尖閣列島と東アジア―九月末                      
                      川端康夫                                         

 尖閣列島と東アジア―九月末、

十月はじめの『読売』の社説に関連して

  このテーマは本来は膨大であろう。出来るだけ切り縮めたつもりでも少々長くなりました。敢えて取り上げたのは、「21世紀の左翼」のための新たな色彩が浮かび上がり始めるかもしれないという私の感覚が、かすかにではあるが揺り動かされたからである。少々のおつきあいをお願いしたいし、私もさほどの知識を誇れるほどではないので、多くの批判や事実訂正、反論などが生じることも期待したい。


  (1)

 「中国が領土や海洋権益の拡張に向け強硬一辺倒の姿勢に走り、アジアの平和と安定が損なわれる事態を避けるには、日米同盟をより揺るぎないものに再構築することが肝要だ。
 菅首相とオバマ米大統領が会談し、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件に関連して、日米両国が中国の動向を注視し、緊密に連携することで合意した。日米同盟が日米とアジアに加え世界の平和と安定の礎との考えでも一致した。」(日米首脳会談 重要性が増す同盟の再構築)(9月25日付・読売社説)
 この社説をどう見るか。ここでは「日米同盟」が通常語になってしまっている。六〇年安保時には考えられないことだ。

  (2)  

 この間、日中の間の大問題となった尖閣列島・魚釣島に関しては、マスメディアや諸政党はすべてがこうした主張に同調しているように見える。早速、右派を代表する形で石原都知事が中国とは付き合うな、的発言を繰り返し、政権党内部でも前幹事長の枝野も同様の発言を行った。民主党内ではさらに、「検察主導」の形での船長保釈に関して、政府責任として糾弾する動きもある。結局の所、日本の大動向は「尖閣列島は日本固有の領土であり、必要あれば防衛行動も辞さない」的な見解が形成されているようである。
 そこでは保守系野党がそうであるだけでなく日本共産党も同じ立場に立っているようにも見えるのである。まさに驚きだ。しかも沖縄県や出身の国会議員も全部が同じような立場だ。
 これは極めて大きな問題と連なっている。米軍と自衛隊の合同演習が列島防衛を目的に行われるということも報じられている。日米「同盟論者」たちが大声を上げる状況である。
 だが他方、そういう傾向の民主党内の代表者と見られてきた前原は、新外務大臣として、枝野発言をたしなめつつ、日中「ウイン・ウイン」論を、仙谷に続いて打ち出すという、ある意味ではまったく意外な、穏健な解決策を追求する姿勢(本日、九月三日現在)ともなっている。首相の菅の施政方針演説では何も目立つべきものが出されていないが、これは政治的中身が空虚な菅だから驚くこともないけれども、官房長官の仙谷の積極的動きが船長「保釈」の背後にあると言われる中で、前原が事件当時アメリカにおり、そこでオバマ政権から日中抗争の激化へ「歯止め」をかけられたことがあると言われてもいる。そうした事情が、意図的に「ウイン・ウイン」論への乗りかかりとなったとも見える。
 なにしろアメリカ・オバマ政権が日中間抗争に巻き込まれることを回避したいという意向をちらつかせ、また中国政府によるレア・メタルの事実上の輸出禁止や藤田社員の拘束など、緊張関係がもたらす諸問題の大きさを日本政府としても認識せざるをえなくこともあったのだろう。
 
  (3)

 この一連の問題の基本的原因は日本側にある、と言うのが私の見解である。すなわち、日中国交回復時における、周恩来、その後のケ小平という中国首脳は、首相田中や公明党竹入などにたいして、釣魚島(尖閣諸島)には手を付けないで置きましょう、と公式に発言してきた。
 「手を付けないでおく」と言うことが「変化」し始めたのは、この海域に石油資源、ガス資源が存在しているという推測が成立したときからだ。中国も台湾も領海内地域と言い始め、日本側も固有の領土を宣言し、海域を保安艦で監視し始めた。そして今日の事態に至ったのである。  
 歴史に多少触れてみる。
 日本が尖閣列島に着目したのは明治も半ばの一八八五年であるが、その時点では領有化はあきらめた。沖縄県令の西村捨三、外務卿井上馨、内務卿山県有朋の名がが政府のやりとりの中に出てくる。以降の一〇年間、清国との関係で尖閣諸島の帰属について政府として踏み込むことはなかった。だが一八九五年、日清戦争が勝利となりそうだと明らかになった時点で、尖閣諸島の領有を閣議決定したという歴史である。
 その上で以下の文を見てほしい。

