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 時は、紀元3世紀――。
 「蒼天已死、黄天当立」を旗印に、太平道教祖・張角が民衆を率いて蜂起した黄巾の乱に端を発した乱世は瞬く間に中国大陸全土を覆い、漢帝国は崩壊。群雄割拠の時代に突入する。
 やがて、乱世は三人の英雄を世に輩出する。
 知性の能臣、乱世の姦雄と称された希代の将・曹操。
 中山靖王劉勝の末裔にして、大徳と称された漢・劉備。
 江東の虎・孫堅の志を引き継いだ碧眼紫髭の天狼・孫権。
 彼らは乱世の中にあって優秀な部下を率いて次第に頭角をあらわし、やがて、それぞれ魏・蜀・呉を建国するにいたり、劉備の軍師・諸葛亮の目論見どおり、天下は三分される運びとなる。
 三国は夷陵、漢中、あるいは合肥などでたびたび激突し、その度に数多の将兵を失ったが、どの戦も天下の帰趨を制しうるような戦にはなりえず、いつしか、天下が三分されてから十有余年の歳月が流れる。


 そして、紀元234年。
 ついに、蜀が動く。
 222年に夷陵で呉に大敗した後、漢中にあってもっぱら国力の回復に努めていた蜀丞相・諸葛亮は劉備と呉皇帝孫権の妹・孫尚香との復縁を成功させて再び呉と同盟を結ぶと、劉備に上表し、北伐の軍を興すことを願いあげる。「臣亮申す……」の書き出しで始まり、後年、「出師の表」と称されることになるこの上表文に劉備の心は強く打たれ、魏討伐の一大決心をする。
 234年、秋。
 劉備は自ら大軍を率い、かつての都・長安の目と鼻の先である五丈原まで進出する。
 従う将は、丞相・諸葛亮をはじめ、関羽、姜維、月英、魏延、孫尚香、王平、馬岱といった面々。
 この劉備の並々ならぬ決意を感じ取った魏皇帝・曹操もまた自ら軍を率いて許昌を発し、蜀軍を迎え討つために五丈原に入る。
 従う将は、都督・司馬懿をはじめ、夏侯惇、張コウ、曹仁、許チョ、夏侯威、曹彰といった面々。
 両軍、損害度外視の激烈な戦いが繰り広げられるかと思われたが、意外にも魏軍都督・司馬懿は固守の姿勢を見せ、諸葛亮のいかなる挑発の手にも乗ろうとしない――挑発には、乗らない、はずだった……のだが。


