「インターナショナル・ビューポイント」8・9月号から
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―ポーランド―
なかったに等しい選挙

  コンラッド・マルコウスキー

 低投票率という理由がなければ、自由主義者と急進右翼のどちらもが、EU議会選挙で彼らが得たような好成績は望むべくもなかっただろう。彼らの勝利はポーランドの社会的危機の深さをただ反映しているに過ぎない。

「勝利」した右派野党と敗北した左派与党

 権力を行使する準備ができているポーランドにおける主要な新自由主義政党、「市民政綱」(PO)の得票率は二四.一%だった。これは、棄権率を考慮した場合全有権者の僅か六%に当たるに過ぎない。
 前回総選挙で右派が敗北した後に政治の舞台から追い払われたポーランド自由主義派の伝統的政党、「自由連合」(UW)が得票率七%の下で、EU議会に席を占めることを可能にした理由もまた低投票率だった。
 反EU急進右翼のカトリック原理主義組織、「ポーランド家族同盟」(LPR)が得た高得票率―一五.九%―は、一般にはこの選挙に関する驚きと見られている。しかし仔細に検討してみれば、LPRが獲得した票は二〇〇一年の上下両院選挙と比べて五万票少ない、ということが分かる。この好成績は、二つの現象―高棄権率及び政治情勢に拘りなく投票に出掛ける訓練された選挙母体―のおかげだ。カトリック原理主義のラジオ局、「ラジオ・マリア」はこの選挙母体のつなぎ目として機能している。
 権威主義右翼の「法と秩序」(PIS)の得票率は一二%だった。PISのワルシャワ市長が市内での「ゲイの誇り」という催しを禁止したことを思い起こそう。PISの主な要求は今も死刑の再導入だ。
 民主的左翼連合(SLD)と労働者連合(UP)からなる連立政府与党の得票率は九.三%だった。いくつかの世論調査が彼らの得票率は五%という敷居に達しないかもしれないと予測していたのであれば、先の結果は成功と見られた。昔の共産主義者は、彼らに再び機会を与える決定をした忠実な選挙母体に依拠することができた。この連立の中でUPは、世界的公正のための運動あるいは労働組合の要求により開かれた、一つの「社会民主主義左派」という役割を演じている。しかしこの党は、独立した活動を行う能力のない、SLDの単なる配下でしかない(現在のUPの最も有名な政治家はアダム・ギエレクであり、一九七〇―一九八〇年の時期君臨した国家政党第一書記の息子だ。そして彼はシレジアにおいて、与党の「選挙機関車」の役割を果たした)。
 ポーランド社会民主党(SdPL)の好結果―五.三%、これはこの党に三つのEU議会議席を与えた―は驚きだった。この党はSLDとUPの元メンバーが作った、ポーランドにおける何と三つ目の社会民主党だ。しかしそこには何の政治綱領もなく、レツェク・ミレルが率いる政府の姿勢と質に対する共同責任が忘れ去られることへの期待と、政治の舞台にとどまり続けようとの意志でだけ結び付いている。急進左翼との結び付きがあった地下連帯労組の元指導者、ヨセフ・ピニオールは、この党から選出されたEU議員の一人だ。

