「所長、この書類、お願いします」
「ん、分かった……おや?」
月末の慌しいオフィスの、一番奥。
うず高く詰まれた、書類の山。新たに追加された一通の書類に、葛城はふと、手を休めた。
「どうかしましたか?」
「ライセンス試験の申請書か……。もう、そんな時期か」
記入事項をチェックしながら、葛城が感慨深げに応える。
「今は、年に二回しか試験をしないんだっけか」
「ええ。そうですけど……所長の時は、そうじゃなかったんですか?」
「ああ。俺が受けた頃は、年に六回やってたからな。……そうか、年二回か。だいぶ、厳しくなったな」
署名をし、印鑑を押しながら、葛城は軽く、ため息をつく。
「……まぁ、がんばってくれ。俺みたいに、三回も失敗しないようにな」
「ええ!?」
書類を受け取った女性が、頓狂な声をあげる。
「……何だ、何か変なことでも言ったか?」
「所長、三回も、失敗したんですか……?」
「……ああ、そのことか」
苦笑いを浮かべて、葛城は湯飲みに入ったお茶を飲む。
「まぁ、若かった、ということなんだろうな。もう、20年程前になるか……」
そう言うと、葛城は手を休め、昔話を始めた。
一九八三年、二月。
某県氷浦市西部に鎮座する、船津八幡神社の社家・葛城家の縁側で、二十代も半ばと思われる青年が、将棋盤をはさみ、五十代にさしかかろうかと思しき男性と向かい合って座っていた。
傍らに置かれた湯飲みのお茶は、すでに冷めてしまっている。
「……………」
お互い、渋い表情で盤を見つめている。
傍らには炭火の入った火鉢が置いてあり、さらにそのすぐ側には、十代半ばと思しき少年が寝転んで、本を読んでいた。
パチリ。
乾いた音を立てて、青年が駒を打つ。
「ふーむ。そう来たか……」
眉間にしわを寄せながら、男性が湯飲みに手を伸ばす。
冷め切ったお茶にわずかばかり顔をしかめると、彼は湯飲みを元の場所に戻す。
そして。
パチリ。
駒を打つ。
「あー、やっぱりそう来ますかねぇ……」
今度は青年のほうが眉根を寄せながら、傍らに置かれたお茶菓子に手を伸ばす。
と。
玄関の引き戸が、開く音がした。
それは間違っても普通の来客が立てるものではない、荒々しい、音。
「あ、帰ってきた」
少年が顔をあげるのと同時に、今度は足音が響いてくる。
やたらと早足なその足音は、その主が明らかにいらだっているのを物語る。
やや、あって。
襖がピシャリ、と閉じられる音と共に、剣呑な破壊音が、聞こえた。
家屋が微かに揺れるのと共に、埃が、ぱらぱらと落ちてくる。
「…………兄貴のやつ、また失敗したな…………」
ため息と共に、少年は本の上に落ちた埃を払いのける。
「……俊之」
「んあ? 何ですか?」
呼ばれて、少年が顔をあげると、さっきまで盤の前に座っていた青年が立ち上がり、破壊音がしたほうを、向いていた。
「代われ」
「ええ? 俺がですか」
「お前の他に誰がいるんだよ」
言われて、俊之はぐるりと、辺りを見回す。
「いないっすねぇ」
やれやれ、といった風に肩をすくめる俊之の顔に、青年がビッ、と指を突きつける。
「いいか。負けるんじゃないぞ。今度の昼飯、どっちがおごるかかけてるんだからな。絶対に、負・け・る・な・よ!」
そう言うと、青年は一度大きく伸びをすると、「あー、やれやれ……」と呟きながら、破壊音のした部屋のほうへと歩いていく。
「よっ、と……なんだ、優勢じゃん」
パチリ。
青年の代わりに座についた俊之が、何の気なしに駒を打つ。
「……飛車取り、だ」
パチリ。
「ええ!?」
呟いた父親に、慌てて盤面を見直す、俊之。
