「………出そうだな」
 誰もいない、事務所の中。
 一人、黙々と書類の整理をしていた葛城はふと顔を挙げ、ポツリ、と呟いた。
 「出る」とはこの場合、幽霊をはじめとした化け物の類をさす。
 神社の境内の一角にあるこの事務所でそういうのが出るのはあまりしゃれにならない話だが――そういうのは、こちらの都合などお構い無しに、出る時は出るし、場所は選ばない。
 おりしも、季節は夏。真夜中である。状況としては、まず、申し分ない。
 と。
 カタン、と音がして、空の湯飲みが倒れた。
 「……………出そうだな、と言われて、律儀に出る奴があるか」
 眉根を寄せる、葛城。すでにその右手には、数枚の呪符が握られている。
 「……………」
 椅子に座ったまま、倒れた湯飲みを見つめる。
 やや、あって。
 突然、事務所のドアが開いた。
 「………!」
 「お疲れ様です……って、所長、そんなものもって、どうしたんですか?」
 「……稲葉君か」
 姿をあらわしたのが顔見知りの若い男だと見るや、葛城はほぅ、とため息をついて呪符を懐に戻した。
 「いや、なに。出そうな雰囲気だな、と思っていたまでさ。そうしたところへ、君が帰ってきた、というわけだ」
 「ひどいなぁ。僕を幽霊か何かと勘違いしたんですか?」
 「ははは……それで、どうだった? 上手くいったかい?」
 「ええ。上手くいきました。ただ……」
 「ただ?」
 「和美さん、直帰するそうです。所長によろしく、といってましたけど」
 「そうか………」
 頷いて、葛城はわずかに顔を曇らせる。
 「それにしても、はた迷惑な奴がいたもんですよね。わざわざ注連縄を壊して入るなんて、罰当たりもいいところですよ」
 「まぁ、それが薬になって二度とそういうことをしないようにしてくれれば、それでいいさ。今回のケースは、良くある話の一つだよ」
 「やっぱりそうなんですか?」
 「ああ。例えば、こんな話がある。あれは10年前の、ちょうど今ごろだったかな……」
 そう言うと、葛城はつけていたパソコンの電源を落としながら、昔話をはじめた。

*    *    *    *    *

*    *    *    *    *

 1990年、8月14日。
 「……暑いな、今日も」
 今を盛りと鳴き誇る蝉の声の中、葛城は時折汗を拭いながら、船津八幡神社の境内を掃除していた。
 例年通りの、猛暑である。
 幼い頃からの日課とはいえ、日中の、しかも一番暑い時間帯での掃き掃除はかなり堪える。
 「ふぅ……」
 一度ため息をついて、葛城は汗を拭った。
 「早苗」
 照りつける陽を恨めしそうに見上げて、葛城は傍らで同じように掃き掃除をしていた女性に声をかけた。
 「もういいから、母屋で休んでいいよ」
 「そんなに心配しなくても大丈夫よ」
 額に汗を浮かせながら掃き掃除をしていた女性が、少し首をかしげながら、手を止める。
 「いや、まだ君は帰ってきたばかりだし……それに」
 「それに、何?」
 「……ほら、直子が呼んでいる」
 「え?」
 言われて母屋のほうを振り返る、早苗。
 「あら、本当」
 わんわんとこだましている蝉の鳴き声を圧するように、母屋から赤子の泣き声が聞こえてくる。
 「ごめん、ちょっと行ってくる」
 「ああ、行っておいで」
 うなずいた葛城に箒と塵取を押し付けて、早苗は小走りに母屋のほうに駆けていく。
 「やれやれ」
 押し付けられた箒と、早苗の後姿とを交互に見やりながら、ため息をつく、葛城。渋い表情を作ってみたつもりではあったが――どうしても、頬が緩んでくる。
 と。
 「あーあ、そんなににやけた顔しちゃって……氷浦課の女性陣が見たら、泣きますよ?」
 突然声をかけられて、葛城は慌てて振り返る。
 「葛城さんが結婚した、っていうだけでもショックだったのに、奥さんと子供さんのことで頬緩ませてるなんて……ちょっと、想像できませんよねぇ?」
 見ると、いつの間に現れたか、若い女性が悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
 「ああ、恭子君か……。いつから、そこに?」
 「つい、今しがたきたところです」
 答えて、女性は葛城が見ていた方向を振り返る。
 「相田さんも言ってましたよ。『あいつが子煩悩になるとは思わなかったがな』って」
 「ははは……じゃぁ、今度会ったら言っておいてくれ。『人の心配するより、自分の世話をしたらどうだ?』ってね」
 「いいんですかね、そんなこと言って」
 「まぁ、何を言っても無駄だろうけどな、あいつは」
 「それも、そうかもしれないですね」
 クスクス、と笑う女性に、葛城は急に、表情を引き締めた。
 「……それで、氷浦課のほうは何と言ってきた?」
 「え? ああ……浄光寺のほうから、応援を回すそうです。それで何とか手を打ってくれないか、ということでしたが」
 「そうか……萩原さんのとこからだったら、まず間違いはないな」
 「そうですね。さっき、事務所のほうに電話したら、『今日は暇だから俺が出てもいい』って、萩原さんが言ってましたし」
 「ふむ……それだと、こっちも楽なんだがね」
 一人うなずく、葛城。
 「あ、これ、作戦要項です。変更点はありませんけど」
 「分かった。目を通しておくよ」
 葛城はうなずいて、書類を受け取る。
 「じゃぁ、また後で来ますね」
 「ああ」
 「失礼します」
 軽く頭を下げた恭子に、葛城もまた、軽く会釈をする。
 「……上手い具合に行くといいんだがな」
 小走りに去っていく恭子の後姿を見やりながら、葛城は軽く、ため息をついた。