真に敗北したもの

 もう一つの驚きは、左右の間をジグザグしているポピュリスト勢力、「自衛」の得票の低さだった。この党の得票率は一〇.七%に過ぎなかった。社会に関する言いまわしを進歩させつつもこの党は、その候補者名簿の順位を地方の企業家に売り渡した(例えばシレジアの名簿のトップにいた人物は、安売り航空会社の所有者だった)。
 SLD―UPとSdPLの左に位置を占めようとした政党はどれ一つとして驚きをもたらさなかった。「八〇年八月」労組が作り出した左翼ポピュリストのポーランド労働党(PPP)は、〇.五%しか得票しなかった。民主的左翼党(SLDから分裂した)は一つの選挙区に候補者を立てただけであり、全国得票率は〇.九%だった。反教会政党の「理性」は二つの選挙区に立候補し、一方「グリーン二〇〇四」は三つの選挙区で闘った。しかしこれらの全国得票率は、各々〇.三%と〇.二%だった。ピオット・イコノウィッツ(ポーランド社会党元議員)の「新しい左翼」と短命だった「反資本主義左翼連合」が何ヶ月も前に告げた名簿は全く実現しなかった。
 この選挙は結局、政府(元共産主義者の社会民主主義者)と自由主義者が主導した親EUキャンペーンの敗北を、ただ強調するだけに終わった。付加価値税と物価の上昇さらに倍化する官僚的規制がかき立てる反EUの態度は、中産階級を含んで益々常のものとなっている。そしてまたこの選挙は、大政党ですらもが彼等の伝統的基盤を結集できなかったのだから、ポーランド政治システム全体の敗北を示している。全戦線で右派の要求に屈服してきたSLDの諸政策―労働基準に対する攻撃、貧困者の手当ての切り下げ、イラクの戦争への参加、妊娠中絶に関する教会への屈服―は、元共産主義者による社会民主主義の崩壊に行き着いた。しかし分裂は思想の次元にあるのではなく、責任からどう逃げるのかという問題をめぐるものだ。弱体でバラバラな急進左翼は、このように放棄された空間を占めることが、結局できてこなかった。
 ポーランドの急進左翼は、労働者に働きかける能力があることを示す、という試練に直面している。そしてこの労働者達は、他の階層よりも高い比率でこの選挙をボイコットした。何故ならば、ワルシャワとブリュッセルの議席のための競争が通過すべき何物かであったとしても、それでも階級闘争は変わらず続くからだ。
(「インターナショナル・ビューポイント」八・九月号)
注.筆者は、ジャーナリストであり、左翼月刊誌、「ノーヴィ・ロボトニク」(「新しい労働者」)編集者。


―イタリア―
労働組合運動を巡る論争


 三つの労組ナショナルセンター、CGIL、CISL、UIL、の政策についての分析のいくつかの要素をここに示すことは有用だと思われる。長期の分裂を経て今我々は、一定の友好回復を目にしつつある。この分裂の時期、中道右派政府に対してCGILは、明確な反対姿勢を明らかにしてきた(このことがなければ、FIOMを唯一の例外として、反対姿勢は単組によって新たな方向に移し変えられ得た)。しかしその一方他の二つのナショナルセンターは、使用者団体と別々の協定を締結し、ベルルスコーニ政府との協議に踏み込んできた。

新たな情勢

 今ナショナルセンターの目的は、使用者との協議と協定を再始動させることだ。彼らは、コンフインダストリア(イタリアの使用者団体)の新たな転換があるためにこれが可能だ、と考えている。コンフインダストリアはその会長に、フェラーリの、そして今や同時にフィアットのトップである、コルデロ・デ・モンテゼモーロを選出した。これは、小・中規模企業の優位を特徴とした前期を逆転し、使用者団体の頂点に大規模企業の代表を復帰させるものだった。
 コンフインダストリアは、既にベルルスコーニに距離を置き、イタリア工業の崩壊に導きつつあるそのシステムの恐るべき低落に懸念を深め、研究が既に放棄されてしまっていることに気づき、労働に関わるコスト切り下げがそれだけで市場の競争力を高めるわけではないことを知り、そして労働組合との新しい関係を築き上げることを願っている。しかしながらその会員は、中道右派政府が通過させた法律を含む、過去一〇年に彼らが得たものをさらに拡張したいと思っている。
 こうしてこの条件は、労働組合の戦略について討論を始めるための機会とされた。偶然に、メルフィ工場(フィアット―訳注)の勝利と同時期には、FIOMの諸闘争と交通と公共部門の決起があった。