「……あっちゃー……」
日に焼けた指が、相手陣のほうを向いた駒を、取り除く。
敵陣深くに切り込んでいた「飛車」が討ち取られた、瞬間だった。
「葛城、入るぞ」
一声かけて、青年は襖を開けた。
「……あーあ……」
襖を開けるなり、青年は大袈裟にため息をつく。
殴ったか、それとも蹴り飛ばしたのか、青年の背丈ほどはあったはずの本棚が部屋のど真ん中に倒れ、それに収納されていた本が部屋中に散乱している。
「……孝さん。何か、用ですか」
チラリ、とこちらを振り向いて青年の姿を見つけると、部屋の主は再び、散乱している本を片付けに入る。
「派手にやったなぁ……」
散らばった本を踏まないように気をつけながら、孝は部屋の中に分け入ると、せっせと本を片付けている青年の前に腰を下ろす。
「この様子じゃ、また不合格だったみたいだな、葛城?」
尋ねた孝に、葛城は無言で、胸ポケットから一枚の紙を差し出す。
「退魔士一種免許試験、受験者、葛城俊信………不合格」
「声に出して読まなくてもいいでしょう」
「筆記試験、可。実地試験、一、前線任務、優。二、支援任務、不可。試験官所見、前線での働きには目覚しいものがあるが、後方および中間点での支援任務においては、その任務において避けるべき行動が多く見られ……」
「……孝さん」
「……よって、今回は残念ながら不合格とする。次回の試験については、指導担当退魔士と相談の上、自らの適性をよく鑑みて受験すること」
「孝さん!」
孝の手から通知書を奪い取る、葛城。
「……何か、ボロボロに書かれてないか?」
「書かれてますよ」
「しかも何か? 次回の試験については俺とよく相談して決めろ、だ? こいつ、俺にケンカ売ってんのか」
「何で孝さんに相談しなきゃならないんですか」
「お前の指導担当は俺だろうが」
「……ああ、そうでした」
再び本の片付けに入る、葛城。
「……お前、何をやったんだ?」
そんな葛城に、ため息をつきながら、孝は尋ねる。
「とりあえず、話してみろよ」
「………嫌です」
「ほーぉ。じゃぁ、金輪際、試験の申請書は書いてやらん。他の退魔士について、一から出直しだ」
「………わかりましたよ」
再び手を休めると、葛城は試験の状況を話し出した。
一九八三年の第一回目の退魔士免許試験は、一月の初旬に筆記試験が行われ、その筆記試験に合格した者のみが、一月中旬から下旬にかけて行われる実地試験を受験できる仕組みになっていた。
筆記試験を受けたのは、某県下で二十三名。前年同時期の受験者数の半分にも満たない受験者となったが、これは孝に言わせると、
「筆記まで手が回らなかったやつが多かったからだろう」
ということになる。
これより約半年ほど前、一九八二年の六月に、退魔士免許試験の受験方式が大幅に変更されている。
それまでは筆記試験そのものが存在せず、実地試験の成績のみで合格、または不合格が決定されていたが、年々、「退魔士としての基礎知識」が足りない退魔士が出るようになった。
退魔士とは、文字通り「魔を退治する者」のこと。有体に言えば「化け物退治をする人」になる。
当然、化け物を相手にするからには相当の危険が付きまとうことになるし、それ相応の知識も要る。だが、現実には「退魔士としての基礎知識」が足りない退魔士が増え、知識が足りないばかりに命を落とす者も出る。
もともと「化け物退治」が出来る人間は少ないから、一人の殉職者を出せば、「退魔士業界」としては大きな痛手になる。
にもかかわらず。
知識が足りないばかりに、つまらないミスをして殉職するものが出る。
