したがって、これらのエネルギーを利用するためには、エネルギー蓄積システムの開発、エネルギー利用のために特別にしつらえられた設備の体系が必要である。

 それが意味することは以下のことだ。つまり、再生可能なエネルギー利用に移行するという方向のためには、太陽エネルギーだけを基盤とする新たな国際エネルギーシステムを構築する必要があり、それは非集権的、分散的で、節約型であり、最大限の効率を追求するシステムとなる、ということだ。これは巨大な事業であり、重大な投資を要求する。すなわち少なくとも移行の最初の局面では必要とされるエネルギー源の中心は化石燃料とならざるをえず、それ故CO2をさらに排出するか、それとも原子力に…環境や社会的、政治的な面で危険を伴う道を進むことになる(後述参照)。

 温度上昇が2℃を大きく超えないようにするためには、世界全体の排出が遅くとも2015年までに減少に転ずる必要があることを見てきた。このことから上述の移行に伴うガス排出は、他のすべての分野で否応なく埋め合わせられなければならないことになる。つまり具体的には、現在の人類の知識状況からすると、最も「大量のエネルギー消費諸国」における劇的な削減だけが再生可能なエネルギーへの移行を実現する唯一の道であり、それほどに、気候変動に関する状況は緊急かつ重大なのである。

 こうして気候変動との闘いは、資本主義経済が自然の再生に必要な時間を考慮することなく自然環境を収奪する、その急速なリズムの増大の持続不可能性に関する、より全般化された環境への考察が必要であることを決定的に示している。


12 先進諸国におけるエネルギー消費の削減は、劇的でなければならない。この削減は、これまでの人類の達成成果の維持のみならず、社会の進歩とも同義であり、両立できる。

 エネルギー消費の削減は、本質的に先進資本主義諸国の問題であり、これらの諸国ではエネルギー節約による排出削減の余地は非常に大きい。国毎の違いがこれを証言している。例えば、アメリカ合衆国の住民は年間平均8トン相当の石油を消費しているが、生活水準が同じようなスイスの住民は4トンである。

 実際には非常に高いにもかかわらず、エネルギー削減の余地に関する現在の評価は極めて過小になっている。事実、構造的な仕組みの多くが考慮されていない。これらの仕組みが、資本主義社会をエネルギーや資源を浪費する機械たらしめ、過剰生産と過剰消費、無益あるいは有害な生産(広告産業や武器製造など)、熱と電力の別々の生産、ほとんどの装置の著しく低いエネルギー効率、先進資本主義諸国市場向けの生産を行う新興市場諸国への大規模な工場移転、世界市場向けジャストインタイム生産のために限度を超えて開発される輸送体系、生産方式の急速な発展によって発生する設備の加速度的な旧式化、戦争による常軌を逸した破壊・再建、資本主義による不合理な地域の組織化(郊外の拡大、工場立地など)、そして言うまでもないが、富裕層の発作的な所有欲とこれと対照的な必需品だけを消費することによる大衆の社会的な不快感、をもたらしているのである。

 EUと日本のエネルギー需要を半減し、アメリカのそれを四分の一に削減することは、技術的に実現可能な目標である。エネルギー浪費の具体的な仕組みを検討すると、この目的が人類の社会的な成果を維持することと両立し得ると少なくとも言える。そしてそれは、相当の社会的進歩と同義であるとも言える。これは政治選択の問題である。


13 南側世界の参加なくしては、気候保全はもはや不可能である。南側世界の人々が発展する権利は、クリーンな技術によってのみ現実化が可能となる。

先進諸国における最も劇的な努力でさえ、気候保全にはもはや不十分である。わずか数年後に、帝国主義に支配された諸国、ことに大きな新興市場諸国がそうだが、一定の削減努力を開始することが不可欠となった。IPCCが差異化された歴史的な責任に応じて設定した目標数値は、これら諸国が2020年(アフリカ諸国は2050年)までに「基準シナリオから実質的に修正した」目標数値を実現するよう要求している。排出の「普通の進展」シナリオと比較して15から30%少なく修正された目標は、森林保全とエネルギー効率の上昇の二つを合わせることによって達成されるだろう。しかし社会戦略を別にして社会的、経済的な発展という基本的な権利を具体化するためには、クリーンな技術の大規模な移転が必要であり、これによってこれら諸国は化石燃料依存の経済モデルから抜け出せるのである。

14 気候変動と闘うだけでは不十分である。新しい不可避的な現象に対応する必要がある。これが南側世界の人々の中心的な努力目標である。

 温室効果ガスを極端に抜本的かつ急速に削減しても、その影響がすでに現れ始めている気候変動を完全に阻止することはもはや可能ではない。気候変動と闘う戦略は、それがいかなるものであれ、気候変動による諸現象を明確に軽減し、今後不可避的に現れてくるその影響に対応するものでなければならない。その戦略は、それぞれの国の歴史的な責任と能力に応じて世界規模で実行されなければならない。

 この軽減と対応とは一般的には、軽減が大きく急速であればあるほど、対応方法を選択する範囲はより限られたものとなっても十分だろうし、その逆も真である。前工業時代に比較して気温上昇が2℃以上になると、対応はより一層問題が大きくなり、費用も多くなる。温度上昇がある水準を超えると対応が不可能となり、数億人の人的犠牲と環境の大規模な破局が不可避となる。

 対応策は、一方での住民を保護する社会経済的な下部構造(洪水や水面上昇に備えるダム、暴風雨への避難所、排水システムなど)の建設・強化、他方での破局時に動員できる手段の増加に限定されない。気候変動は、社会生活のあらゆる面とすべての生態系に影響を及ぼすし、将来にはその影響がもっと大きくなりそうである。したがって対応策は、水資源の管理、都市農村計画、農業、森林業、公衆衛生、環境政策(特に湿地帯とマングローブの保全)、食習慣、危機対策など非常に多くの分野で実行されなければならない。

 帝国主義に支配されている諸国にとっては、気候変動による影響がすでに鮮明に現れており、対応策が主要な努力目標になっている。先進諸国は、国内での対応策に巨額を投資している。先進諸国に主として気候変動の責任があるのだから、発展が遅れている諸国の対応策の費用は先進諸国が支払うべきである。UNDPの分析によると、2015年まで南北間で年間860億ドルの資金移転が必要である。

 技術的なものよりももっと重要な対応策は、実際に貧困を抑制し、社会的な不平等を大きく減らすことである。実際、対応策を実行する能力は、様々な資源、社会的な権利、社会保護システムの効率に直結している。対応策は、最貧国の女性にとって特に重要な努力目標である。そこでは、社会のあり方全体の結果として女性が食糧生産のほぼ80%を担っているからである。


15 人口の水準は、気候変動の原因ではないが、気候展開の媒介変数である。人口統計的な推移の継続は望ましいが、人口統制政策は、気候上の挑戦を可能にすることはない。

 世界人口は、気候の安定化シナリオに明らかに影響する。人口60億の世界が排出ガスを半減するためには一人当たり年間0.5トンの炭素排出が許されるが、人口が90億の場合、他の条件がすべて同じとすれば(人口60億で半減したのと同じ炭素排出総量)排出を三分の一、つまり年間一人当りの炭素排出量をおよそ0.25トンにしなければならない。しかし、この全体を扱った数字は、世界人口の5%を占めるアメリカ合衆国のような国がエネルギー資源の25%を消費しており、温室ガス排出について4分の1の責任があるという事実を隠している。

 先進諸国は、年間一人当り帝国主義に支配されている諸国よりも8倍から20倍も多くCO2を排出している。1950年から1990年の期間をとると、次のようなことが分かる。

(@)いわゆる「発展途上国」の人口増加は、先進諸国の消費増加よりも、さらにこれら諸国の人

口増加と比べてさえ、明確に小さい比率でしかCO2排出に寄与していない。

(A)南側世界の諸国が人口を1950年の水準で維持し、他方では北側世界の一人当りの率でCO2

を排出してきたならば地球温暖化は現在よりもはるかに深刻なものとなっていただろう。

(B)他方、先進諸国の一人当りのCO2排出が南側諸国のそれと同じであったならば、地球温暖化は、人口統制策が実行されなかったとしても、現在よりも明確に深刻さが小さいものとなったであろう。

 以上のことから、人口増加、ことに発展途上国のそれが気候変動の中心原因、あるいは主要な原因の一つとさえできないことが分かる。人口増加は、最初に先進諸国から、次いで帝国主義に支配された諸国において、それ自身産業革命が生み出した生産と消費の様式の産物である。相対的な過剰人口の存在は、産業革命が生み出したシステムに固有な人口法則の主要な特徴である。このシステムは、「産業予備軍」の恒常的な存在を必要としているのである。IPCCの報告書によると、このシステムが気候破局の原因となる恐れは明らかである。だからこそ、このシステムとの闘いが緊急に必要となっている。これが、地球温暖化を止めるための唯一の手段である。そして、この闘いが、一方では対処するために時間が非常に短い状況の中で、他方では人権、ことに女性の権利を尊重して地球温暖化に挑戦しようとする唯一の手段である。人口変化の趨勢に起きている推移(※)は、その大部分が発展途上国で進行しており、予測よりももっと急速である。一連の環境上の理由から、この推移が持続することが望ましい。これは、社会進歩、社会保障システムの発展、女性に情報を提供し、産む産まないに関する自己決定権(適切な条件下における中絶の権利を含めて)の拡充を含んでいる。長期的な方針が必要である。弁明の許されない野蛮な手段に訴えることは問題外だが、いかなる人口統制策も気候変動の差し迫った問題への対応を可能とはしない。

※世界の人口増加率は近年低下に向かっている


V.資本主義の回答


16 気候のための闘いにおいて、資本のロビー活動はわれわれに30年を失わせた。

 地球温暖化の危険に関する最初の科学的警告は1957年にさかのぼる。マウナロア観測所(ハワイ)は1958年に創立されたが、この観測所はそのとき以来、大気中の温室効果ガスの加速度的蓄積を確実に記録してきた。しかしながらわれわれは、気候に関する第1回世界評議会(ジュネーブ、1979年)を国連が招集するために、20年以上、そして、 IPCCが設立されるまでには30年以上待たなければならなかった。その創立から2年後、IPCCは最初の評価報告を採択した(ジュネーブ、1990年)。その結論は、その後に続く三つの報告によってようやく確証されることになった。

 IPCCが推奨する国際的行動の方向に沿った最初の象徴的一歩は、地球サミット(リオ、1992年)の時にとられた。この期間中に、154カ国が「気候変動に関する国連枠組み協定」(UNFCCC)に署名した。この協定は、「共通だが差違ある責任」という重要な原則を採択し、一つの「終極的目標」として、「気候システムに関わる人間へのいかなる危険な障害をも防止するレベルに、大気中の温室効果ガス濃度を安定化させること」を決定した。しかし、そのレベルは特定されなかった。そして同文書は、各国の排出が2000年には1990年レベルに戻るよう諸国が自発的にその排出を削減するだろう、との願いを明記することで満足した。最初の拘束力ある気候協定が京都で結論とされるためには、われわれは1997年―研究者の最初の警告から40年後―まで待たなければならなかった。

 危険性理解におけるこの極度の遅さは、始めの内は、不確実性によって、並びに、気候変動の効果にはらまれた質量共に極めて違いの大きい特性によって説明できたかもしれない。しかし次第に、決定的役割は資本のロビー集団によって演じられた。1980年代から、事実上、大多数が化石燃料と結びついたアメリカ資本諸グループの代表はロビー活動の組織的諸形態を作り上げ、そこに大量の資金を流し込んだ。これらの組織は、気候学者の間で高まる意見の一致が政策決定者や世論に広がることを阻止する目的の下に、疑り深い政治的な科学者やジャーナリストや議員を、文字通り買い取った。

