DOMESTIC FUMYA1998年バージョン


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24「師走」(1998・12・28)
 師走も後残す所数日。TVのアナウンサーも「年末」を唱い気忙しさを煽る。
 人が決めた暦の流れに巻き込まれて慣習にまかせたまま新年を迎える……。

 なにもこの忙しいときに大掃除やら挨拶まわりやら。昔と違ってコンビニも開いているんだから改めておせちも……。カレンダー新しくめくるだけなのに。掃除は毎日していれば慌ててすることもないだろうに。

 大人になると妙に小理屈をこねてしまう「年末」

 小さかった頃あんなに待ちこがれた大晦日と元旦。一年に一度っきりなのが残念なぐらい楽しみだった。
今から思えばそんなに沢山のご馳走があったわけでも、派手なイベントがあったわけでもない。でもわくわくした気持ちは忘れられない。
 歌の通りにお正月を指折り数え、特別な日として迎え入れられた気持ち。
 新しい服を着て、ひとつひとつの行為を新しく確認しながら迎え入れる日。
 祝祭というハレの日を素直に受け入れられたのが子供時代なのだろうか。
 
 新しい年の新しい始まりを迎えるために、という気持ちをどこかに置いてきてしまってる最近の私。
  



23「初雪」(1998・11・4)
 北海道の冬の始まりは山に初雪が降る所から始まる。朝晩の空気がぐんと冷え込んで「寒いね」という挨拶を交しあう。これからどんどんと寒さが強まり日毎に日没も早まる。庭木の冬囲い、漬物の大根干し、暖房手当の話しに冬タイヤの準備。
 大人達はこれから半年雪に埋もれる生活の準備に追われながらも、ふと気付けば平地に初雪の来るのを待っている。今年は雪が遅いね、と語り合いながら待っている。一度降り出したらもううんざりするほど春を待たなければならないのに、それでも今年最初に空から白い雪が舞降りるのを心待ちにしている。
 初雪にはしゃぐ子供達の声を聞きながら、「とうとう降ったね」「今年は雪が多く無いといいけどね」などといった言葉を掛け合いながら、でも嬉しそうな表情は隠せない。
 待って待ってやっと来て、来たとたんにどんどん一杯になって、もてあましながら、ぐちをこぼしながら、長い付き合いをしていく雪。でも嫌いになれない。
 雪。



22「これをコスプレと呼ばずして・・・・」(1998・10・28)
 私はアニメが好きだしいわゆる『オタク』な人といわれても反論出来ないのはこのHPを見にきてくれてる皆さんにはいわずもがなですよね。
 世の中、特に主婦と一括りに呼ばれている集団の中で過ごしていると、あまりにも自分の趣味がマニアックで変かしら?などといらぬ心配をするときもあるのだけれど、だけど・・・。(いや、いらぬ心配ではなく、やはり面と向かって言われますからね)
 でも意外と主婦の方達も好きですわね、と感じる時があります。さりげなくゲーマーだったり、コレクションに励んでたり。(子供とね、などと口実にしてますが、ご本人が夢中ということのほうがウエイト重かったりします)
 さてさて、で今回は12月に幼稚園でクリスマス会をPTA主催でするのですが、先日その役員会で色々と出し物を決めました。子供達を 喜ばせるものをしたいねというお母さん達はなんだかとてもはりきっていて、何をするかにも積極的に意見が出て、ついに台本もキャラクターも決定。某昔話をベースにして、今はやりのアニメきゃらを組み合わせてミュージカルもどきの劇をすることになりました。内容はいちおう当日まで秘密なので、ここにもピ○チュウとサト○が出てきてドラ○モンにトト○も一緒に歌って踊るとは書けませんが。
 (台本も企画も私ではありません)
 でも結局皆さんとても一生懸命で着ぐるみの衣装も積極的に着るとおっしゃるし、「これって、やっぱりコスプレだわ」と私がつぶやいても誰も反論出来ないと思うわ。そういっている私は大天使の衣装を着て司会をします。さて、それがミカエルだとは内緒ですが・・・・・・・。