「司馬懿…………あなたの固守の姿勢、真に見事でした。見事だったのですが………いえ、よしましょう」
「……………フン」
 蜀本陣・諸葛亮の陣幕の中。
 伏兵に引っかかった敵の斥候がいるとの報告を受け、直々に尋問しようと陣幕までつれてこさせると――彼の目の前に現れたのは、誰知ろう、魏軍本陣でこちらの挑発に対してニヤニヤと余裕の笑みで固守の姿勢を守り通しているはずの、司馬懿その人だったのである………。
「時に……その衣装は、一体?」
 ププッ、という笑がこみ上げる口元を羽扇で隠しながら、諸葛亮は尋ねる。
 司馬懿が身に付けているのは、およそ戦場には相応しくない、歩けばずるずると裾を引きずりそうな衣装。しかもそれは――何故か、女性用のモノであった。
「馬鹿め。貴様を驚かせてやろうとわざわざ着てやったのだ。ありがたく思え」
「………………ええ、まぁ。驚きましたよ。化粧もよく似合っていますし」
 ププッ、という押し殺した笑い声。見ると、諸葛亮の親随の兵がこちらに背を向けて、小刻みに肩を震わせている。
「……………フン」
 耳まで真っ赤にして、司馬懿はそっぽをむく。
「……さて、司馬懿」
 ゆっくりといすから立ち上がりながら、諸葛亮はパチン、と指を鳴らす。
 それに一礼して、親随の兵たちがそそくさと陣幕の外へと退出する。
「……………………」
 ぞくり、と、背筋に嫌なものが走るのを、司馬懿は感じた。
「そのような格好でここに来た以上……わかっているでしょうね?」
「な………何のことだ………」
 シュコーッ……シュコーッ………。
 見ると、諸葛亮が鼻息を荒くしてこちらに近づいてくる。
「ま、まさか………」
「………ええ、そのまさかですよ。その服、とっても似合っていますよ、仲達………」
 顔が思いっきり引きつるのを、司馬懿は感じた。
「サイズも、ぴったり合っていたでしょう………」
「そういえば……貴様、なぜ私の服のサイズを知っている!?」
「それは……秘密です」
 ポッ、と顔を赤らめる諸葛亮。
 シュコーッ……シュコーッ……。
 とても人間とは思えない鼻息で、じりじりとこちらに近づいてくる諸葛亮。
 一歩、また一歩、と諸葛亮が近づくたびに、司馬懿はあとずさっていき――そして。
「………しまった!?」
「ふふふふ……もう、後はありませんよ……じゅるっ」
 陣幕を背にした司馬懿に、諸葛亮が思わずよだれをたらす。よく考えてみれば陣幕を蹴破って逃げられそうなものなのだが、もちろん、今の司馬懿にそんなことを考える余裕はない。貞操の危機が、迫っているのである……。
「司馬懿……あなたとのこの出会いは、まさに運命………さぁ、私にその身体をゆだねるのです………」
 よだれをたらし、らんらんと目を輝かせて、飛び掛る諸葛亮!
「………寄るなぁぁぁああああああ!!」
 シュビーンッ!
 司馬懿の掌から、妖しげな紫色のビームが放たれる。
「ふごッ!」
 シュビーン、シュビーン、シュビーンッ!
 司馬懿が放ったビームは無防備だった諸葛亮の鳩尾をまともに貫き、さらにそれに追い討ちをかけるように、紫色のビームが乱れ飛ぶ。
 司馬懿、渾身の無双乱舞であった。
「………はぁ、はぁ……や、殺ったか?」
 派手に地面に激突し、首がありえない方向に曲がっている諸葛亮に、司馬懿はホッ、と安堵のため息を漏らす。
「よし、あとは逃げるだけ………」
「逃がしませんよ」
「はぁぁああ!?」
 首が嫌な方向に曲がったまま、諸葛亮がムクリ、と起き上がる。
「その技……もはや人間業ではありませんね……」
「き……貴様に言われたくないわ! 馬鹿め!」
 慌てて司馬懿が放ったビームをスッ、とよけると、諸葛亮はゴキッ、と、自分の首を元に戻す。
「今のは、ちょっと応えましたよ」
「…………………」
 改めて、司馬懿は背筋に寒気が走るのを感じた。
「さぁ、おとなしくなさい。何をやっても、無駄です」
 シュコーッ……シュコーッ……。
「司馬懿よ……本当の軍師ビームとは、こう撃つのです!」
「やらせるか、馬鹿め!」
 諸葛亮と司馬懿の掌から、ほぼ同時にビームが放たれる。
 バチバチバチバチッ!
 諸葛亮の放った黄色のビームと、司馬懿の放った紫色のビームが真っ向からぶつかり合い、そして――
「これは……いけませんね……」
「ぬぉぉおおお!?」
 大音響と共に、諸葛亮の陣幕で、盛大な火柱が上がった。