反ベルルスコーニ統一戦線

 しかしナショナルセンターは、敵対者、右翼政府の反動的計画、そして使用者の攻撃を打ち破ることのできる、内容的に一体性のある全体的回答を追求しているわけではない。なるほど経済危機は敵を弱体化した。しかしそれは、労働力を搾り取るようさらにもっと彼らを押しやってもいる。
 この観点から見れば、ゼネストのための綱領が極めて重要だった。それは租税政策を通した、支援の新しい形態を彼らもまた探していた使用者との共同した協定をおそらくは手段とした、部分的な所得再配分の要求を狙いとしていた。他方でFIOMの発想は、使用者との衝突を通したより根源的な国民所得再配分、使用者の利潤水準に打撃を与える大幅賃上げ要求を追求していた。
 他方、ナショナルセンター間の新たな統一とコンフインダストリアとの刷新された協議は、ただ単に一つの目標のためばかりではなかった。彼らの観点からすればそれは、ベルルスコーニ政府に対する彼らの仮説的な代替物の中で、中道左派の主要勢力を作るための基本的な手段という必要物でもある。
 彼らの言うところによれば、人は一つの政綱と一階級の決起を手段に右翼と闘うのではなく、右翼から離れつつある使用者勢力と労働組合機構と中道左派との連携を手段として闘う、ということだ。当然ながらまさにこのことは、運動の駆動力が統制の下におかれ、下からの圧力はそれが持つ全ての潜在力と共に姿を見せない、ということを前提にしている。これは同時に以下のことをも意味する。即ち、CGILの指導者達がこれまで彼らの組織内部の左翼によって、FIOMによる諸決起を支援するよう例え強制されてきたのだとしても、FIOMの発想は今後広がってはならない、ということだ。

左派の挑戦

 この全体的布陣の中で、FIOM大会は大きな意味を帯びる。この単組は現在、これまで特に大企業において生じてきた職場の相当な縮小にもかかわらず、三六七、〇〇〇人の組合員(この産業部門―金属・訳注―の一五〇万人をちょっと超える従業員数の内)を持つイタリアでは最大の産別組合だ。FIOMは、数企業の組合選挙において成長を遂げてきた。
 大会では労働組合の役割について、二つの根本的に異なる政治的選択肢が提出された。
―一方には、ネンシニ文書があった。この文書はこれまで組合が手がけてきたことを放棄してはいないものの、CGILの方向との「首尾一貫性」という形でより穏健な線を、さらにこうして政治的な面で中道左派との別な関係を、復活させることを目的としている。
―他方には、組合内左派と結び付いている伝統ある指導グループの文書がある。そしてこの左派は、労働者階級の再編とその統一が核心(他の思惑に左右されない、不可欠の変数としての)として背景にあるべきだ、とみなしている。そしてこの文書は、労働者階級により有利な所得の国民的配分変更、及び労働者の参加並びに綱領と闘争の構築に対する基本的な道具として、民主主義を提起している。要求の中身、他の労働組合との統一形態、そして政治的展望はこの基軸から引き出されている。従って、いかなる政府であれそれに対する評価はその政府の行為が判断基準となり、FIOMの選択は完全に自律的になされるだろう。
 この方向が結論まで発展させられるならば、それが示唆することは単に協議の終結というばかりではない。それはまた、一九七八年にローマで行われた全体網羅の「全員出席」会議で編み出された政策を、疑問に付すことをも意味する。まさにこの時、企業の要求、つまり利潤の要求に賃金が従うべきことが決定されたのだ。その結果起きたこと、即ち下方への競争の加速、賃金のスライディングスケール廃止についての一九九二年の協定、さらに協議についての一九九三年の協定、これらを今我々は知っている。
 FIOM大会の成功は二つの面で評価され得る。一つは下部組合員大衆の参加であり、およそ二二万人の労働者が討論に加わった。もう一つは左派文書の成功であり、この文書は八五%近くの支持票を得た。この成功はさらに、メルフィとフィンカンティエリの労働者が勝ち取った成功によっても、その真価を確かめることができる。
 不安定労働に反対し、賃金配分上昇を回復する全国協定を防衛し、刷新することにFIOMが成功するならば、CGIL内内部論争の動きに一つの刺激を与えることがより容易になるだろう。我々は今、労働組合再編と新たな労働者運動の再構築という進路において、最初の一歩を踏み出しつつある。
(「インターナショナル・ビューポイント」八・九月号)
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