国際情勢草案
 
フランソワ・サバド

 この報告は2009年10月17日、第四インターナショナル国際執行ビューローへ、第四インターナショナル第16回大会で討論されるために提起された。報告は、2008年10月15日の拡大執行ビューローの会合に提出された国際情勢報告の続きである。同報告「危機の測定」は、すでに『インターナショナル・ビューポイント』に掲載されている(同文書のもとになった報告は、本紙08年3月31日号、4月7日号「世界情勢と革命派の任務」参照)。

1、危機の現在

 国際情勢の危機は、包括的・多面的な危機――経済的、社会的、食料関連そして環境的――に特徴づけられており、それは資本主義世界を揺るがしている。「後退の終わり」や「危機からの脱却」などの言説にもかかわらず、世界経済の現実は、危機の中での「恐慌」、大量失業、貧困の途方もない増大(10億人を超える人びとが貧困線以下で暮らしている)、さらに拡大するエコロジー的災害をもたらす巨大な矛盾によって決定されている。

1.1 「危機からの脱却」?

 分析的視点からみれば、グローバル化した資本主義が経験している持続的な危機の当面の短期的展開は、多くの「不確定要因」を含んでいる。確かに、世界的経済危機はそのスピードを緩めた。世界的に広がった不況(アメリカとヨーロッパでは3〜4%、世界的には1〜1・5%のマイナス成長率)の後、IMFの2010年への見通しは、3%の成長率を見込む「若干の回復」を示している。こうした指針はすべてアジア(+7%、一連の諸矛盾を伴うとしても)の成長回復を反映しており、それは、アメリカの「緩やかな」、1・5%程度の成長、およびユーロ地域の極度の低成長、0・3%と対照をなす。
 アメリカやヨーロッパでの、こうした「ささやかな回復」は、実際のところ危機のスローダウンを表現する。これはなによりも、国際的銀行システムを再浮揚させた(そして投機的バブルの拡大再開へと道を開く)国家による大規模な介入の結果でありの公共的装置のおかげである。それはまた、自動車のようなあれこれの生産物の購入への援助の提供と関連する。
 この巨大で、部分的には調整された国家介入は、なぜ、そしていかにして、危機がここまで控えめであったのかを説明するものだ。これが現在の危機と1930年代の危機との違いに連関する。

1.2 危機の継続

 だが、こうした12カ月以上に及ぶグローバルな公的金融支援のメカニズムが使い尽くされた時、経済は再び、一連の短期的かつ構造的な諸問題と直面するだろう。
 危機的レベルでは、国家と政府は公的債務の爆発に直面し、諸銀行は、常に彼らの口座の中の「有毒物質」の蔓延について知っているわけではないし、彼らの純資産が抱える諸問題に直面する。こうして価値低下した資産よりもさらに多額の「有毒資産」が残るのである。新たな投機のラセン的拡大と新たな有毒資産の発見が結びつき、経済の全側面に及ぶ影響を広げる株式市場の大崩落を引き起こしかねない。最後にあらゆる破滅的結果をともなう失業と雇用不安が拡大し、社会的諸勢力の力関係に重圧としてのしかかる。
 構造的レベルでは、状況は逆説的であり続けている。それは新自由主義システムのイデオロギー的な危機、資本主義的諸政策の広い概括的あり方の継続と、その同じ矛盾の再生産として性格づけられる。危機の深さは何百万人もの労働者たちの生活や労働条件に対する、支配階級の新たな攻撃をもたらした。

1.3 新自由主義的蓄積様式の矛盾が深まる

 1970年代の末期、1960年代から70年代にかけて低落し続けてきた利潤率の再構築のために新たな資本主義的蓄積様式が実行に移された。労働者の一連の敗北を基盤にして、付加価値における賃労働者の分け前は圧縮され搾取の諸条件と搾取率が増大し、公共サービスの民営化が全般化し、社会関係の規制緩和が強要され、公共予算が削減され、そして構造的調整が途上国に適用された。これらすべてが市場のグローバル化に適合し、そして労働者たちが相互に競争させられる中で、労働力のグローバル市場の構成が傾向的に統一化された。
 利潤は復活したが、すべての統計が示すように、生産的投資は復活しなかった。これらの利潤はより儲けの大きな商品、すなわち金融商品へと移動した。北アメリカとヨーロッパのすべての部門と地域の脱産業化と再配置、「世界の工場」となったアジア、なかでも中国への再配置をもたらしたのは、この動きだった。そうして、世界経済の全般的な金融化の過程が進み、それはすでに存在していた「架空資本」を拡大したのであった。これらのメカニズムは同時に、世界経済の中心であるアメリカとヨーロッパとで、私的・公的債務の処理の全一連の方式を打ちたてることを可能としたのであった。
 そうした公的・私的債務についての政策が、当分の間、危機の爆発に至るまでこうした歪みを埋め合わせることになった。家庭の負債が、賃金下落にもかかわらず、消費水準を維持した。先進資本主義諸国、その中でも第一にアメリカの債務が、産業的基盤の狭隘化にもかかわらず、クレジットで生きるのを可能にしたのである。債務は少なくとも2007―2008年まで、全般化した危機を引き延ばした。
 これらが、資産や生産部門の巨大な価値下落、銀行破産とリストラ、整理解雇、企業閉鎖を伴って破綻した措置だった。危機の全面的展開とそのメカニズムは、それがたんなる金融・銀行危機だけではないことを改めて確証した。これは資本主義システムのグローバルな危機であり、1970年代の終わりと1980年代の始めにおいて、利潤率を回復しようとして実施されたすべてのメカニズムの危機がもたらしたのである。