「む、あれは………」
 派手な爆発音に、関羽の顔がこわばる。
 その火柱は、諸葛亮の陣幕からは少し離れた位置にあった劉備の陣幕の前からも十分に見て取る事が出来た。
「う、雲長、何が起こったのだ!?」
「兄者!」
 バッ、と陣幕が開けられ、中から劉備が姿をあらわす。
「……兄者。お楽しみの最中であることは重々承知しておりますが、陣幕の外に出るときくらい、服を着てくだされ」
「う、あ、ああ……すまぬ」
 あわてて中に戻る劉備に、関羽は思わずため息を漏らす。
「……それで、何事だ、雲長」
 早着替えの特技でも持っているのか、すぐに完全武装で戻ってきた劉備に、関羽は諸葛亮の陣幕のほうを指差す。
 空が、紅く染まっている。
「諸葛亮殿の陣幕で、何かが起こったようでござる」
「何、諸葛亮の!?」
「待たれよ!」
 あわてて駆け出そうとする劉備を、関羽が押しとどめる。
「兄者にもしもの事があっては一大事! ここは、拙者が確かめて参る!」
「しかし雲長……」
「なりませぬ! ………それに」
「それに?」
「諸葛亮殿に何か起こったとして……そうそう滅多なことで亡くなられる御仁ではありますまい」
「……………そうだな」
 諸葛亮の姿を思い起こして、劉備は妙に納得する。
 そこへ。
「雲長殿!」
「おお、姜維か」
 よほど急いできたのか、ゼェゼェと息をつきながら、姜維があらわれる。
「丞相の……丞相の陣幕で、何が!?」
「それを、今から確かめに行こうと思っていたのだ」
「それでは、私が参ります!」
「いや、しかし……」
「雲長殿は我が軍の中核にあらせられます。何か間違いがあっては一大事! ここは、私にお任せください!」
 返事も待たずに、姜維は諸葛亮の陣幕のほうへと走っていく。
「………妙なことにならなければいいが」
 見る間に小さくなる姜維の後姿に、劉備が大仰なため息をつく。
 と。
「玄徳様〜、まだぁ〜?」
 陣幕の中から、孫尚香が劉備を呼ぶ。
「おお、尚香殿、今すぐ戻る! それでは雲長、後は頼んだぞ!」
 そう言い残し、陣幕の中に戻る劉備。
「はぁぁぁ………」
 関羽のため息は、海よりも深い……。


 一方、姜維である。
「丞相! 何事ですか……って、うわぁぁぁぁああああああ!!?」
 大爆発が起こった割には傷一つついていない陣幕を蹴破り、中に入ってみると……そこには!
 何故かびりびりに引き裂かれた女物の衣装を身にまとった司馬懿を地面に押し倒した、諸葛亮の姿があった。
「……………じょうしょう?」
「姜維………見てしまいましたね………」
「え、いや、その、あの……………みてないですなにもみてないですじょうしょうがじょそうしたしばいをおしたおしていたなんてそんなものはぜったいにぜったいにみていませんからゆるしてくださいていうかたべないでぇぇぇぇえええ!」
 錯乱する姜維の腕を、なにやら黒い物体がつかむ。
「え…………?」
「キシャーッ!」
「うわぁぁぁぁぁぁあああああ!!!」
 見ると、諸葛亮の長い髪の毛が触手のようになって、姜維に襲い掛かってくるではないか!
 とっさに回れ右をして逃げ出そうとした姜維だが――。
 ビタン!
 足をつかまれて、派手な音共に前のめりに転んでしまう。
「姜維……顔から地面に突っ込むとは、いけませんね……その美しい顔が、台無しです」
「うわぁぁぁぁぁぁぁあああああ! こんなことなら蜀に降るんじゃなかった!」
「馬鹿め……あのまま天水におればいいものを……」
 マジ泣きしている姜維に、諸葛亮に押し倒されたままの司馬懿が毒づく。
 そこへ。
「孔明様! 孔明様! ご無事ですか!!?」
 遠くから聞こえてきた女性の声に、諸葛亮の身体がビクッ、と震える。
「孔明様!」
 バッ、と陣幕が蹴破られ、見るからに気の強そうな女性が姿をあらわす。
「孔明様………何をしておいでです?」
「げ、月英………」
 ヒクッ、と、諸葛亮の顔が引きつる。
「何事かと心配してきてみれば………この様ですか!?」
 完全にぶちきれた月英が、右手を天にかざす。
 すると、月英の掌の上になにやら黒い球体が現れ――
「来々、火薬壷!」
 月英が叫ぶと、ポン! という安っぽい音と共に、大人一抱えほどの大きさの褐色の壷が数個、いずこからともなく現れる。
 さらに。
「来々、虎戦車!」
 これまたポポン! という音と共に、今度は数台の虎戦車が姿を現す!
「げ、月英、いつの間にそんな術を……」
「し、諸葛亮、この期に及んでそんなことを言っている場合ではあるまい!」
「……そうでした。月英、これには深い、ふか〜いわけが……」
「女装した変態男を押し倒し、なおかつ前途ある青年を触手で拘束しておいて、まだ言いますか!!」
「いや、それは、その………話せば分かります」
「問答無用! ふ き と び な さ い!!!」
 月英の右手がサッ、と振り下ろされ、それと同時にゴウ、という音と共に、虎戦車が炎を吐き出す!
「うわっちっちっち!」
 虎戦車の炎で運良く触手から逃れた姜維が、ほうほうの体で月英の陰に隠れる。
 だが――虎戦車が吐き出す炎の勢いは衰えることを知らず、そして――


 ドゴォォォォオオオオ――――ンッ!!


