ぜ つ え い
絶纓の会


 昔々、中華の国がたくさんの国々に分かれて相争っていた時代のこと。その中のひとつ、楚の国に荘王という王がいました。

 ある時、荘王は日ごろ戦いに明け暮れる家臣たちをねぎらうため、宴を開こうと思いました。そしてその席に、荘王お気に入りの美しい寵姫を同席させ、武将達の相手をさせることにしました。 そうすれば場も盛り上がり、武将たちも大いに楽しめるだろうと思ったのです。

 そうして開かれた宴もたけなわの頃、一陣の突風が巻き起こり、その場の灯明をすべて消し去ってしまったのです。

 すると、その時。 一人の家臣が、戯れに姫の唇を奪ってしまいました。(ものすごいセクハラですね)

 その時姫はとっさに男の頭に手をかけ、纓をむしり取り、《注:纓というのは簡単に言えば、冠を固定していた紐です》そして荘王のもとに駆け寄り訴えました。

 「荘王様、今暗闇になったのをよい事に、私にみだらな事を働いた者がいました。しかし、私はその者の纓をこのとおり奪ってやりました。纓の無い物が犯人です。さあ、早く明かりを点して、不届き者を罰してください」

姫はこのように自らの機知と貞節を誇るかのごとく言うと、荘王にすがりつきました。

 それを聞いた荘王。
ふと考えて、明かりをつけようとしている者達を制して言いました。

 「皆聞け、いま我が姫がつまらぬ事を申したが、皆がそのようにくつろいでくれることこそ我が望みである。さあ、今よりはさらに無礼講といこうではないか。皆、冠を取れ」

 そうしてその場の全員が無冠となった後に明かりをつけさせ、宴は続行されました。こうして姫の機転もむなしく犯人は判らず終い、しかし宴は大いに盛り上がったのでした。




 それから数年後のことです。楚の国は、西方の強国秦と戦になり、荘王は軍を率いて出陣しました。

 しかし、その戦いは散々な敗戦となり、秦軍の攻撃は荘王の身辺にまで及んできました。さらに中軍を撃破され、親衛隊も壊滅し、ついには乗馬さえも倒されてしまい、辺りはすっかり敵に取り囲まれてしまいました。まさに絶体絶命のピンチです。

 もはやこれまでか、と荘王も死を覚悟しましたが、その時です。敵の一角がざわめいたかと思うと、一人の武者が敵を蹴散らしつつ単騎荘王のもとへ向かってきます。そして全身を朱に染めながらも荘王のもとにたどり着き、王を馬上に抱えあげ、脱出を図りました。

 秦軍は執拗に追撃してきました。何度も危地に陥りましたが、その都度勇者は獅子奮迅の働きをし、王を守り抜きました。いつしか彼の体は、全身なますのように切り刻まれ、また、大量に放たれた敵の矢のためにハリネズミのようになっていました。しかし、それでも彼は敵の追撃を振り切り、ついに王を安全な場所へと連れていったのです。

 ようやく難を逃れた荘王は、武者に礼をいうと、彼が何者であるかを尋ねました。

すると、武者は

「さればそれがしは、先年城で開かれた宴の席にて、王の姫にいたずらをした者です」

そう言うとにっこり笑って死んでいきました。

 武者は宴席での荘王の寛大な行いのおかげで、居並ぶ諸将の前で恥をかかずにすみました。誰にも言うことはありませんでしたが、彼はそのことに深く感謝し、王の為に命を投げ打って働こうと心に決めていたのです。

 この話を人々は「絶纓の会」と称し人を統べる者の心得として、後世へと伝ました。

(おしまい)


 

あとがき

 古今東西を問わず、恩返しの物語は沢山あります。その中でも筆者はこの話が最も好きです。しかし、この話が言わんとしていることを即現代に当てはめるのは少々早計のような気がします。

 特に女性の方々は、宴席での荘王の行動に納得のいかないものがあるかもしれません。
実際、姫は好い面の皮ですね。(笑)現代における男女情勢ならばこのふたり、ただではすまないでしょう。荘王がどのような人物であったか。今では想像と残された小量の文献でしか知る由はありませんが、あとで、姫の機嫌を直すのに苦労したかもしれません。

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wrote in Dec.1999
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