情勢(時代認識)と方向性に関する視点メモ                      
                      川端康夫                                         


*われわれが直面している主体的状況は、歴史的に言って極めて困難、かつ断絶的飛躍を求められる時期である。二〇世紀社会主義の基本的解体は、一方では「社会主義」的存在性の否定、他方では社会主義への具体的方向性の欠如の二点を中心に多面にわたっている。言葉を変えれば、一一〇年前に提起されたベルンシュタイン主義に対する多くの反対(レーニンからカウツキーまでの幅)が結局のところ行き詰まった、ということなのである。カウツキー主義はとうの昔に姿を消し、そしていまやレーニン主義も、多くの「残骸」を残しつつも、前進の牽引力とはならなくなっている。
 「哲学」的に言えば、レーニン主義は強烈な組織結集力を持つ「労働者原理主義」であったし、同時にマルクスの社会展開論理の国民国家的枠内での理解の内にあった。「経済学批判」序言の展開、すなわち「変革への条件」としての、「一つの社会構成は、それが生産諸力にとって十分の余地を持ち、この生産力がすべて発展しきるまでは、決して没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の体内で孵化されてしまうまでは、けっして古いものにとって代わることはない」という規定は、グラムシがロシア革命を「資本論に反する革命」と呼んだように、きわめて一国的枠組みでの垂直的な歴史推移として理解され、レーニン自身にとっても解決の難しい「最大の悩み」でもあり、その結果、「労農民主独裁」という訳の分からない規定を横行させた。

*資本主義は最初から国際主義的なものであった。その前段階の重商主義はもちろんそれ以前においても、「一国」だけの経済構造は、あったとしても例外的なものだった。たとえば日本の平安、鎌倉、室町そして江戸鎖国時代。その例外さは、島国家であると同時に他から距離的に離れていることによってもたらされた。だがそれでも近世の国際的流れに呑み込まれざるを得なかった。歴史的に見て、「一国的垂直的」な枠組み内部での政治的流れの変化、転換は「おそらく」存在してこなかった。ローマとカルタゴ、倭と新羅を見るまでもなく。
 イギリスからアメリカへの転換は二〇世紀の後半を規定した。変化は水平的に起こることが多いのである。衰退する体制は民衆に力そのものの衰退をもたらすことが極めて多いということだろう。

*アメリカは第二次大戦後、ブレトンウッズ体制を築き、資本主義世界を制御しようとした。ドルは金を背景として中心通貨へと上昇した。だがそれが持続したのは僅かに二〇年ちょっとだった。
 ニクソンが民主党のニューディール以来の通貨管理体制を放棄し(アメリカが維持できなくなったからだ)、国際的に通貨市場の全面自由化へと移行した。それぞれの諸国は管理通貨体制(固定相場)から変動制(市場依存)へと移行し、まさに各国通貨は巨大な資本の介入を全面的に受け入れる体制へと変化した。ヘッジ・ファンドとはヘッジ(端っこ、きわどい)なファンドいう意味であるが、自己資金の数十倍もの投機資金を動員するものだ。これらが世界を自由に動くことに対して、ブレトンウッズ体制の名目的残骸であるIMF、世界銀行などは本質において対応してはいない。そうした資金は収奪・搾取の全面的な拡大から引き出されているものだ。これらの動きは当然にも金融市場を対象にした売り買いの相場ゲームであるから、投資家たちの間での勝ち負けはある。だが、その「市場」の前提は、各国通貨を取引する体制であり、国際的な株式の売買相場である。
 一九九〇年代でのアジア・タイから始まる世界的通貨危機があったが、なんら構造が改められることなくこんにち、それが今ユーロ体制を脅かす危機として再登場している。

*以下のグラフを見てほしい。日本の高度成長とその終了のグラフである。



 耐久消費財の普及が急激な経済成長を生み出したことが明らかに出ている。これが現在のBRICS・ブリックス(ブラジル、ロシア、インド、中国)などの「途上国」の高成長と重なることがイメージできる。国際資本は完全な自由の下に移動するから、低賃金労働力の優良市場が確保出来るのであれば、資本は移動する。アメリカはすでに世界的に貧困層を巨大に抱え込む国となっているが、現在はユーロが圧力をもろに受けている。日本においても、相当の大きな企業が中国資本に買い取られ始めている。このような資本移動の圧力はユーロや日本においてもアメリカに続く貧困層の増大を提起している。歴代の自民党政府はこうした資本の動きを押しとどめることは一切しなかった。ユーロにおいては旧東欧への移動が激しいが、フランスの大統領はルノーのポーランドへの全面移籍を拒否した(法的根拠があるのかどうか、たぶんないのではなかろうか。政治行為であろう?)。
 このグラフが示すことは、現在のブリックスの成長もそれほど長くは続かないだろう、ということだ。中国の成長はあとほぼ一〇年ということも語られている。

*各国労働運動の行方にも大きな影響が現れている。ユーロ主要国の労働運動は資本移動攻勢によって弱体化した。ドイツが典型である。だが、こうした動きは同時に、「国民国家経済・社会」の趨勢的没落を招く。「国民国家」あるいは国民大衆は事実上放棄されてしまうのである。ギリシャを代表とするPIGS(ポルトガル、アイルランド、ギリシア、スペイン)の危機がユーロ解体へと向かわないという根拠は見あたらないのだ。
 資本主義のグローバリゼーションは歴史的趨勢である。同時に、その高揚や衰退も同じである。それは地域的に資本がその力を拡大しつつ、低賃金構造を求めるという「渡り鳥」本能のもとに移動する。それゆえ、資本が移動した後の「先進国」では資産を求める激しい競争が不可逆的に進行し、そこには膨大な新たに貧困層が形成されてくる。アメリカ化である。それはイギリスに広がり、そして今やヨーロッパを呑み込み始めた。ほぼ一五年前、日本財界は労働力の三分割を提唱し、底辺部分のアジア最低水準までの賃金切り下げをも構想したのだった。レーガン・サッチャー現象である。