 火が火薬壷に引火し、大音響と共に諸葛亮の身体を闇夜の空に吹き飛ばす!
「たーまやー……」
「かーぎやー……」
 地べたに這いつくばったままの司馬懿と、月英の陰に隠れた姜維が、弱々しく呟く。
 が。
「さすがですね、月英……この孔明、もはや手加減はいたしませんよ?」
 フワリ、と地面に舞い戻ると、諸葛亮はビシッ、と羽扇を月英に向ける。
「のぞむところですわ!」
 月英も、いつの間にやら手にしていた戈(か)を構え、ビシッ、とポーズをとる。
「シャッ、シャッ、ホゥッ!」
「せいっ、せいっ!」
 司馬懿と姜維をそっちのけで夫婦喧嘩をはじめる、諸葛亮と月英。
 さすがにこの騒ぎに気付いたほかの武将――劉備や孫尚香をはじめ、魏延や関羽、王平らも駆けつけてきたが、もはや、誰も止めようとする者はいない。
 嵐よ早く去ってくれ、とばかりに遠巻きに見つめるのみだったが――実は、この夫婦喧嘩を遠巻きに見つめる者達が、他にも、いた。


「夫婦喧嘩は犬でも食べない、といいますが……なるほど、実に美しくないですねぇ……」
 蜀軍の本陣を見下ろす小高い山の上。
 何故か上半身裸で、両腕には長く伸びた鉄の爪をつけたその男は、「はぁぁ……」と大仰なため息をついてみせる。
 奇妙……を通り越して、もはや異様ともいえるいでたちだが、その物腰はあくまで優雅な彼こそ、魏軍にその人ありと謳われる希代のナルシスト、張コウであった。
「……敵は、夫婦喧嘩に気を取られてこちらに気付いていないようです!」
 配下の兵の内の一人が、これまた優雅に一回転してひざまずき、状況を報告する。
「どうやら、都督も無事のようですねぇ?」
 一人頷くと、張コウは配下の兵たちのほうを振り返る。
「嗚呼、醜いモノを駆逐できるのは、唯一、美しいモノのみ! 美しさとは、まさに罪! さあ、皆さん! 舞うのです! 華麗に! 典雅に! 美しく!!!!」
 シャキーン!
 張コウの身体をアヤシゲなオーラが包み込み、それと同時に、配下の兵たちが一糸乱れぬ動きで、クルリ、と一回転してみせる――あくまで、「優雅」に。
「都督、今、参りますよ!」
 一声叫ぶと、張コウは兵たちの先頭に立って山を駆け下り、蜀軍の本陣に突入する!


 ウワァァァァァァァァァァアアア!!


「な、何が起こったのだ!?」
 突然の鬨の声に、蜀軍の武将たちはハッ、と我に帰った。
「報告! 魏軍奇襲部隊、本陣後方より現れました!」
「何ィッ!!?」
 諸将は慌てて武器を取り、魏軍に応戦しようとするが、本陣は、もはや手のつけられないほどの混乱の極みに達している。
「玄徳様ぁっ!?」
「尚香殿、離れてはなりませんぞ!!」
「兄者!!」
「敵……我……倒ス!!」
「ああもうだめだははうえさきだつふこうをおゆるしください……」
「フハハハハハハハハ! 馬鹿め! この私が、策を弄さずとでも思ったか!」
 どさくさにまぎれて、司馬懿はようやく諸葛亮の魔の手から逃れ、突入してきた張コウと合流する。
「張コウ、よくやった!」
「都督、ご無事で何よりです……。後から、夏侯惇殿と殿御自らが後詰に向かわれるとのことです」
「うむ。よし、全軍、このまま蜀本陣を一気に攻め落とすのだ!」
 司馬懿の号令と共に、魏軍はいっそう、凶暴さの度合いを増す。
 まさに、絶体絶命である。
 劉備をはじめ、蜀軍の命運も尽きたかと思われた、その時――!