 時には「科学」の価値を落とし込め、時には科学に対する不信につけ込み、時には京都議定書が要求する犠牲あるいはその無意味さを強調しつつ、これらのロビー集団はできることは何でもやった。それが目的としたことは、気候変動の真実を、うさん臭い問題だらけの仮説という地位に、あるいは、黙示録的で宗教的な一時的熱中やアメリカ的生活様式に反対する国際的陰謀という地位にすら、体系的に落とし込めることだった。

 それら多様に展開された活動によって、これらのロビー集団は、あらゆるレベルでアメリカの政治家に対する圧倒的な影響力を作り上げた。帝国主義超大国としてのアメリカの支配的役割を考えたとき、この圧倒的影響力は、以下のことを彼らロビー集団に可能とした。

 (@)気候交渉の国際的進行において、鍵となる時点での決定的影響力の行使(2000年のハーグにおける評議会)

 (A)国際的場面における、多くの資本主義勢力に対する「諸論点」の提供

 結局のところ、アメリカの支配階級を含んで、「不都合な真実」が押しかけてきた。しかし、ロビー集団の活動は、化石エネルギーの多国籍企業に30年を稼がせ、人類に30年を失わせる、そのようなことを可能とした。


17 拘束力をもつ現在まで唯一の国際条約である京都議定書は、ただ全面的に不十分なだけではない。そこで設立された炭素市場は、社会的かつ気候上の不公正を増大させる。

 気候変動に対する全般的な応答を提案する諸政府による初の試みである京都議定書(1997年)は、20082012年の間に1990年比で5.2%の排出量削減を、先進工業諸国に義務づけた。この条約が全面的に不十分だと言うことは陳腐なのかもしれない。5.2%の排出量削減というものは、先進諸国を、2020年時点での2540%、現在から2050年までに8095%、という削減軌道に乗せているわけではない。アメリカによる批准拒否が意味するものは、実効的な削減が辛うじて1.7%に届くかどうかということでしかない。目標は以下の事実によってさらに弱められている。つまり、一方では構造的な排出削減を、他方では森林による吸収という形での一時的増大を、議定書の目標は同じ基礎の上に置いているのだ。その上、航空輸送と海上輸送の排出(全排出量の2%)は考慮に入れられていない。

 署名された諸国に対する削減割り当ては、以下の三つの「柔軟性メカニズム」によって、さらに緩和されてすらいる。それは、クリーン開発メカニズム(CDM)、共同実行(JI)、そして排出権取引だ。権利の取引は、削減目標に従いかつ(削減が―訳者)目標を超える先進国企業に、炭素重量(削減割当量と削減実績値との差―訳者)に応じて排出権を売ることを可能にする。CDM(そして付属的にJI)は、先進諸国に、実行されるべき削減努力の一部を、南(さらに東)の諸国における排出削減を図る投資によって置き換えることを可能とする。これらの投資は、交渉可能な「排出クレジット」(あるいは公認された権利)を生み出す。積極的な目的を完全に打ち消すこの手法は、資本主義の仕組みによって、あるいは排出権や排出クレジット取引のための市場を作り出すことによって気候保全は可能だ、という証明として提案されている。現実には、権利やクレジットのかなりの部分は、いかなる構造的な削減努力にも対応していない。またCDMクレジットの50%以上は、実体のある排出削減には全く対応していない。権利の取引に関して言えば、2005年以来ヨーロッパで実行されてきたこのシステムの経験(排出権取引)は以下のことを示している。即ち、結果から言えるこの「キャップ・アンド・トレード」という考案物の特徴は、削減目標(キャップ)が諸グループの収益性という要請に従って決められるということ、また最大の汚染者が巨額の超過利潤(その取得者は、それをクリーン技術に投資することを義務づけられてさえいない)取得によって強化されるということだ。

 これらの仕組みによって議定書は、労働者階級に対する支配階級の世界的な攻撃に、帝国主義によるそれが支配する諸国に対する攻撃に、さらに天然資源の商品化と収奪をめざす資本の戦闘に、ピッタリはまるものとなっている。帝国主義諸国は、開発途上諸国の未来の削減能力を不利な位置に置く一方で、彼ら自身の排出を削減するよりもむしろ低い価格で炭素クレジットを獲得できる。CDMJIは、権利の取引と結びついて、開発途上諸国や移行(資本主義への―訳者)諸国における投資を伴う新たな市場を開くことを、さらに労働者に対する脅迫を強めることを、多国籍企業に可能とさせる。そしてまた、炭素に関するこの市場の発展は、IMFと世界銀行に対して追加的な活動分野を開くのだ。こうして、炭素の新植民地主義に向け基盤が創出された。1990年に排出された温室効果ガス量を基礎とした諸国間の排出割り当ては、発展の南北格差に承認を与える。炭素を排出する権利の私有化と商品化は、炭素を吸収することのできる生態系の割り当てと並んで、地球上の炭素サイクルの資本による乗っ取り、それ故このサイクルを調整する生物空間の資本による可能性としては全面的な専有を、いわば正当なものとして確立する。そして京都議定書は、大きな途上諸国が既に実行しつつある努力を考慮に入れていない。こうしてこれらの諸国の支配階級は、開発という名の下に、可能な限り長期にわたって化石燃料を燃やし尽くし森林を破壊するための、都合のよい口実を手にしている。

 同時に議定書は、一定数の規制手段を含んでいる。排出削減は数量で定められ、期限に結び付けられている。上記が守られない場合には制裁が見込まれている。柔軟性メカニズムは、国内手段に対するいわば「補足」として使用が可能とされているにすぎない。CDMの枠組み内部では、核エネルギーへの投資は不適格とされている。森林への炭素吸収に対する投資から由来するクレジットへの依存は制限されて(いくつかの国によっては禁止すらされて)いる…。これらの手段に反対して資本のロビーが行使している変わることのない圧力は、一方における気候を安定させることを目的に尊重されるべき自然法則上の限界と、他方における利潤を追求する蓄積の論理、この両者間の非和解性を示している。


18 激化する帝国主義間競争があるとはいえ、気候変動の現実とエネルギー供給の試練は、気候変動への世界的対応を想定するよう支配階級を強制しつつある。

 科学的な見解の一致の幅広さと益々高まる堅固さを前に、地球温暖化のますます明白となる兆候を前に、さらに世論の圧力の下に、支配階級は、いわば拘束を含んだ戦略を、京都議定書よりも野心的で長期的な戦略を想定せざるを得なくなっている。

 この転換がアメリカよりもヨーロッパと日本で早く始まったという事実は、三つの帝国主義ブロックに生じている特殊な状況によって説明されている。日本とヨーロッパは、エネルギー効率を改善しその資源を多様化することによって、彼らの高い対外エネルギー依存性の低下を追求している。これらの国は、「グリーン」技術市場並びに特に核エネルギー市場において、形をとりつつある炭素市場に関するいくつかの競争上の優位性を引き出そうと期待している。他方、アメリカ資本主義の構造の中では、石油と石炭の両部門は極度に重要な重みをもっている。その上この資本主義は、湾岸の石油君主制との間に地政学的な戦略同盟を築き上げてきた。

 EUは最前線に立っている。ハーグサミット(2000年)後に、マラケシュ協定交渉の際EUは、アメリカの参加なしに京都議定書を実行する上で、それを推進する役割を演じた。2005年、「ヨーロッパ排出権取引システム」が発進させられた。それは、権利に関する世界市場のために、おそらくモデルとして使われる経験だ。同年、G8サミットにおいてトニー・ブレアは、現在から2050年の間に全排出量の50%削減という目標を初めて提唱した。それは2008年の洞爺湖サミットで採択された提案だ。

 このような背景の中で、アメリカと気候の諸問題に関するその同盟者の立場は、一層筋道の立たないものとなった。ブッシュ政権は正確な時間表と最終期限に関係付けられた義務的な削減を拒絶し、帝国主義諸国と帝国主義に支配された諸国に対する差異化された条約に挑み続けていた。しかしこの間その一方で、アメリカ大資本の内の数を増す部分は、削減割り当て確定という政策を嘆願し始めた。この進歩的な移行には、以下の相互に結びついた四つの理由が関わっている。

 (@)長期的には、行動しないコストが行動するコストを上回るという恐れ

 (A)排出の計画的削減が避けられない以上、それを先読みして手を打ち、世界的ルールに従って

それを組織する方がむしろよいとの確信

 (B)EUと日本の気候政策が「グリーン」技術の分野における競争相手の資本に無視できない利点を与えるかもしれないという恐れ

 (C)CDMシステムと組になった「キャップ・アンド・トレード」という戦略がもつ利点―その

証明はEUによってもたらされた

 アメリカ支配階級のこの再編成は、企業、経営者団体、地方自治体、州というレベルでの非常に多くの働きかけを通して具体化された。気候変動に関する懐疑論者は世論と議員に対する影響力を次第に失い始め、その進展は、削減割り当ての多少とも重要な確定に賛同する8本の個人提案議案が下院に上程されるまでになった。この進展は、ブッシュを引き継ぐ二人の候補者の中に、微妙な差違をもちながら表現された。

 平行した進展は、大きな新興市場国、特に中国、ブラジル、南アフリカ、メキシコ、インド(より小さな程度で)の支配階級の間でも起きた。これら諸国のブルジョアジーは当初、彼らの開発する権利を確認することに、そして気候保全のために行われなければならない行動の責任全部を先進諸国の戸口に置くことで満足していた。この立場は、気候変動の加速、その具体的な社会・経済的影響、帝国主義の全般的政策における気候・エネルギー問題の高まる重要性、そして特に一定の諸国での住民並びに世論の懸念が成長していること、これらを理由に筋道の立たないものとなった。そして、うまく回避することの不可能な以下の二重の現実性を忘れないようにしよう。つまり一つは、地球温暖化は帝国主義に支配された諸国により厳しく影響を与えつつあり、かつ与えることが予想されることだ。そして二つ目は、人間に危険のないレベルでの気候の安定化は、排出削減努力へのこれら諸国の参加が一定程度ない限り不可能だということだ。大きな新興市場国の支配階級は、世界的努力との協力という原則の受け容れに達し、彼ら自身の資本主義的利益の防衛という狙いの下に、諸条件に関する帝国主義との厳しい交渉のために準備を進めている。一定の政権(中国、メキシコ)は、排出削減に対する彼ら自身の目標を一方的に設定することで、主導性を発揮しつつある。それは、帝国主義大国によって不利過ぎる諸条件を押しつけられることを可能な限り回避するためだ。

 一般的に言って、進展はある見通しによって、全ての国で加勢されている。それは、埋蔵量減少に起因して、炭化水素供給の分野で緊張が高まるという見通しだ。危機や投機的運動を理由とする価格の上下動を越えて、この緊張は、原油価格を高い水準に維持し、従って他の化石燃料とバイオ燃料の価格上昇に、そして結果として農産物価格の上昇に導くという効果をもたらすだろう。

 全体を考えに入れた場合、これらの要素全ては以下のことを説明する。それはつまり、バリ会合時点(200712月)でアメリカ政府の方針がどのようにして包囲されたかであり、またこの会合が、京都議定書を引き継ぐものと想定された新たな国際条約という観点における交渉の、相対的な障害解除に行き着いたということだ。


19 20122050年の期間に向け開発されつつある資本主義の諸政策は、京都議定書よりむしろさらに自由主義的であり、2.8℃4℃という地球表面平均温度の上昇を我々に想定させる。

 バリで採択された「ロードマップ」は、正確なやり方で、IPCC2007年報告(前述、8項参照)から引き出されるべき定量的結論に言及している。この文書のインクは、G8が以下を決定したとき未だ乾いてはいなかった。即ちG8は、IPCCが提唱した世界の削減範囲の上限値(85%)にも、先進諸国に関する削減目標(現在から2050年の間に8095%)にも、あるいはこれら諸国に対する中間的削減目標(現在から2020年の間に2540%)や2015年に世界の排出量を減少に向かわせることにも触れずに、2050年に世界の排出量50%削減を支持する決定を行ったのだ。