1.4 資本の新たな攻撃。「以前のように。さもなければ、ほとんど、あるいはおそらく悪化する」

 危機において労資対立は激化する。支配階級は、資本、中でも金融資本の地位を保護しつつ危機を抑制しなければならない。システムはもはや以前のように機能することができないが、資本の利益の防衛のためには政府に対して同一の政策を継続し、深める圧力となる。
 なるほど、G20宣言を通じて、タックス・ヘイブンを「制御」すること、銀行システムの作用を「枠づける」こと、幾つかの国々を経済的破産から救済するために使用されるIMF基金を増額するイニシアチブが取られた。この危機はシステムの正当性までをも危機に引きずり込み、あちらこちらで、資本主義を「道徳化する」必要についての声明やジェスチャーをもたらした。だが言葉と行動の間には底なしの深淵がある。銀行は、信用形成を犠牲にして自らの利潤を膨張させるために危機と公的支援から利益を上げてきた。公的支援の目的はそこにあった。さらに投資家たちは同じような資産の買い占め(金融商品、天然資源、天然資源に結びついた諸通貨)を行いながら、新たな投機の連鎖を促進しているのである。
 実際、危機のこうした局面において、資本家階級は労働の搾取率を増大し利潤を守るために、社会的・民主主義的諸権利に対する新たな攻撃を求めている。先進資本主義諸国の政府の方針は、労働者や民衆に危機のツケを払わせる選択であることを確証している。

 債務の爆発は、増税と公的赤字の削減によって支払われるだろう。いずれの場合においても被害を受けるのは人民諸階級であろう。

 大企業のリストラは幾百万人もの失業と雇用不安、あらゆるシステムの「柔軟性」の強化などをもたらした。とりわけ女性たちは、危機の結果から打撃を受けている。ILOによれば、2009年には全世界で2200万人の女性たちが職を失うことになる。サービス、医療、服飾部門の女性たちは、最初に大規模な整理解雇にさらされるのである。学校からのドロップアウト、雇用喪失、貧困化にさらされる女性たちは、世界的不況の最初の犠牲者である。危機はコスト削減、生産性の増大、労働過程の再定義、市場の作り替えに利用される。2007年1月から2009年3月までの間、リストに上げられた206の欧州企業のうち、126企業が146の整理解雇計画を発表した。OECD諸国の予測では、2009年と2010年に約2500万人が失業するとしている。
――賃金への圧力は依然として極めて強い。「回復プラン」は、なによりもまず銀行や投資への支援を反映しているが、それは企業に対するものであって、賃上げに対してではない。加えて、幾つかの分野や国々ではバルト諸国、ルーマニア、アイスランドの公共サービスのように賃金引き下げの協調政策がある。

――幾つかの場合を除けば、民営化がうち固められている。例外としては、アルゼンチンの社会保障システムや日本の郵便サービス。
 危機開始から1年以上を過ぎた後に、次のようなガイドラインがケインズ主義政策の復活という仮説をもって討論に付された。すなわち、賃上げ、公共サービスと社会的保護の発展による需要回復政策である。イギリスの銀行への統制は1945年以降の国有化の過程とは全く異なるものである。危機に直面して、資本家たちの利益を防衛するために国家介入がなされてきた――「新自由主義的国家統制」――が、それはけっして世界的な新ケインズ主義ではなかった。それは現在の諸条件と階級間の力関係の下では、支配的諸階級の選択には入らない。
 2009年の社会的・政治的な力関係の中で、危機後の利潤率回復という目標は、産業や金融のトップレベルの指揮官たちがすべての生産や経済機構をいっそうの利益追求に従わせるために、労働者への圧力を強化させている。資本へのさらなる利潤をつねに求めることは、賃金の圧縮、雇用不安の爆発、公共サービスの解体、経済の商品化と金融化へとつながるだけである。この論理は、社会的必要の充足とは相反するものである。われわれの反資本主義に根拠を与えるものがこの矛盾である。この資本の論理を拒否することは、人民諸階級の利益のために富を再配分する闘いを必要とするが、また、資本家の所有権に挑戦し、利潤の論理を社会的必要のそれに取って代わらせることでもある。