 ドカカッ、ドカカッ、ドカカッ……!


 荒々しい、蹄の音。
「伝令! 何者かが、こちらに向かってきます!」
「何ィ!?」
 あわてて、司馬懿と張コウは配下の兵が指差した方向に目を凝らす。
 そこには――!


「どけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいッ!!」
「りょ……りょ……りょ……呂布だぁぁあああああッ!!」
「何ィ、呂布だと!? 死んだはずの奴が、何故ここにいる!?」
 驚愕のあまり見開いた目に、赤兎馬にまたがった、禍々しい呂布の姿が飛び込んでくる。
 これには、司馬懿や張コウだけでなく、蜀軍の諸将も唖然とするばかり。
 あまりの出来事にピタリ、と動きを止めた両軍の中を、呂布と赤兎馬は悠然と歩を進め、やがて、劉備の目の前で立ち止まる。
「………フン」
「呂布……お前、生きていたのか………」
「やかましい! このカスめ! 腑抜けの腰抜けめ!! このような小娘に入れ込むから、こういうことになるのだ!!」
「なぁああんですってぇぇええ!!?」
「尚香殿! こ、ここは、抑えるのだ!」
 小娘、と言われて怒髪天をついた孫尚香が呂布に向かっていこうとするが、それを何とか、劉備が押しとどめる。
「………フン」
 そんな孫尚香を見て、呂布は面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「貴様のバカ兄に頼まれたのだ。何かあったときには、貴様と劉備を頼む、とな」
「兄様が……?」
「ほう……孫権の、な。しかし呂布よ、一体、どういう風の吹き回しだ。貴様がタダでこういう役目を負うとは思えん」
 司馬懿の言葉に、一同、何度も頷く。
「……それは、孫尚香殿と殿の安否と引き換えに、孫呉の秘宝を要求したからでしょう」
「おわっ……? 貴様、そんなところにいたのか!?」
 司馬懿の足元で死んだ振りをしていた諸葛亮が、突然、ムクリ、と起き上がる。
「孫呉の秘宝……尚香殿、心当たりは?」
「さぁ………」
 劉備に尋ねられ、孫尚香は要領を得ない、といったふうに首を振る。
「孫呉の秘宝……諸説ありますが、私が聞いた話に寄れば、死んだ者の魂をよみがえらせることが出来る宝玉なのだそうです」
「死んだ者の魂を……よみがえらせる……?」
「ええ……おそらく、呂布、あなたの目的は………」
「……………貂蝉…………」
 かつて、呂布と共に戦場をかけた舞姫の名に、呂布の目から、涙が零れ落ちる。
「やはり…………」


 今を遡ること36年前――198年、下ヒ城。
 董卓を討ち果たしたものの、親殺しの汚名を着せられて諸国を流浪の身となっていた呂布は、当時、徐州にいた劉備に迎えられ、下ヒ城に入った。
 劉備にしてみれば、曹操に対抗するための、この上ない戦力であった。
 だが、呂布にして見れば、劉備の配下という境遇はどうにも気に食わない。
 当然のように、呂布は劉備の留守を狙って下ヒ城を奪い取り、ようやく、一国一城の主となった。
 だが。
 曹操と対立していたはずの劉備は逆に曹操と手を結び、下ヒ城を包囲。
 配下には裏切られ、唯一、頼みとしていた張遼も捕らえられ、袁術からの援軍も届かず、絶体絶命の窮地に立たされた呂布は、城を捨て、貂蝉と共に落ち延びることを決意した。
 決意したのだが――。
 この計画を打ち明けるために、貂蝉の自室に入った呂布を待っていたのは、自ら喉を突いて命を絶ち、冷たくなってしまった貂蝉の亡骸であった。
「奉先様――この身体は滅びようとも、魂は、つねに奉先様とともに在ります」
 足手まといになるのを避けるために、貂蝉はこう書き置いて、自殺してしまったのである……。
 その後、呂布は単騎で連合軍の囲みを破ったが、その際に深手を負い、もはや、死んだと思われていたのだ――。


