『アルファさん』
Illustrated by Charlotte

 
☆ここは芦奈野ひとしさんのコミックス『ヨコハマ買い出し紀行』のファンページです。☆
(最終更新日2000・3・20)
ばくさんのかばんさんからいただいた
アルファさんとココネさんのお雛様CGをアップしました。

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『心地良い停滞感 「ヨコハマ買い出し紀行」の世界』
 
 今朝、隣の部の部長が大声で最近読んだ本のことを話していた。
 プラス思考、プラス思考の本だよ!
 …プラス思考…ねえ…
 声にはもちろん出さないが私は絶句した。欲にまみれた際限の無いプラス思考があの狂ったようなバブルを生んだのに、巷のビジネス本はいまだにプラス思考を謳歌しているらしい。信仰を持たなければ生きられない人間の性かもしれないが、まるで与えられたプログラムを忠実に実行するオート・マトンのようで悲哀がにじむ。
 そもそも、拡大再生産しか生きる道が無いというこの強迫観念にとりつかれてから、人間は色々なものを捨ててきた。利益を生み出すために徹底的なコスト削減を図り、無駄なもの、役に立たないものを徹底的に捨て去った。ものを捨て、時間をきりつめるまでは良かったが、とうとう人まで捨てなければならなかった。今はリストラを強行する人間も5年経てば
確実にリストラされる立場にまわるのだ。別に誰が悪いわけでもない。確実な未来を欲しがる人間は、拡大再生産せざるを得ないのだ…
 「ヨコハマ買い出し紀行」というコミックスを最初に手に取った人は、この漫画がSFというジャンルに分類されることには気がつきにくい。
 描かれている風景やエピソードはそれが直接体験したものではないとしても、どこか懐かしく、記憶のどこかにしまわれているような原風景を想起させる。しかし、読者は時折断層のように描かれる水没した都市の風景や永遠に着陸しない巨大な飛行物体によって、その体験したはずの原風景が、これからはもう体験することができないのだということに少しづつ気がつき始めるのだ。
 客のいない暇な喫茶店…誰もいない砂浜…優しく気のおけない隣人…侵犯する異界(ミサゴ)…心地よい退屈な時間……体験したはずのその世界はもう私たちのものではなく、私たちはその世界を羨望の視線をもって眺めるだけだ。
 この心地良い懐かしい風景は、ともすればほのぼのとした牧歌的な世界に完結してしまう危険性があるわけだが、作者はそこに巧妙な仕掛けを用意している。
 魅力的な主人公アルファやその友人の一人であるココネがロボット(この言葉自体今使うにはかなり勇気が必要だ。)であるという前提は、完結しそうになる心地よい空間に無数の断層を生み、その構造は幾分アイロニカルなメッセージとなって読者を眩暈するのである。
 美しい風景や音楽に共鳴するアルファのみずみずしい感受性は、生来人間が持ちうべきはずのものをロボットが持っているという点でなお一層大切なものとして読者に訴求するものとなっており、さらに彼女が様々な無機物(たとえばカメラ、高速艇)と交感するシチュエーションは、マン・マシンインターフェースの終局形を予感させるとともに、彼女がモノの世界の意識を人に伝うシャーマニックな存在であることを暗示している。その交感の様式も
非常にエロティックで暗喩に富んでいる。人間の恋人同士の口づけがもはや記号のように制度化されているのに比較して、彼女達(=ロボット)のそれは意思伝達の重要な手段であり、それは意思を伝うがためによりエロティックな意味を付与されている。
 永遠の時間を生きるアルファは、未来に現在を束縛されていない。
 アルファという『永久時計』によって成立したこの「ヨコハマ買い出し紀行」の世界に登場する人物達もまた、物語世界内の現在や未来に憂鬱さを感じることなく、現実を自分の時間で生きている。

 諦観ではなく、自分の速度で歩くということ。

 長引く不況に明日の我が身を案じ、終局の予言に恐れおののき、この世の、あるいはわが身の破滅を憂うる全ての人間に、アルファはそっと囁くだろう。
 「…美味しいコーヒーをいれたんですけれど…飲んでみませんか?」
 全てのものには終わりがあり、また全てのものには永遠に忘れ去られない機会が残されているということが、そのコーヒーを飲んだ後にわかるのだ…
                              
 最後に、この素敵な漫画の存在を教えてくれた、まーちさん、ばくさんのかばんさんを始めとする、ネット上の「ヨコハマ買い出し紀行」のファンの皆さん、どうもありがとうございました。

by もんぺーる