納豆
納豆という食べ物。これが食べ物だという事を信じろというには、西国に人間にとって、
どれほどの困難と苦労、そして恐怖に対する必要があるのでしょう。そうなんです。西国の
人間にとって、東国の朝食に、そこに鎮座するのが当たり前、当然の権利として図々しくも
鎮座する姿に恐怖を覚えない者は、西国出身ではないとの誹りは免れない程の恐怖の存在で
す。
動物が海から地上へと歩みだし、生きていく為には、食べ物という形で、エネルギーを得な
くてはなりません。そして、動物は、数々の食べ物に挑戦してゆく中で、口に入れてはいけ
ない、場合によっては命を奪う危険性のあるものを、事前に認識する為に嗅覚を発達させて
きました。その何億年にも渡る営々とした営みの中で収得してきた、腐敗した物への嫌悪と
不快感は、動物としての生きとし生けるものに、安全と危険からの回避をもたらしてきたの
です。腐敗した食べ物を摂取する事によって生命の危険を回避する為に我々に与えられた最
も恩寵ある機能とは、腐敗臭への忌避感なのです。もし神が実在するのであれば、この素晴
らしい感覚を与えてくれた事に、感謝せねばならないでしょう。また、適者生存の言葉通り、
この機能は、その種が生きてゆく為に培われたものと言うのに間違いはありません。そうな
んです。この腐敗臭に対する忌避の感情は、神が、自然が我々に与えた恩寵なのです。
自然が与えてくれた恩寵である遺伝子に刷り込まれた仕組み、この仕組みに逆らわないか
ぎり、納豆を口にする事はできません。腐敗した物を食べるなんて、なんという行為なので
しょう。さらに罪深い事に、禁断の知恵として、今、我々の倫理を大きく歪めているバイオ
技術による悪魔の申し子、かのフランケンシュタイン博士が生み出したモンスターに匹敵す
る、バイオ技術の生み出した鬼子、その呪われた存在が納豆なのです。納豆が藁の中で、
納豆菌の培養を行う事よって生み出されたバイオ技術の産物であるのは、まぎれも無い事実
ですから、宗教団体や消費者団体は、その危険性を訴え、非難と追求の槍玉に上げるの
は、間違いありません。天然素材100%をうたう原材料の大豆を、バイオ技術で汚染する
なんてといった人類の未来を嘆く警鐘の声が聞こえてきそうです。納豆をお皿に取り、かき回して
ゆくと、その存在が呪われたものである事を証明するように、周囲には地獄の様な腐臭が漂
い、その姿は、糸を引いて、嗅覚、視覚から伝えられた警報は、脳の中で、世界の終末を告
げるラッパの様に高らかに鳴り響きます。最後の審判が、今、下されようとしているのです。
自らの行いに疑問を抱き、悔い改めようと考えるというのが、真っ当な人間としての振るま
いというものでしょう。しかし、ここで悪魔が、囁くのです。「ホラ、体にいいんだから、
食べなさい。」悪魔は、snowdogに神の国へ入る事を許さず、この世での利益を以て、
snowdogに禁忌を犯すように説得するのです。嗚呼、アダムが禁断の知恵の林檎を食べてしまっ
たのと同じ間違いをsnowdogはしてしまうのでしょうか。
郷へいったら、郷に従えという日本古来の習わしまでを用いた悪魔の説得によって、ついに
snowdogは、禁断の食べ物、納豆を食べてしまいました。悪魔は必要ならば神の言葉さえ使う
との例え通りに、様々な説得に屈したsnowdogは、こうして許されざる者になったのです。一
度の過ちならば、許しを乞う事が出来るかもしれませんが、最近は、毎朝、禁忌を犯している
のです。さらに、恥べき事に、お酒のツマミにすら利用しているのです。もはや、神は、snowdog
が神の国に入る事を許さないでしょう。もちろん、仏教徒であるsnowdogは、最初から縁の無
い場所ではありますが。
まあ、なんですね。慣れれば、旨いと感じる様になるという事で、納豆を喰うのを納得したって
トコでしょうか(^o^)。
snowdog 2002 6/11