 ■作戦要項■
 期 日:平成2年8月18日
 現 場:某県藤橋市馬野辺402番地 馬野辺稲荷
 依頼者:藤橋市(JGBA経由)
 担当者:葛城俊信(船津八幡神社)、成島恭子(船津八幡神社)
 備 考:浄光寺退魔士事務所より応援2名を付す
 概 要:
  今回の作戦の目的は某県藤橋市馬野辺402番地に鎮座する、馬野辺稲荷周辺で頻発する霊異事件の調査である。
  葛城、成島両名は平成2年8月18日2200時より調査を開始。
  翌19日0230時までの間、現場を詳細に調査・観察し、有事の際は適切に対処せよ。
  なお、現場の馬野辺稲荷付近は「幽霊が出る」との噂が流れており、民間人の進入も十分予想される。
  有事の際は民間人の保護を優先して行うこと。


 4日、22時30分。
 「民間人、か……」
 国道の脇に立った街灯の下で作戦要項を読み返しながら、葛城は軽いため息をついた。
 退魔士、あるいは、それと種を同じくする職業の人間が最も手を焼くのは、幽霊をはじめとする化け物一般ではなく、実は、作戦要項に言わせる「民間人」――つまり、世間一般の人間である。
 退魔士とは文字通り、魔を退治する人間の事をさす。
 「魔」に対するスタンス、というものは、退魔士一人一人によって違う。
 絶対悪だとして必ず滅しなければならないと考える者もいるし、逆に、全ての魔を滅することは均衡を損なう、として、存在を肯定し、極力封じておくだけにとどめる者。
 実に、様々な退魔士が世の中には存在するが、その退魔士たちが、口をそろえて言うことがある。
 曰く、
 「人は、人の都合だけしか考えなくなってしまった」
 と。
 葛城が思うに――魔とは主に、人間自身の怨念や、行き過ぎた開発などによって生じた様々な歪みから生じるものだ。人間の経済活動がこれまでにない規模で拡大し続ける今、魔と呼ぶべきものの影響もまた、これまでに類をみないほどに強まっている。
 つまり、人が動けば動くほど、霊害の数も多くなる。終わりの見えないいたちごっこに徒労感を感じることも、少なくない。
 そして、今回の仕事もまた、そうした歪みの中から生じたものだろう、と葛城は考えている。
 「幽霊が出る」といった他愛のない噂では会ったが、実際に「見た」という声も多い。
 「出る」という噂が立てば、そこには人が集まってくる。「見た」という声があれば、それはなおさらだ。まだ死人が出たとか、怪我人が出たとかという話はないが、事態がエスカレートすれば、いずれはそういった犠牲者が出る。当局が退魔士の統括組織であるJGBA(=日本退魔士協会)に調査を依頼してきたのは、そういった最悪の事態にならないうちに、というものだろう。
 「あまり、近寄りたくないところではあるな」
 道路をはさんで、すぐ向かい側に広がる雑木林を眺めながら、葛城は傍らに立っている恭子に呟いた。
 「そうですね。『出る』という噂が立つのも当然ですし――本当に、出るみたいですね」
 頷きながら、恭子は微かに見え隠れする、古びた鳥居を眺める。
 いかにも、いわくつきの神社――そういう雰囲気が、たっぷりだ。
 神社というものは、祭神よりもむしろ、場所を重視して建てられていることが多い。
 そして、その神社が建てられる場所というのは、古くからの聖地であったり、霊的に重要なポイントであったり、何らかのいわくがついている場所であるのが常だ。明治に神仏分離令が出された折、神社よりも寺院が移転した例が多いのは、そういった理由による。
 そして、そういった場所を何らかの形で汚したり、破壊したりすればどうなるか――答えは、今更聞くまでもない。「幽霊が出る」などといった噂に始まり、やがて実際に「幽霊を見た」という霊異につながり、最悪の場合は人間に被害が出る「霊害」へと発展するのである。
 そして、その流れを作るのはもっぱら、興味本位でそういった場所にやってくる民間人たちだ。