 2008年始めEU委員会は、メンバー諸国と議会(※)に対して、一つの「エネルギー―気候一体策」(現在から2020年の間で、排出削減分20%、エネルギー効率向上分20%、再生可能エネルギー分20%―輸送部門における10%のバイオ燃料導入を含む)を提案した。この「一体策」は、IPCCが推奨するものよりも低く、また19963月に理事会が採択した目標、即ち温度上昇最大2℃、とも矛盾している(注7)。2008年秋、サブプライム問題が解き放った「金融危機」と資本主義の不況を背景に、いくつかのメンバー諸国(特にイタリー、ポーランド、チェコ共和国)と産業部門(自動車、鉄鋼)は、「一体策」の内容と特に手法に異議を唱えた。200812月の理事会は202020という象徴的な定式を維持したが、基本的にそれは、今や見かけ以外の何ものでもない。経営者は中心的な以下の2点で非常に大きな満足を得ている。第1点は、国際競争にさらされている部門と新メンバー国の石炭燃焼発電所に対する排出権への支払い免除であり、第2点は、削減努力の、CDM手法による開発途上諸国に向けた大量の外部化だ(排出削減の70%近くが南に移転可能となるように思われる)。

 同様の方向がアメリカで形になりつつある。バラク・オバマの「エネルギー・気候」計画は、現在と2050年の間で排出削減を80%と想定している。この目標は印象的に見えるが、しかしそれは、先進諸国にIPCCが提案した削減範囲の低い方の数字にもほとんど対応していない(アメリカは、その排出レベルを考慮すれば、先の範囲ではより高い水準の数字であるべきなのだが)。オバマは、2020年までにアメリカの排出を1990年水準まで戻すと約束した。それは現在比で20%の削減を意味している。再度、それは印象的に見える。実際にそれは、IPCCの数字より明らかに低く、かつ、京都議定書がもし批准されていたならばアメリカが2012年に到達しているべきであった目標からも低い。オバマは、一方では全排出権の入札を伴う「キャップ・アンド・トレード」システムと、エネルギー改革への融資に対するこの売却成果の使用を、他方では最も恵まれない社会階層のためにこの改革コストを減ずるとする計画を、再度公表した。ヨーロッパの場合と同様に我々は以下のことを予言できる。即ち、アメリカの経営者は、この計画に最大限の圧力を行使し、競争力の名の下に満足を得ることになるだろう、ということだ。結果として可能性はただ一つであり、この「エネルギー・気候」政策のために支払われる社会的ツケはより重くなり、その環境的効力は減じられることになる。同様に以下のこともありそうなことだ。即ち、気候の目標がより野心的になり拘束的になるに従い、ヨーロッパの場合のように、CDM炭素クレジット取引によって排出削減を置き換えるアメリカ企業の可能性は高まるだろう、ということだ。例えば、ディンゲル・バウチャーが提出した法案は、2029年までは炭素クレジットがどのような排出削減とも違うものとなることが可能となるほどに、多くの炭素クレジットを買うことを企業に可能とする。

 大統領選挙期間中にバラク・オバマが提案した気候・エネルギー政策は、アメリカ帝国主義の低下中の覇権を試し守ることを狙いとした適応の、決定的な要素だ。ブッシュ政権に比べての転換は、特に以下の点で特徴付けられる。

 (@)中東原油とその地域の不安定な体制との関係で、エネルギーの独立性を求める願い

 (A)エネルギー問題の代わりとなる解決策の組み合わせに関する開発、その主軸は、石炭、バイ

オ燃料、原子力、そしてエネルギー効率

 (B)大新興市場国を含む国際的気候協定交渉において一定の役割を演じるための全くもって本質

的な条件として、アメリカ国内排出の拘束力ある定量的な目標の受容

 (C)気候に関する努力への新興市場諸国の参加問題については、それらの諸国と対立するEU

の連携、一方で、エネルギー技術のような他の問題についてはEUと対立する新興市場諸国と

の連携、という目標

 (D)「低炭素」適格とされるエネルギー技術分野における、アメリカ資本に対する巨額の支援


20 気候保全のために満たされる必要のある諸条件は、資本主義にとっては、円を四角形にすることと等しい。その困難を解決することが不可能であるため、資本主義は、商品世界のさらなる拡張と組になった技術的な先延ばしによって、必要な取り組みを遅らせるよう試みるだろう。

 少なくとも2015年までに全排出量を減少させ始めること、40年を少し超える期間内に先進諸国の排出量を8095%削減すること、これら諸国のエネルギー需要を抜本的に削減すること、開発途上諸国に対するクリーン技術の大量移転を遂行し、これら諸国内で不可欠である適応に向け資金供与すること、可能な最良な水準で気候を安定させるために満たされる必要のあるここに挙げた諸条件は、生産力主義的なシステムにとっては、円を四角形にすることと等しい。

 その困難を解決することが不可能であるため、資本主義は、生産力主義的な先延ばしによってその諸条件に挑み、それを遅らせるために準備を進めている。その対応は、技術的な側面では主に、以下の諸要素に依拠している。

 (@)既知の重要埋蔵石炭(現在の採掘ペースを基準とした場合、約200年分)の開発。それは、

発電用エネルギー源としてますます重要な意味を帯び(炭素の分離回収・隔離貯留技術の開発

を基礎に)、輸送部門における石油代用燃料としてすらも期待されている。

 (A)第1世代バイオ燃料(砂糖を基礎としたエタノール、野菜油を基礎としたディーゼル燃料)

と輸送部門における第2世代バイオ燃料(セルロースを基礎としたエタノール)の大量開発。

これは、特により生産性の高い熱帯と亜熱帯地域における土地利用の重要な商品化を意味し、

同様に、技術、あるいは「遺伝子組み換え工学」への依存増大をも意味する。

 (B)沖合深海油田の開発やこれまで不向きとされてきた原油資源(重油、タールサンド、瀝青頁

岩)の利用。

 (C)エネルギー効率上昇により節約されたエネルギー余力の利用(新興市場国と資本主義への移

行国には、排出削減のための大きな潜在余地がある)に関する、電力生産と産業部門の、それ

だけではなくさらに、建設と輸送部門をも加えた優先(支払い能力ある需要が作用する形で)。

しかしこの潜在的な余力を利用する資本主義の能力は、支払い能力ある需要によって限界付け

られる。

 (D)原子力、風力、太陽(熱及び光発電)エネルギーの組み合わされた開発。再生可能エネルギ

ーへ原子力を事実上融合させること、原子力発電所数を大々的に増やすこと、さらに新たな核

技術(第4世代発電所、高速増殖炉)の開発は、既知ウラン鉱床(現在の状態と発電所数にお

いて約60年分)の限界に突き当たらせることになりそうだ。

 (E)炭素吸収(植林、現存する森林と湿地の保護、低炭素の耕作方法)の最大限利用、一つのエ

ネルギー源として廃棄エネルギーに価格付けすること。

 これらの技術的対応策を実行するためには、一つの炭素世界市場の創出が必要となる。そこには、一体的に以下の事柄が付随しなければならない。即ち、炭素に対する単一価格の決定、排出削減と吸収増大の間の等価性に関する協定、貿易協定、基準や割り当て(必要ならば、売買可能な個人割り当てを含んで)さらに税制と動機付け刺激策の確立、同時にまた測定と報告の仕組み、等々だ。加えてそれが特に意味することは、京都議定書よりもさらに新自由主義的な新たな国際条約、ということだ。つまり、帝国主義諸国、新興市場諸国、そしてその他の世界の残りを協力させ、世界的努力における各々の分担を決め、先進諸国内の排出削減を開発途上諸国に向け最大限移転することを可能とする条約だ。

 上述の移転は帝国主義の気候政策における一つの決定的要素となっている。それは帝国主義にとって、エネルギー転換コストを最大限まで削減する問題である。その中では、帝国主義に支配される国家が、バイオ燃料と低廉な炭素クレジットの輸入先として使われる。これらは、現存する森林の保護、新たな植林、あるいは特に再生可能エネルギーとエネルギー効率への「クリーンな」投資の、いずれによっても生み出され得る。こうしてこのような構想は、IMF、世界銀行、WTOを通して指揮されつつ、開発途上諸国に対する帝国主義の全般的な攻撃にピッタリはまり込む。しかしその実行は、大きな新興市場諸国の立場の強まりを源とする世界的な力関係の再編によって複雑化されている。

 気候変動は「市場の最大の失敗」(ニコラス・スターン)(※)ということを不承不承認めつつも、さらに市場に、それ故さらに商品に足を置いた資本の対応策は、趨勢的に優先順位を完全に逆転させる。例えば、元々は人間の必要を満足させつつエネルギー消費を削減するはずであったものの代わりに、再生可能エネルギー開発とエネルギー効率改善は、資本蓄積のための、それ故エネルギー供給増大のための新たな機会を開くべく使われるのだ。排出削減は利潤の要求に従属する。実際問題として、温室効果ガスの全体的減少という目標に代わって、再生可能な源泉の割合を上昇させるという目標が表に出ている。


21 資本主義的対応策は、気候の安定化にはそれが完全に不十分という事実とは別に、人類に対して極度の脅威を与える他の環境的結果の故に重大だ。

 核という選択は人類の生き残りに対する重大な脅威をもたらす。廃棄物の問題は未解決のまま残っている。放射性物質漏洩の危険を完全に排除することはできない。そして、核兵器拡散の危険―それ故それらの兵器が実際に使われる危険―は技術と分離不可能だ。さらに、核技術は技術的に不合理な選択肢を代表するものだ、ということも付け加えなければならない。それは、気候の保護という観点から見れば非効率であり、必要とされるエネルギー革命とは矛盾している。原子力発電所のエネルギー効率(30%)はガス燃焼発電所の効率よりも低い。全産業を尺度としたとき現在は並でしかない炭素バランスシートは、それがますます少なくなる高品位ウラン鉱床の利用の結果であるが故に、今後ただ悪化する以外ない。そして鉱石資源には限界がある(既知のウラン埋蔵量は、この産業の現消費量の60年分に等しい)。気候変動対応として今後建設されなければならないと見られている発電所数(約50年間にわたって、1週間に1基)、その建設に必要とされる時間とコスト、それらを考えれば、原子力に基礎を置く気候変動対応策は全く実行不可能だ。核だけで全エネルギーを構成することは不可能であり、この技術(世界の全エネルギー消費の2.7%、電力の17%)は、人間の必要の限られた一部分以上のものに応えることなど決してできない。結論として、エネルギー代替の基軸は唯一、再生可能エネルギーとエネルギー効率を基礎とする以外可能ではない。しかしこれらは、エネルギーシステムの根底的な非集中化を意味し、それは、核に付随する超集中化とは完全に背反するのだ。

 核という選択は、コストのかかる核融合研究構想(ITER)に向けても進んでいる。それは全く無駄な計画だ。何故ならば、人類は、何の危険もなく無料の、およそ45億年もの間働き続ける、そして廃棄物リサイクルも自分自身で行う、そのような一種の核エネルギー施設から既に恵みを得ているのだ。それこそ太陽に他ならない。

 バイオ燃料は輸送部門が必要とする量のほとんど無視できる部分以外対応できない。しかしそれらは現在までに、そのひどく否定的な作用を十二分に示してきた。利潤のための生産という論理は不可避的に、食料に対する基本的な権利の充足や先住民共同体の権利や環境の防護以前に、支払い能力ある需要に向けたエタノールとバイオディーゼル生産に現実に帰着している。バイオ燃料生産の世界的なエネルギーバランスシートが過半の例において否定的である以上、ここでもまた、技術的な非合理性は顔を出している。第2世代バイオ燃料への移行は、それ自体の中の危険を排除しない。輸送産業の需要は極めて高く、それは、農地の利用をセルロース基盤エタノールの生産にもっぱら振り向けることを禁じる十分に厳格な規制を想定したとしてさえ、他の巨大な土地表面―あるいは海面―を生産力主義的な単作に振り向けることが必要となる、と思われるほどだ。そこには、農薬汚染や生物多様性破壊という分野において、そこから帰結するあらゆる結末が伴われる。

