以下の文章はとりあえずの問題意識の提起です。参考文献にでもしていただけたら幸いです。川端 康夫


2010年の現在と世界ー経済における「国際主義の不在」について

はじめに―「渡り鳥企業」の全世界化はどこへ向かうのか?


 日本においては、第二次菅内閣の成立と共に、基本的には「増税」路線が形を整えつつある。野党の自民党も増税路線であり、与野党一致の雪崩が意識的にも作られつつあるように見える。ねじれ国会であるから、政府は諸野党とさまざま妥協を強いられるが、菅内閣は、先の参議院選挙で示されたように、消費税引き上げ、法人税引き下げを柱としてきた。そして九月十九日のNHK番組においては、農林大臣が貿易自由化(EPA)に際して、農業を守るという姿勢で「環境税」を打ち出した。
 ギリシャの騒動が大々的になされるように、世界各国は景気後退、財政再建、増税へと大きく舵を切りつつある。それから除外されているのは、低賃金構造を基礎とする発展途上国の中国やインドなどである。流動金融資本がこれらの国々に流れ込み、産業を活性化させ、対外輸出を増大させる。他方、いわゆる「先進国」は資本流出、輸出停滞の減少に襲われ、G8からG20へと世界経済調整構造を大幅に変化させるに至った。
 こうした現象の最大の直接要因はアメリカ経済の「破綻」にあるという見方が強い。先日の報道には「アメリカ人の七割は貧困層」というものがあったが、金本位原理から離脱し、ドル本位に転化したニクソンショック以降四〇年をへた今日、国際金融の限界、危機が最も典型的な金持ち優先国家、アメリカの危機という形で顕在化してきたのだ。
 アメリカはドル紙幣を無限に印刷し、使い続けてきた。低所得層を維持するための低価格商品の供給のめにこそ、アメリカは低価格の諸商品を巨額な量で「輸入」した。代金はドルであるから、印刷すればいい。対米輸出国である日本や中国には外貨としてのドルが膨大に蓄積されている。そしてドル安は恒常的に進行している。一九七〇年のニクソンショック以前のブレトンウッズ体制では国際貨幣水準は固定制度であり、日本円は一ドル三六〇円であった。それが今や八〇円であり、識者によれば五〇円程度へと進む可能性が高いとの見解がある。
 だが(金融)資本の利潤はどうするのか。それは庶民からの収奪であり、搾取が基礎である。そこでの庶民生活が危機となり、したがってアメリカは国内的経済サイクルを維持することが難しくなり始めたのである。アメリカ自動車産業の危機は、すでにこの数十年重ねてきたアメリカ産業資本の衰退の最後の象徴である。一昔前の歴史的象徴としては、アメリカの製鉄業界の破綻があった。USスチールという、日本で言えば「新日鉄規模」であった国家的超大企業が分化・解体してしまった。代替した国々の最大は日本であり、新日鉄などであった。(日本の新日鉄も今では世界的競争に押され気味ではある)。アメリカ製鉄業界では大量の粗鋼は輸入でまかなわれてきたのだ。
 そして自動車業界の破綻寸前の苦境にまで至った今回の一連の事態の引き金である住宅産業の破綻は、アメリカ貧困層の最後の砦を奪いさるようなものだった。
 アメリカは、あの共和党のカリフォルニア知事までが「新幹線」的な膨大公共投資への意欲を示している。国家財政がアメリカ経済を維持しようというのである。このオバマの新ニューディール路線はいかほどの効果があるのだろうか。以前のローズベルトのニューディールは多大な成功とはならなかった。結局は世界戦争がアメリカ経済を救済したのである。今回においてもオバマ改革論に対して、巨大金融資本は協力の姿勢を示していない。彼らは自らの金融的危機救済のために国家資金の注入を求めただけなのである。
 こうした金融資本の時代において、諸産業の危機は、とりわけ「先進国」から進行してきた。イギリス、そしてアメリカが先頭である。これらの国は対処方針として、いわゆる新自由主義つまり低賃金構造を社会化することを率先した。言い換えれば、資本主義の歴史的発展は、労働者階級の貧困化の創出の歴史化に他ならない、という事実の顕在化である。
 「もうけ主義」「利潤主義」が資本主義の原理である。その時に発生するのは原価の低減とそれによる企業の(対外)競争力強化という原則である。資本主義的生産がグローバル化するほどに、低賃金労働への競争が強まる。
 われわれが現在直面しつつある歴史はこうしたことの、新たな歴史時代の確なはじまりである。こうした歴史時代においては、現在の趨勢がさらに進むことを前提とした場合、利潤を求める資本の動きは全世界的な低賃金労働者の充満ということを導き出す。そして、収奪の対象である労働者階級が全世界的に「生産物を仕入れる能力」を衰退させていけば、資本はまさにグローバルに行き先を失う。そのように歴史として行き詰まるのである。つまりは、人口の七〇%の貧困層を抱える「アメリカの世界化」である。これは資本主義の終わりのみならず、人類危機の創成ともなるであろう。
 前世紀の前半、「イギリスからアメリカへ」とされた動向の、その後のグローバルな巨大な拡大が、歴史的にはこうした行き先を導き出すだけである。世界経済総体において、これを座視することはもはや出来ない。
 ではどうすべきか。
 課題は極めて巨大であるし、また困難でもあろうが。