 民間人の進入が多い――作戦要項に記されたその一文に、葛城は不安を拭いきれない。
 人間だって、自分の家に見知らぬ他人が土足で上がりこんできたりすれば、怒るのは当たり前である。
 それと同じ事が、神社などにも当てはまる――ただ、それだけのことなのだ。
 「そろそろ、かな」
 腕時計の文字盤を見て、葛城はあたりを見回した。
 「あ、来たみたいですよ」
 そう言って、恭子が国道を走ってくる車を指差す。
 「ああ、あれだな。間違いない」
 うなずくと、葛城がそれと分かるように手をあげる。
 「お疲れさん」
 葛城の車の後ろに停まった、黒いスポーツカーから、40代も半ばにさしかかったと思しき男が現れる。
 「萩原さん、お疲れ様です」
 軽く会釈をした葛城に、男がニヤリ、と人の悪い笑みを浮かべる。
 「お前さんも貧乏くじをひかされたな。よりにもよって、こんな日を選ぶこたぁないだろうに」
 上を見上げる、萩原。
 つられて、葛城と恭子も、空を見上げる。
 「星が綺麗ですね。あれ、さそり座ですよね?」
 ほぅ、とため息をついて、恭子が赤い星を指差す。
 それに頷いて、葛城は顔をしかめる。
 「確かに、あまり条件は良くないですね。……月が、出てない。この分じゃぁ、あの中は完全に闇の中です」
 「だろうと思って、小型の無線と発信機を持ってきた。おい、準備はできてるか?」
 そういって、萩原は車の中を覗き込む。
 「ええ、できていますよ」
 答えとともに、助手席のドアが開く。
 「久しぶりだな、葛城」
 「相田……お前が、来たのか?」
 車を降りてきた男に、葛城が目を丸くする。
 「まぁ、な。お前がへまをやるとは思えんが、万が一、ということもあるかと思ってな」
 葛城の肩をポン、と叩いて、相田がニヤリ、と笑みを浮かべる。
 「……それに」
 「それに?」
 「子煩悩のお前が今死んだら、絶対に化けて出るだろう? そんなのとやり合うのは、ごめんだからな」
 「…………はぁ?」
 「プッ………クククク………」
 間の抜けた声に、恭子が肩を震わせる。
 「まぁ、そういうことだから、これをつけて動いてくれ」
 「……これは?」
 相田から渡されたモノをしげしげと見つめながら、葛城は訪ねる。
 「見たところ、伊達眼鏡とインカムが一緒になったような感じだが」
 葛城の言葉に、相田が苦笑いを浮かべる。
 「まぁ、お前の言うとおりだな。こいつは無線と発信機が一緒になったもんだ。で、右のレンズの部分が小型ディスプレイになってて、半径200m以内の発信機の電波を拾って表示できるようになってる。電源をつけてみな」
 言われて、葛城はフレームにつけられたボタンを押し、眼鏡をかける。
 「伊達眼鏡を流用してあるから夜間行動でも問題ないはずだし、ディスプレイの表示も極力邪魔にならないようにしてある」
 「……なるほどな。いつの間にこんなものを?」
 「もともとはJGBAの装備課が開発してたものなんだがな。どうしても発信機の電波を拾える範囲に難があるといって、お蔵入りになってた奴を引き取ったんだ。まぁ、確かに上の連中が考えてるような大掛かりな作戦にはむかんが、こういった局地的な作戦なら、十分に使える」
 「すごいですね。葛城さん、ウチでもこういうの、入れましょうよ」
 同じように眼鏡をかけた恭子が、感心したように呟く。
 「入れたいのは山々なんだがね。親父の奴がどうも、こういうのが嫌いみたいでね」
 「確かに、蒼月さんなら、分からんでもないな」
 ぼやいた葛城に、萩原が苦笑いを浮かべる。
 「まぁ、こういった機械に頼ってばかりじゃ駄目だ、ということなんでしょう。親父の言いたいことも分からないではないんですけどね」
 「まぁ、な。……さぁて、そろそろ時間だろ? 行ってみるか」
 萩原の言葉に全員が頷いた、その時。
 鋭い悲鳴が、あたりの静寂を切り裂いた。