21「無職の主婦の身分証明は?」(1998・10・22)
 昨日、買い物のついでに近所のスーパーの中に有る郵便局のCDで口座に入金しようとしたら、お札が一枚ひっかかって機械が止まってしまいました。警備会社のお兄さんがやってきて事情を説明して機械を開けてもらい無事に入金できました。が、しかし・・・・。暫く忘れていたことを眼の前に突き出されました。(ちょっと大上段) 私ってば無職。身分証明もできない?
 口座が旦那の名義なので「お客様はご本人ではないのですね」から始まって、「じゃあこちらにお名前を・・・」と署名させられました。まあセキュリティーも有るだろうししかたないかなとは思いますが。その後、「では何か身分証明書を見せて下さい」といわれて、困りましたね。何ももってなかったの。
 運転免許自体もって無いし(来春取得予定ですが)、買い物へでるのに健康保険証なんてもって行かないし、「じゃあ、何か名前の入ったカードは」ってお財布のなかのキャッシュカードは全部旦那の名前だったのです。いったい私が本当に『○○ふみえ』ですと言うことをどうやって証明出来るのかですね。年金手帳や健康保険証を毎日どこへ行くにも持っていかねばならないのかしら。困りますわ。本当に。


20「悲しい」(1998・10・20)
 これが自分自身の問題ならば、相手に対して「あんたいったい何をいってるの?」と切り返してしまうことも出来るのだけれど、大事な友達が理不尽な理由で泣かされているのを見ているのは辛い。
 突然の最愛の人の死に対してやっとの思いで折り合いをつけようとしている友達。なのにその彼女に対して信じられないような事を平気でしてしまったやつがいる。間違ってだとか、気付かなくてなどというレベルの問題じゃなく、明らかに悪意でしかない行為。
 後足でかけられた砂の様な仕打ちを必死でこらえている彼女と電話。この3ヵ月間の涙。
 何も出来ない私でごめんね。


19「どうせ私は横分け前髪はらりに弱いわよ」(1998・10・16)
 古いミュージックビデオを旦那とビールを飲みながら見ていた。カルチャークラブのビデオから始まって、まあ、いろいろ見ていた。
 昔、一番最初にBOY GEORGEを見たのは11pmの水曜イレブン(!)の「今一番ロンドンで新しいムーブメント」として紹介されていたカルチャークラブで。当時サントリーオールドのCMでミステリーボーイが使われていた事もあり、赤と青の強いコントラストの中で歌うBOY GEORGEのインパクトはかなりのものだった。はらりと垂れた前髪も華奢に見えてその後の巨体は微塵も感じさせなかったし。
 「この頃のUK MUSICはええなぁ・・・・」などとほろ酔いかげんで眺めていたのであった。で、うっとり見ている私の横で旦那がつぶやいた。
 「前髪が重いな」
 ・・・・・・・・・。
 「だから、前髪だよ。ブライアン・フェリーもポール・ウェーラーも」
 ・・・・・・・・・。
 「軍服とジェンダーの喪失以前に前髪かもしれないなぁ・・・・」
 解ったってば。どうせ私は横分け前髪はらりに弱いわよ。と切り替えしながらも走馬灯の様に過去から現在まで私の琴線に触れたキャラクターを想い浮かべていた。
 ランダムに挙げてみるとなるほど返す言葉も無くなっている。・・・・・。
親愛なる皆様、又の名を、
 ボーイ・ジョージ、マーク・アーモンド、ミッシェル・ポルナレフ、ヘルムート・バーガー、ロバート・スミス、ジミー・ペイジ、島村ジョー、ネフライト様、キャスパル・レム・ダイクン、アッシュ・リンクス、ポール・ウェラー、ブライアン・フェリー、エトセトラエトセトラ。
 そして、・・・・・・マリア・タチバナ。