1、グローバリゼーションと世界ージョージ・ソロスの見解に即して

 アメリカのヘッジ・ファンドの親玉の一人であるジョージ・ソロスは前世紀の終期の経済危機から、資本主義総体の危機を直感し、そうなれば「もうけ場」を失うことを恐れるようになり、ヘッジ・ファンドが相当程度自由に行動できる場を保全する、「健全な資本主義」の維持を提唱するようになった、と私には思える。彼は最新の著作『ソロスの講義録』(講談社・六月一五日第1刷。徳川家広訳)で次のように述べている。

 「一九八〇年代に始まる金融市場のグローバル化は、イギリスとアメリカが先導する、市場原理主義にもとづいた世界改造計画でした。金融資本が自由に世界中を移動できることになったことで、金融資本に対して課税を行い、あるいはこれを規制することは困難になりました。この結果、金融資本は特権的な地位を占めるにいたります。各国政府が、自国民に希望よりも、国際金融資本の要求に対して真剣に耳を傾けるようになったのです、金融資本は、その国からすぐに逃げ出せますが、国民の大半には、そうした「逃げ足の早さ」がないからです。したがって、市場原理主義の観点に立てば、金融のグローバリゼーションは大成功でした。個々の国の政府は、グローバル化に抵抗しようもなかったのです。ところが、グローバル化の結果誕生したグローバルな金融市場は根本的に不安定でした。というのも、それは、「金融市場は自由放任の状態で十分に安全である」という誤った前提の上に組み立てられたものだったからです。リーマン・ショック以後、グローバル金融が崩壊したのもそのためです。そして、グローバル金融システムが再建不能なのも同じ理由によります。グローバルな市場は、グローバルな規制を必要とします。ところが、現在実行されているあらゆる規制は、どれも国家主権の原則に根差しています。……しかしながら、個々の国家では、凍結状態になった国際金融システムを再び動かし始めるには力不足まもです。今や、かつて存在したことのない規制メカニズムが必要となっています。……私がここで言いたいのは、もはや規制も国際的でなければならないと言うことです。規制の国際化なくしては、金融市場はグローバルなままでいられないでしょう。遠からず、各国の規制の間の落差を食い物にしようとする資金の動きによって国際金融システムははかいされるはずです。……グローバル化が成功したのは、すべての国が同時に規制緩和、規制撤廃に乗り出したからです、ところが、その逆の「規制の再導入」となると。利害を異にする世界各国が協調しながら行うことになり、大変に困難な作業となることは目に見えています。これは結局、実現不可能かもしれません、」
 