* ギリシャ的状況は、こうした経済趨勢における民衆的抵抗拡大の方向性を示している。だが同時に強調すべきは、資本主義は、三〇年代初頭にスターリンが提唱したような「歴史的没落期」に「自動的」に入ることはない、ということである。労働者民衆からの搾取と収奪が「保証」されるのであれば、個々の資本は別として資本主義本体は回復し存続するのであり、彼らは過去二〇〇年以上も、そうしてきた。一九世紀の半ばでは「10年ごとの恐慌」だった。だからこそ「経営救済の民衆収奪」への反対の声が正当なのである。資本主義は民衆収奪によって生き延びる。現段階を「資本主義没落期」と安易に称することは結果的な誤りをもたらすだろう。
 個別資本あるいは個別資本主義国家の衰退、没落は話が別である。「日本はなぜ没落するか」(岩波書店)を書いたケインズ学者の森嶋通夫氏は九〇年代半ば、東アジア共同体という展望、イノベーションを提起した。しかも、その共同体が社会主義主体であるならば、それも受け入れるべきだと提起もした。この主張に反応はほとんどなかったと彼はその後の著書で書いているが、それは当然であったろう。理由はいくつも考えられる。最大には九〇年代は社会主義像が広範囲に解体してしまったことによる。そして第二には国際的協同、結合が、第東アジア侵略を行った旧日本帝国主義の過去の行為を想起させてしまいがちであること、そして第三に協同:結合の対象の最大部分が「社会主義」国家であること、などである。思考の一国主義的視点が枠づけられているが、それ故、マルクス主義経済学からは何もほぼ出てはこなかった。根拠のあいまいな福祉国家論などが出されている以外は沈黙である。思考的な「垂直型」の典型が示されているのである。

*しかし二一世紀に入って、東アジア共同体という問題意識は急速に拡大し始めた。小沢の国連中心主義や米軍基地問題などのさまざまな言動が呼び水となり、鳩山民主党党首がそれを大声で述べた。民主党のイノベーションと言わんばかりであった。反動化しているマスメディアの中でも、寺島氏の解説がそれに近い立場を印象づけた。森嶋氏が存命であるならば、大声で再度の呼びかけを行ったであろう。
 結論的に言えば、森嶋氏はアジア開発共同体からの出発とする。政治統合の土台をそこで作ろうというのである。私はこの建て方に基本的に賛同する。
 だが鳩山は沖縄基地問題でこうしたイノベーションのすべてを放棄した。日米同盟論の自民党と対抗するという(小沢)タイプの民主党の「終わり」である。日米関係が基軸であるという立場は日本経済の将来展望を切り開かない。もし切り開くものがあるとすれば、それはすでに一五年前に言われた日本労働者賃金のアジア最低水準への低下の強行という方式である。これもまた自民党の立場である。
 菅内閣の登場によって民主党への支持率はそれなりに回復した。反小沢、反金権という打ち出しは、それなりに支持を受けたのだ。だが、それと同時に菅は鳩山が最後に行った普天間基地の辺野古移設という日米合意を実施することをオバマとの電話会談で確認した。沖縄名護市への基地移設を推進した外務大臣岡田や防衛大臣北沢は留任である。東アジア共同体への展望はおそらく言葉だけにおわるだろう。

*ニクソン・ショックから四〇年。資本のグローバルな自由横行の限界がはっきりしてきた。世界資本主義はいかなる対応を行うであろうか。国際的な自由資本横行への規制という方式はもはや避けられないという対応が準備されているとは思えない。とすれば、輸出入貿易への何らかの介入や階級間の抗争の激化という見通しに備えるということしかない。ギリシャ型、あるいはタイ型はPIGS全体へ拡大し、それはさらに広範に拡大することとなろう。BRICS諸国は現在の貿易輸出型構造を維持するように努めるであろうし、その際は輸入大国アメリカの存在を無視は出来ない。それは日本経済が永らく依存してきた枠組みを見れば容易に理解できる。鳩山内閣は、その語る「東アジア共同体」論とは正反対のアメリカ依存主義から一歩も出ることがなかったのだ。
 しかし再度言うが、そうした時期は長くは続かないし、安定的でもない。国際資本の「渡り鳥」性は無限的である。さらなる低賃金の新たな地域、諸国の登場があれば、資本は即座に移動を開始するであろう。
 低価格賃金構造に依拠した輸出型経済からの脱却は構造的に相当に困難である。だがしかし、低価格での輸出競争が相互に足を引き合うような東アジア経済からの脱却こそが目的化されなければならないのだ。すなわち東アジアでの経済建設、開発を協同で進め、同時にそのための資金を自らが協同で作り出さなければならないのである。安易で手軽な外資導入(多くがヘッジ・ファンドであろう)に依存した国々ほど、手痛い打撃を受けてきた。ヘッジ・ファンド資金の自由で無税での横行を許してきたこの四〇年に終わりを告げなければならない時代なのである。それへの動きの一つとして、トービン税方式の日本における大がかりな提唱運動を起こすことも必要だろう。そうした動きを主体的に担う政治勢力の形成、それにつながる諸契機の結合、これが今後の課題の中心的なものだろう。

*民主党の菅内閣を許すわけにはいかない。来るべき参議院選挙において、労働者民衆は政権政党の中核である民主党に投票することは許されることではない。社会民主党、日本共産党に投票しなければならない。。

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