 バイオ燃料との関係でまとめられている批判は、必要な変更を加えれば、これまで不向きとされてきた原油資源にも適応可能だ。重油、タールサンド、瀝青頁岩の利用は、エネルギーの莫大な消費と他の資源(特に水)の莫大な浪費を求める。そしてその環境的影響は特に深刻となる。その上、多くの場合、廃棄物は先住民居住地域に留められ、こうして彼らの権利は脅威にさらされる。

 状況の緊急性を前提にかつ社会的な諸々の理由から、炭素の回収・隔離貯留は、化石燃料の急速な放棄という戦略の中の経過的な手段として受け容れ可能かもしれない。それは特に、鉱山の転換計画の可能性を開くことができるかもしれない。しかし今のところその方策は、この方向で想定されているわけではない。逆にそれは、それが生み出す結果を気にかけることなく物理的限界を押し戻す、資本主義の新しい企てだ。諸政権は「クリーンな石炭」について語っているが、しかし、それを採掘することの大きな困難、粉塵汚染、炭鉱に付随する環境的影響と健康にとっての結末、これらを考慮に入れるならば、それは一つの神話だ。

 気候変動との闘いは、「遺伝子組み換え工学」に大きな弾みを与えることになりそうだ。しかしそれは、この技術にこびりついて離れない諸々の危険に関し質的な高まりを伴う。こうして遺伝子的に改変された木材(炭素吸収を高めるための急成長性をもつ遺伝子組み換え作物、低リグニン成分特性をもつ、あるいは高セルロース成分特性をもつ遺伝子組み換え作物)の生産は、アレルギーの危険を高める。最も危険な脅威は、しかしながら、第2世代バイオ燃料生産における「遺伝子組み換え工学」から出てくる可能性があると思われる。そこにおいては、バクテリアと遺伝子的に改変されたミクロアルジー(※)の開発が、生態的拡散と異種交配の領域で脅威を何重にも倍加する。


22 資本主義的対応策は不可避的に、労働者、貧農、女性、先住民共同体、そして全般的に貧しい者に対する倍加された攻撃を、またそれと並んで社会的不平等の先鋭化を伴う。

 選択される「エネルギーミックス」が何であれ、それはエネルギー価格の上昇を伴うだろう。そしてそれは二つの方向で勤労民衆に打撃を与える。即ち、一方における民衆自身のエネルギーの必要という側面であり、他方においては、経営者がエネルギー価格の上昇を商品価格に転嫁する以上、生活必需品の必要という側面だ。

 エネルギーが不変資本の一構成要素である限り、その価格上昇は利潤率に重くのしかかる。そしてそれは、賃金、労働条件を社会的に確定する仕組み、社会的保護、に対する多様な攻撃に経営者を導き、一般的に言えば、可能なあらゆる手段で搾取率を引き上げようとするより一層の試みに向け、彼らを励ますだろう。

 炭素に関する世界市場が労働者間の競争を激化させる新たな手段を資本家に提供していることを、今このとき我々は目にすることができる。労働者は、職と投資についての新たな形態の脅迫に特にさらされているのだ。それが狙いをつけているのは、労働者を多国籍企業の指令に屈服させること、あるいは事業に対する補助金や保護主義的な方策を試し強要する目的の下に労働者を操ること、このどちらかだ。他方で、再生可能エネルギー市場に道を開くこととエネルギー効率改善を狙いとした、様々な動機付け刺激策とその他の市場向けの道具立てが経営者に利点を与えている。しかしそれだけではなくそれは、富裕な中間階級、賃金を取得しているプチブルジョア層、さらにプロレタリアートの上層をも有利にし、こうして、流動化された資産の利用可能性、所得、さらにその他のものの分配で不平等を悪化させる。

 その上、今のところ仮定的に考えられている個人別の取引可能な炭素割り当ての導入は、不平等に向かうこの傾向をもっとひどくすると思われる。何故ならば、最も貧しい人々は、生活必需品を得るために彼らの割り当てを売るよう仕向けられる、と想像されるからだ。

 帝国主義に支配された諸国では、伝統的な生産手段―何よりも土地―から生産者を引き離すことに向け、資本主義の気候政策は新たな刺激を与える。結果としてそこには、地方からの大量住民流出や、地方プロレタリアートへの転換(エネルギー作物プランテーションや炭化水素採掘などで)、あるいは条件のより望ましくない地域への移転や「観光産業」への再転換などが伴われる。これらの状況全ては、先住民共同体と彼らの権利に対する攻撃の強化と並んで、いずれにしろ自律性の押し下げと住民大衆―食料生産における中軸的役割を考慮した場合、特に女性―の生活諸条件悪化を引き連れる。


23 先進諸国の資本主義諸政権は、全体としての排出削減に向けた社会的諸条件を生み出すことが不可能であるが故に、緊縮政策を受け容れさせる口実として、気候変動との闘いを使っている。

 「人間によって引き起こされた」気候変動、という問題設定は、緊縮政策を正当化し科学の名の下に生け贄を捧げさせることに挑むに当たって、ブルジョアジーにとってはまさに絶好のタイミングで訪れている。一方で地球温暖化の脅威という観点の大衆化は、経済における「グリーン」部門諸商品の推進のために一つの好ましい領域を作り出している。しかし、資本主義的産業革命のいわば産物である何ものかの罪を「人間」にかぶせることによって、ブルジョアジーの宣伝は、厭世主義、宿命論、個人主義的冷笑姿勢、そして反動的懐古主義を結び付けつつ、ある種の陰鬱で非合理な雰囲気を醸し出すことを後押しする。

 この故意に共鳴させられている混乱の最も危険な結果は、マルサス主義的なあるいはネオマルサス主義の立論の刷新だ。それは「環境に関わる罪過」を、主にあるいはもっぱら人口…に、そしてこのような形で以下、豊かな者より子どもが多いとして…、貧しい者に、さらに、先進諸国におけるより女性の出産率が一般的に高いとして、発展途上諸国にかぶせる。これらの主張は、以前は宗教的思索で飾りつけられていたが、今日では、偽りの科学で包装されている。そうした科学のまがいものは、社会的諸関係を自然の摂理の産物と思わせることを目的に、科学的エコロジーの諸概念(例えば収容能力)を変換するのだ。その上これらの宣伝のいくつかは、何人かの科学者の協力を当てにできる。エコロジー分野での研究成果が実際には一つの先験的なブルジョア的偏見にすぎない、というような科学者はいるからだ。その1例として我々は、「コモンズの悲劇」(※)として知られる主張の中に明瞭に見ることができる。超反動的な政治勢力はこのような形で、移民や難民、自身の身体を支配する女性の権利、あるいは開発途上諸国への援助、これらに対する憎悪という彼らの宣伝に幅広い反響を勝ち得るために、気候変動に対する恐れを使おうと試みている。宗教的諸宗派と反動的宗教諸潮流は、既に確立されている秩序への服従を説教するある種の終末論的議論に、気候の脅威を統合している。

 警戒すべきことがある。それは、資本主義的気候政策の予見可能な失敗が結果として、あらゆる利用可能な手段を動員するために、戦時のように、大衆操作的政策を取り仕切る強権体制に向け舵を切るよう資本主義を導く、ということだ。そのような政策は不可避的に、社会的かつ民主的権利に対する一新された攻撃を意味する。


24 気候変動に対する資本主義的回答は諸資源に関する戦争の危険を高める。

 資本主義的グローバリゼーションと構造調整策によって最も弱体化された諸国では、気候変動の影響が、軍閥間の武力紛争を伴った破局的状況に至るいくつかの危機が生まれる蓋然性を強める。気候変動は、既に水の苦労にさらされている一定数の地域での不足の悪化によって、水資源支配の重要性を緊張したものとし、国家間の水をめぐる戦争に向けた諸条件を作り出す。しかし、最大の危険は、減少中の化石燃料資源ばかりではなく新しいエネルギー資源についても、その取得をめぐる競争の激化から現れる。気候・エネルギーの試練はこうして、アメリカの覇権の下にあったいわば2極世界(帝国主義―帝国主義に支配された諸国)からある種の3極世界(帝国主義―新興市場諸国―開発の最も遅れた諸国)への漸進的な移行という、はるかに大きな枠組みの1部分を形作る。帝国主義の主導権をめぐる戦闘は、この枠組みの中で猛威をふるう。


IV. 気候変動に対する運動の構築


25 気候変動に対する闘争は、ロビー活動や、派手なメディア向けのアクションや、消費者に省エネを呼びかけるキャンペーンによってではなく、大衆動員によってこそ勝利できる。

気候をめぐる闘争は政治的であり、まず何よりも社会的力関係の確立を必要とする。この闘争は、オーストラリアの例が示しているように、勝利することが可能である。オーストラリアでは大衆動員(200711月の15万人のデモ)が最初の部分的な勝利につながった。ジョージ・W・ブッシュの政策を支持してきた保守派の政権が敗北し、新政権の下で京都議定書が批准された。気候問題の緊急性と、資本家政府の犯罪的な政策を前にして、われわれはすべての国において強力な統一的な大衆運動を構築するために活動する。それは世界規模で連携した運動であり、戦争と軍拡競争に反対する大衆動員の伝統(「シングルイシューのキャンペーン」)に沿った運動である。

この運動の目標は、洗練された政策を練り上げることではなく、政府に対して少なくともIPCCの評価レポートから導かれる最も慎重な結論に従って行動し、「共通だが差異ある責任」の原則を尊重し、社会的・民主主義的権利と、すべての人々の人間として生きる権利を尊重するよう強制することである。われわれはこの目標を、現実主義の名の下に排出量削減の目標を引き下げようとする潮流に対して擁護するだけでなく、それが不十分であると非難する潮流に対しても擁護する(われわれは後者に対しては、「最低限」の要求としてIPCCの「最も慎重な結論」の尊重を求めることへの賛同を求めようとする)。われわれが留意することは、可能な最も広範な行動における統一を実現するためにIPCCの正統性を活用するということであり、同時に、気候問題の国際会議では「政策立案者向け要約」を採択しながら実際にはそれを尊重しない政府の二枚舌を暴露することである。

気候問題での大衆動員は困難な課題である。この困難は、気候変動の性質、とくにその現在の比較的漸進的な性格と、原因と結果の間の空間的・時間的なズレに起因する。そのため、地球温暖化とその影響に関する科学的情報を共有化するための大規模な取り組みが必要である。それは特に、さまざまな社会運動の活動家グループや左翼の政治組織を対象としなければならない。これらのグループは実際、決定的な役割を果たす。これらのグループだけが、地球環境の危機と個別の社会的問題、特に地域レベルの問題を具体的な形で結びつけ、そこから社会的闘争と気候変動抑止のための闘争の結合を可能にする戦略を導き出すことができる。つまり、この運動の構築は、さまざまな領域で存在する社会的抵抗を、共通の最小限の政策をもとにした、よく準備された統一した行動と、適宜行われる多様なグループが参加するデモを通じて格子のように組み合わせていく作業として構想されなければならない。格子を組み立てていく作業は、気候問題に関する委員会、戦線あるいは連合の設立によって促進されるだろう。それは「グローバル気候キャンペーン」の枠組みの中で発展させることができる。


26 気候に関わる運動の中で、気候変動防止のための闘争を社会的公正のための闘争と結びつける左翼の潮流を作り出すことが必要である。

必要とされる変化の規模から考えて、それは人口の圧倒的多数を構成する被搾取・被抑圧大衆の動員と積極的な参加なしには実現不可能である。資本家たちの気候対策は社会的なレベルでは受け入れられないものであり、環境レベルでは有害であるため、そのような参加を不可能とする。彼らの政策は、実際には、帝国主義の支配と資本主義的競争と暴力、そして搾取、抑圧、社会的不公正、労働者間の競争、権利の侵害、資源の私物化を強化することを意味している。

