長寿なマック

マックが発売されて、16年になります。たった1つのメーカー の製造する本体によって、マックの社会は形成されてます(増えた時期もありました が)。たった1メーカーが開発したにしては、非常に多数のモデルが開発されて販 売されてきました。その中でデストップとコンパクトマックの販売期間を見て みると、面白いことに気が付きます。どーゆーことかといえば、1993年前後で、 明らかに販売期間の長さが異なっているのです。どーゆー風に違うかとゆーと、販売 されている期間が非常に短くなってます。プレ93年だと、最低でも1年半以上販売 されていて、大体2年前後であることが多いのです。それが、ポスト93年だと、お よそ1年です。例外の機種はあるのですが、ほぼ1年か1年弱です。さらに94年末 にはPowerPC搭載のNubusマックが出現します。ここから、さらに販売期間は短くなり、 1年弱から半年の間しか販売されないマックが殆どで、これはG3搭載タイプが出現 する97年末までこの傾向は続いているみたいです。
この時期にも長期間販売されたモデルは存在していて、Quadra950とLC475、そして 先に述べたNubus PowerPCの6100、7100、8100のAVモデルです。これらは95年末に Quadra950が、96年なかばで、LC475とNubus PowerPCのAVモデルの販売が終了して います。特に後者は、なんと8500よりも、販売終了時期が後だったりします。どうし てこんなことが起こるのでしょう。
Quadra950は68kマックの最高峰ですから、業務などで使っていて、PowerPCに 移行して面倒な思いをしたくないユーザーの要求かもしれません。大抵の場合、新し いモデルとゆーことは、新しくなったことに伴なう問題点やバグを持っている可能性 があります。今まで培ってきたノウハウが通じない可能性も考えられます。ですから、 業務など、使用の停止やバグなどへの対処が、コストや信頼などに関係してしまう時 は、PowerPCモデルの導入は避けて、Quadra950を選択したのでしょう。どーしてそー いうかというと、Quadra950って、個人のポケットマネーで購入するのは、ちょっと 困難じゃないですか(^o^)。実際Quadra700でも、現在、十分仕事をこなせますから、 Quadra950なら、何の問題もないでしょう。ですから、PowerPCモデルが安定してきた 95年末あたりで販売要求はなくなってきたのでしょう。この場合、ソフトが、 PowerPC用しかバージョンアップされなくなった為じゃないかなーと思います。よっぽ ど重い仕事じゃなきゃ、今でも十分使えますもんね。
つぎにLC475ですが、これもほとんどQuadra700並みの性能を持っていますし、 薄型のコンパクトなマックはこれが最後の機種で、省スペースなマックは、Cubeまで 開発されていません。LC630もコンパクトですが、LC475の方が小さいですよね。です から、それなりの需要があったとも考えられます。ただ、snowdogは友人からLC475を 溺愛していると指摘されているので、贔屓がはいってるかもしれません(^o^)。
よくわからないのは6100、7100、8100のAVモデルです。この機種って、そんなに 良かったのでしょうか?AVカードの付いていないモデルは、存在理由がPowerPCを載 せましたとゆーだけですから、販売期間が短いのはしょうがないでしょう。んじゃなん でAVモデルが長期に渡って販売されたのでしょうか。うーむ、購買層は、大画面フル カラーで、Nubusがあること。ああ、分かったQuadra950のユーザーが暫時こっちに移行 していったのでしょうね。Nubusのカードが使えるから、利用価値が高かったのでしょ うか。実際には売れ残っただけと考えられますが(^o^)、まあそうゆーことにしておき ましょー。