これ以上、つまらないミスで「人的資源」を失うわけには行かない、という現場の声に応え、退魔士を統括する組織であるところのJGBAが退魔士試験規定の改定に乗り出した結果が、一九八二年六月に定められた、一次試験実施であったわけだ。
故に。
筆記試験が一次試験として行われる最初の試験である今回の試験の受験を見合わせた者が多数に上った、という見方を、孝はしていた。
事実――受験者二十三名のうち、一次試験を通過したのは、葛城を含めてわずか四名だったから、受験者にとって、大きな障害になったのは確かだろう。
もともと、実地研修の評価も高かった葛城である。
一月中旬に行われた前線任務の実地試験も通知書にあったとおり、きわめて優秀な成績を収めている。
葛城が高校に上がったときから四年間、指導を担当してきた孝は
「さすがは俺の弟子」
と笑っていたものだが――。
下旬に行われた支援任務の実地試験で、葛城は足元をすくわれることになる。
そもそもの状況からして、後方支援にあたっていた葛城にとってはマイナスに働いたのかもしれない。
前線任務試験を受けていた実習生が連携を無視して突出してしまい、それが元で、後退を余儀なくされたのである。
当然、後退するには援護が要る。
そこで、後方支援にあたっていた退魔士たちの中から数人が前線との中間点まで出て、後退の援護をすることになった。
「それで、お前もその出張組の中にいたのか」
「ええ。そうです」
「あちゃー………」
遠距離攻撃用のライフルを片手に、葛城を含めた数人の退魔士が中間点に陣取り、前線に向けてライトを照らす。
そのライトを目指して、退魔士たちが戻ってくる。戻ってくるのが退魔士だけならいいが、当然のように化け物が追ってくるために、それをライフルで牽制しなければならないのだが――。
他の退魔士が次々と化け物に弾を命中させていく中、葛城の撃った弾だけが、かすりもせずに、まるで見当違いの方向へと飛んでいくのだ。
中には、後退してくる退魔士の足元に命中した弾もある。
さすがに危険と判断したか、隣にいた退魔士が葛城に射撃を止めさせ、別の退魔士と二人で先まで進み、呪符を使って障壁を張るように指示を出す。
すぐさま、葛城は前に出る。
「……そこまでは、よかったんですが」
「何があった?」
「……間違えました」
「何を」
「……呪符の、貼り方を」
「……………」
当然、呪符の張り方を間違えば障壁は役に立たないものになる。
すんでのところで葛城が持ち前の戦闘力を発揮し、それをきっかけに一度後退した前線部隊が反攻に出て、作戦そのものは成功に終わったものの――。
「お前は、しっかり不可をもらったわけだ」
「ええ」
「はぁぁぁぁ………」
深いため息をつく、孝。
「あれほど、実地試験は作戦の結果よりも、過程を重視すると言ったのに………」
「………分かっては、いるんですけど」
「なんだかなぁ……」
再び、本を片付け始める、葛城。
やや、あって。
「お前さぁ、やっぱり、一種受けるの止めたらどうだ?」
「…………」
「免許は前線一回か、支援一回か、両方一回ずつのどれかでよかったよな。そりゃぁ、両方一回ずつ受けて一種を取れればそれに越したこたぁないが、この際、前線だけ受けて、先に二種取っといたほうがいいんじゃないか?」
「でもそれじゃぁ、退魔士になっても支援任務には就けないじゃないですか」
「まぁ、そりゃそうだ。でもなぁ……」
「でも、何です?」
「射撃ダメ、呪符は攻撃系にはめっぽう強いが防御系が苦手、じゃぁ、誰も支援で使おうとは思わんぞ? 実際、俺でも使わんと思うし」