特に、資本家の戦略は、石油、石炭、セメント、ガラス、製鉄および鉄鋼産業や交通部門などの大量の温室効果ガスを排出するセクターで雇用されている何百万人もの労働者の雇用、賃金、社会的既得権への重大な脅威に対して、何の解決も提供しない。そのような政策は正当な社会的抵抗に遭遇するだけである。それは気候変動の危機に対して人々を意識的になるよう促すのではなく、大衆の一部の層を気候変動懐疑論者の手の中に投げ込むだろう。この危険は、勤労大衆の中の、燃料価格の上昇によって大きな影響を受ける層において特に重要であり、小規模雇用主(農業、漁業、トラック運転手)の社会的比重が暴力的、絶望的、コーポラティスト的抵抗を誘発し、政府に対して強力な圧力を行使する可能性がある。

大きな環境NGOは政府の気候変動防止のための目標をラディカル化しようとしているが、このラディカル化が同時に被搾取大衆に対する攻撃の一層の強化を伴っていることを見ていない。これは行き詰まりである。われわれは気候変動防止と社会的公正のための結合した闘争の必要性を擁護する。広範な運動の中でわれわれは、この2つの次元を結合し、提案されている解決策、すなわち市場メカニズム(再生可能なエネルギーを優遇する炭素価格、報奨金、税制や、排出権・排出クレジットの購入)、資本蓄積、新自由主義的支配、技術的対処をベースとする解決策に反対する左翼の極を確立するために活動する。この極は、労働組合、エコロジスト、グローバル・ジャスティス運動、フェミニスト、第三世界主義的左翼、「衰退過程の」左翼、ラディカル左翼の組織のメンバー、批判的科学者等の要素を再結集しようとする。それは代替的な気候政策の考え方を前進させることを可能にするためのあらゆるイニシアチブを発揮することによって、特に政治レベルで、広範な運動の確立に貢献する。


27 環境の防衛は、社会運動の政綱と闘争の中で重要な位置を占めなければならない。

現存する闘争に根を張った広範な運動を展望する中で、われわれは環境の防衛が社会運動の重要な関心事となり、社会運動のすべての領域における要求の政綱の中に具体的に表現されることをめざす。たとえば、以下のように主張する:

(@)平和のための闘いにおいて:武器の製造と使用は気候変動との関係で許容できない逸脱行為であり、それ自体が紛争の付加的な原因となる。

(A)貧困に反対し、発展と社会的保護の権利を求める闘いにおいて:気候変動への適応能力は資源と発展のレベルに正比例する。社会的不平等は脆弱性を拡大し、エネルギー転換に不利な条件をもたらす。

(B)女性の闘いにおいて:気候変動への適応のための必要条件は、特に、女性の固有の要求、すなわち平等の権利、育児に関する社会の責任、二重の労働からの解放、中絶と避妊の権利の重要性と緊急性を一層明確にしている。

(C) 雇用のための闘いにおいて:都市および農村計画においてエネルギー消費を大幅に削減すること、生物多様性を保護すること、公共交通を発展させること、化石燃料エネルギーを持続可能なエネルギー源によって代替することは、巨大な雇用機会を提供する。

(D)土地、水、自然資源へのアクセスや有機の小農的農業のための闘いにおいて:労働集約型の有機農業を実践している農村コミュニティーは、炭素吸収源の能力を高め、農業セクターにおける温室効果ガスの排出を削減するもっとも優れた能力を持っている。

(E)グローバリセーションと農産物市場自由化に対する闘いにおいて:農産物市場自由化は農民の破滅、飢餓、農村からの人々の流出と生態系の略奪の原因であるだけでなく、直接および間接の重要な温室効果ガス排出源となっている(輸出用農産物の輸送など)

(F)避難民の権利のための闘いにおいて:環境難民、とりわけ気候難民の数が増大している中で、移動の自由は不可欠であり、人間性の名に値する唯一の回答である。

(G)先住民の自らの権利のための闘いにおいて:先住民の共同体は生態系、とくに森林におけるそれに関する知識とその利用方法によって、炭素吸収源を保護し、発展させるもっとも優れた能力を持っている。

(H)労働のフレキシブル化と不安定化に反対し、労働時間延長に反対する闘いにおいて:変則的でフレキシブルな労働時間と、労働の機動性を重視する資本家のキャンペーンは、労働者たちに自動車を使用するよう強制している。「カンバン方式」の生産は、輸送セクターにおける温室効果ガス排出の大きな要因である。労働時間短縮は、代替的な消費とレジャー活動のモデルの大規模な出現のための前提条件である。

(I)民営化に反対し、交通、エネルギー、水の分野における良質の公共サービスを要求する闘いにおいて:無償の良質の公共交通セクターだけが、すべての人々の移動の権利と温室効果ガス排出削減を両立させることができる。電力生産の自由化は再生可能なエネルギー源の電力ネットワークへの組み込みを複雑にする。営利を目的としない国有企業のみが、2030年内に住宅セクターにおける排出をゼロにするという課題に挑戦できる。水およびエネルギーについては、重要な社会的ニーズに従って決定され、交換できない無償の個人別割り当て量、割り当て超過分に対する超累進料金、および消費量の絶対的上限の設定、これらを組み合わせるべきである。


28 気候変動が突き付ける課題は、労働組合を基盤とする左翼にとって非常に重要である。それは富の再分配のための闘争を超えて進むことを暗黙に意味している。

大きな国際労働組合連合のリーダーたちは、資本家の気候変動政策に追随し、その代償として自分たちのいくつかの要求について交渉する可能性を確保するという方針を採用している。この方針は「グリーン・ニューディール」という提案として具体化されている。それはグリーンな技術が失業を吸収することを可能にし、新しい繁栄と資本主義的拡大の長期波動の推進力を提供するという幻想をベースとしている。資本主義の長期にわたる復活がもたらす社会的条件や環境への影響は考慮に入れられていない。それどころか、労働組合官僚は資本主義の生産性と収益の向上の要求に同化し、気候変動政策の主要な手段、すなわち「グリーンな企業」への政府補助、「エコロジー課税」、クリーン開発メカニズム、排出量取引を支持し、さらには原子力エネルギーやバイオ燃料さえ支持している。このような共同管理の方針は、労働組合運動―特に先進工業国の労働組合運動―を気候変動の破局、およびそれが貧困国の貧困層にもたらす影響の共同責任者にするだろう。それは国際レベルにおける労働者の間の分裂と、各国におけるセクター間の分裂の種をまくだけだろう。気候問題およびエネルギー問題の重要性に踏まえて、労働組合を基盤とする左翼にとって、これらの課題を取り上げて、それを労働者の組織の路線転換のための闘いの1つの中心的な要素にしていくことが決定的に重要である。この闘争は、戦略的な観点から見れば、最初の段階では、グリーン・テクノロジー(環境技術)の分野における新しいタイプの生産や新しい製品、新しい市場から、つまり経済の再構築から出発するのではなく、前提的な、エネルギー消費の削減と無益あるいは有害な製品の規制、それらのセクターに雇用されている労働者の仕事の転換のための闘いから出発するため、より一層困難である。これは大きな障害となる。そのことは、労働者が資本主義的生産様式の鎖に繋がれていて、日々の生存のためにそれに依存しなければならないという現実を物語っている。この障害は、次のような要求を通じて資本主義的所有関係に挑戦することによってのみ克服できる。

(@)気候変動の抑制と人間の基本的なニーズの充足の両方の観点から決定的に重要な活動を公共的な活動と規定し、優先的な課題として、エネルギーの抽出、転換、分配を管理する資本主義的企業を無償で接収する。

(A)研究とその成果を公共的なものと規定し、技術的代替策、特に再生可能エネルギーおよびエネルギーの効率的活用の分野におけるそれの開発を優先的な目的とする国際的なプログラムの枠組みの中で、そのための資金を再編する。

(B)化石燃料を使わない社会に向けてすべてのレベル(世界、地域、国内、地方)における転換を計画し、労働者管理の下で、生産地と消費地を可能な限り近づけ、化石燃料セクターの労働者に代わりの仕事を提供し、労働者の社会的な獲得物を維持する。

この課題を前にして、労働組合を基盤とする左翼は自らを、富の再分配を中心に据える狭い観点から解放し、富そのものの概念、そして富が生産される方法、言いかえれば生産様式の土台そのものを問題にしなければならない。そうなったときにのみ、労働者を具体的な目的に向けて動員するために必要な想像力と創造性の源泉を解放することができる。このアプローチにおいては、労働時間の削減(および労働の強度の緩和、賃金の低下を伴わないこと、労働時間削減分に比例する新規採用)や労働者管理(労働のリズム、生産工程、エネルギー消費等に対する)などの要求がますます重要になる。


29 クリーン技術の旧植民地諸国への大規模な移転、およびこれらの諸国における気候変動の影響に対する適応のための資金調達は、これらの諸国の債務の帳消しと特別基金―資本家の利益への重課税によって必要な資金が供給される―の確立を不可欠とする。これらの資金は、当該諸国の人々およびその社会団体による民主的管理の下に置かれなければならない。

これは旧植民地諸国の参加を暗黙の前提としており、気候変動の抑止のためには世界規模での資源と知識の共有が不可欠である。それは以下の課題とリンクされなければならない。

(@)第三世界の債務の帳消しと、南の諸国の独裁者が欧米の銀行に蓄積した財産の国民への返還。

(A)銀行の機密の廃止、タックスヘイブンの禁止、資産および相続への課税、資本の投機的活動への課税等。

(B)帝国主義諸国の国家予算における政府開発援助予算の大幅増額。

(C)上記援助のほかに、発展途上国が気候変動の不可避の影響に適応するため、およびこれらの諸国の公共セクターにクリーン技術を、金銭的条件なしで、移転するための単一の世界基金の設立。

(D)この基金のための資金源を、気候変動にもっとも大きな責任がある経済セクター(特に、石油、石炭、自動車、発電)の利潤並びに超過利潤への課税に求める。

(E)世界のすべての人々が基本財にアクセスできるように、医療や、消費財の製造と基本的サービス(交通、軽工業、水、エネルギー、通信)に役立つ技術に関わる特許制度の廃止。

(F)化石燃料のための資源の採掘を放棄した南の諸国に対する金銭的補償の制度。この補償は、当該地域の住民によって管理されなければならない。

しかし、南北間の富の再分配だけでは気候変動抑制の課題に取り組む上で十分ではない。生産と交換のグローバル化という枠組みの中で南の諸国の経済を資本蓄積の要求に従属させてきた資本主義的発展モデルは、現在から2020年までの間に(アフリカは2050年まで)温室効果ガス排出量を1530%削減するいう必要な目標と完全に矛盾する。この目標は、圧倒的多数の国民のニーズに対応した内発的発展、つまり小農的農業を促進する農地改革、および国内市場に向けた生産への転換と結びついた発展によってのみ実現できる。したがって、人間開発の権利と気候変動抑制の両立のためには、発展の権利を口実として化石燃料を燃やすことへの一切の規制を拒否し、自然資源を略奪し、森林を私物化し、炭素クレジットを売るための仲買人となり、バイオ燃料を生産し、農産物・食糧・工業製品を先進工業国の市場へ低価格で輸出する現地の支配階級を規制するための措置を取る必要がある。彼らがこの社会的にも環境的にも有害な発展モデルを強化しようとするのを阻止するために、南の諸国に提供された資金や技術的手段は当該諸国の人々およびその社会運動団体による民主的管理の下に置かれなければならない。このように、気候変動に対する闘いは植民地および半植民地諸国における永久革命の理論の妥当性を証明している。