1.5 環境危機への資本主義的対応

 環境危機と取り組む必要性も、この枠組みの内にある。とりわけ今日の危機に「文明的危機」の一側面という性格を付与しているものは、経済危機と環境危機の結合である。気候変動に関連する諸問題もまた、環境危機において独特な先鋭さを示す。すべての科学者たちは、一世紀のうちに1・5度の気温上昇という「危機」の敷居を踏み越えないためには、2050年までに50%から80%の温室効果ガス排出の減少が環境的に緊急の課題であるという理解に収れんしている。2020年に向けてのヨーロッパ連合の「3x20%」、つまり、20%の炭素減少、20%のエネルギー効率化および20%の再生エネルギー増加という内容は、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が下した要求以下なのである。
●「緑の資本主義」というこの構想には、二重の側面がある。第一に、経済的請求書―あるいは、「緑の税」という覆いの下での公共的赤字―それらを大企業の責任を回避して新市場を、とりわけ汚染権市場を創設する税制によって民衆諸階級が負担することである。より本質的には、環境危機への解決策は資本主義の枠組み内部には見いだせないのである。利潤動機は単に、それぞれの資本相互の競争しかもたらさない。いかなる調整的な中期的・長期的行動も、市場論理との衝突に直面する。エネルギー効率は、単になるエネルギー消費の削減、産業の一連の再転換、化石燃料の再生可能燃料による代替によってではなく、生産機構の再組織化、調整と計画によってのみなし得られる再組織化を必要とするのである。これらは経済の主要部分の私的所有という脈絡ではなく、経済の主要部門の公共的・社会的所有システムによってのみ可能である。

●経済危機と環境危機の複合は、地球全体とりわけアフリカを直撃する食糧危機を悪化させるだろう。今日、30億人の人々が充分な食料を得られていない。20億人が栄養失調に苦しみ、10億人が飢餓状態にある。農産物輸出や天然資源への投機、中国やサウジアラビア、韓国などの諸国によるアフリカやラテンアメリカの何十万ヘクタールもの土地の買収、これらによる食糧耕作の破壊が、食料生産へのアクセスを困難にし、幾百万人もの農民や人びとの生活状況を悪化させている。こうした民衆の75%は、仕事を奪われた農民であり、農業労働者たちである。こうした死活の諸問題の解決や、現在の不均衡の克服および不平等の削減どころか、食糧危機は深化している。
 こうした危機が持続すると分析することは、破局主義に陥ることではない。システムを変革するに足る力量を持つ社会的・政治的勢力が存在しないかぎり、資本主義にとって出口のない情勢など存在しないということが記憶されるべきである。資本主義は機能し続けることはできるが、しかし経済的、社会的、環境的コストはますます耐えがたいものになっている。この危機を「文明的危機」と理解することは、死滅しつつある歴史システムの状況を考慮に入れてのことなのである。

2.世界の新たな組織化?

 この危機は世界的崩壊の一部である。全世界を通じて新たな階級間・国家間の関係が確認され、明示されてきた。国際的広がりにおいて、「危機に満ちた世界」を再組織化するイニシアティブが増幅してきた。

2.1 米国のヘゲモニーの衰退。現実と限界?

 オバマ勝利の後の主導性は米国の力の再配置にある。そのことがオバマという選択をなした理由の一つであり、役割でさえあった。すなわち、主要には経済危機(保健、産業再編)に連関した諸矛盾がないとは言えないが、世界政治におけるコントロールの回復のためである。突然、米国ヘゲモニーの「不可避的没落」の状況があらわれた。危機は米国の位置を弱体化させてきた。実際には、危機の前において地位はすでに弱まっていた。それは米国の産業基盤の衰退と債務の結果である。しかし、米国は世界的関係において支配的地位を維持し続けている。すなわち、

a)アフガニスタンやイラクにおいて西側の軍隊とともに動きが取れなくはなっていても、彼らは政治的・軍事的レベルで全面的なヘゲモニーを保持している。過去のいずれの時よりもNATOはアメリカの制御の下で、世界を支配する西側諸国の強力な武力を構成している。ラテンアメリカにおいては、米州自由貿易協定(FTAA)の形成において深刻な後退をこうむった後、米国政府はトリニダード・サミット(北南米大陸におけるアメリカの市場再興の開始を政策化)だけではなくホンデジュラスのクーデターやコロンビアでの軍事基地の再配置によってイニシアティブを再獲得した。それらはアメリカ大陸での政治的・軍事的ヘゲモニーへの願望の証しなのである。

b)経済の戦線においては、たしかにこの間一貫して低下してきたとはいえ、米国市場の規模は世界のGDPの中で大きな位置(約25%)を占めている。

c)金融や通貨のレベルでは、ドルは依然として国際的な支配的通貨である。それは弱体化し、国際的地位を持ちたい他の通貨や「安全価値」としての金の挑戦をますます受け続けるようになったが、にもかかわらずドルは世界の基準的貨幣であり続けている。米国政府は矛盾に直面している。一つは、ドルを高額に据え置くことである。それは米国の輸出を不利にしながら、中国がドルで米国債を保持し続けることを求めるものである。もう一つは、ドルの競争的下落を組織して米国産業の輸出力を高めさせ、同時にドルとドル資産の崩落させる、というやり方である。だが、世界的に米国の経済的位置が弱体化したにもかかわらず、ドルはそれ自体としての位置を持っているという事実が留意されなければならない。