 「……このまま放っておけば、私たちにとって馴染み深い、グローバル資本主義に根差した国際金融システムは、どうやら解体されてしまいます。とはいえ、中国を中心とした二国間協定のネットワークは、いずれ国家間の紛争を引き起こしそうです。
 したがって、中国にとっても、アメリカにとっても、最も利益にかなっているのは、より健全な原理に根差した、多角的なシステムの再構築だということになります。もちろん、世界の残りの国々にとっても、それこそが望ましい展開です。
 国際経済の法的枠組みを段階的に改革していくことは、ほとんど不可能です。しかし、国際金融秩序の「総取り替え」を、一挙に、全員参加に近い形で「グランド・バーゲン(大取引)」として行うのであれば、可能性はなきにしもあらず、です。」
 「……そこで望まれるのが、「新ブレトン=ウッズ会議」を開催して、さまざまな問題を一挙に解決し、新しい国際経済システムを樹立することです。……そのほか、資本移動に関する新しい国際的な規則なども定められます。金融資本の国際間移動を完全に自由化したことで、かえって国際金融システムは不安定化してしまったわけで、自由化には一定の制約が必要であることが明らになりました。その貴重な経験を改革に盛り込むのです。 何より、国際通貨制度が改革されなければなりません。ドルを主たる国際通貨として使用したことは、危険極わまりない不均衡をもたらしてしまいました。ドルはもはやかつてのように信頼されてはいません。にもかかわらず、ドルに代わりうる通貨は他にはないというのが現状です。……アメリカは、IMFが発行する人工通貨SDRの使用範囲が広がるのを恐れるべきではありません。SDRは複数の通貨でその価値が表示されますから、特定の国の通貨が不公平な優位を享受することはなくなります。そうすれば、中国政府も人民元をドルに対して為替を固定化する政策を放棄するでしょう。それこそが、国際的な不均衡を解消する最良の方法なのです。」

 そして結論的に、「中国政府の指導層がオバマ大統領以上に、いっそう正しく未来を見据えなければなりません。……中国としては国際社会に受け入れられる存在となるためにも「開かれた社会」に近づく必要があります。世界で指導的な地位を占めるようになるとともに、中国政府は他の国々の意見に耳を傾けるという態度を、身につけなくてはならないでしょう。
 こうした変化は、中国の指導層が受け入れるには、あまりにも急激に起こっているかもしれません。中国の指導層は、自国が帝国主義の犠牲者であると考えるのに馴れ過ぎてしまっており、自国が今や、かつての帝国主義列強と変わりない位置を占めるまでになったということを自覚できないのです。だからこそ、アフリカ諸国や中国国内の少数民族とうまく関係を構築できないのでしょう。
 私は中国の指導層が、数々の課題にきちんと応えてくれることを切に願うものです。それが世界に運命を決すると言っても過言ではないのです。」

2、国際金融資本の自由化からの脱却の緊急性

 以上のソロスの指摘は、巨大化した国際金融資本の行動をなんらか「規制」する必要性を強調するものである。すなわち、「金融市場は自由放任の状態で十分に安全である」という論理が成り立たない、という視点から、新たな国際的金融・貿易システムのルール作りが求められているとする。こうした視点は、筆者には「当然」のことと思える。今や、個別国家は巨大な金融資本の自由な行動によって「振り回される」状態だからだ。
 
 ソロスがEUに関して述べていることを再度の引用箇所を含めて、ここに引用しよう。
 
 「規制の国際化なくしては、金融市場はグローバルなままではいられないでしょう。遠からず、各国の規制の間の落差を食い物にしようとする資金の動きによって国際金融システムは破壊されるはずです。たとえば、多くの企業が規制が最も企業よりの国に本拠を移すようになるでしょう。グローバル化が成功したのは、すべての国が同時に規制緩和、規制撤廃に乗り出したからです。ところがその逆の「規制の再導入」となると、利害を異にする世界各国が協調しながら行うことになり、大変に…困難な作業となることが目に見えています。これは結局、実現不可能かもしれません。」
 「この問題は、すでにヨーロッパでは発現しています。リーマン・ショック以後の危機」の中で、ヨーロッパ諸国は金融システムの保証を行う全ヨーロッパ的な枠組みについて、ついに合意が出来ませんでした。そして、各国の金融システムを、それぞれの政府が保証するという形を取ったのです。現状ではユーロは不完全な通貨です。ヨーロッパ中央銀行という単一の通貨当局はあるものの、ヨーロッパ全体で銀行の存続を保証し、資金を注入する、いわば「全ヨーロッパ財務省」は存在しないのです。リーマン・ショック以後の危機は国という枠を超えてヨーロッパの金融規制システムを改革する好機でしたが、これはドイツの反対で流産してしまいました。かつてドイツはヨーロッパ統合の原動力でしたが、それは西ドイツが東西ドイツ統一のためにいかなる代償も支払う覚悟ができていたからです。ところが、一度統一が実現されると、ドイツはがらりと変わってしまいます。今日のドイツを、かつての西ドイツと同じだと考えてはいけないのです。不況よりもインフレを恐れると言う点で、ドイツは世界的に珍しい存在となりつつありますし、何よりヨーロッパの他の国々の資金繰りの面倒を見たくないのです。結果的に経済を牽引するための機関車役をドイツが下りてしまったことで、ヨーロッパ経済は凍結状態になってしまっています。」