30 気候変動に対する対策は、生態系に関連するすべての主要な課題を、真に持続可能な発展の展望の中に組み込まなければならない。

資本主義の歴史は一連の環境危機によって特徴づけられ、それらの危機は全体的な生態系的な視点なしに、収益性という条件に従属した部分的な技術的解決策―その環境への有害な影響は後になって初めて明らかとなる―によって「解決され」てきた。ヨーロッパにおける森林の完全な破壊は石炭の採掘によって回避されたが、それは気候変動の大きな原因となった。土壌の疲弊は肥料の大量使用によって回避されたが、それは温室効果ガスの発生源であり、汚染と水の富栄養価の原因でもある。オゾン層の穴の拡大は冷却ガスの使用によって緩和されたが、それは温室効果ガスの増加にかなりの程度寄与している。このほかにも多くの例をあげることができる。同じ魔法使いの弟子の処方に従って気候とエネルギーの危機を解決することは、特に、原子力と遺伝子組み換え作物への依存の増大という2つの分野において、一層危険な結果をもたらすだろう。これらの技術に反対することは、左翼にとってもっとも重要な課題の1つである。われわれはそれを資本主義の無制約の成長が常軌を逸していることの象徴として、また、何があろうとも利潤を生み出す資本蓄積を続けるために、自分の頭を飛び越えようとする浅はかな試みとして非難する。

より一般的に言うと、気候問題の課題は環境に関連するすべての問題を結びつける。したがって、この問題への回答は、生態系に関連するすべての重要な課題を組み込まなければならない。それには、特に、以下の課題が含まれる。

(@)熱帯雨林の保護と、先住民コミュニティーがその資源(炭素吸収源)の上で生活する権利の尊

(A)生物多様性の保護

(B)水資源の合理的な公共的管理

(C)石油化学によって生成された約10万種類の分子―自然界には存在せず、したがって、現存

の分解剤によっては分解できない場合がある―による生物圏の汚染に対する闘い

(D)成層圏のオゾンを破壊するガスの使用禁止と、生態系に危険な影響を及ぼさない化合物によ

る代替

(E)大気汚染とその人間の健康への影響(喘息、心・循環器系の疾患)および生態系への影響(酸性化、対流圏オゾン)に対する闘い。


31 われわれは資本家の計画と科学者の勧告の隔たりについて非難しなければならない。われわれは社会運動から出発して、批判的科学者たちとの結合を確立しなければならない。われわれは知識の所有権や研究の社会的役割の問題を提起しなければならない。

政府が自分たちの資本主義的・自由主義的気候変動対策が「科学的」根拠に基づいていると人々に信じさせようとしていることに対して断固として闘わなければならない。そのために、われわれは政府の目標とIPCCのもっとも控えめな結論との間の大きな開きを非難しなければならない。この非難は、科学的専門知識のエッセンスを取り入れつつ、一方で大多数の科学者が伝える支配的なイデオロギーと社会的前提を批判することを暗黙に意味する。したがって、左翼は、科学者たちとの関係を確立し、彼ら・彼女らが社会運動に対して自分たちの経験を伝えるよう促し、そこから彼ら・彼女らの全般的な政治的立場を批判し、彼ら・彼女らが地球温暖化抑制のための闘いが要求するグローバルな合理的解決策と科学の極端な細分化―それは資本主義の部分的合理性に奉仕する―との間の矛盾について発言するよう促さなければならない。気候変動対策において専門的科学者が占めている位置を考えると、社会運動と批判的科学者、研究所、学会の間の関係を確立することは非常に重要である。

この枠組みの中で、われわれは社会的公正の立場と結びついた気候変動抑制のための闘いにおける科学と研究の役割について、一般的な視点を確立する。われわれは技術による解決を拒絶しないし、発展や進歩という概念を拒絶しない。逆に、われわれは科学および研究は資本の影響から解放されて、その潜在的可能性が大規模かつ迅速に、再生可能なエネルギー源の持続可能な開発、エネルギー効率の向上、資源の合理的管理に活用されるようにするべきであると主張する。この理由によってわれわれは、研究活動への公的な補助金の全面的な組み換え、大学と産業や金融資本を結びつける契約の打ち切り、生態系的に持続可能な、社会的公正にもとづく社会に向けた転換のための優先的な研究課題の民主主義的決定を要求する。


32 われわれは罪悪感を煽るようなアプローチに反対し、エネルギーに関して、何が社会的に可能かという観点からの冷静なアプローチを呼びかける。

左翼は、政府による罪悪感を煽るような議論、つまり地球温暖化の責任と気候変動の抑制を、すべての階級を含むあらゆる者の、個人の身の処し方に転嫁しようとする議論と対決する。このような議論は社会的不平等と資本主義の責任を隠蔽し、生産様式の根本的な転換の必要性から関心をそらすことを意図している。しかし、そのことは、左翼が個人のふるまいの問題を提起するのを避けることができることを意味しないし、反対に、消費の領域におけるいかなる行動も拒否することを意味しない。

気候変動が過剰消費を拒否する文化の伝播によって防止できると考えるのは幻想である。構造的な変革がない限り、個人的な決別は聖職者的な生活スタイルに導くだけであり、「伝播力」は大きくないだろう。しかし、画期的な科学技術上の大発明を期待して、過剰消費やそれによってもたらされた個人の行動を問題にしないのも非合理的である。気候変動問題の切迫性を考えるならば、われわれは今、ここで、既知の技術的解決策と既存の科学的診断をもとにして必要な決定を行うことを迫られている。進歩に対する信奉と技術的奇跡への確信にもとづく態度は、行動しないことの合理化にのみ役立つ。それに対して、文化の伝播という考え方を擁護する人々は、少なくとも、気候変動を抑止するために行動するという優れた点がある。

左翼は、消費の領域における行動に生産の領域における構造的変革を対置するのではなく、前者を後者の必要性を裏付ける方法として考えるべきである。一方で、地球温暖化とその影響に関する意識は、環境問題に対する露骨で冷笑的な無関心を示すある種の行動様式とは相容れない。社会的に可能である限り、基本的な倫理的要請として、基本的なニーズが満たされている人々はエネルギーに対して分別のある態度を示すべきであり、気候変動に寄与するのを避けるために、そのような方法で行動するべきである。他方で、生産力主義と消費至上主義に異議を唱えるオルタナティブな社会的活動や民主主義的キャンペーンと大衆動員は、たとえ小規模なものでも、生産の領域における構造的変革が必要であるという集団的意識を形成する上で積極的かつ重要な役割を果たすことができる。

したがってわれわれは、広告の侵入、資本による公共スペースの簒奪、自然資源の浪費、自動車の氾濫、航空機の利用の爆発的拡大に反対する、あるいは、熱帯雨林を破壊して作られた製品をボイコットする等々の民主主義的キャンペーンや行動を支持する。


33 われわれは、大災害が発生した時に緊急の大衆的な支援活動を発展させなければならない。

気候変動は、干ばつや洪水、地滑り、その他の災害の危険を著しく増大させており、それらは特に労働者や貧困層により大きな被害をもたらす。発展途上国において、こうした大災害は、時には非常に広い範囲に広がる。この脅威を前にして、われわれは2つの領域で社会運動を通じた関与のために準備しなければならない。国家に責任を取らせることを目的とした要求を掲げることと、全世界の活動家のネットワークの協力によって、現地の住民および住民組織の指揮の下で直接の、大衆的な、連帯をベースとする支援活動を組織することである。自然災害の際の経験が示していることは、このような大衆的支援がより迅速に、より少ない費用で人々を助け、貧困層に直接に届き、人々の本当のニーズに対応しているということである。しかも、そのような活動はさまざまな社会的関係の発展や既存秩序への異議申し立てを促進する。


V. エコ社会主義的オルタナティブへの道を開く


34 政府が気候変動を抑止するための必要な措置を取ることができない理由は、資本主義の基本法則に構造的に根ざしている。

競争によって資本所有者は労働者を機械に置き換えるように駆り立てられ、その結果労働生産性が高まり、平均的な利潤を超える超過利潤を取得できるようになり、それによって競争上の優位を確立することができる。この超過利潤をめぐる競争は、発展に伴ってさらに加速し、システムが過剰生産と過剰消費に向かう傾向を際立たせる。過剰生産と過剰消費は、当然のこととして、物質的生産量の増加を意味する。これが次には、一方で資源の利用を増加させ、他方で廃棄物をより大量に処分することを要求する。物質依存からの脱却や資源の効率的活用、廃棄物の原材料への再生という動向はこの全体的な動きをスローダウンできるが、止めることはできない。静止的な資本主義というのは言語矛盾である。資本主義経済は価値、すなわち一般的・抽象的形態における交換価値の生産を目的としており、このことから、マルクスの定式によれば、資本主義は資本そのもの以外に何の制約も知らない。

われわれはこの枠組みの中でこそ気候変動の問題を分析しなければならない。このシステムは、その約200年の歴史の全過程を通して、自然環境から大量の化石エネルギー資源を取り出してきた。それによって不変資本の一要素が低価格で確保されてきた。この生産と消費から発生する目に見えない廃棄物であるCO2が大気中に蓄積され、現在地球上で排出される量が生態系の吸収能力の2倍に達するまでに至った。長期にわたって、排出されるCO2の量と資本主義の拡大または停滞の長期波動間の強い相関関係が論理的に見出されている。戦後の自動車および他の消費財の大量生産によって牽引された拡大は、大気中の温室効果ガスの濃度が大規模な気候変動による破滅的結果をもたらすレベルに限りなく近いレベルに達すほどの排出量の増加と符合している。1970年代と80年代にわずかに下降あるいは安定した後、総排出量は再び上昇を開始した。生産と交通の資本主義的グローバル化、中国の「世界の工場」への変身、債務を推進力とする米国経済の再建等によってである。次に、地球温暖化と、長期的には不可避である化石燃料資源の枯渇が、システムが遭遇する物理的な障害、制約として立ち現れたが、システムはそのような制約の存在を認め、そこから不可避の実践的な結論を導き出すことができない。気候変動は、無制限とみなされている価値の蓄積―それは資本の循環を加速化する―をベースとした資本主義システムが、物理的制約や生態系のリズムという概念を内在化することができないシステムであることを明らかにしている。


35 気候変動は現代資本主義の危機をかつてないレベルでグローバル化し、それを重大なシステム危機、文明の危機へと深化させている。

地球温暖化は、革命的マルクス主義者が60年以上前に政治的用語で表したテーゼを物理学の用語で表している。つまり、「非資本主義的社会のための客観的条件は成熟しているだけでなく、腐朽しはじめている」。気候の危機は、この腐朽のもっとも明白で、もっともグローバルな表れである。このシステムが廃絶され、生産力主義的でないシステムによって置き換えられなかった結果、「後期資本主義」は人類に、環境の極めて重大な劣化―それは数億人の人々の生存条件を脅かす―に向かう決定的かつ不可逆的なステップを踏み出させた。ごく短期の間にこのプロセスを停止できる根源的な措置が講じられなければ、人類は一連の大規模な災禍に直面せざるを得ないだろうし、それによる社会的・政治的損失の規模は計算不可能である。

経済のレベルでは、1970年代に始まった長期的停滞波動の中で進められた容赦ない緊縮政策は資本蓄積率の回復を伴わない利潤率の回復、大量失業の持続、貧困の拡大、不平等の爆発的拡大というかつてない状況をもたらし、それが25年にわたって続いた。このようにシステムが長期にわたって新しい長期拡張波動を開始できないということは、システムがその歴史的な役割を終えたことを意味しており、その行き着く先として、平均利潤率の低下の傾向を搾取率の上昇によって補うことが一層困難となり、その結果として剰余価値の実現にとっての矛盾が増大する。

社会のレベルでは、資本主義は労働運動の壊滅、ファシズム、戦争、そして永続的インフレーションと気候の不可逆的な不安定化という二重のコストを通じてのみ、大恐慌から脱出できた。資本主義社会の新しい歴史的繁栄の時期が始まるためには、少なくとも1930年代のこの徹底的な救済策に匹敵する規模の「外因性のショック」を経なければならないだろう。サブプライムローン問題によって始まった不況は、労働運動の敗北にも関わらず新しい長期拡張波動のための条件が見あたらないことを示している。