 どうしてこんなことになってしまったのか――震えている妹をかばいながら、彼女はぼんやりと考えていた。
 「出る」と評判の、寂れた祠の鳥居の前。
 すぐ近くには車どおりも多い国道が通っているはずなのに、その祠の周辺だけは、妙に人気が少なく、そして、暗い。
 誰が言い出したか――ここにきたのは、単なる、探検気分。
 そう。
 ちょっとした、度胸試しのつもりだった。
 度胸試しの、つもりだったのだ――


 「ねぇ、あの神社、出るんだって」
 「出る、って、何が……?」
 いかにも「特ダネ見つけた!」という表情で声をかけてきた友人に、ゆかりは首を傾げて尋ねた。
 「幽霊に決まってんじゃない!」
 「ゆ、幽霊〜?」
 「そ。ホラ、明治通りを市役所のほうにずーっと行った所に、神社があるじゃない?」
 「え? ……ああ、あの神社のことね」
 記憶の糸を手繰りながら、ゆかりは頷く。
 「あの神社で、幽霊を見た、って言う人がたくさんいるらしいのよ。ね、今度行ってみない?」
 「え………行くの?」
 気乗り薄で尋ねたゆかりに、友人は大きく頷く。
 「あ、そうだ。和美ちゃんも連れてくれば?」
 「う、うん……わかった」
 どうあっても断れない雰囲気に、ゆかりはうなずくしか、なかった。


 今にして考えてみれば、あの時、断固として断っておけばよかったのだ。
 今更後悔してみたところでどうにかなるわけではないが、ゆかりは化け物を前に、心底そう思った。
 友人から誘いを受けた時、気乗りがしなかったのは、何も、「怖い」とか、そういったものからではなかった。
 もちろん、怖いことは怖い。
 だが、一番の理由となったのは、「見える」という彼女の体質――つまり、俗に言う、「霊感がある」体質だったからに他ならない。
 それでも、自分で祓えるとか、そういったものが寄ってこないようにするとか、あるいは必要な時意外は見えなくするとか、そういった技術なり防御策なりを身に付けていれば、事態はそれほど深刻ではない。
 だが。
 彼女の場合――これは妹の和美にも当てはまるのだが――ただ「見える」というだけで、それ以外は、どうすることもできなかった。どうすることもできなかったから、余計に始末が悪い。相手は、こちらが「見える」と分かれば、自分の無念を訴えようとしたり、あるいはもっと基本的に、自分の存在を訴えようと、こちらに寄ってくるのである。
 彼女にできることといえば、ただひたすらに目をそむけて逃げ回ること――それ以前に、そのような噂がある場所には、絶対に近づかないこと。それだけだった。
 それなのに。
 来てしまったのだ、ここへ。
 そして――化け物を前にして足がすくんでしまっている、今の状況がある。
 「お姉ちゃん……」
 「大丈夫……大丈夫だから……」
 自分の陰で震えている和美に、ゆかりは何度も何度も「大丈夫」と呟く。
 「大丈夫……だから……」
 じり、とにじり寄る化け物に気圧されて、二人は一歩、また一歩と後ろへと下がっていく。
 大丈夫、と言えるような状況ではないことは、その雰囲気から明白だった。
 怒っている――そう、ゆかりは直感したのだ。
 それはおそらく、興味本位でここに入ってきてしまったから。
 「出る」という噂にひかれて、好奇心を丸出しにした人間が大勢はいってきてしまったからだ。
 「…………」
 震えている妹を背にして、何もできない自分――それが、こんなに悔しいものだとは、思わなかった。
 せめて、自分で払えるだけの力と技術があればいいと思った。
 もちろん、すべてにおいて、そういう力を使えばいいとは思っていない。
 人に害を及ぼさない霊や化け物ならそっとしておいてやったほうがいいし、今回だって、無理に踏み込まずにいれば、こういうことにはならなかったはずなのだ。
 けれど。
 まだ、死にたくない。
 そう、ゆかりは思った。
 死にたくはなかった。
 まだ、生きていたかった――。