2.2 中国および主要な新興諸国の役割

 米国の支配的位置は維持されているが、また留意されるべきことは、ブラジル、ロシア、インドそして中国(「BRIC」)、とりわけ後者の経済力の上昇である。世界のGDPにおける中国のシェアは上昇し続けている。成長率は、他の諸国が不況にあえいでいる時の6%から、諸国が経済成長している時の10%以上までの広がりがある。中国は米国に取って代わってはいない。継続的成長にある中国と危機にある帝国主義本国との「デカップル(分断)」(中国は他の資本主義諸国と連動して不況になることはないという論理)というテーゼは成立しない。中国は危機の影響を被ったが、崩壊はしなかった。今、中国経済が世界の中で持っている役割は、国内市場の形成、社会保障システムの構築、賃金の引き上げで需要を喚起することにかかっている。こうした条件が満たされなければ、中国の勢いは速度を落とすであろう。官僚的メカニズム、すさまじい汚職、移住労働者への超過搾取、これらすべてが国内需要に対しマイナスの重圧となっている。世界的レベルにおいてはアメリカと中国(他のアメリカのパートナーのように)は協力と競争の諸関係で結びついているが、現在の所は協力が先行している。
 新たな帝国主義的権力となりつつあるブラジルとの関係について言及しなければならないのも、この多極的枠組みの内部においてである。すでに1960年代に、「亜帝国主義」という概念がブラジルにかぶせられた。つまり、帝国主義ではあるが、米帝国主義に従属する副次的国家だ、と。米帝国主義の力との関係で二流であることは確かだが従属的ではない。ブラジルの経済的、金融的、社会的、地域的、精力的、軍事的な力は、米帝国主義にとってブラジルを連合的パートナーであると同時に、とりわけラテンアメリカにおける競争相手、ライバルにしている。この連合/競争関係の中で、米国はグローバル競争における弱点を、自らの政治的・軍事的ヘゲモニーを使って埋め合わせるであろう。

2.3 アフガニスタン、イラク、パレスチナ。世界の軍事的緊張の中心

 これら諸国で賭けられているものは、依然として米国政府にとって第一級の戦略的位置を占めるものである。世界における米国の軍事的指導性が賭けられているのはこの地域である。これらの部分での失敗はグローバルな力関係を崩壊させる。これがなぜ、イラク戦争における帝国主義内部の諸矛盾を越えて、すべての西側諸国が最終的に米帝国主義と同盟したのかの理由である。この方向への最新のイニシアティブは、フランスがNATO司令部に復帰したことである。G20を補完するものとして、2009年のストラスブール・NATOサミットはこうした展開を明らかにした。同時に米国は東欧へのミサイル配備構想を放棄してロシアと中国の中立化を追求した。
 オバマ当選以降、この地域での政治は、新たな米国の政策の明快な実例である。一方での「開かれた」イニシアティブ、演説、身振りがある。あちこちで、アラブ文明の世界への貢献が言及される。イランとの「対話」が課題になっていると語られ、パレスチナ地域へのシオニストの入植地形成を緩めるようイスラエル政府に圧力がかかる。だが実際には、イランへの脅しは増大し、イラクからの米軍引き上げは限りなく引き延ばされ、アフガニスタンにおいては帝国主義の戦争努力が倍加され、そしてイスラエルのネタニヤフ政府はその思うがままに行動している。
 帝国主義の干渉理由はいくつもある。すなわち、天然資源の支配(第1には石油)、ロシア、インド、中国の周辺地域での地政学的プレゼンスなどである。だがこの地域での対決の目的は、その軍事的ヘゲモニーを再確認するためのアメリカ帝国主義の能力を維持することである。さらに、イラクやアフガニスタンからの軍隊の撤退要求は、民衆の権利を尊重し帝国主義権力を戦略的に弱体化させるための第一歩である。ガザでの事態の後ではなおさら、われわれは以前より以上に、パレスチナ民衆の権利の防衛、入植政策の即時中止、1967年に占領した地域からのイスラエルの撤退、およびパレスチナ民衆の帰還の権利、「シオニスト国家の解体と、パレスチナに住むすべての人々(パレスチナ人とイスラエルのユダヤ人)が共に、完全に平等な権利を持って共生することができる政治的解決を結びつける」(2009年2月、国際委員会の動議)という展望を擁護する。こうした観点からわれわれはBDS(ボイコット、投資撤収、制裁)の国際連帯キャンペーンと、パレスチナ民衆との連帯に参加する。最後に、イランに対する帝国主義恫喝の拒否は、アフマディネジャド体制支援をもたらすものではなく幾百万ものイラン人の民主主義を求め、独裁体制に反対する運動に連帯して行動するためである。ここでまた、あらゆる紛争におけるように、われわれの指針は被抑圧者たちの利益と闘いを擁護すること、彼らの社会的・民主主義的権利を防衛することなのである。