「そ、それは……」
「まぁ、ゆくゆくは親父さんの後を継がにゃならん、というのは分かるけどな。親父さんが引退するまでに一種を取っときゃいいわけだし。あせるこたぁねーだろうよ」
「…………」
うつむく、葛城。
「……まぁ、とりあえず。明日、オフィスのほうに顔を出せよ。次をいつにするか、日程の調整をせにゃぁならんからな」
「わかりました」
「ん。じゃぁ、明日、オフィスでな」
そう言うと、孝は立ち上がり、床に散らばった本をよけながら、襖の方へと歩いていく。
孝が部屋の前を離れ、廊下の角を曲がった頃。
葛城の部屋から、再び、剣呑な破壊音が響いた。
翌日。
氷浦市内の大学に通う学生と退魔士見習との二束のわらじをはいている葛城は、大学の授業があったために、孝のもとに向かった頃には、すでに日が暮れようとしている時間だった。
桜坂警備保障。
孝は、氷浦駅前に建つオフィスビルの五階にオフィスを構える、この警備会社に所属している。
もちろん、普通の警備会社ではない。孝の同業者、つまり退魔士が運営する、「化け物退治」専門の組織である。
「お疲れ様です……」
ギィ、と扉をきしませながらオフィスに入ると、そこにはカップ麺を前にして、腕時計を見つめている孝が一人、いるだけだった。
「おう、お疲れさん」
「一人、ですか」
「ああ。事前調査やら、JGBAへの報告やらで、皆出払っちまってな。俺は一人で、お留守番」
「それは? ……夕飯ですか?」
「まぁな。今日は、当直だ」
頷くと、葛城はカップめんの蓋を開ける。
「ああ、そうだ」
所在無さげにしている葛城に、孝は思い出したように目の前の棚を探ると、書類を取り出す。
「俺が食べている間に、これに目を通しとけ。向こうのソファーに座っといていいから」
「……作戦要綱、ですか?」
「ああ。次の試験を受ける前に、一度実地に出にゃならんだろう? 枠に空きがあったから、入れてもらっといた」
「分かりました」
書類を受け取ると、葛城は応接セットのソファーに座り、書類に目を通し始める。
期日、場所、依頼者と来て、つぎの派遣者の所で、葛城の目がとまる。
たまたま、二人分の枠が空いていたのだろう。派遣者の欄に、孝の字で、孝と葛城の名前が加えられている。
が。
「読んだか?」
カップ麺を食べ終えたのか、コーヒーの入ったカップを二つテーブルにおいて、孝が向かい側に座る。
「孝さん、これ……」
「何か、変なことでも書いてあったか?」
「派遣者の欄に、支援要員と書いてありますけど……」
「支援の試験に落ちたんだ。支援の実地に出るのが当然だろう」
「でも……」
「デモもストライキもあるか。それとも何か? やっぱり次は二種で安全策取っとくか?」
「………」
黙りこくる葛城に、孝は軽く、ため息をつく。
「なぁ、葛城。確かに、射撃ダメ、防御系の呪符も苦手、じゃぁ、支援には向いてないけどな。じゃぁ、得意なモノを支援に応用できるか、考えたことないか?」
コーヒーを一口飲んで、孝は続ける。
「お前、攻撃系の呪符を攻撃にしか使ったことないだろう」
「何言ってるんですか。そんなの……」
「当たり前、ってか。いーや、違うね」
「………?」
「ナントカと鋏は使いよう、と言うだろう。攻撃用の呪符でも、少し考えれば他の使い方があるはずだ。それに……」
「……それに?」
「お前のように突出してばかりだと、いつか、死ぬぞ」
「…………」
「お前の能力が高いということは、誰もが認めている。だが、それだけでは切り抜けられない場面が必ず出てくる。高い能力を持つが故に、命を落とす事だってあるんだ」