「美しい! 死してなお、一人の女性に愛を捧げる……これを美しいと言わずに、なんと言うのでしょう! ねぇ、都督?」
「う、うむ………」
 もらい泣きをして涙ぐむ張コウに、司馬懿は心底嫌そうな表情で頷く。
「しかし……魂はよみがえっても、その魂を入れる身体がなければ、どうにもならぬのではないか?」
「……そういえば……」
 劉備の言葉に、一同、頷く。
「たとえ肉体はよみがえらずとも、貂蝉の魂さえ側にいてくれれば、俺は……俺は……ッ!」
「しかし、貂蝉は死ぬ間際に、自分の魂は常にお前と共に在る、と書き置いているのだろう?」
 劉備の容赦ないツッコミに、一同、ウンウン、と頷く。
「やかましい! 貴様、助けてもらっておいてその言い草か! 大徳が聞いて呆れるわ!!」
「い、いや、まぁ、その……それは、ありがとう」
「…………フン」
「方法がないとも、限りませんよ………」
 呂布が涙ながらに昔語りをしている間、月英と夫婦喧嘩の続きをしていた諸葛亮が、呂布の前に戻ってくる。
(雲長……今、諸葛亮、わずかに浮いていなかったか?)
(拙者も、しかと見申した……)
「殿……これを」
 諸葛亮は懐をごそごそと探ると、劉備に一冊の本を渡す。
「なになに、『建興八年式高々度技術運用型義体取扱説明書 改訂第四版』……?」
 裏表紙を見ると、「(株)荊州製作所企画開発部 開発第四課長 黄承彦 責任編集」と書いてある。
 パラパラとめくってみると、「軍師砲使用上の注意」だの、「世間で怪しまれないために」だの、種々雑多なことが詳細な図入りで説明されている。
「……なんだ、これは?」
「見ての通り、高々度技術運用型義体の取扱説明書です」
「コウコウドギジュツ……なんだって?」
「高 々 度 技 術 運 用 型 義 体です。簡単に言えば……機械の体、ということになりますか」
「はぁぁぁぁぁあああああああ!!?」
 一同、唖然として見つめる中を、諸葛亮はふぅ……とわざとらしいため息をついて、天を仰ぐ。
「長く厳しい戦いの連続……元来、丈夫ではない私の身体は、漢中を得た辺りから、だんだんと病魔に蝕まれていきました」
(雲長……そういうふうに、見えたか?)
(いいえ、少しも。むしろ、戦を重ねるごとに異様なまでの力を発揮していたような……)
「決定的だったのは、南中平定戦……毒沼に肩までつかり、虎にかまれ、あまつさえ象にまで踏まれた私の身体は、もはや限界だったのです」
(ソレハ、死ヌ……当タリ前……)
「このままでは、殿の天下を築く前に死んでしまう……そう思った私は、ある、一大決心をしたのです」
(………そこまでしなくてもいいと思うのですけどねぇ。美しくない………)
「幸いにも、私の義父……黄承彦が、荊州製作所で義体の研究をしていました。そこで、私は、義体手術を受けたのです……」
(ははうえさまわたしはもうしょくぐんでやっていけそうにありませんだってこんなばけものがじょうしにいるんですもの)
「そして手にいれた、この身体……脳髄以外、実に身体の90%以上を機械化した私は、無敵の力を手に入れたのです!」
(確かに無敵だが………馬鹿め、としか言いようがない……)
「まぁ……事の経緯は分かった。それで、諸葛亮。そなたの身体と貂蝉の魂と、何の関係があるのだ?」
 強引に話を戻して、劉備が尋ねる。
「ああ、そのことですか……」
「まさか、荊州製作所に行けば、貂蝉の義体が作れるというのか!?」
「いいえ、それは出来ません。荊州製作所は、我が軍が荊州を失ったときに焼き払われてしまいましたので」
「では、どうすればよいのだ!!」
呂布に問い詰められて、諸葛亮はポッ、と頬を赤らめる。
「私の身体に、貂蝉の魂を入れるのです」
「……………は?」
「私の身体に、貂蝉の魂を入れるのです。幸い、私の身体は二人までなら魂が同居できるようになっています」
「どういう身体だ、それは………」
「身体は私のままですが、あなたが望めば、いつでも貂蝉と意識を入れ替える事が出来ます………」
「それはあんまり意味がないような気が……」
 劉備のツッコミを無視して、諸葛亮は呂布に向かって両手を広げる。
「さぁ、呂布。私の身体に貂蝉の魂を入れるのです。そうすれば、あなたは貂蝉と共に、とこしえに………」
「………………(プチン)」
(ま……まずい! 雲長、尚香殿、逃げるぞ!)
(あ、兄者!)
(玄徳様!?)
(都督、ここは、そろそろ引いたほうが……)
(う、うむ……)
(ははうえさまいまからわたしはてんすいにもどりますまっていてください)
(我……死……有リ得ン……)
(孔明様……どうか、ご無事で!!)
 ブルブルと身体を震わせる呂布に一同、逃げる構えを見せるが――
「ふ……ふ……ふざけるなぁぁぁぁぁああああ!!!!」
 呂布が完全にぶちきれるのが、一瞬だけ早かった。安全圏に逃げ切らないうちに、劉備たち諸将は等しく、呂布の方天画戟の剣圧に吹き飛ばされる!
「「「「う、うわぁぁぁぁぁぁああ!!」」」」
 その姿は、まさに鬼神。
 荒れ狂う暴風の如き力に、蜀軍、魏軍問わず、片っ端からなぎ倒される。
 が――
「呂布よ……遠慮することはありません。さぁ、私の身体に貂蝉の魂を……」
 さすがに機械の身体というべきか、諸葛亮は呂布の猛撃にびくともせず、呂布ににじり寄る!
「むぁだ言うかぁぁぁあああ!!」
 一声、呂布がほえた瞬間、彼の身体を赤いオーラが包み、そして――
「消えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいいいっ!!!」