対照的にPowerPCを搭載したモデルは、93年以降、どんどん開発され、すぐ 販売停止が来るようになっています。アッ○ルではPowerPCの採用以外に変わったこと が他にもあります。それはCEOです。スカリーからスピンドラーに政権交代があっ たのです。snowdogはスカリーは立派なCEOだったと思ってます。業績として、自己 中心的に暴走を始めていたジョブズをアッ◯ルから追い出しました。これはマトモな 経営責任者であったら、こうしなければならなかったでしょう。彼は会社とか組織に 向いた人間じゃないように思いませんか。「アッ◯ルコンフィデンシャル」を読んだ り、NeXTで何をやったかなどを知ったりしたら、snowdogにはそう思えます。そして、 スカリーの時代の新モデルは、いたずらに種類を増やすのではなくて、ユーザーが必 要としていた能力を見極めた製品だったと思えます。それは印刷業界などの分野へ、 業務用のパソコンとして食い込んで行き、マックをヤッピーの玩具からビジネスで使 用可能な道具にしました。最後に彼が始めたニュートンは残念ながら、アッ○ルでは 失敗に終わりましたが、現在のパ◯ムの大フィーバーはスカリーが支えたコンセプト と、その為に投じられた研究費がベースになっています。ですから、アッ◯ルの業績 としては(ジョブズの打ち切りで)失敗に終りましたが、パソコンなどの業界として見 れば、大成功でしょう。ニュー◯ンなかりせば、現在のPDAはこんなに速く発達し なかったでしょうね。ジョブズがCEOでなかったら今からでもニュートンはアッ○ ルに利益を出すと思うのですが、どうでしょう?たいしたもんだと思いませんか。 スカリーがニュートンにばかり力を入れて、マックを軽んじているとゆー理由で CEOがスピンドラーになりました。彼の使命は68KからPowerPCへの移行とアップ◯ のシェア拡大でした。最初のPowerPCへの移行に関して、スピンドラーと彼の率いる アッ○ルは良い仕事をしたと称賛されるべきでしょう。実際にPowerPC版と68k版は シームレスでまったく同じ様にマックを使うことができました。ユーザーの不安とは 裏腹に、PowerMacは68kMacと同じプログラムを使用することが出来ました。68k のエミュレーターの完成度は完璧といっても良いでしょう。フリーズするのはどっちで も起きましたしね(^o^)。この移行には成功したにもかかわらず、アッ○ルは厳しい時 代を迎えました。それはシェア縮小と日本市場での敗退です。シェアに関しては、予 想通りといっても良いかもしれません。マイク○ソフト社のOS(?)のWind○ws 3.1の 出現で、ユーザーインターフェース上での優劣の差が、ほぼなくなったのです。いや、 かなり違うぞーっとマックユーザーは言うのですが、まあ、アッ○ルらしいかどうか なんてことは普通の人にとってはどうでも良いことですし、マックのインターフェイス だって、例えばXのユーザーには我慢できない部分があります。結局のとこ、マウスを 使って、簡単そーに見えるかどうかが重要な訳ですから、Wind○ws 3.1はマックの優位 を一気に打ち崩した訳です。むしろ、ハードウエアメーカーが沢山あることで、マック と同じくらいの性能なら、半分くらいの値段で購入できる向こうの方が有利になった と言ってもいいでしょう。本当のアッ○ルの正念場は、この94から95年の間だった というか、この時、アッ○ルはパソコン界のニッチメーカーになったといえるでしょ うね。
いったい何が悪かったのでしょうか。アッ○ルの製品の値段が高すぎたというこ とでしょう。マックのIIシリーズは、まあ、妥当な値段でしょうね。けど、 その後に価格低下の努力が足りなかった、とゆーことです。一般のパソコンの低価格 化にのりそこねた企業は、この時期多かったので、アッ○ルだけを責めるのは酷とも いえるのですが、為替レートを無視した日本市場価格で利益を出していましたから、 これがコ○パックショックでひっくり返ると、もういけません。当時の国民機ですら ボっていると指摘されて売れなくなったのに、マックが売れなくなるのは、あたりま えです。まだDOSを使用している時はインターフェイスで高級感を煽ることができ ましたけど、Wind○wsの出現で、この差がなくなりました。つまり、不当に高いと感 じられたわけです。これまでに工場ラインを整備しておくべきだったのですが、これ が後手に巡りましたとゆーか、長期戦略抜きで場当り的に製品を開発していって、部 品の調達や製造ラインの効率とかが、ハチャメチャになってしまったのでしょう。で すから、他のメーカーに比べ、コストが高かったと思います。実際、この時期のアッ ○ルって、おわってますよね。この時期が有名な「ユーザーいぢめ」を行なった時期 です。新製品を注文しても、入手はだいたい半年後、んで、その頃には、もっと安い、 性能の高いモデルが発表されるといった具合でした。どーして現在でもアッ○ルが存 在できちゃってるのか不思議の感じられる企業態度ですね。