「……………」
「まぁ、いい。昨日言ったとおり、二種を取るんなら、明日、JGBAに行ってこの作戦への参加申請を取り下げてくる。一種を取るんだったら、申請書はそのまま通すぞ」
「……受けます」
「ん?」
「次も、一種を受けます。だから、その申請書は、そのまま通してください」
「……分かった。一週間後に、JGBAでブリーフィングがある。それまでに、しっかり考えてこい」
「……はい」
「じゃぁ、今日は……」
帰ってよし、と続けようとした、その時。
机の上の電話が、鳴った。
「ハイ、桜坂警備保障です。あ、お疲れ様です。……はい。はい。……はぁ!?」
頓狂な声を出して、孝が眉根を寄せる。
「……はい。場所は? ……フジバシシ、サキシロシンリンコウエン……はい、分かります。え? 二人? いや、それが、いまここには俺、あ、いや、私一人しか……」
言いかけて、孝はふと、葛城のほうを見やる。
「……あ、すみません。二人、いることにはいるんですがね。うち、一人は実習生で……はぁ、それでも構わない。分かりました。それで、ブリーフィングは……今から一時間後に、氷浦課で。わかりました。すぐ向かいます。……はい。お疲れ様です」
電話が終わったのか、荒々しい音を立てて受話器を置くと、孝は壁にかけてあった黒板に向かい、自分の名前の横に「緊急出動」と殴り書きをする。
「やれやれ、緊急出動だ。葛城、お前も来い」
「……は?」
「あちらさんが、支援にしか使わんから実習生でも構わんのだと。緊急出動でも実地扱いになるから、とにかく来い。今日出ておけば、三月の試験にはギリギリ間に合う」
「でも………」
「いいから、来い! ていうか、もう向こうには二人来ると言っちまったんだ!」
「わ、わかりましたよ………」
「うむ。それでこそ、我が弟子」
「だ、誰が弟子ですか、誰が!」
「お前しかいないだろう。とっとと来い!」
そう言うと、孝は壁にかけてあった社用車のキーと、コートを取る。
「装備は車に積んである。急げ!」
「は、はい!」
はじかれたように立ち上がった葛城の顔めがけて、一本の鍵が飛んでくる。
とっさにのけぞるようにして受け取ると、鍵には「桜坂警備保障」と銘の入ったキーホルダーがついている。
「悪い、戸締りしてから降りて来い!」
「は、はい!」
葛城が返事をして入り口のほうに向いたときには、すでに、孝の姿は無く。代わりに、廊下のほうから、慌しく階段を駆け下りていく音が聞こえていた。
二時間後。
葛城は、孝の運転する車の中にいた。
あれからすぐにJGBAのオフィスで行われたブリーフィングに出た後、こうして、現場に向かう車の中にいるというわけだ。
「……孝さん」
「何だ?」
「前城森林公園って、何かありましたっけ? ブリーフィングで聞いた限りじゃぁ、ちょっと想像がつかないんですけど」
「そうだなぁ……俺も、何かあるという話は聞いた事が無い。ただ……」
「ただ?」
「昔、あの辺りに地元の豪族が築いた砦があったという話を聞いた事は、ある。もしかしたら、その砦が絡んでるかも知れんな。お前、行った事があるか?」
「ええ、何度か」
「そうか。俺は場所を知ってるだけで、行った事がないんだよなぁ。ブリーフィングで配られた地図を見ても、だだっ広い公園だとしか思い浮かばん」
「まぁ、確かに広いですね。アスレチックコーナーもあるので、休日には家族連れも多いですよ。ただ……」
「ただ?」
「森林公園というだけあって、木が多いんですよ。それに、街灯があった記憶もありません。この時間だと、真っ暗だと思いますよ」