3、ソロスの結論は「新ブレトンウッズ会議」の開催

 ソロスはさらに言う。

 「国際社会は、グローバル資本主義と国家資本主義という、まったく対照的な二つの国際経済システムのどちらかを選ばなくてはならないところまで来ています。このうちグローバル資本主義はアメリカが代表選手ということになりますが、昨今の経済危機で崩壊寸前の状態にあります。いっぽうの国家資本主義は中国が代表ですが、こちらは上昇過程にあると見てよいでしょう。このまま放っておけば、私たちにとって馴染み深い、グローバル資本主義に根差した国際金融システムは、どうやら解体されてしまいそうです。とはいえ、中国を中心とした二国間協定のネットワークは、いずれ国家間の紛争を引き起こしそうです。
 したがって、中国にとっても、アメリカにとっても、最も利益にかなっているのは、より健全な原理に根差した、多角的なシステムの再構築だということになります。…国際経済システムの法的枠組みを段階的に改革していくことは、ほとんど不可能です。しかし、国際金融秩序の「総取り替え」を、一挙に、全員参加に近い形で「グランド・バーゲン(大取引)」として行うのであれば、可能性はなきにしもあらず、です。国際経済問題を議論する舞台としてのG20が最も重要になったこと、そして各国がお互いの改革と政策を監視し、評価するという合意がピッツバーグ・サミットで成立したことは、それぞれ正しい方向に向かっての第一歩だと思います。しかし、G20もまた、IMF憲章の枠組み中で物事を決めていかなくてはなりません。そしてIMF憲章を改正するのは、とんでもなく面倒くさい作業です。」
 「そこで望まれるのが、「新ブレトンウッズ会議」を開催して、さまざまな問題を一挙に解決し、新しい国際経済システムを樹立することです。」
 「IMF憲章を現在の国際経済における力関係をより反映したものに改革し、援助機関としてのIMF業務の方式も大胆に変えるのです。」
 「アメリカは、今の国際秩序の主たる受益者です。そのようなアメリカが、なにゆえ現行の国際秩序を改革したいと思うのか、……その問いに対する答えは単純明快です。現状のままの国際経済システムは存続しえません。そして、現状の国際システムが崩壊すれば、最大の損失をこうむるのは必然的にアメリカです。アメリカとしては、国際秩序の改革を先導する以外に選択の余地がないというのが実態なのです。」

 「それでは、新しい多角的な仕組みを中国が受け入れる理由はなんでしうか?
 
 現在の経済危機から勝者として浮上するとわかっているのれば、中国こそ、自国中心主義を続ければよさそうなものではないでしょうか?実はこの問いに対する答えも単純明快です。中国としては、今後も成長し続け、国力を強化し続けるために、国際社会にとって今よりも受け入れやすい存在になる必要があるのです。そのためには、中国は今よりも個人の自由と法治主義の強化された「開かれた社会」を目指すべきです。現在の世界の軍事バランスから考えて、中国は他の国々が中国の更なる台頭を許す「平和的な環境」においてのみ、台頭を続けられるというわけです。」
 
 ソロスの叙述をさらに再度引用しよう。
 
 「中国の指導層は、自国が帝国主義の犠牲者であると考えることに馴れ過ぎていまっており、自国が今や帝国主義列強と変わりない位置を占めるまでになったということを自覚できないのです。だからこそ、アフリカ諸国や中国内の少数民族とうまく関係を構築できないのでしょう。私は中国の指導層が、数々の課題にきちんと応えてくれることを切に願うものです。それが世界の運命を決すると言っても過言ではないのです。」
 
 以上がソロスの現在的な結論である。極めて多くの示唆に富んだ論理展開であると私は思う。このレベルで語る「学者・専門家」は極めて数少ないであろう。そして、最後の中国に関する発言は、現在問題となった「釣魚台」諸事件を考慮する場合に、これもまた「極めて示唆的」であろう。

4、「グランド・バーゲン」の基軸・主体は何か?