 「日本政府が「久場島魚釣島」に標杭を建設する決定を出したのはこれらの島嶼の領有だけを目的としたものではなく、台湾と澎湖島の領有をも念頭に入れた行動であった。したがって下関条約でその目的を達成したため、久場島、魚釣島への標杭建設のことをすっかり忘れてしまった。ここに石垣市が地籍表示のための標柱を建てたのはなんと閣議決定から74年後の1969年5月10日。琉球政府がこれらの島々の領有を宣言したのは1970年9月10日である。つまりこの周辺海域に石油が産出する可能性がある、といわれてからあわてて領有権を主張しだしたのである。」
 村田忠禧(横浜国立大学)『 尖閣列島・釣魚島問題をどう見るか――試される21世紀に生きるわれわれの英知』より引用。
 
 つまり、日本政府が固有の領有権と主張するが、実際は一九七〇年九月十日にすぎず、それも当時の琉球政府の手によるものだった。それ以降でもわずか四〇年にすぎないし、しかもその時点では日本政府はなんらの発言力もなかったはずである。
 
 さらに、付け加えるべきは、尖閣列島が「無主地」であったということで、ある日本人の何ものかが私有地としてかつて日本政府に届け出たことがある、ということについての「偽り性と危険性」である。無人諸島ではあるが、以上のような経過の中で、日本人が漁業基地として使用していたこともあるらしい。
 琉球王国は明・清国に連続して册封を受けていたが、薩摩藩が介入し、自己の領域とも見なした。琉球王国はそこで二重の統制関係の下に置かれた。日本が明治政府となり、そこで琉球国を正式に自国領域とするということとなったが、清国との関係には手が付けられなかった。そこで清国と話を付けるために妥協案として明治一二年(一八八〇年)に、宮古・石垣などの諸島は清国に、沖縄本島と周辺は日本領土に、との提案を行った。が、清国は琉球全体が清の册封であると妥協を拒否したので交渉は流れたという事実がある。 清時代の清国からの使者が琉球国へ船旅した紀行記が幾つもある。その引用は省くが、魚釣島を経由し、沖縄との間の海溝を越えるコースが採用され、久米島が見えた時に、琉球国に近づいたと記録されているものもある。
 さらに、江戸末期、林子平が作成した精度の高い、東アジア諸地域・国が色分けされた地図が残されているらしい。私は見たことはないが、そこには、尖閣諸島(魚釣島)が中国の福州領域と同じ配色で描かれていると報告されている。福州は琉球への船旅の出発点であった。前述したが、福州から魚釣台諸島を経て琉球に至るのが清国使節の正規ルートであり、台湾や先島諸島などの島々コースを採用するものではなかった。
 魚釣島は「無主地」ではあり得なかったのだ。
 そしてさらに、「無主地」という規定は重大な問題を生み出すものである。そうであるとされた竹島(独島)の日本人による私有地化が日韓領土問題の発生の契機であるが、より極めて重大な問題は、戦前の陸軍・関東軍参謀石原完爾による「満州」の「無主地」化の論理化、および「無主」土地の関東軍による占領という行為である。この「満州事変」が一五年戦争の始まりであったが、それ以前の政友会・田中首相(長州閥の最後的陸軍将軍)のものとされる「田中上奏文」による満蒙支配構想(この『田中メモ』は、偽書説が日本では強いが、当時の政府部内各所で合成・配布・回覧された「内部文書」であったろうと思われる)や張作霖爆殺などですでに大陸侵略への準備は着々となされていたのだった。石原は、清朝解体の結果としての「満州」の「無主地」化という理屈を考え出し、「満州」全土占領を行ったという歴史的位置にある。
 またサンフランシスコ条約において中国への台湾返還問題の際、そこから尖閣列島が除外され、アメリカの沖縄支配下に置かれ続けたという事実も歴史的には問題であろう。その詳細を私は調べていないので、なぜなのかわからない。誰か、教えてくれないだろうか。カイロ宣言やポツダム宣言など、関連するところは沢山あるはずだ。だが同時に、国府中国も新(共産)中国もサンフランシスコ条約締結には招かれていないし、新中国がこの条約を認めていないことも付加しておこう。
 世界歴史的に見れば、南北アメリカは、文字通り「無主地」化されたし、オーストラリアやニュージーランドもネイティブ族は無視された。ロシア・コサックの東への大遠征、さらには、さらには……。日本でもアイヌ民族がいる。千島はアイヌのものだったではないか、アイヌへの返還をロシアも日本も追求するべきではないか。では北海道はどうか?。
 琉球を武力属領化したのは薩摩藩であった。薩摩は琉球を通して大陸との「密貿易」で」資産を形成した。それ故、薩摩は琉球を正式に藩に組み込むことが出来なかった。清国は「貿易国」ではなかったからである。清の属領、琉球が清に册封を行い、そのお返しを清国から頂く、その献上とお下げ頂きに薩摩が介入し、「貿易化」にしたのである。