「そうか…………そりゃぁ、危ないな」
「そうですね、危ないかもしれませんね。公園の中は、かなり起伏がありますし」
「おいおい、夜間作戦を避けなきゃならんパターンの中でも、上位に来るパターンじゃないか。こんな作戦を急ごしらえでやるたぁ、JGBAもどうかしてるぞ」
「とにかく、気をつけなきゃなりませんね」
「ああ……JGBAの連中は支援だけでいいと言ってたが、どうも支援だけで終わりそうにない気がするが……」
「そうならないことを祈りますよ、今は」
「……だな」
孝が車を減速させ、ハンドルを左に切る。
駐車場に入ると、すでに先着していた退魔士たちが、各々の車の周りで、準備を始めていた。
「着いたぞ。……葛城」
「はい?」
「呪符は、多めに持っていけ。攻撃用でいい」
「……孝、さん?」
「まぁ、使わないに越したことは無いけどな」
「………分かりました」
ルームライトをつけて、葛城は後部座席に積んであったバックから、呪符を一束取り出す。
「………さて。行くか、ね」
エンジンを止めて、孝が車の外に出る。
続いて出た葛城が、思わず身を震わせる。
「……寒い、ですね」
「……ああ。寒い、な……」
鸚鵡返しに応えて、孝は闇に沈んだ公園の方へと目を向ける。
「寒すぎる、な……」
もう一度呟くと、孝は車のトランクを開け、装備の点検を始めた。
「ああ、もう! だから言ったんだ。こんな闇夜に止めとけって!」
隣で、見知らぬ退魔士が喚き声をあげた。
「…………やっぱり、あんたもそう思ってたか?」
ライトで照らされた先をじっと見つめながら、孝がそう、応える。
「俺もなぁ、無茶だと思ったんだよ、ブリーフィングのときにな」
応えながら、孝はライフルを構えたまま、微動だにしない。
「何か、無線じゃえらい混乱しまくってるけど、ちゃんと見えてんのかねぇ」
「何がです?」
尋ねる、葛城。
「前線の連中が、このライトを。あるいは、化け物を。見えてないんじゃないかなぁ、と俺は思うんだがなぁ」
「そ、そんな暢気なことを……」
「言ってる場合なんだなぁ、これが。指揮所から指示が出てないから、今の所は、俺らの出番はない」
葛城と孝は数人の退魔士と共に、公園の中にサーチライトを設置し、その周りでさらに前方にいる退魔士たちを支援する役目についていた。
JGBAが「中間点」と呼んでいるモノで、大掛かりな夜間作戦の際には必ずといっていいほど作られるモノだ。
軽トラックに積まれた発電機とライトを使い、前線のほうへと光を投げかける。
もちろん、視界の確保にはあまり役には立たないが、前線にいる退魔士たちにとっては、どの方向に行けば後退できるのか、ある程度の指標になる。
指標になるはずなのだが……
「あー、やっぱり見えてねぇな。無線がさっきよりわやくちゃになってる」
相変わらずライフルを構えたまま、孝は呟く。
確かに、無線から聞こえる声は、先ほどより混迷の度を増してきている。どうやら、奥に入った退魔士たちの連携が乱れ、前線が崩壊しつつあるらしい。
「ってーか……一体、この公園に何があるんだよ。相当な人数をつぎ込んでるはずだぞ。いくら視界が悪いからといって、こりゃぁ、ちょっとおかしい」
「異形が沸いたんだそうだ」
首をかしげる孝に、先ほど喚き声を上げた退魔士が答える。
「異形だって?」
「俺も詳しいことは知らん。ただ、この辺りを調査中だった退魔士が言うには、いきなり沸いて出来たらしい」
「……調査中だって? この辺で、何かあったのか」