 ソロスの発言を再録しよう。

 「国際経済の法的枠組みを段階的に改革していくことは、ほとんど不可能です。しかし、国際金融秩序の「総取り替え」を、一挙に、全員参加に近い形で「グランド・バーゲン(大取引)」として行うのであれば、可能性はなきにしもあらず、です。」

 その上で、ソロスはアメリカに関して「いっぽう、オバマ大統領の経済面でのアドバイザーたちは、未だに効率的市場仮説が正しく、この仮説が間違うとしても百年に一度くらいのことだと信じています。また危機を乗り切ったとされるアメリカの金融機関は競争力がいつになく強く、その力を削減しようとする金融制度改革には徹底的に抵抗するでしょう。その上、「経済システムは毀損しており、根底的な作り変えが必要だ」と言う事実は、アメリカで特に一般的に受け入れられているわけではありません。」
 「中国政府の指導層はオバマ大統領以上に、いっそう正しく未来を見据えなくてはなりません。今や世界経済の運転席に就いているのは中国なのです。現在、個人の自由を犠牲にしてでも政治的安定と経済発展を続けるという中国政府の方針はある程度は国民に支持されていますが、それがいつまでも続くという保証もありません。中国では腐敗が大問題となっています。法治主義が確立され、国民が政府を批判できるようになり、政府による権力の悪用が防止されるようになることが必要なのです。中国がそうして「開かれた社会」に近づいていくとすれば、中国の指導層は、現在享受している特権の一部を放棄しなければならなくなります。「きちんと未来を見据える」というのは、まさにそういう意味なのです。」
 
 読後感として、わたしはソロスの一連の提起には多くの所で賛同したい気分である。
 ただそれは、「一定の枠組みの中」での話だ。
 
 ソロスは「グランド・バーゲン」がどのようなものか、推測も示してはいない。またそのための「主体」の提起もない。アメリカと中国の協力を暗示しているだけだ。「グランド・バーゲン」に対するソロスのイメージは、いわばオバマ大統領が持ち出した新ニュー・ディールの延長、拡大を提起した以上ではなく、さらには「健全な資本主義」論の内容も明示されているわけではない。かつてのブレトンウッズがケインズを表面に立てて利用したアメリカのローズベルト体制の行ったことであるから、現在のオバマを支持するのであろうが、しかし同時にそうしたことは「困難かもしれない」、と述べてもいるのである。
 ソロスはまた基本的に、「効率的市場仮説」は危険だ、と主張している。紹介は省いたが、アメリカに制度的に横行するロビー政治を代表とする「横やり、ねじ曲げ、介入」が、市場が自然に最良の結果を招くという市場依存を解体している、と述べてもいる。
 だが考えて見よう。初期資本主義の一〇年周期のサイクルはまさに「自由資本市場」の結果であり、資本主義はそうした構造の中で拡大し、繁栄もしてきた。一〇年サイクルの「ブームと恐慌」の間で、資本主義が再興するには労働者の極度の疲弊を前提としていた。そうしたことが「良質な市場論理」の真実であったのだ。
 
 ところでソロスは、ハンガリー生まれで、ナチスとソ連の両方の圧迫を受け、それ故に「開かれた社会」の信奉者なのだそうだ。その「開かれた社会」論は私も支持するが、だがしかし、資本主義という搾取と収奪、あるいは全世界に賃金労働者社会を形成したとしても、その次の段階、その先の「歴史展望は不在である」という事実には、それだけでは近寄ることは不可能である。そしてさらにソロスは、グランド・バーゲンの内容に触れることは未だ出来てはいないし、唯一、中国の「健全な、開かれた資本主義社会への進展」に期待している(ということは言葉にはしていないが)、ということに終わっているだけなのである。