2.4 ラテンアメリカでの対立の新局面

 この大陸は、新自由主義政策と帝国主義の攻撃に対するもっとも進んだ社会的抵抗を維持している。この大陸は、ホンジュラスの危機がまさしく明らかにしているように社会的闘争の爆発によって繰り返し難破している。ホンジュラスでは、軍隊の弾圧にもかかわらず、この50年間で始めて、クーデター派の攻撃に抗する広範な大衆運動が見られるのである。闘いは多面的である。ベネズエラやアルゼンチンあるいはボリビアでの労働者のストライキ、エクアドルやベネズエラでの反帝国主義大衆運動、あるいはアンデス地帯や中米地域での先住民族の運動という形を取って社会的・政治的抵抗が存在している。先住民族問題の新たな活性化はとりわけ強調されるべきである。これらは土地、天然資源、生活様式を多国籍企業と略奪者的諸国家から防衛する行動へ突入した幾百、幾千のインディオたちだ。同時に、人類と自然との間の一定のバランスを強調しつつ、彼らは「共通の善」や「より良き生活」を防衛する中で闘いの参照点を構築するだろう。だがこれらの闘いに直面する支配階級が無為のまますごすことはない。彼らはメキシコ、ホンジュラス、コロンビア、ペルー、ボリビアの大衆運動やベネズエラと対決し、あるいは、ブラジルのPT、アルゼンチンのペロニズム(より激突的であるとはいえ)、ウルグアイでの「フレンテ・アンプリオ(拡大戦線)」、バチェレトのチリ左翼、あるいはエルサルバドルの左翼などの例が示すように、左翼を味方に引き込むというやり方で対処しているのである。

 このことは三つのタイプの政府と状況へと結びつく。
――メキシコ、ホンジュラス、コロンビア、ペルーの右翼、極右の政権。およびボリビア、ベネズエラ、そしてエクアドルにおいてブルジョアジーの激しい反対を体現する右翼。彼らはチャベスやエボ・モラレスを転覆させるという計画を捨ててはいない。こうした部分は今日、米帝国主義の軍事的・政治的トップによる支援を受けて攻勢に出ている。ホンジュラスでのクーデターや、とりわけコロンビアにおける新たな米軍基地の設置はその証拠である。

――政府の第二のタイプは、それぞれに微妙な差があるが、ブラジル、アルゼンチン、ニカラグア、ウルグアイ、パラグアイおよびチリの例に示されている。これらは社会自由主義政府で、ルラのブラジルのように摩擦を引き起こす関係であったとしても、新自由主義の全般的基準や巨大な米国という隣人との協力関係を尊重する。このブロックにおいてわれわれは、その規模、天然資源、経済力において強化されたブラジルが支配的な位置を持っていることを知っている。以下のことも留意されなければならない。すなわち、一般に全世界の社会自由主義的経験は社会自由主義政党にとって手痛い結末となり、社会的・政治的基盤の衰退を見るのだが、ルラのもとでのブラジルにとってはそのようにはならなかった。そこでは「ボルサ・ファミリア」政策がPT政府への現実の大衆的支持となっているのである。

――三番目のタイプは、キューバによって支援されており、ベネズエラ、ボリビア、エクアドルがその例である。これらの諸国のそれぞれにおける諸勢力の力学や出来事を真に識別しなければならない。これらの政府は、部分的にはアメリカ帝国主義と断絶する政策を取り、社会政策や社会的最貧層のために所得の再配分を進め、社会運動を支援する。われわれは、アメリカ帝国主義に抗する彼らの側に立っている。われわれは、21世紀の社会主義概念をめぐる経験から出てくる討論から学び、われわれの提案を擁護している。しかし、われわれはそれぞれの経験の特性を強調すべきである。チャベスやモラレスが、ボリビアではより強力な社会運動の圧力の下にあり、ベネズエラではより「ボナパルチスト」的関係で大衆運動に依存しているのに対し、最近の出来事はエクアドルの先住民運動であるCONAIEとコレア政権との対立関係を示してきた。これらの政府と大衆運動間の関係がこうした諸経験の将来への大きなテストとなる。だが背後には決定的問題点が存在している。これらの国の経済的土台を直撃する危機とともに、資本主義、その利潤の論理、金融との関係、私的所有のシステムとの断絶の度合いがそれである。こうした観点から見るとき、これらの政府は今までの所、経済危機に際して、実体的に資本主義や「抽出主義的生産モデル」との決別へと進む機会と捉えてはいないのである。