「最近、この辺りで、子供が連続して行方不明になる事件があったろう」
「………葛城、知ってるか?」
首をかしげて、孝が葛城の方を振り向く。
「ああ、ありました。確か、三日前くらいの新聞にも載ってたと思いますけど……」
「そうか……最近、新聞読んでねぇんだよなぁ。……そうか、それで、退魔士がこの辺を調査してたのか」
「ああ。氷浦課の退魔士が見習をつれて調査中だったんだが、そこでいきなり、化け物に出くわしたらしい」
「ん? ちょっと待て。この辺、公衆電話なんかないよな。ここからだって、駐車場まではかなりの距離があるぜ。そいつら、駐車場まで逃げおおせたのか?」
「………さぁ、知らん」
「…………………」
思わず、孝と葛城は顔を見合わせる。
「………道理で、JGBAが張り切って夜間作戦をやるわけだ………」
大仰にため息をついて、孝は再びライフルを構える。
と。
程なくして。
「……撤退命令が出てます」
無線に耳を済ませていた葛城が、落胆した表情で呟く。
「あー、やっぱり来たか。まったく、巻込まれる方の身にもなれってんだよなぁ」
「無駄口を叩いてる場合か。前線の連中が後退してくるぞ」
ぼやく孝をたしなめると、他の退魔士たちが止めてあった軽トラックのエンジンをかける。
後退してきた退魔士たちを荷台に乗せ、出来るだけ速やかに後方に退く――中間点要員の、もっとも重要とされる任務だ。
やがて、サーチライトの光の輪の中に、数人の人影が見え隠れし始める。
必死の形相で後退してくる、数人の退魔士。その向こうに見えるのは、まさに――異形の者たちだ。
軽トラックの荷台から、退魔士たちが一斉に援護射撃を始める。
もちろん、孝も援護射撃を始めるが、異形たちは思いの他に素早く、なかなか弾があたらない。
「……こりゃぁ、キリがねえな……って、おい、葛城!?」
何を思ったか、葛城が孝の横をすり抜け、一直線に退魔士を追ってくる異形たちのほうに向かって走っていく。
「おい、戻れ! 何やってんだ!」
たまらず、孝が葛城の後を追う。
と。
異形たちに向かってに走っていた葛城が、今度は異形たちに向かってほぼ垂直になるような角度に、方向を変える。
パンッ、パンッ、パンッ、パンッ!
体勢を低くして、ほぼ等間隔で地面を叩いていく、葛城。
後を追ってきた孝が見ると、地面に等間隔で呪符が貼り付けられている。
ある程度の距離を走り終えると、葛城は少し後退し、今度は逆のほうへ向かって、やはり地面に呪符を貼り付けながら走り抜ける。
同じ要領で、異形たちに向かって三列の呪符の列を貼り付け終えた頃――後退してきた退魔士たちが、ようやく軽トラックの荷台に乗り終え、今度はトラックが後退を始める。
「おい、俺たちも戻るぞ!」
孝の声に頷いて、葛城もライトを積んだ軽トラックの方へと、一目散にかける。
「よし、とっとと逃げるぞ!」
二人してトラックに乗り込むと、孝は勢い込んでキーをひねる。
が。
エンジンが、かからない。
「おいおい、ちょっと、しっかりしろ!」
さすがに焦った表情で、孝が何度もキーをひねる。
ルームミラーを見ると、おびただしい数の異形たちがもう、すぐそこまで迫ってきているのが分かる。
「かかれってんだよ、このぉ!」
孝がダン! とアクセルを思いっきり踏み抜き、そして、今度は思いっきりキーをひねる。
その瞬間。
後方でドン! という音がしたかと思うと、巨大な火柱が、横一列に吹き上がった。
「おわぁっ!?」
その衝撃からか、トラックのエンジンがかかり、孝はギアを入れると、再び思いっきりアクセルを踏む。
ドン!