5、必要なことはグローバリゼーション時代の過渡的要求

 全世界的に「左派が居なくなっている」時代である。20世紀ソ連型社会主義の崩壊は、社会民主主義を含めた「社会主義」を押し流してしまったようにも見える。ソロスが中心対象とした中国も、もはやマルクスやレーニンとは無関係な国家主義となってしまった(ようである)。中国は地理的にも経済的にも「強大さ」を目指す以外ではないようにも見える。毛沢東が一連の「理論的揺れ」を終わらせて「中国は一つの国」とレーニン流の連邦制を否定したことは、ケ小平にも基本的に引き継がれ、そしてその後継者たちはもはや「強大な中国」以外には何も考慮はしていないようにも見える。その事態の上で、「国家型資本主義」とソロスは中国を示唆している。
 そうした「左派の崩壊」において、資本主義はG8からG20へと枠組みを拡大し、潜在的な「敵」を自陣営に引き込む動きへと移行した。東西対立をなくし、そして南北対立もなくする―グローバル化された資本主義。
 だが、ここで進行しているのは再度言うが、「先進資本主義国家」の衰退、である。資本のグローバル化は労働賃金の世界的引き下げ、労働時間の無制限化延長へとつながる。以前にも述べたことだが、日本財界は90年代に賃金引き下げ(アジア最低水準への、を含む)を開始し、そして現在の菅内閣も当時の財界主流や自民党とほとんど変わらない経済的視点にある。「雇用のために法人税を下げる」などの論理は、まさに新自由主義の論理への屈服であるが、企業論理的深層から見れば当然であると同時に第二義的求めともいえるだろう。財界は現在再び「派遣労働の維持・拡大」を言い出している。決定的な本音は、低賃金労働の拡大・深化である。
 つまりは要するに、資本は流出し、労働賃金は悪化する―レーガンとサッチャーが行ったことがますます世界的に拡大するのだ。アメリカは輸出主義に舵を切り、ヨーロッパと日本は停滞局面に入った。その再建には、低賃金輸出国家主義の回復が必要なのだ。ああ。
 
 では中国はどうか―あと一〇年程度とも言われている。中国の次を狙う国々が充満している。巨大人口を保持するインドネシアなどが、中国・インドの次を目指しているのだ。

 巨大資本の自由な横行に世界の将来を完全に委ねる、というやり方をいかに打破するのか。
 細論の準備は今の私にはないが少なくとも、ケインズ主義者であった今は亡き森嶋通夫大阪大学名誉教授が唱えた、東アジア共同開発から共同体への道筋(中国を六つ、日本を三つ、などに分割し、小国沖縄の那覇を首都としつつ、その他のそれぞれの国家間の均等性を追求するなど、超過激なものである)、渡り鳥企業への完全な統制、東アジア共通通貨(AU)などの考え方などが検討されるべきだし、ソロスが言うところの「ドル体制からの世界的脱却」のための世界的機構など、国際的なアメリカ主導、あるいはアメリカ・中国主導型の展望と対抗する考え方、展望が21世紀の「主義」として追求されなければならないであろう。(森嶋教授の著作は『岩波』から多数出ていたが、現在はほぼ絶版である。参照のためには、図書館、古書店を当たるしかない)。
 レーニンは社会民主主義という用語が汚れたとしてコミュニズム・共産主義という用語を採用した。21世紀の今日、コミュニズムも汚染されてしまったようだ。だが新語は見つからない。そこでの「反資本主義」。
 反資本主義のインターナショナリズムは、グローバル社会への過渡的要求を生み出さなければならない。「トービン税」はそうした枠組みの具体的な最初の提起だ。
 あるいは、「最大限綱領」そのものの再構築も必要であろうとも思われる。
 その意味で、われわれは、再度の綱領次元での努力が歴史的に求められている、ということを前提に、「反資本主義左翼綱領」のための闘いを開始するべきである。労働者階級の世界的な「グランド・バーゲン」―新しいインターナショナルがそれを担うために目指されなければならない。
(九月二十四日)
 



    ホームへ戻る トピックスへ戻る