18「ひなたぼっこ」(1998・10・10)
 お昼を食べてから日当りの良い場所に座っていたらだんだん気持ち良くなってきて、いつのまにかそのままカーペットにねそべってお昼寝をした。ガラス越しの太陽が暖かくて気持ちが良いなんて、もうすぐ寒い冬が来る前のちょっとした楽しみ。
 買い物に出ると、漬物用の材料が並べられはじめてたり、山に遅い初雪の便りが届いたり。
 朝晩の寒さにそろそろ北海道ではストーブの誘惑を感じる季節になってきたけれど、こんなひなたぼっこが出来るともう少し冬が来るのを待ってて欲しいなと思う。


17「電話が通じない」(1998・10・9)
 朝一番のメールチェックをしようと思っていたら、いきなりのエラー表示がでた。こりゃなんだと確認したところ、ISDN用のターミナルアダプターに、『カイセンショウガイレイヤ2ダウン』の表示が出ている。電話が、通じない!インターネットはもちろん、普通の通話も出来ない。なんてことかしら。パニック!
 旦那はもう仕事にでてるので、自分でなんとかしなくてはと思ったとたんに頭の中は真っ白になる。
 さて、この場合まず考えるのはわが家の回線状況にトラブル発生。で、TAのマニュアルを必死で読んでみた。やるべきことが書いてあるので、自己診断というものをする。えぇぇ〜〜〜ここで第一段階のショック。『診断結果が正常の場合、NTT窓口にご相談ください』って……。電話通じないのにどうしたらいいの。PHSは旦那が仕事に持って行ったし。(実はこのPHSも通じないとは此のとき知らないので)
 ええっと、でも、きっとこれはうちの回線に問題が有るのだろうから、とりあえず近所の電話をかりて旦那に連絡取って、PHS持ってきてもらおう!それでNTTにかければなんとかなるでしょ、今日は金曜日だから、朝の内に動かねば。
 だけど、PHSから、113番や、NTTのフリーダイアルかかんないんだって、知らなかった私。でも、NTTから来る領収書とかにはトラブルやお問い合わせはってことで書いてあるのはそんな番号だけ。
 どうしよう、どうしよう。ここで第二段階のショック。
 なんとかNTTと連絡がつき状況が判明。NTTでのトラブルと解るので一安心って、電話が通じない状況に変わりはないのだけれど。しかも、ISDNだけではなくPHSまでも。まあ、PHSは受信は出来なくなっていたのだけれど、かける分には問題なかったので、あちこち、緊急連絡をする。
 と言うことで。早朝からの大騒ぎは夕方解決したのだが、この間普段あたりまえにしていることが、機能停止してしまうとなんて不便なんだということをしみじみ感じた。
 大昔(!)の中学生の時読んだ(だから、ちょっと内容も不確かなんだけれど)星新一のショートショートに、未来社会があんまりにも便利になっていて、それに依存した生活のために、停電しただけですべての機能が停止してしまい人類が滅びるというものがあったなあ。ちょっとそのことを思い出してしまった一日だった。


16「サクラ大戦で親孝行?」(1998・10・7)
 世間ではいろんな懸賞があるし、それこそピンからキリまでなんだけれど、たいていこんなものは当らないと思っているし思ってきたのだけれど・・・・・。
 子供の友達のお母さんの中にはかなりの数、懸賞マニアの人がいる。さらに、こまめにスーパーの抽選会をクリアしてる人も多い。遊びにいくと、これは○○で当てたピカチュウのグッズとか、この前の○○スーパーの抽選では○○さんがお買い物券当てた、なんて話しも「ふぅ〜ん」と聞くばかり。私は当っても末等のティッシュ、それもないほうがほとんどだから、特賞海外旅行などと謳っている抽選などははなから諦めてかかっていたのだが。
 さて、ふりが長かったけれど、それは6月の末の事。某さっぽろ地下街ではダンダンフェアなる抽選会のそれも初日の事だった。その日私は某OVAの第1話のLDを探して(なにせその第1話はすでに数ヵ月前に発売されていたものなので、ほとんどの店で売り切れになっていたのだ)かなりの数のLD販売店を回った後だった。もうここで諦めて出直して来ないと、幼稚園のお迎え時間に間に合わないというギリギリで入った所で最後に残っていた一枚を見つけひっつかんでレジに走った。会計をする時間ももどかしかったのだが、さらにCDショップのお兄さんはのんきに(と私は感じた)『今日からダンダンフェアの抽選ですよ』と抽選券をくれたのだった。『時間が無いから』と断わろうとした私にそのお兄さんはさらに『うちの店のすぐ前で抽選してるから』と半ば無理やり抽選券を渡してよこしたのであった。
 『まあ、どうせ』と思っていたのだがやはり『ティッシュぐらいは』と欲を出して抽選にむかった。此処まで書けば落ちは予想出来るでしょうね。そう、当ってしまったの。・・・海外旅行。こんなこともあるのだなぁとしみじみしていたら、幼稚園のお迎えに遅れてしまった。
 という訳でこんな事でも無ければなかなか出来ない親孝行と、鼻の穴を膨らまして実家の親にプレゼントしたのだった。しかし、これを親孝行と呼べるかどうかは検討の余地がかなりあるなぁ。
 で、某OVAっていうのはサクラ大戦。