 ドォォォォオオオオ―――――――ンッ!!!


 呂布の身体を中心に、虎戦車+火薬壷の爆発など比較にならないほどの大爆発が起きる!
 天空に駆け上った火柱は闇夜の空をまばゆく照らし、それは司馬懿救援のために蜀軍本陣に接近中であった曹操・夏侯惇率いる魏軍本隊はもちろん、遠く離れた成都の民でさえ確認できた程。
「孟徳!」
 慌てて駆けよる夏侯惇と、曹操は思わず顔を見合わせる。
「司馬懿と張コウの身が心配だ。夏侯惇、急ぐぞ!」
「応!!」
 軍の進行速度をあげようと号令をかける曹操と夏侯惇。
 だが、その二人の目の前に、呂布が立ちふさがる!
「何ィ! 貴様、下ヒで死んだはずでは……!!?」
 慌てて立ち止まる二人を前に、呂布はらんらんと目を輝かせ、不敵な笑みを浮かべる。
「元はと言えば……貴様らが下ヒに攻め寄せたことから始まったのだ! あの世で貂蝉に詫びろ!」
 見る間に呂布の身体が黄金色のオーラにつつまれ、そして――!
「吹き飛べぇぇぇぇえええッ!!」
「ぬ、ぬぉぉぉぉおおお!!?」
 目にも止まり様がない速さで迫り来る方天画戟をよけきれずに、曹操の身体は馬ごと真っ二つにされる。
「も、孟徳!!?」
「貴様も死ねぇぇいっ!!」
「ぬぉっ………」
 曹操に気を取られたのがまずかったか――夏侯惇の身体もまた、呂布の方天画戟をまともに受け、四散する。
「貂蝉……ちょうせん……チョウセンンンンンンッ!!」
 かつて愛した女性の名を叫びながら、赤兎馬にまたがった呂布は単騎、魏軍本陣に突入する。
 予期せぬ奇襲、さらには、赤兎馬にくくりつけられた曹操と夏侯惇の首に魏軍は大混乱に陥り――ほどなくして、雲散霧消する。
「チョウセンンンンンンンンンンンーッ!!!」
 たった一人で蜀軍と魏軍の両方を壊滅せしめた鬼神。呂布の叫び声は五丈原一帯に響き渡り、それを聞いた付近の住民を長らく、恐怖に陥れた……。