トラックが急発進するのと同時に、再び巨大な火柱が、やはり横一列に立ち上る。
そして、三度目。
先の二回よりもさらに大きな火柱が、横一列に現れる。
まさに、炎の結界だった。
異形たちのほとんどが、火柱に直接触れて四散し、残りの異形たちも、火柱に阻まれて追う事が出来ないでいる。
「………お前、何をやった?」
起伏の激しい公園内を横転しないように必死に運転し、燃え盛る火柱からだいぶ離れてから、孝は思い出したように、葛城に尋ねる。
「孝さんも見たじゃないですか。呪符を、地面に貼り付けたんですよ」
「そりゃぁ、わかってる。だが、あれはどう見ても防御用の障壁じゃないな?」
「ええ、そうです。攻撃用の火炎符を、地面に貼り付けたんですよ。で、異形がその呪符に触れた途端、火柱が上がったんです。まぁ、地雷みたいなものですかね」
「………なるほど。呪符を使ったトラップ、か」
「まぁ、そういうことになりますか」
「それにしてもお前、よくあんなものを思いついたな」
「防御用の障壁符は、木や壁に貼り付けたりして使うじゃないですか。同じ事が、攻撃用の呪符でもできないかなぁ、とは、前々から思っていたんですが……ああいう使い方をすればいいというのは、ついさっき、孝さんに言われて気付きました」
「ふん………さすがは俺の弟子だ、と言っておくか。ただ、あの火、どうやって消すつもりだ?」
「さぁ、どうしましょうかねぇ……」
首をかしげる葛城に、孝はあきれたようにため息をつく。
「まぁ、ともかく、だ。実地の試験にも、これで道筋がついたんじゃないか?」
「です、ね。これが通用してくれると、いいんですが」
「……まぁ、なんとかなるだろうよ」
笑いながらそう言うと、孝はトラックを止め、後ろを振り向く。
「……それにしても、よく燃えてるなぁ……」
「燃えてますねぇ……」
「燃えてますねぇ、じゃねぇよ。どうすんだよ、さすがにこりゃぁ、やりすぎな気がするぞ」
「まぁ、消防車も来たみたいですし、なんとかなるでしょう」
言われて孝が耳を済ませると、確かに、遠くからこちらへ近づいてくる、サイレンの音がする。
「………こいつめ」
「結果オーライですよ」
「実習生がそれを言うな。……そういえば、な」
「何です?」
「お前の親父さんに、頼まれたんだ」
「何をです?」
「お前の、通り名」
「通り名、ですか?」
「ああ。葛城家の当主は、代々「蒼」がつく通り名を使うんだったよな?」
「ええ、そうですが………」
「親父さんがな、俺に、その通り名の名付け親になれ、だとさ」
「エエ!? 孝さんがですか?」
「……なんだよ、その思いっきり嫌そうな顔は」
「………だって、ろくでもない名前をつけられそうな気が………」
「心配すんな。いくら俺でも、弟子に変な名前を付けるようなこたぁしないから」
「本当かなぁ………」
「………こいつめ」
「それより、そろそろ戻りましょうよ」
「……ああ、そうするか。どの道、この作戦は一度、出直しになるだろうしな」
頷くと、孝は一度切ったエンジンを、再び入れなおす。
「さーて、戻るか!」
「了解!」
「……とまぁ、こういう事があった」
「へぇ……そんな事があったんですか」
「まぁ、な」
一通り昔話語り終え、葛城はゆっくりとお茶を口に含む。
「それにしても、以外ですよねぇ」
「何がだ?」
「所長にそういう時期があった、って言うのも意外ですけど、孝さんが」
「……? 孝さんが、どうかしたか?」
「真君のお父さんなんですよねぇ? 何か、真君を見てると全然想像がつかないんですけど」
「まぁ……確かに、そうかもしれないな。そういう意味では、真君はあまり孝さんには似てないかもしれないな」
「ところで……孝さん、その時に所長の通り名を考えられたんですよね?」
「ああ、そういうことになるな」
「蒼雲、ですよね、確か。どういう由来なんでしょうね」
「さぁ……俺も聞いてないからな。今となっては、知る由もないなぁ……」
そう言うと、葛城はあからさまに目をそらし、再び書類の山に手を伸ばす。
「本当に、知らないんですか?」
「知らん」
「本当に?」
「本当に、知らん」
「ふーん……。まぁ、そういうことにしときます」
不満そうに頬を膨らませ、自分の席に戻っていく女性に、葛城はふと、笑みを漏らす。
本当は、通り名の由来など、忘れられようはずもない。
だが。
それは忘れられないのと同時に、葛城にとってあまり人に話したい類のものでもないのも確かなのだ。
ふと、葛城は額に入れて壁に飾られた、一枚の写真に目をやった。
長い年月を経て、すっかり色あせてしまった、その写真には。
誇らしげに退魔士免許を携えた青年と、それを満足げに見つめる青年の姿が、映っていた。
-fin.-
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