15「お風呂」(1998・10・3)
 お風呂に入るのは幸せな気持ちになれる事のひとつ。一日のうちで色々な事があってもお風呂に入ってるだけでなんだか全部いいかなと肯定してしまえそうな気分になる。
 脱衣所で音楽が聴けるようにCDプレイヤーを運んできて、準備する。またはお湯につかりながら読む本を決める。(お風呂の中で読む本は格別だ)
 髪を洗って身体も洗って、湯船につかる。入浴剤も色々用意してあるときは嬉しく迷ったりしながら決めて、ゆっくりお湯につかる。手足を延ばしながら、今日一日の出来事を振り返ってのんびりと汗ばむまで湯船のなかでたゆたっている。お風呂から上がったら、ゆっくりと身体を乾かしてから新しいパジャマに袖を通す。冷蔵庫を開けると冷えた恵比寿ビールを取り出して・・・・・。
 でも此処まで書いてみて、はて毎日こんなふうに入れるだろうかと考えてみた。
 ばたばたと慌ただしく身体を洗ったら、ちょっとだけあったまって、わしわしと身体を拭いてすぐに着替えてしまう。後は「ああ、暑い暑い」といいながら部屋の中をうろうろしているのが現実の私の入浴だ。こんなふうに入るのは嫌だなと思う。それでも、子供達はもう自分でお風呂に入ってくれるから、身体を洗ってやったり、髪を洗ってやったりしている間に自分の事はどうでもよくなって、なんだかどこを洗ったのかあったまったのか判らないまま上がってくる事は無くなったのだけれども。
 でも気がつくと、いつも流れ作業の様にお風呂に入っているのが現実だ。余裕が無いのかなぁ。
 入浴剤も入れる。今日はバブの桧の薫でリラックスのはずだし、湯上がりにビールの用意も怠り無い。さてとたまにはゆっくり、お風呂に入ろう。
 