 翌朝。
 死屍累々、血の海と化した蜀軍本陣跡で、一人、ムクリ、と起き上がった男がいる。
 異形の仮面の男――魏延。
 呂布がぶちきれたときに逃げ遅れてしまっていたのだが、逆に「爆心地」に近かった分だけ、生き延びる事が出来たらしい。
「魏……倒シタ」
 晴れ渡った空を見上げ、魏延は一人、呟く。
「殿……諸葛亮……皆、死ンダ」
 愛用の双極滅星を担ぎ上げ、魏延は遥か蜀の都、成都のほうを見やる。
「乱世……マダ、続ク。我、マダ、戦ウ……蜀ノ、タメ」
 大きく伸びをして、魏延はゆっくりと、歩み始める。
「我……蜀、戻ル……」
 たった一人、蜀の都・成都を目指して――。


 時は、紀元3世紀。
 「蒼天已死、黄天当立」を旗印に、太平道教祖・張角が民衆を率いて蜂起した黄巾の乱に端を発した乱世は瞬く間に中国大陸全土を覆い、漢帝国は崩壊。群雄割拠の時代に突入する。
 やがて、乱世は三人の英雄を世に輩出する。
 知性の能臣、乱世の姦雄と称された希代の将・曹操。
 中山靖王劉勝の末裔にして、大徳と称された漢・劉備。
 江東の虎・孫堅の志を引き継いだ碧眼紫髭の天狼・孫権。
 彼らは乱世の中にあって優秀な部下を率いて次第に頭角をあらわし、やがて、それぞれ魏・蜀・呉を建国するにいたり、劉備の軍師・諸葛亮の目論見どおり、天下は三分される運びとなる。
 三国は夷陵、漢中、あるいは合肥などでたびたび激突し、その度に数多の将兵を失ったが、どの戦も天下の帰趨を制しうるような戦にはなりえず、いつしか、天下が三分されてから十有余年の歳月が流れる。


 そして、紀元234年。
 ついに、蜀が動く。
 222年に夷陵で呉に大敗した後、漢中にあってもっぱら国力の回復に努めていた蜀丞相・諸葛亮は劉備と呉皇帝孫権の妹・孫尚香との復縁を成功させて再び呉と同盟を結ぶと、劉備に上表し、北伐の軍を興すことを願いあげる。「臣亮申す……」の書き出しで始まり、後年、「出師の表」と称されることになるこの上表文に劉備の心は強く打たれ、魏討伐の一大決心をする。
 234年、秋。
 劉備は自ら大軍を率い、かつての都・長安の目と鼻の先である五丈原まで進出する。
 従う将は、丞相・諸葛亮をはじめ、関羽、姜維、月英、魏延、孫尚香、王平、馬岱といった面々。
 この劉備の並々ならぬ決意を感じ取った魏皇帝・曹操もまた自ら軍を率いて許昌を発し、蜀軍を迎え討つために五丈原に入る。
 従う将は、都督・司馬懿をはじめ、夏侯惇、張コウ、曹仁、許チョ、夏侯威、曹彰といった面々。
 大方の予想に反し、両軍にらみ合いの持久戦となったが、そこに死んだはずの猛将・呂布が現れたことで、形勢は一変する。
 人中の呂布、馬中の赤兎――かつて、そう、称された呂布の力はまさに鬼神と呼ぶに相応しく、呂布一人の手によって、五丈原に終結した蜀・魏の両軍は雲散霧消してしまう。
 時代は、動いた。
 五丈原の戦いの詳報を聞くに及び、呉の孫権はこの機を逃がさじと蜀・魏、両方面に軍を進めたのである。

 五丈原の戦いから5年後、239年。
 父・孫堅以来の悲願に邁進する孫権の元を、東の海の果ての島国から一人の少女が訪れるのだが――これはまた、別の話である。
五丈原の戦いの章・了
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