環境のレベルでは、たとえ政府の企業に対する大規模な支援(つまり労働者から資本への新たな富の移動)によってクリーン技術の普及が加速化されたとしても、戦後好況期をモデルとする長期的な資本主義の回復は必然的に、数年にわたる化石燃料エネルギーの増加と、その結果としての温室効果ガスの排出の拡大を意味するだろうし、それは気候変動による破局を促進するのに十分な規模となるだろう。言い換えれば、気候変動に対する闘争は文明の基本的選択、つまり、環境と社会の大多数の人々を犠牲にした資本主義的生産力至上主義か、非資本主義的オルタナティブかという選択を提起する。


36 気候変動の危機と社会的危機を同時的・構造的に解決することは、剰余価値蓄積の論理と決別し、商品生産を有用物(使用価値)の生産に置き換えることによってのみ可能である。

気候変動を予防原則に適合するレベルで安定化させるには、全世界における排出量が遅くとも2015年から減少しはじめ、現在から2050年までの間に5080%減少することが必要であり、現在から今世紀末までの間にはそれ以上の削減を達成しなければならない。この目標は原子力抜きで、また、バイオ燃料を国際市場向けに大量生産することなしに、また、炭素分離回収技術の利用をごく最小限に抑えて達成されなければならない。われわれの現在の知識では、これは、すでに見てきたように、エネルギーの総消費量を大幅に削減することによってのみ可能であり、これが再生可能エネルギーの導入の前提条件である。そのためには、エネルギー効率の向上と化石燃料への依存の軽減だけでは十分ではない。努力義務の配分(南の国と北の国、北の国の間、南の国の間における)という社会的・政治的に決定的な問題は別として、物質的生産の一定の削減は不可欠である。しかし、資本主義は基本的に生産力主義である。それは被搾取・被抑圧大衆がその闘争を通じて、成長のおこぼれを資本蓄積のテーブルから落とすことを強制した場合にのみ、自らの(商品によって歪曲された)やり方で社会的にニーズに対応しようとする。このシステムの枠組みの中では、物質的生産と消費の削減は一時的にのみ具体化できる。それは過剰生産の危機と、それに伴う社会的危機、貧困、失業、不平等の拡大を通じてである。このことは、気候をめぐる課題が客観的に、反資本主義的なオルタナティブを緊急の問題として提起しており、漸次的な転換という仮説の実現を目的としてブルジョア機関に参加するという戦略が無効であることを意味している。実際には、気候変動防止とは相容れない蓄積の螺旋を断ち切ることは、価値の蓄積のための商品生産(それは可能性としては無制限である)を人間のニーズを満たすための使用価値の生産(それは必然的に有限である)に置き換えることによってのみ可能となる。したがって、生産(および生産的活動としての交通)の領域における構造的変革が決定的である。そのような変革こそが消費の領域における変革の物質的基盤を形成するだろう。そのような変革のためには、資本から労働者への大規模な富の移動だけでなく、資本家の財産権に対する挑戦も必要である。これらの2つの側面は、現在重要な戦略的位置を占めているすべての信用機関(銀行、保険会社)の無償国有化の要求へと結合される。したがって、気候変動に対する闘いは、一方において、人間社会にとっての非資本主義的な解決策の必要性を再び根拠付け、他方において、全体として取り上げた時に資本主義システムの通常の機能と両立できない一連の一貫した具体的要求の全体に、強力な客観的な正当性を与えることによって、過渡的綱領の方法の再生に対する可能性を開いている。

具体的な要求は国や地域によって、また、特に、発展のレベル、社会の構成、生態系の特性、エネルギー・システムの特殊条件等によって大きく異なることがある。一般的には、それらの過渡的性格は、それらが生態系/気候の危機と社会的危機の両方の解決のために効果的に寄与できると考えられるかどうかによって判断されるだろう。社会的に有用な活動における雇用の創出、エネルギー・住宅・移動手段(無料の公共交通)の権利、環境汚染とその健康への影響に対する闘争、責任のある海洋・森林・湖沼資源の活用…、これらは、排出削減、エネルギーおよび資源の流れの合理的管理、社会的不平等の軽減、民主主義的権利の拡大、商品の社会に対する支配の緩和を明確に表現した提案を示すことができる多くの重要な領域である。

このような提案の明確化の中で、生態系/気候から見た効果(排出削減)は、思いつき的な瑣末事ではない。それどころか、それは特別の注意が払われなければならない。なぜならば、地球温暖化に対する闘いが、まさにグローバルな問題として客観的重要性を持ち、大きな社会的な意味を持つからだけではなく、反資本主義的提案が、気候の観点から見ても、資本主義的解決策よりも効果的だからでもある―資本主義的解決策は、彼ら自身が決定的に重要であると認めざるを得ない課題を前にして、システムの正統性の危機を一層深化させるにすぎない―。


37 気候変動は、巨大な世界的問題であり、より深刻な破局を回避するためには必ず解決しなければならない問題であるというその性質によって、反資本主義的オルタナティブの必要性を、きわめて実践的で合理的な、かつ端的な言葉で直接に持ち込むことができる稀有な機会を提供する。

気候変動を前にして、ごく短い期間(2世代)の間に巨大なスケールの措置を講じる必要があることが、大衆の心情に矛盾した影響を及ぼす可能性がある。それは非難と懐疑、冷笑主義的な反応、後期資本主義の下での生存の不安定さによって生み出される潜在的な怒りの噴出として表現される。こうした感情はブルジョア政府によって利用され、操作される可能性があるが、また、非合理的な、終末論的なエセ解決策を提示する神秘主義的な潮流によって利用される可能性もある。それはまた、人間と環境の関係を運命視し、そこから粗暴な新マルサス主義的な結論を導こうとする反動的潮流によって利用される可能性もある。こうした危険は、階級闘争のレベルが低く、防衛的性格の闘争が圧倒的に多い(その中では一般的に、環境問題は周辺化される)状況の中では、一層現実的になる。

しかし、この困難な状況を理由にして、気候変動に関しては非常に短期的な要求に満足する(あるいは、単に問題を無視して、状況が好転するまで、あるいはもっと明るい未来まで先延ばしにする)ことは誤りである。その正反対に、この状況は、当面する要求をめぐる扇動と、広範かつラディカルな、グローバルな、単純かつ直接的な反資本主義的宣伝を大胆に結びつけることを必要としている。これは基本的には、この挑戦の客観的レベルを、エコロジーと社会的関係の両方の次元で引き上げ、それを通じてわれわれ自身を解決策を提起している主体として登場させるためである。それが可能である理由は、気候変動は巨大な世界的問題であり、より深刻な破局を回避するためには必ず解決しなければならない問題であるというその性質によって、前進する方向としての反資本主義的オルタナティブの必要性を、きわめて実践的で合理的な、かつ端的な言葉で持ち込むことができる稀有な機会を提供していることにある。

問題の切迫性ゆえに、根本的な問題をめぐって倫理的な次元や、広範な大衆の良心と理性に直接に訴えることが可能である。たとえば、気候変動と効果的に闘うこと、すべての適切かつ実施可能な措置をコストを度外視して導入すること、空気・水・土地・一般的資源・太陽光・エネルギーを人類の共同財産とみなすこと、利用可能なすべての手段を活用するために富を再分配し公共セクターを発展させることの基本的必要性をめぐってである。われわれ自身が専門家の科学的結論に批判的に依拠することによって、こうした主張を重要な根拠をもって展開することができ、そのことは反資本主義的オルタナティブに一層の正統性を付与する。

社会主義のためのプロジェクトの危機―「現存する社会主義」のエコロジー的観点からのバランスシートを含めて―は、避けて通れない要素であり、被搾取・被抑圧大衆の抵抗と反撃の能力に大きな影響を及ぼしている。革命的マルクス主義者は、気候変動問題が反資本主義的展望の再建のために提供している機会を活用し、一方でそれをエコロジーと社会的関係の両方の面でグローバルな問題の中に組み込むことによって、グローバルな社会および文明そのものに関わるプロジェクトを軸にした国際労働運動の再編に寄与することができる。


38 炭素循環の飽和と化石燃料の枯渇が意味していることは、過去の時代とは違って労働者階級の解放は、基本的な自然的制約を考慮せずには考えられないということである。

成長に反対することは、それ自体としては社会あるいは文明に関わるプロジェクトや、もう一つの社会を目指す広範な社会運動の戦略を構成するものではない(特に、経済の縮小がGDP―人間的な必要やエコロジー的な必要の質とは関わりなく価値の量のみを考慮する―の減少によって測られる場合は)。気候変動を抑止するために生産と物質的消費の削減はただちに必要である。なぜならば、資本主義は人間社会を出口のない道へあまりにも深く引きずり込んだからである。一方で、そのような削減は、決して将来の発展の可能性をあらかじめ決定するものではない。他方で、それは化石燃料を使わない経済へ向けた必要な転換の一つの量的基準であるにすぎない。反動的な結論に至るのを避けるために、この量的基準は質的基準、たとえば富の再配分、労働時間の削減、公共セクターの発展等の基準と併用されなければならない。これらの基準が満たされ、物質的生産の削減が無駄な生産物や危険な生産物を主要な対象としているならば、それは教育、医療、文化、地域活動、公共交通、都市計画と農村計画、無償の基本的サービスへの社会的投資を通じて大多数の人々の福祉と富と生活水準を向上させることと両立可能である。

たしかに資本主義システムは物質的生産および消費の成長と不可分であるが、それは結果であって原因ではない。交換価値の抽象的な表現である価値の生産こそが、一方の極への富の無制限の蓄積と他方の極における貧困の継続的拡大という永続的な傾向に導いている。この二重の現実を考慮に入れない気候対策は、ほぼ確実に失敗を運命づけられているだろう。したがって、反資本主義的オルタナティブの核心点とテコは、依然として、基本的には社会主義のためのプロジェクトの中で定義されてきたことである。つまり、利潤のための競争、生産手段の私的所有、商品生産、賃金システムを基礎とするシステムに反対する被搾取・被抑圧大衆の動員である。しかし、この核心点とテコはもはや、オルタナティブを定義する上では不十分である。実際、炭素循環の飽和は、過去の時代とは違って労働者階級の解放は基本的な自然的制約を考慮せずには考えられないという事実のもっとも明白でもっともグローバルな証明である。その制約とは、歴史の尺度で見たときの再生不可能な資源の埋蔵量の限界、再生可能な資源の補充の速度、エネルギー転換の法則、生態系と生物循環の運動条件とリズムである。したがってレーニンの社会主義における「社会主義とはソヴィエトと電化である」という簡潔な定義は、現在では時代遅れである。電気をどのように(再生可能な方法か化石燃料か)、どれだけ生産するのか、そしてそれが環境にどのような影響を与えるのかが問題である。

社会主義のためのプロジェクトがエコロジーと社会的問題の二重の挑戦―実際には1つのエコ社会的挑戦である―の頂点においてグローバルなオルタナティブを提示することを望むなら、それはこれらの問題を解明しなければならない。そのためには、社会主義がエコロジーの問題を組み込まなければならない、あるいは社会主義者はエコロジーの次元をより積極的に包含し、エコロジー的要求を発展させ、環境保護のための運動に参加しなければならないということを確認するのでは不十分である。本当の挑戦は、むしろ、社会主義に向けたプロジェクトを地球の巨大な生態系に関するグローバル・エコロジーの問題に組み込むことにある。このことは、発展を人間のニーズを満たすという目的のためだけでなく、環境的な持続可能性に基づいて、また、生物圏の複雑さ、未知のファクター、進化的性質がこの課題に一定の単純化できない不確かさを付与していることへの理解にふまえて構想しなければならないことを意味する。