 「あれか!」
 悲鳴の出所を探して駆けてきた葛城は、参道からだいぶ外れたところで、化け物を前に固まってしまっている少女の姿を見つけた。
 なお、現場の馬野辺稲荷付近は「幽霊が出る」との噂が流れており、民間人の進入も十分予想される――作戦要項の中にあった一文を思い出して、葛城は軽く舌を打つ。
 肝試しに来て、運悪く出くわしてしまった――そんなところだろう。
 そして、これまた運が悪いことに、少女の目の前にいる化け物は、遠めにもタチが悪いと見えた。
 気が立っている、あるいは怒りに燃えている。
 相手が人間なら、そう、表現できるだろう。
 すぐさま懐に手をやったところで、葛城は思いとどまった。
 まだ、呪符の有効範囲に入るまでには距離があった。
 ならば、どうするか?
 渋い表情で、葛城は立ち止まった。
 「……本来、射撃は苦手なんだがな。そうも言ってられん状況か……」
 ゆっくりと、腰から拳銃を引き抜く。
 「装備課の連中、胸をはって『大丈夫です。効きます!』なんて言ってたが、本当なんだろうな……」
 半信半疑、といった様子で、葛城はしげしげと手にした拳銃を見つめる。
 この間火器類の更新を行った際、JGBAの装備課に渡されたのが、この銃だ。
 外見は何の変哲もない、ただの拳銃である。
 だが。
 装備課の受付に言わせると、
 「弾頭に特殊加工した岩塩を使っているので、実体化していないのにも効く」
 そうだ。
 「効いてくれよ……もう、俺の目の届くところで、人を死なせたくはないからな」
 祈るように呟くと、葛城は慎重に照準を定める。
 そして。
 ゆっくりと、引き金をひいた。


 「……ッ!?」
 突然、銃声が聞こえたかと思うと、目の前の化け物が霧と消えた。
 「な、何……?」
 目をしばたたかせながら、ゆかりはあたりを見回す。
 と。
 「無事か?」
 「え……っ?」
 声がして、振り返ると、こちらに向かって走ってくる、若い男の姿があった。
 手に、拳銃を持っている。
 どうやらさっきの銃声は、この男が撃ったものらしかった。
 「……怪我は、ないか?」
 ゆっくりと息を整えて、男は、もう一度ゆかりに尋ねる。
 「あ……はい……」
 「なら、いい」
 ほぅ、と安心したようなため息をついて、男は拳銃を腰に戻す。
 その瞬間。
 「あ、お、おい、どうした?」
 「お姉ちゃん!」
 緊張の糸が、ぷっつりと途切れてしまったからか――。
 ゆかりは、ゆっくりと、その場に崩れ落ちた。

*    *    *    *    *

*    *    *    *    *

 「……とまぁ、こういうことがあった」
 昔話を終えて、葛城は、お茶をゆっくりを口に含んだ。
 「それで、その女の子たちはどうしたんです?」
 「その日は結局、ウチに泊めたよ。消耗が激しかったし、なにより、怯えがひどかったからな。そしたら……」
 「そうしたら、どうしたんです?」
 「驚いたよ。次の朝起きてきてみれば、姉妹そろって『弟子にしてください』と来た」
 「………はぁ?」
 間の抜けた声で、稲葉が聞き返す。
 「よほど、何もできなかったのが悔しかったんだろうな。まぁ、姉のほうは高校生ということもあって、JGBAの方に紹介状を書いてやったよ」
 「それじゃぁ、妹のほうはどうしたんです?」
 「まだ中学生だったからね。中学を卒業した後で、という条件をつけて、JGBAの方に紹介状を書いたよ。今じゃぁ、立派に退魔士として活躍している」
 「………あの、その姉妹ってもしかして……」
 「フフ、そう。姉はゆかり君、そして、妹のほうは……ウチの、和美君だ」
 「……どうりで和美さん、今日は緊張してたはずですよ」
 葛城の答えに、稲葉は納得したようにうなずく。
 「やはり、そうか……。彼女がこの世界に入ったきっかけがきっかけだったから、俺が出る、といったんだがね。どうしても、『自分が出る』と言ってな」
 「そう、ですか……」
 軽くため息をついて、稲葉は天井を見上げる。
 「さて……もう、こんな時間か。そろそろ引き上げるとするかい?」
 「そうですね……明日も、早いですし」
 頷いて、稲葉は席を立つ。
 「じゃぁ、僕はこれで。お疲れ様です」
 「ああ、お疲れ様」
 手にしていた書類を机の上に放り投げて、葛城も席を立つ。
 そして。
 それから程なくして、事務所の明かりが、消えた。
 「そう言えば、あの日も、今日のような夜だったな……」
 母屋へと戻る途中。
 葛城はふと空を見上げて、そう、呟いた。
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