●神政龍神会 〈昭和26年刊行の沖野岩三郎氏の著作より〉
 昭和12年9月25日に発行した東京朝日新聞号外は、真崎大将無罪の判決、と題して、昭和11年2月26日に起った、いうところの2・26事件の公判終了と同時に、問題の真崎甚三郎大将が無罪になった始末を記述した中に、2月27日反乱将校等が、北輝次郎、西田税より、「人なし。勇将真崎あり。正義軍一任せよ。」との霊告あり、との電話指示により、時局収拾を真崎大将一任に決し、云々と書いてある。この文中にある霊告とはどんなことであるか世人の多くは殆ど注意を払わなかった。これがどんなものであるかを知らなければ、2・26事件の真相も、太平洋戦争の基因もわからないのである。この神霊事件をくわしく説明しようとすれば容易なことでないから、まず矢野祐太郎、加世田哲彦等の創立した神政龍神会をさぐってみればその全貌がおぼろげにわかる。昭和11年9月25日の朝刊朝日新聞に「釈放され松澤へ、ああ龍神様が現れる。」という見出しで、もと皇后宮職女官長、当時大日本連合婦人会理事長の島津治子が、感応性精神病だと診断されて、警視庁から松澤病院へ送られた始末が報道されてあった。その記事によると島津治子は取り調べ係に向かって、私はほんとうにこの世のはじまりを知っています。この世のはじまりは天から龍が下って来て、まず陸地を作り、つぎつぎともろもろの物を創造したとかたく信じます、と言ったらしい。華族女学校出身の才媛であり、宮中の高官であったこの女史が、何故精神病者として松澤病院に入れられたかというに、これは司法当局の気の利いた裁きであったのである。