2.5 深い危機にあるヨーロッパ

 アメリカの回復力とBRICの台頭に直面して、ヨーロッパは世界の中での自己の位置の悪化を見てきた。危機は旧大陸の経済への激しい打撃となった。特殊な要因がそれをさらに悪化させた。主要国経済の相互に異なる動力――イギリスの金融、フランスの貿易赤字、ドイツの製品輸出――と結びついた欧州連合構築政策のあり方は、真の調整的政策を欠いた部分的でバラバラな対応をもたらした。何年もの間「自由で歪められることない競争」を強調してきた欧州条約は、産業政策を犠牲にして金融化に肩入れした。欧州は、とりわけフランスにおいて、脱産業化を推し進めてきた。失業は急激に増大している。同時に、欧州諸国の赤字と債務は危険なまでに増大した。
 東欧に目を向ければ、国際的銀行システムに強く依存してきた一部の諸国の経済は、IMFによる雀の涙程度の国際的援助によってのみ救いだされた。公務員給与の切り下げの組織化にまで張りつめたバルト三国、ハンガリー、ルーマニアで実施された政策は、これらの諸国の危機のみならず、環境における危機の深さをも明らかにしている。
 このことが欧州での内部的矛盾が先鋭化する理由である。あちらこちらに保護主義的誘惑が現れるかもしれないが、それは欧州の資本家階級の基本的選択ではない。彼らはグローバリゼーションを選択したのだが、この過程で、彼らは「欧州資本主義」としての共通した挿入物を持たないのである。反対に、この国民経済と多国籍企業との間の利害の絡み合いが、基本的ガイドラインを定めるのである。グローバルな競争はこうして欧州間の競争を拡大しうるのである。
 結論的に言えば、この長引く危機状況の持続においては、経済的攻撃は右翼による政治的攻撃と結合する。ギリシャとスウェーデンを例外として最近の欧州選挙がこの傾向を確認している。ファシストや準ファシスト勢力も各国の政治情勢への圧力を強める傾向にある。
 とりわけ反移民主義政策に焦点化される権威主義的解決策が力を増しているのも、これと同じ動きの中にある。グローバリゼーションと貿易の拡大、北の諸国による南の貧窮化、環境的あるいは食料関連の災害が、とりわけ貧しい国から豊かな国への大規模な人口移動を引き起こしている。危機は移民への搾取と抑圧のあらゆる諸現象をさらに悪化させる。レイシスト運動は移民をスケープゴートにする。こうした事態に対して、労働運動は移民たちの諸権利を防衛する政策の前進で対応しなければならない。より一般的には、闘いや社会運動を犯罪視する政策や弾圧システムが、「テロとの戦い」という名目で、民主主義諸権利への何らの尊重もなく、ファイルと情報収集システム、リストを伴って実施される。
 社会運動のサイクルをも越えるこうした緊張は、政治的あるいは機構的な危機へとつながることになる。
 リスボン条約で採択された「欧州憲法」構想は、この枠組みの中に、欧州連合機構が部分的には強化された専制的役割(より強い大統領制度、単一の国際代表などなど)を果たすことを可能にすることを目指している。それは、集権的かつ民主主義的統制(公式的性格のものすら)ぬきに、欧州政策を国際的レベルで押しつけるものである。参加国家は公的民主主義の枠組みで彼らの制度を維持するが、その公的民主主義は欧州の主要帝国主義諸国間の妥協に基づいて各国政策を枠づける欧州決議に直面して、その意味がいっそう空洞化するのである。それは不平等な欧州連合(大国と小国があり、後者が従属的)であり、そこでは住民は、公的な形であってもあらゆる議会的干渉力を奪われる。それは第二回目のアイルランドの国民投票の結果に依然として反映されているように、その構築過程における問題である。最後に、欧州連合の構想に直面して、反資本主義左翼は社会的で民主的な諸権利に基づき、労働者民衆のための欧州を支持する国際主義的方針を防衛しなければならない。

