すべての「想定」を越えた東日本大地震ー犠牲者を悼む 
   
                   
                      石森 健                                         


 想定を遙かに越える東日本大地震。東北・関東大地震と名付けられたが、マグニチュード9・0という巨大さは、「想定された」三陸沖大地震の程度を遙かに越えるものであった。そしてこの巨大さは、原子力発電所の「想定した」地震レベルをはるかに越えるものともなった。原子力発電所を抱える全世界が揺らいでいる。地震国日本が設営した「地震に耐える」原子力発電所という概念の崩壊が世界を揺るがしたのである。
 現在(3月24日)、福島第一発電所がどうなるのかはまったく不明である。さらに周辺からの退去に続き、福島、茨城の農・乳産物の出荷停止、東京都の水道水の放射能汚染と、問題が日々拡大しつつある。昨日の水道水に関する発表とともに一挙にナチュラル飲料水が店から姿を消した。地震直後から米やパン、インスタントラーメンなどが姿を消した。そして野菜と牛乳が続き、そして水である。

 私は大津波に襲われた宮城県石巻市の育ちである。60年ほど前、私は生後数年から小学生の半ばまで石巻市で育った。それも北上川の河口のそばである。津波は私が育ったあの地域のすべてを押し流したようだ。人も家も。私の幼い頃の知り合いはどうなっただろうか。想像もつかない。

 私は、三陸地震というものを小さいうちから教えられて育った。個人的な体験としては、思いがけない「チリ沖地震」の波及をたまたま経験はしたが、いわゆる三陸地震とは幸運にも遭遇しなかった。だが、三陸の人々は、そのリアス型地形という事実をたたき込まれ、地震対策堤防を作り続けてきた。歴史的「闘い」であったのである。宮古や釜石という三陸の港湾地域が危険地域であると想定されていた。私は石巻が三陸地震の対象地であるとは全然思いもつかなかった。三陸の「リアス地形」が津波の規模を拡大する、そのように教えられ、また思い込んできたのだ。
 だがそれらのすべてが越えられてしまった。東北から関東に及ぶ海中の広大な地域プレートずれ込みが、それまでの「想定」を遙かに越えたのだった。三陸、そして東日本の諸地域はこの打撃を越えられるだろうか。越えるとしても、すざましい努力、一からの闘いが求められるだろう。地学的・歴史的概念把握がかわってしまったからである。

 私は地震の時、新宿にいた。幸いにもビルの高所から下りて街路を歩き始めた時である。目の前が揺れ、歩けなくなった。何が起こったかと見渡すと、みんなが走り出している。大通りに向けて。電柱が大きく揺れ、ビルが揺らいでいる。揺れは結構長かったと思う。おさまって再度歩き始めた時考えたのは「東海沖が来たのか」ということだった。すべてが止まってしまったので家まで長く歩いた。着いてTVを見て、「超」三陸沖型だと知ったときには驚倒した。すべての堤防が役に立たなかったのだ。すなわち、すべての長年にわたる、歴史的「想定」に基づく「対策」が役に立たなかったのだ。

 そして「想定を越えた」大地震は、原発建設関係者すべての「想定」をも越えたのである。今、浜岡は慌てて対策強化を開始した。反対運動はさらに強化されるだろう。しかし、福島第一原発は、運動があろうとなかろうと「廃炉」は避けられまい。そしてその影響は「原発国家日本」を揺るがすものとなろう。事態を「想定」して立てる「安全策」が成立しなくなったのである。

 原子力依存の日本政府の伝統は、プルサーマルや核燃料再生など、まさに「大胆」な諸計画を世界に率先して進めてきた。その先頭に立ってきたのが東大などの関係教授連である。彼らは「安全性」を断固として主張し、反対派をあざ笑ってきた。その彼らが「想定を越えた」と言うのである。では次に彼らは何を「想定する」のだろうか?
 全世界的に、原発依存型への急傾斜が進んでいる。アメリカのオバマがそうであり、そして四川大地震などに直面してきた中国もそうである。これらの動きを止めよ。
 そして二万人を超えるだろう死者に悼みを。被災地・被災者への全面支援を。
 (2011,3,23)
 

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