 神政龍神会の主唱者の一人矢野祐太郎は、日蓮宗信者の家に生れ、海軍兵学校を出て海軍大佐まで進んだ人である。明治39年に砲術学校に勉強中、ある夜真暗い一室の中で金色燦然たる仏像を見て、一種の霊感を得たが、その後更に仏像の背後にある柱まではっきり見えた。そこで彼はまず鎌倉に行って座禅をした。それから気合術を習得して座敷の真ん中にある火鉢を、一声の気合で一間も向こうへ飛ばすことが出来るようになったので、こんどは当時流行していた催眠術を学んで、指一本で大きな土蔵を動かしたという桑原俊郎の書物を読み、この世に精神霊動というものがあると信じ、更に観相の大家石龍子について性相、占星学を学び、更に川面凡児に会い古典の講義を聞いた。その後明治43年から大正13年まで木村鷹太郎全集を研究し、日本は世界の縮図であるという説に感心した。この思想が彼をして神政龍神会設立の動機を作らしめたのである。その後大正2年から4年まで、彼は英国大使館付海軍武官として英国ロンドンに滞在中、火星よりの使者、という映画を数回見て、人間は今のうちに悔い改めなければ人類全体が滅びてしまうという思想に共鳴した。その後官政本部員浅野正恭から大本教の話を聞いた。正恭は浅野和三郎の兄で、大本教信者であったらしく、大本教のお筆先に、この世に七王も八王もありては苦説が絶えぬから、日の本の元の一つの王で治めるぞよ。とある話を聞いて、大本教に注意しはじめ、大正6年10月に綾部の大本教本部に行って出口王仁三郎に会い、その著大石凝を見たが、それは眞素美の著神典釋葉の焼き直しであると知ったので、それ以来彼は王仁三郎を信用しなくなった。その時浅野和三郎から鎮魂帰神の術を受けたが感じなかった。けれどもその夜宿に帰って水行をしていると、腹の中に天狗が入って自分に気合をかけ、大酒を飲んでも少しも酔わなかった。彼はこの天狗と問答の末、人は肉体を離れて霊があり、その霊には意志あり力あることを悟った。それから天皇尊崇本義の著述で、後に名高くなった水谷清の天津金木の講義を聞き、だんだん大本教に近づいて行きつつある時、彼の妻シンがまず大本教信者になったので、大正7年の連合艦隊乗組中、休日を得て綾部の本部に行き、お筆先というものが正神のお告げであるということを確信するに至ったが、王仁三郎の説は信用せず、田中善吉の説を信用した。けれども彼の妻女は王仁三郎が56才の7ヶ月目に、ミロクボサツとして出現するということを確信していた。彼はこれに憤慨して綾部に行き大本教をたたきつぶすつもりであったが、大本教の教祖出口直の第四女福島久子の訪問を受け、お筆先の研究をすすめられたので、三朝温泉に行って研究中、天皇は世界の天皇なりという霊告を得たのであった。そこでいよいよ神政運動にとりかかり、昭和5年8月に上京して、元宮中女官築島梅野、女官長島津治子、子爵岩下家一、酒井勝軍等に会ってその運動をすすめた。彼が島津治子、築島梅野等に会ったことは、この神政主義を宮中に宣伝するためであった。酒井勝軍はアメリカの神学校出であるが、この頃茨城県磯原の竹内皇大神宮の所蔵する神代文字を深く信用していたので、矢野祐太郎を誘って竹内家に行き、その古文書を見た時、矢野はそれが大本教のお筆先と同じものであると思った。その後間もなく神霊の告げにより、全大宇宙史一冊を天皇陛下に献納の手続をとった。その仲介はたぶん島津治子であったろう。この書物には神示、現示による宇宙部判より、神政成就に至る神界、現界推移変遷の概観を記したものであった。その後矢野は水曜会と称して毎水曜日に有志を集め、神の世界、宇宙の真態、古事記の輝、を講義してこれを矢野講義といった。昭和9年9月28日に同信者車小房に神示がくだって、速やかに神政龍神会を組織せよと命ぜられたので、矢野祐太郎夫妻、貴族院議員赤池濃、陸軍大佐高島己作、故田尻稲次郎の長男法学士田尻鐡太郎子爵および、海軍中佐加世田哲彦等が集まってその創立準備会を開いた。この中の加世田哲彦は天理教信者の家に生れ、大正5年に江田島兵学校に入学したが、その前年天理教があまねく伝道せられるならば、人類世界に戦争もなく、軍隊もない真の平和が来ると知り、19歳で天理教の信者となり、大正14年にはお授人という天理教布教者の資格を得たのであった。ある日天理教の伝道者が、大正天皇の病気は日本国民の精神が悪いためだと聞いて、神を恨んだが、大正10年に英国の軍人20名を日本政府が招いた時、霞が浦に出張して2年間その世話がかりをしているうち、日本人と英国人の気質の相違を知って、この日本国はいつしか外国のために打倒せられるのではないかと心配しはじめた。その時天理教の幹部は、世界の立て替えが近づいた、日本も世界も一時は苦しむが今に真人間が出現して、これを立て直すと言っていた。そこで彼は大正13年に外国語学校の選科学生となって、外国語の勉強をはじめたが、たまたま政治家の小森雅介に会い、神示について語り合って意見が一致した。その後彼は遣外艦隊乗組員となり、高松宮殿下に接近してその賢明さを知り深くこれを尊敬した。それから6年後の昭和5年軍艦長門に勤務中、天皇陛下のお召艦乗組員として伊豆大島、八丈島などに行ったが、艦上警備の厳重なのを見て、天皇と人民とは最も親密であるべきに、この警備は両者を遠ざける結果になるのではないかと思ったが、美濃部達吉博士の天皇機関説や統帥権干犯事件および、昭和7年5月15日の犬養総理大臣射殺事件などについて、日本の将来を心配して、神示を得たいと思ったが、天理教には明治40年以後、も早神示が現れないので、小森雅介から矢野祐太郎の書いた、全大宇宙史を借りて読み、直ちに矢野祐太郎に面会し、神政成就の大業に参加することを約束したのであった。