3.ヨーロッパにおける左翼と労働運動の進化

 1929年恐慌はしばしば、今日の危機の広がりを評価する基準として利用される。1930年代は社会的・政治的レベルにおいても、1930年代はまた、今日の時代と比較するポイントになり得るかもしれない。社会的・政治的衝突はそれほど激しいものではない。社会的な衝撃吸収材が対立を和らげている。ある人々は状況を「緩慢な1930年代」の公式で状況を性格づけてきた。この二つの歴史的時期の違いは明白である。だが、それにもかかわらず、雇用労働者、社会運動、労働運動とポピュリズム、権威主義、外国人嫌悪の右翼との間の競争はすでに始まっている。左翼と右翼とへの両極化がある。経済危機と階級闘争の間には何らの機械的な関係も存在しない。
 この危機は、社会的・政治的力関係が10年以上にわたって悪化してきた状況の中で出現した。賃金労働者はリストラ過程を経験し、それは労働力を個人化し、労働者の集団的組織を構造的に弱体化した。伝統的労働運動は疑問の余地なく衰退した。危機は、新たな危機を導きつつ、リストラの進行過程を強めるだろう。にもかかわらず、組織と制度の支点は、危機に抵抗するものとして保持されてきた。危機の最初の局面では不安が全般化し、職を失う怖れが労働者大衆の戦闘性にのしかかるが、しかし彼らは士気阻喪に陥ったり、打ちのめされたりはしていない。最初のストライキ行動を通じて新たな世代が登場してくる。危機に対する抵抗は、それぞれの国々の特有な状況や力関係に応じて部分的かつ不均等なものであったとしても、現に起こったのだ。だが、危機の早い段階での社会的・政治的効果は、情勢の根底にある流れを逆転させることはできない。幾百、幾千の過剰労働者を持つ一部の企業では、敗北を見ることになった。一般に、多くのケースでは真の社会的抵抗があったにもかかわらず、資本主義的再組織化計画が実施されてきた。そして新たな厳しい攻撃が登場するのである。
 伝統的労働運動の指導部が賃金取得者全体の士気阻喪や方向性喪失の責任を持っているかぎり、状況はさらに困難ですらある。いかにして彼らの経営者や政府を押し戻すかを見つけることは、労働者にとっては難しい。伝統的労働組合運動や社会民主主義的機構の選択は、危機への対応として支配階級や国家の政策と共に歩むというものであった。銀行システムのあれこれの再組織化措置にかんして、回復プランの量や諸側面の論議はなされた。だが全体として、欧州社会民主主義は欧州連合の計画に連座した。PES(欧州社会党)宣言が良い例である。例えれば、ケインズ主義的改良のオルタナティブのための闘いすら存在しなかった。危機は労働官僚――社会的には労働運動での特権層――の資本主義システム中での制度化への組み込みを促進したのである。
 これは社会民主主義の危機をさらに悪化させる。諸社会党の社会自由主義的展開は、すでにその社会的基盤や民衆的政治の実質的部分を掘り崩してきていた。しかし、没落はさらに悪化している。前回の欧州選挙で、社会民主主義は正真正銘の敗北を喫した。ドイツとポルトガルの議会選挙がその流れを確認した。SPD(社会民主党)は2005年と2009年の間に450万人の投票を失った。ポルトガル社会党は得票のほぼ9・5%を議会選挙で失った。こうした敗北を一定の範囲に抑え込むために、あれやこれやの「左転換」がなされることを排除できないが、主な傾向は、労働組合運動や社会民主主義の巨大機構が資本主義の危機管理の要請にいっそう適応することである。こうしてドイツでの社民党のCDU(キリスト教民主同盟)―CSU(キリスト教社会同盟)との大連立に続いて、フランスでは社会党が中道右派との連合を築く準備をしている。この動きはより広範な過程の一部であり、そこでは社会民主主義内部から、「旧来の社会党」を超えて、これらの政党の中に残っている労働運動の歴史と断絶する声が上がっている。これは、元PCI(イタリア共産党)が全体としてアメリカ民主党型の党建設へと進化したイタリア左翼の力学である。
 こうした過程で緑の諸党と環境主義者たちが積極的役割を演じている。民衆のエコロジー危機に対する正当な関心が有利に作用して、彼らの役割は、とりわけフランスとドイツで拡大している。彼らの方針は一般的には伝統的左翼と中道派、環境主義者の大連合の展望に適合している。
 この状況は、危機にある民主主義の左に位置する勢力にとってスペースを開いている。これこそポルトガルの左翼ブロックやドイツの左翼党が最近の選挙で切り開いた突破口の意味であり、そしてデンマークの赤・緑連合やリスボン条約拒否の運動を通じたアイルランド左翼、そしてフランスにおけるNPAなどの形成の重みである。
 この現象は世界的だが、ラディカル左翼のそれぞれの諸国での状況は、とりわけ歴史、力関係、選挙システムの型に照らして独自のものとなる。実質的な相違がまたこれらの諸党の間にある。それは、資本主義システムとの断絶を選択した党、社会民主主義からの明確な独立を擁護する党と、新自由主義的資本主義とその諸制度の運営に参加する構想を持っている諸党との相違である。社会自由主義的性格の地域的・全国的政権への参加の拒否に関する鮮明な区分は、社会運動を再組織化し再建するために、伝統的左翼の古い機構から独立するという展望の決定的必要性とも関連している。ラディカル左翼が社会民主主義や他の中道左派と共に政権参加してきたあらゆる諸国では、彼らは社会自由主義左翼から切り離されている。ブルジョア機構の魅力の強さは、新自由主義に反対する多くの宣言以上のものである。これがドイツの左翼党指導部との討論の意味である。左翼党の発展はドイツ左翼の一歩前進であるが、だが、その指導部が取っている方向性――綱領レベル(「社会的国家」や「福祉国家」への復帰)と議会や政府での社民党との同盟に関するものの双方――が、ドイツ労働運動の再組織化における主たる危険性なのである。左翼党内部での反資本主義オルタナティブ左翼の建設のみならず、全ドイツ的な社会的・政治的左翼の形成は、依然として欧州における中心的問題の一つである。
 最後に、欧州におけるこのラディカル左派の現実は、以前にもまして、とりわけ会議、討論、共同キャンペーンの組織化を通じた反資本主義左翼の組織化への関与を必要とするのである。