  (4)

 日本は、魚釣島の領有権を主張できない、と言うのがまさに「歴史的な固有の事実」である。私はそう主張するが、にもかかわらず、日本政府の現状では「領有権放棄」は考えられない。
 前原が受け入れた「ウイン・ウイン」論とは、両方勝ちということ、つまり「五分五分」であり、この間の中ロ国境紛争解決の方式である。前原の見解は当然、尖閣列島が日本領土であるということを前提にした論議であるが、同時に周恩来やケ小平の言った「当面は手を付けないで置こう」を発展させることを意味しているようでもある。が、まだ内容は提起されてはいないし、本人にもまだその用意はないのではないか。また民主党内部が政策的にまとまるという保証もない。
 中国漁船を拿捕し、逮捕し、裁判にかけるということは、小泉ですらやらなかったことで、その後の阿部が踏み込み、保安庁巡視船を数多く進出させる方式が実際化したのであろう。そうした進めかたをそのまま国土交通省は、前原大臣以下漫然と踏襲していたのだろう。その結果に内閣首脳が「驚倒」したのであろうが、民主党的な統一した見解の努力が、他方で「東アジア共同体」を言いつつも、実態としてはなんらなされてがいないことは、現在の内部騒動を見れば明らかだ。
 中国が「ウイン・ウイン」の立場に立つかどうかも何とも言えないが、日米安保体制を背景にした上での「ウイン・ウイン」に、今の中国が同意するとも思えないところだ。
 また、アムール川や中央アジア地帯での領土の相互の間での再配分という「ウイン・ウイン」方式は直接的には日本と中国との間には適用できないだろう。その他に問題となっている箇所はないのだから。とすれば、共同利用領域化ということになる。だが再度言うが、中国が同意する保証はない。
 独島は韓国が軍を配置しているが、魚釣島に中国軍が配置される事態が来ることも、ケ小平路線に忠実である中国指導部の現在の状況では、考えられないことだと私には思える。
 だが、他方では三日のサンケイ報道は、中国政府が新たな「積極政策」へと移行しつつある、と報じている。だがもしも中国がそうした方針に移るとすれば、その行為は南シナ海での諸国との激化している領土紛争に対して軍事的行動を採用すると言うことを意味するであろうし、日米両国の東シナ海での軍事演習が尖閣諸島の中国による軍事占領に対抗して、そうした占領部隊を海上包囲、封鎖するという「仮定」で行われるらしいが、そうした事態の「現実化」をまねくで可能性を含むであろう。
 もしもそのような東アジアの将来へと中国があえて進むのであれば、そうした行為は文字通りの「国家主義」であり、なんらの歴史的進歩性もない。私は、中国が、チベットやウイグル問題などで、完全にレーニン的「連邦主義」を放棄し、一国大国主義という毛沢東の決定の延長にいることに大反対である。ケ小平が毛沢東主義をこの点で踏襲したことには落胆を感じざるえない。胡耀邦や趙紫陽の政治感覚を生かすほどには旧毛派の老人たちの抵抗を押し切れなかったのだろう。結果が「天安門」だった。
 それ故、毛沢東主義のさらなる延長、拡大としての「国家主義」はさらに認められない。

   (5)

 では、どうすべきなのか。
 日米安保体制を破棄し、東アジアの共同開発という大目標の下に協同性が発展させる中で、尖閣列島周囲の開発も共同で進むことが可能となるのではなかろうか。私はそう思う。
 こうした水準での日本政治の大転換は、沖縄基地問題でも迫られているが、尖閣列島問題は、さらに大きな東アジア政策全体に関連する大転換を求めているのではなかろうか。
 現在、沖縄県民の意識に「自立論」が成立しても私は不思議とは思わないが、しかしその際、尖閣列島を沖縄のもの、琉球のもの、とは思わないでほしい。東アジア共同のものと考えてほしいのである。森嶋さんという、数年前になくなった阪大経済名誉教授は、沖縄を独立させ、那覇を東アジア連邦(AU)の首都にしたらいいと提起した。東アジア共同体の首都那覇―この夢を最後に付け加えて終わりとしたい。
(少し長くなりました。申し訳ありません。九月三日)

 

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