 かくして矢野祐太郎、加世田哲彦が発起人となり、昭和9年11月14日にいよいよ神政龍神会を組織したが、この日集まったのは、海軍大佐矢野祐太郎、海軍中佐加世田哲彦、伯爵上杉憲章、陸軍大佐高島己作、貴族院議員赤池濃、鉄道省人勅任技師江浪常吉、子爵田尻鐡太郎、男爵岩下家一、商学士小笠原孝次、夫人信子、東戸策、片山光治郎、榎本半次郎、高橋龍吉、渋沢正康、宮崎嘉明、小池義策、三文字正平、服部友三郎、小山照次、霊媒者浅川松枝、浅野浩司、河野久太郎、川口市之助、車末吉等の25人であった。このうちの車末吉は兵庫県川辺郡中谷村の肝川の生れで、大本信者である。肝川には昔から龍神がいるという伝説があり、その妻小房は憑依者であって、この肝川に金鉱があるという神示を得て、出口王仁三郎も出張して採掘に従事したがものにならず、車一家は没落してしまった。けれども小房の信仰はおとろえなかったのである。この神政龍神会の主張によれば、世界の建直しについて最初にこれを宣明したのは黒住宗忠で、その黒住教の天命直授は、文化11年から36年間つづき、中山みき、伊降伊蔵の説いた天理教の神示は天保9年から明治42年までつづき、川手文次郎の説いた金光教は、安政2年から30年間神示があり、山本又次郎の説いた妙霊教は明治2年から20年間つづいて立消え、その後この神示を本格的に日本人に啓示したのは出口直が、明治25年にはじめて発表したお筆先で、これを完成して世界の建直しを実行するのが神政龍神会だというのである。

 この神政龍神会で信じた神というのはどんなものであったろうか。それを簡単に述べてみる。神政龍神会で信じた神は、天の御先祖または天の御三体という、天照皇大御神、撞の大神、霊の大神、であった。撞大神、霊大神、というのは天照大神の荒魂であり、尊称であるが、これを三体にわけて言ったのは、矢野講義でその意味をくわしく述べているのであろうが、その文献を持ち合わせていない。この天の御三体を根元の神とし、その下に主補佐神が二体ある。その名は艮の金神=国常立大神。その妃、坤の金神=稚姫君大神という。それから天の御三体を補佐してこの地球を作り、日本国ではじめて人間を創造し、この国を世界の神国祖国として、人類界の統治者をおくことにしたのが龍宮乙姫大神、岩の神、地震の大神、荒の大神、雨の大神の六神である。これらは日本国を守る神であるが、このほかに、ろ国の極悪神、村葉神、唐みたま、悪魔、四つ足の眷族の五神があって、これらは日本以外の国々を守る神である。また、天の規則やぶりの神というのがあって、とつ国の極悪人と相談して、みろくの世を破壊し、主補佐神の引退を強訴したので、天の御三体はみろくの世が来るときまで、一時この世に自由と悪を許し、主補佐神を引退せしめた。ところがこの世の中が、上げも下げもならぬ末法の世になって来た。そこで天の御三体と補佐神はこの世の中の立て替えと、立て直しの仕組みをすすめるため、黒住教以下四教祖の啓示を日本人にあたへ、最期に大本教が現れ、神界人界の立て直しをすることになり、天変地異を与え、戦争を起こさしめ、とつ国の極悪神が長く計画していた日本打倒戦を現実ならしめ、まず日本人の整理、改心を行い、最期に神力の発現にて徹底的勝利を得、全世界をしてこの国を神国と認めしむる時が来るのである。それは今度の大望であり、今度の大峠であり、今度の大洗濯である。この空前の大事業の策源地は、地上の高天原、丹波の綾部である。

 これが龍神会の信仰であるが、大本教出口直の四女福島久子のお筆先には、みろくの世がやぶれて、こんな乱世になったのは天の規則やぶりの神、天照彦大神が金龍姫に恋慕して政治を怠ったため、ろ国の極悪神山武姫大神等の日本侵入となり、わが国は二千五百年来極悪神山武姫の支配するところとなり、今日に及んでいるのである、と書いてある。

 こんな昨日の知識どころか、千年前の知識ともいうべき思想が、昭和年間に日本の識者間に信じられたということは、今から考えるとその時代の日本における思想界の動きを看取することが出来る。それは日本の宗教に何の権威もなく、道徳は日に頽廃に赴き、政界は極度に腐敗しているのを、憤慨する人々が、何とかしてこの世を立て直したいという一念から、ついに日本を世界の中心であると誤り信じている、国神崇拝者の預言、または神語と信ずるお筆先を神の啓示と信じたためである。※一部記述に疑問な部分がありますが、原文ママです。入力ミスにあらず(笑)。尚、著者は基教信者。