4.反資本主義の綱領

 危機の深さは反資本主義的回答に新たな緊急性を付与する。「危機の代価を支払うべきは資本家たちであり、労働者や民衆ではない!」。これは資本主義の危機の影響に抗するすべての抗議行動で起きた叫びである。われわれはこうした民衆的願望に対して、どのような内容を与えることができるだろうか? 第一に人員過剰、雇用抑制を拒否して緊急の社会的・エコロジー的なプランを。部分的・全面的失業という事態の中で、企業、経営者の職業的組織、国家に保証された労働契約と賃金維持による解雇の禁止を。賃下げを伴わない労働時間短縮、賃金と購買力の引き上げと退職金と年金の引き上げを。公共サービスの防衛と刷新を。女性たちの権利の防衛――すべての男女差別の拒否、女性たちへの暴力に対する闘い、中絶の権利、職の平等を。エコロジー優先に焦点を当てた公的労働の主要政策(エネルギー保全、再利用可能なエネルギー、汚染との闘い、公共交通、社会的な住居、社会的に有益な環境的活動での職の創出)。
 こうした要求の充足は富の異なった配分を必要とする。もしも数千億が一夜で譲渡されるとしたら、雇用、賃金、公共サービスおよび社会保障をまかなうために、金融、産業、銀行の利潤、巨大な資産に確実に課税することができる。米国や欧州が、一部の諸国や公国での営業を認めているタックスヘイブン(租税回避地)は一掃されなければならない。国庫収入の暴落を防ぎ、企業利益への高税率を均質化する単純な措置が実施されなければならない。
 だが危機は別な問題を提出する。すなわち、誰が操作し、誰が決定し、誰が所有するのか? これは公的・社会的支出の問題である。一般法形成への要求がある。すなわち、競争のルールから解放された公共サービス、戦略的な公共サービスの公的独占の確立。経済の枢要部分の私的所有に対しては、われわれはこれらの部門の公的・社会的所有を対置する。ラディカルな解決のためには、銀行システムを再組織化しなければならない。銀行と金融部門は統一され、人民管理の下で国有化されなければならない。
 最後に、経済危機とエコロジー危機の結合は緊急の課題を導く。すなわち、利潤や生産性主義を社会的要求に置き換える、そうした論理の転換である。これは経済のすべての分野を組み替え、社会―エコロジー的均衡に合致させることが必要となる。例えば、自動車、武器、原子力部門などに対してである。「共通善」が、均衡のとれた環境―社会主義の目標となるだろうし、民主主義的計画の中心となるであろう。
 こうした諸目標の一部は、現在の社会的力関係においては達成できないように見える。しかし危機は支配階級との衝突を必要とするラディカルな解決を課題に載せる。この闘いは例外的な社会的・政治的動員を必要とする。部分的諸闘争、全体としての運動とゼネストとの間の関係についての討論が課題として立ち戻ってくる。この脈絡において、革命家たちは、現実の大衆運動における統合、行動の統一、闘争の提案と、全般的な社会主義的回答とを結びつけなければならない。部分的改良のための闘いと社会変革の構想は、権力の問題を提起する。社会民主主義の指導者たちは、しばしば、ラディカル左派に対して、責任を取らない、統治をしないとして批判する。この非難に論駁するために、反資本主義派は、広範な大衆的な自己組織的運動が政治の場に登場し、社会的・民主主義的・反資本主義的綱領を適用する政府を民衆的政府を押し付けるための条件を創出するために活動していることを証明しなければならない。資本主義と決別する政府の展望は、社会党や中道左派とともに社会自由主義政権に加わるという屈服を拒否するよう求めている。
 最後に、こうしたすべての闘いは、社会のオルタナティブな構想の広範なアウトライン、生産と消費の新様式、民主主義の新しい概念、社会主義的民主主義を提示している社会主義、エコ社会主義の展望から発展していくものであるに違いない。



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