●呪術に手順はない。方法もなければ、段階もないんだ。
問題になることはただひとつ、集合点の移動だけだ。
それに手順をふんだところで、移動は引き起こせない。
まったくひとりでに起こることの結果なんだから。
●儀式はわしの知るかぎりどんなものより強くわしらの注意を
引きつけることができるんだ。だが、代償もものすごく高く
つくぞ。高い代償とは病的状態だ。そして病的状態は
わしらの認識にもっとも重い担保権と抵当権をもつ可能性が
ある。人間の認識は広大なお化け屋敷のようなものだ。
日常生活の認識は、その広い家の中の一室に生涯封じこめられて
いるようなものだ。わしらは、誕生という不思議なドアを通って
その部屋に入る。そしてもう一つの不思議なドア、死を通って
退場するのだ。しかし呪術師はさらに別のドアを見つける力を
もっていて、死なないうちにその封印された部屋をあとにする
ことができる。実に見事な成果だ。しかし、ほんとうの成果は
封印された部屋から逃げ出したとき呪術師は自由を選んだという
ことなのだ。彼らはその広大なお化け屋敷の別のところで迷子
になるのではなく、その家から完全に立ち去ることを選ぶのだ。
病的状態とは、自由に到達しなければならないと認識したエネル
ギーの波の正反対に位置するものである。病的状態(儀式)は
呪術師に道を見失わせ、彼を暗く入り組んだ、未知の横道へと
追いやってしまう。
●第三の参照基準とは、知覚の自由なのさ。それが意志だ。
それが精霊なんだよ。思考がとんぼ返りをして、奇跡へと
着地することだ。わしらの境界を越えて想像も及ばないものに
手を伸ばして触れる行為なんだ。
●想像を絶するものへの思考のとんぼ返りというのは、精霊の
来訪のことさ。つまり、わしらの知覚の障壁が破られることだ。
その瞬間、人間の知覚は限界に達する。呪術師は斥候を送る
という術を駆使して、そうした知覚の限界を探る。
●人間はみな意識の旅をしている。その旅は、外部の力によって
しょっちゅう邪魔されてきた。いいか、わしらは不思議な意識
の生き物なのだ。この信念がなかったら、わしらには何もありは
せん。 わしは根拠のない話をしているのではない。わしがいう
ことは、古代メキシコの呪術師たちが発見したことを、わし自か
らが裏づけた結果なのだからな。われわれ人間は不思議な存在な
んだよ。
●非有機的存在の世界には、意識は有するが肉体はない存在が住ん
でいる。彼らはエネルギー場の集合体なのだ。 われわれのと対
をなす世界の非有機的存在は、われわれが最初から本質的に有機
的存在であったのと同じように、最初から本質的に非有機的存在
だったのだ。彼らの意識はわれわれの意識と同様に進化が可能で
実際、まちがいなく進化するのだが、それがどのように起こるの
かは、わしは直接には知っておらん。わしが知っているのは、意
識が進化した人間は、明るく光り輝く、丸くて特別な種類の非有
機的存在だということだ。