ここまでひどいことをし て、倒産してないメーカーは、他にはないでしょう。実際に新モデルは怒涛の様に出 てまして、それまでの8年かかって出したのと、ほぼ同じモデル数を、1年から1年 半で発表しているんです。しかも筐体から、マザーボードまで違う種類の製品です。 これで混乱しない訳は無いはずで、どーゆー計画があったのか不可解ですねー。シェ ア争いが激しかったのは確かですけど、手当りしだいの新モデルを開発して販売すれ ば、ユーザーも離れていきますし、利益率も低くなるのは当然でしょう。何より、あ のPlusやIIciの時代にあったアッ○ルのイメージがぼやけてしまいます。普通はフラ ッグシップとゆーのが、その役目を果すのですが、これもコロコロ変るので、ハッキ リとしないんです。モデルの寿命が本当に短かいですよね。細かいところでこそ改修 されていますが、IIciやiMacの寿命を見てみれば、この時期のモデルがどんなものか 理解できるよーに思います。
この時期、アッ○ルはさらに致命的といってよい失敗をしています。OSの開発 に失敗したのです。前にMac OS Xが遅すぎるといったのもこの点です。95年にマイク ○ソフト社はWind○ws 95を発売しました。ここでアッ○ル社は、完全に時代遅れの 製品を販売する企業へ成り下りました。マルチタスクで作業できるOS、プリエン ティティブマルチタスクの機能を持つOSが市場で大勢を占めちゃったのです。どの くらいダメージが大きいかとゆーと、例えばG3とペンティアムIIIで同じフォトシ ョップで作業すると、G3では重く感じるとゆーくらいです。つまり、ハードが少々 良くっても、OSがそれを打ち消してしまう訳ですねー。それが、PowerPCの6XXのモ デルの場合は、もっとひどい差が生じました。アッ○ルがマックで持っていた先進性 は、まったくなくなりました。そして、アッ○ルのパソコンを使う理由であるユニー クなソフトメーカーが、95対応を打ち出していったのです。アッ○ルを購入する為に 上司などを説得するのが一段と困難になりました。この時のマイク○ソフトのとった 行動は、企業間戦争というのは、かくあるものかを世に知らしめました。アッ○ルに は荷が重かったんですね。(少なくともスピンドラーには重かったのでしょう。)悲し いことに次世代のOSであるMac OS Xも決して最新のOSじゃありません。このOS で今までのプログラムを仲介するマックOSのエミュレーターも、ぢつは、PowerPC へ移行する時に出来てます。マイクロカーネルだって、ソラリスやNT(?)で取り入 れられてますからね。まだ、当分の間はアッ○ルは時代遅れのままでしょう。
これらの問題をなんとかしたのがギル・アメリオです。なんか、snowdogは彼が 不当に低く評価されているように思えます。だって、混乱した製造ラインをまともな ものにして、キャッシュを蓄えて製品を生産できるようにし、力のなくなっていた アッ○ル社とユーザーにパソコンメーカーの再生方法を示したのです。実際のところ、 倒産した、又は倒産しかけていたアッ○ルを再生したのは、彼の功績でしょう。スピ ンドラーはアッ○ル自体の販売を考えてたみたいです(^o^)。そして、この再生は iMacで花開きました。iMacのデザインセンスはジョブズの物ですって?ちょっと考え て下さい。アッ○ルの製品はいつだって注目されてきたんですよ。アッ○ルの失敗は いつでも製品をユーザーに供給できなかった事です。それが可能になったのは、アメ リオが豪腕を奮ったからでしょう。
大変残念なことに、アメリオはアッ○ルから追われました。まあ、ジョブズが 有能な経営者と同席することは無理でしょうから、ジョブズを呼んだ時点で、こう なることはアメリオ以外の人には予定のことかもしれません。今のアッ○ルはアメ リオの遺産で喰いつないでいます。ジョブズが開発に携わった場合に必要とする資金 が、いかほどなものか、キャ○ンに伺ってみると、アッ○ルの今後が予想できるかも しれません。NeXTはアッ○ルが買収しなきゃ潰れてましたよね(^o^)。さてさて。
アッ○ルの歴史を思い出してみると、製品の寿命と業績は、けっこうリンクして いるように思えます。アッ○ルが好調な時、その製品であるマックの販売期間も長い のです。さて、ここで問題です。G4デュアルプロセッサモデルやG4 Cubeっ てどのくらいの間、販売されるモデルなんでしょうねー?