社会主義をエコロジーに組み込むということは、一部の社会主義者にとっては「文化革命」を暗黙に意味している。これは、自然を人間の活動の物資的な土台、人間の社会的生存を確保するために必要な資源を取り出すための保管庫、そして人間の活動からの廃棄物を放置するためのゴミ捨て場として見る機能分割的、功利主義的、直線的な見方を超えるために不可欠である。実際には、自然は同時にすべての生命プロセスにとっての土台、保管庫、ゴミ捨て場であり、それは外部からの太陽エネルギーの供給を受けてこれらの機能の間で物質を循環させ、それを絶えず再編しているのである。したがって、廃棄物とそれを処理する方法は、生物圏の薄い層の巧みな機能を損なわないために、生態系によるリサイクルの許容量およびリズムに量的にも質的にも適していなければならない。しかし、この巧みな機能は、その担い手の数と多様性、およびそれらを結合する多数の連鎖の性質とその複合性に依存しており、究極的には流入と流出のバランスが、人間にとっての資源の供給を決定するのである。この脈絡で考えれば、「人間による自然の支配」という概念―多くの実証主義者によって肯定されてきた―は放棄されなければならない。今後は、本当に可能な社会主義は、人間の本当のニーズ(商品による疎外から解放されたニーズ)を満たし、人間自身によって民主主義的に決定され、それらのニーズとそれを満たす方法が環境に及ぼす影響について慎重に自問する社会主義だけである。


39 このように、エコロジーに関連するマルクスの主要な誤りは、自然を利用可能な資源の無尽蔵の貯蔵庫とみなしたということではなく、彼自身の「交換の理性的な管理」という概念を、土地の問題には適用しながら、エネルギーの問題には適用しなかったことにある。

19世紀において、都市化と農業市場の国際化の結果としての栄養素循環の切断に伴う土壌の疲弊に関するリービッヒ(ドイツの化学者―訳者)の著作に導かれて、マルクスは、労働者は人間と自然の間の必要な仲介であリ、自由の唯一の可能性は人間と環境の間の物質の交換の理性的な管理にあると主張した。社会と自然の間の「代謝」は歴史的に決定されており、人間は、自身の社会的存在を意識的に生産しているが故に、地球との間の交換を「理性的に管理する」責任を負わなければならないという彼の考えは、話題性に富んでおり、現代におけるグローバル・エコロジーの問題の概念化に引けを取らない。それはマルクスが、その定式化における若干の曖昧さに関わらず、自然の連鎖に無知だったわけではないこと、そして彼が有限の環境における資源の有限性について認識していたことを物語っている。土地の「理性的管理」に関しては、この認識は強い綱領的な表現を持った。実際、マルクスとエンゲルスが都市と農村の分離の廃止を主張したのは、特に、栄養素循環を回復するためだった。彼らの目には、この要求は、それと結び付けられている肉体労働と知的労働の分裂の廃止と同じぐらい重要だった。

このように、エコロジーに関連するマルクスの主要な誤りは、自然を利用可能な資源の無尽蔵の貯蔵庫とみなしたということではなく、彼自身の「交換の理性的な管理」という概念を、土地の問題には適用しながら、エネルギーの問題には適用しなかったことにある。マルクスは、産業革命に関する分析の中で、木から石炭への転換が再生可能な流動的エネルギーを放棄して、再生不能な貯蔵エネルギーを採用することを意味し、その利用が社会と環境の間の炭素の交換の「理性的な管理」に相反するということを理解していなかった。「共産党宣言」の著者たちは、すべての富を生み出すわずか2つの源泉である大地及び労働者を使い尽くそうとする資本主義の性向をはっきりと理解していたし、この分析の枠組みによって彼らは大規模な工業と資本主義的農業が手を携えて、都市の労働者と農地の労働者と土地の肥沃さを同時に貧窮化させる力学を見事に予見していたにもかかわらず、資本主義が再生不可能な化石燃料資源を急激に消費し尽そうとすることによって、不可避的に人類をエネルギーの袋小路へ導くことを理解していなかった。

唯物史観において、技術は、人間のすべての活動は社会および歴史によって規定されるという法則から除外されていない。われわれは、特に、マルクス自身が資本主義の下での機械化の階級的性格を強く非難していたという事実を参照することができる。しかし、彼は木から石炭への転換の重要性を理解していなかったために、エネルギー資源の階級的性格の問題を明確にしなかった。産業革命の時代においては、このことが明確にされていなくても、実践上の問題はほとんどなかった。同じ蒸気エンジンが木と石炭の化学エネルギーを力学エネルギーと熱に変換した。しかし、石油、そして特に原子力の利用によって状況は変わった。それはわれわれに明確な立場を取ることを迫っている。この技術は拒絶されるべきであり、エネルギー資源は中立的なものではないという立場か、あるいは、エネルギー資源は中立的であり、したがってそれを利用するための技術は拒絶されるべきでないという立場のどちらかである。後者の立場を取ることは、われわれの出発点だった技術の歴史/社会による規定性に関するテーゼと矛盾する。それはマルクスが玄関から追い出した技術官僚による支配を窓から導き入れることである。

マルクスの継承者たちは、「人間と自然の間に生ずる物質交換の理性的な管理」という概念や、それに関連する都市と農村の分裂の問題が20世紀において忘れられてきたことに重要な責任を負っている。19世紀末以降、化学肥料の発明が土地の肥沃度の問題―「資本論」の中で行われているエコロジー的考察の主要な要素の1つである―を解決してしまったように見えた。しかし、一人のマルクス主義的著作者も、この解決が人間と自然の間に生ずる「物質の交換の理性的な管理」と両立できるかどうかを知ろうとしなかった。特に、革命的なマルクス主義者を含めて誰一人として、化石燃料の利用(あるいは他の再生不可能な資源の略奪)を「社会的代謝」の観点から分析するために、マルクスが土地に対して適用した概念を適用しようとしなかった。この驚くべき欠陥の原因については、詳しく分析される必要がある。ロシアの後進性、スターリニスト反革命、社会民主主義の生産力主義、そして20世紀のマルクス主義者がその世紀における自然科学の進化に関して一定の距離を置いたことは、それぞれ一定の役割を果たした。しかし、同時に、過度の楽天主義、つまり科学と技術が常に、資本主義の下でのエコロジー的袋小路からの脱出口を見つけることを可能にするだろうという非合理的願望も批判しておく必要がある。気候変動は、このような進歩への信仰に根本的な疑問を提起している。この信仰は、マルクス主義者たちが1970年代以来現在に至るまで、環境問題との関係で自らの立場を定めるのに大きな困難を感じてきた最も重要な理由である。だからこそ、社会主義のためのプロジェクトをエコロジーに組み込むことがマルクス主義の革命的活力のための根本的条件なのである。


40 エネルギー問題はオルタナティブの中心に位置する。われわれは「ソーラー(太陽)共産主義」の展望を、マルクスの「社会的代謝」に関する考え方との連続性において位置付け、それを仕上げ、より深く発展させ、そこから新しい結論を導き出すことができる。より深く発展させるという意味において、エコ社会主義という新しい概念を用いることは許されるだろう。

エネルギー問題は気候をめぐる課題の中心に位置し、オルタナティブの中心に位置する。したがって、マルクス主義者がこの問題をめぐる先人たち(マルクスを含めて)の曖昧さと行き詰まりを超えて進むことが決定的に重要である。エネルギー・システムという概念―エネルギー転換の観点からみた生産様式として定義される―によって、資本主義システムは以下のことを特徴とするシステムであると規定することができる。

(@)エネルギー資源と転換手段および転換の媒介のほぼ完全な私的利用と商品への転換(転換手

段としての人力の利用によって、労働力を雇用主が自由に処分できる商品に変えることを含め

て)。

(A)地代と温室効果ガスを発生させる化石燃料の優先的使用。

(B)資源および転換手段を所有する資本の集中化―それがシステムそのものの一層の集中化をも

たらす。

(C)利潤追求の優先だけでなく、集中的な構造、生産地と主な消費地の分離、無用な生産、セク

ター間を調整する計画経済の不在、過度の機械化等をも原因とするエネルギー効率の低さと大

量の浪費。

(D)供給のグローバル化、エネルギー資源の輸送経路の軍事的防衛、生産国を支配する帝国主義

的政策。

(E)ますます相互の連携と集中化を強めるネットワークの形成。

(F)化石燃料資源、特に石油を中心とする強力なエネルギー・産業複合体―自動車、航空、造船、

石油化学を含む―の形成。

(G)肥料、バイオマス燃料の生産、「遺伝子技術」の導入を通じたアグリビジネス(農業関連企業)

の上記の複合体への統合の拡大。

(H)資本蓄積の論理に固有の、供給と需要の不断の拡大という傾向―これはエネルギーの分野で

は特に、原子力技術の利用に表現されている―。

エネルギーの観点から考えると、社会主義に向けた転換は不可避的に、この集中化された構造―無政府的で、浪費的で、非効率的で、死んだ労働(資本)を集約し、再生不可能な資源を基礎とし、商品の過剰生産に向かう傾向がある―の破壊を必要とする。それを非集中的で、計画的で、浪費的でなく、効率的で、生きた労働を集約的に利用し、もっぱらソーラー・エネルギーを基礎とする、本当に必要な、耐久性のある、再生・再利用可能な有用物の生産を指向するシステムによって置き換えなければならない。この転換は、狭い意味でのエネルギーの生産だけでなく、工業システム、農業、交通、レジャー活動、都市計画と農村計画の全体に関係する。

エネルギー/気候をめぐる課題は、社会主義革命をブルジョア国家の権力の破壊とプロレタリア国家の確立―それは確立されるやいなや消滅を開始する―、大衆による自主管理の漸進的導入としてだけでなく、古い資本主義の生産機構の破壊と、代替的な機構による置き換え―民主主義的に決定された目標のために、異なる技術、異なる産業プロセスを採用する―のプロセスの開始としても理解することを要求する。この非常に根本的な歴史的大変動は、世界規模での社会主義革命の勝利の後でのみ、そして発展における主要な不平等が廃絶され、各人の人間の名に値する存在であるための基本的な権利を実現することが可能になったときに、現実に開始できる。それは、特に、さまざまな国の食糧およびエネルギーにおける一定の自立の実現を前提条件とする。それは経済の停滞や人間開発の停止を意味するのではなく、逆に、科学と技術、そしてそれを民主主義的な方法で導入する―すべての人々の積極的な参加によって、また、生物圏の「思慮ある管理」の文化の枠組みの中で―社会の能力の重要な前進を暗黙に含意している。そこにおいては先住民コミュニティーの貢献がはかりしれない価値を持つだろう。

一般的に革命的マルクス主義者は、人間の根本的なニーズが満たされた後は、人間社会の質的な発展が量的な発展に優先するだろうと考えてきた。この考え方は、真の豊かさが自由な時間、社会的関係、そして世界の理解の中にあると考えたマルクスの考えと一致している。「ソーラー共産主義」の展望は、この非生産力主義的な考え方の論理的延長であり、それを深化し、要求・課題・綱領のレベルにおける新しい結論を導き出す。より深く発展させるという意味において、エコ社会主義という新しい概念を用いることは許されるだろう。資本主義による人間労働の搾取と自然資源の破壊に対する共同の闘争の集中的な表現として、エコ社会主義は、人間と自然の間の「調和」についての理想主義的で空想的な考え方から出発するのではなく、社会と自然の間の物質の交換を、エコロジー的な理由に基づいて、言い換えれば、生態系のすばらしい機能にもっとも適した方法で管理するという唯物論的な必要から出発する。


ダニエル・タヌロ

20093


原注

(1)SPMIPCC2007.注意点は、気温の変化幅が1999年との比較で提示されていること。従って、前工業化時代と比較した変化を示すためには、0.7℃を加えなければならない。

(2)UNDP、「人間開発に関する世界報告」(2007/2008

(3)“CO2等価量”は、全てがCO2であるとして、温室効果ガス全体を考慮に入れている。

(4)“実質的修正”には、基準シナリオとの対比で1530%の変化幅が対応する。

(5)エネルギー集約度及び炭素集約度とは各々、GDP一単位を生産するための、消費されるエネルギー量とガス形態で排出される炭素量を表す。

(6)唯一の非太陽エネルギー源として、われわれは地熱エネルギーを加えるべきだろう。しかしその潜在的可能性は大きくない。

(7)他の工業諸国による相応した削減を含む国際的協定の存在、及び削減努力への新興市場諸国の参加表明という条件を付けた上で、目標は30%まで引き上げられた。

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