14「買い物」(1998・9・30)
 お風呂場の電球が切れたので買ってこなければならなかった。
 しかし、たいていの場合買い物から帰ってきてから一番肝心の品物を買い忘れていたことに気付く。玄関の鍵を開けたとたんに思い出したりする。旦那に頼まれた剃刀の替え刃や、後残りわずかになっている食器洗剤などなど2〜3日同じことを繰り返すのはよく有ることだ。
 子供のころ母親が似た様な事をしていて、そういえばおつかいにだされながら、『なんでお母さんはすぐ忘れるの?』と文句の一つも言っていたなぁ。
 さて、当然のように今回も忘れてしまうと薄暗い中でお風呂に入らねばならなくなるので買い物に出るまでは『そうだった、電球、電球』とつぶやいていた。絶対忘れちゃダメな時に私の使う必殺技は、娘に一声かけておくというやりかただ。これは子供が買い物についてくるときにしか使えないが、かなり有効な方法でたいていレジへ向かう私に『お母さん○○買ってないよ』と教えてくれる。今日は二人ともついてくるというので、しっかり(?)声をかけておいた。『お母さんね、今日電気の球忘れないように言ってね』(なんて情けない親だ、まったく)
 親子三人近所の西友へ向かったのは夕食の材料の買いだしもかねて、夕方の4時過ぎであった。よし、今日は豚汁にしてお米は買い物から帰ってから研げば間に合うしなどと胸算用しながらの出発であった。
 だがしかし何時如何なるときにも番狂わせはあるものだ。今日の娘には土曜日に呼ばれているお友達のお誕生会で渡すプレゼント選びという大仕事があった。彼女の胸の中では500円以内でどれだけ自分も気に入って、お友達に喜んでもらえる物を選べるかということで一杯だったのだ。
 文房具と小物の売り場であれこれ悩むこと1時間。私の忍耐力の限界点はとうに突破してしまってからやっとプレゼントを選び終わった娘に母親の買い忘れを指摘する余裕は無かった。さらに私も迫り来る夕食の支度の段取りを考えているうちにすっかり電球のことは忘れ去っていたのだ。
 今夜は脱衣所の明りだけの薄暗い浴室もまた、温泉の浴場のようで風情があるなぁとつぶやいてみたのであった。


13「お寺ライフ」(1998・9・28)
 下の娘が通っている幼稚園はお寺に隣接しているので、年に一度の報恩講には園児も参加する。春のおはなまつりは幼稚園内のホールで行われるが、今回の報恩講はお寺の本堂でおしゃかさまに御参りするのだ。お母様達もよろしければどうぞと言うことなので、子供といっしょに参加してきた。
 普段はトレーナーの園長先生も今日はお寺の住職さん。 墨染めの衣も決まってる。
 いつも幼稚園の園庭で擦れ違う青いスポーツカーの御坊様も今日は一段と凛々しいわね、ほらお寺の○○さんまた檀家さん便り面白く書くのカシラ、などと一緒に行ったお母さん達の雑談を聴きながら、ふと一人昔読んだ岡野玲子の「ファンシィダンス」を思い出してくすくすしてしまった。不謹慎な私。
 上の子の時からお世話になっている幼稚園なので、毎年9月になると、ファンシイダンスを読み返してしまうのだけれど、また今年もその時期が来た。あぁ、でも本当にお寺の○○さんはヨーヘーくんにそっくりな御坊様ですわ・・・・・。
 


12「 やっぱりニュータイプ」(1998・9・27)突然モンペール

 今日は、まったくオタクな一日であった。
 妻、まりあ・ふみえは、数ヶ月前に購入した海洋堂のフィギュアの色塗りに午前中より執心し、第一女神 タベルド(小学3年生)は、締め切り間近となった子供CGコンテストの作品作りにあどびふぉとしょっぷ での御絵描きに腐心し、第二女神ネルド(幼稚園年長)は、藤島の「ああっ女神様っ」の読書に夢中になっている。
 そして、かくなる私は、AMGのペイオースの画像処理、プリント出力、フォトスタンド作成にいそしむという具合だ。(全く、何やってんだか…)
 世間一般の家庭生活の休日の有り様とは随分かけ離れているような気もするし、あるいは、こんな家庭も増えているのかな、とも思う。
 残業続きで、晩酌と遅い夕食の後にはもういびきをかき、早く帰って来た日にはビールを飲みながらプロ野球を見てごろ寝して、日曜日には慣れないパチンコに出かけて負けて帰ってくる。そんな、父親の姿…
 先日、放送されていた「寺内貫太郎一家」をぼんやりと見ながら、このドラマを見ていた時の家族の姿を思い出していた。
 暴力的な父親、わがままで暴君の父親という誇張された設定はコミカルではあったが、一つの事実でもあった。だからあのドラマはあの時代に面白かったのだ。
 平成10年の寺内貫太郎はもはや怒りの動機を喪失している。父はもう呆然としたまま言葉を失ったままだ。
 価値観の転換を求められたことは何度も在った。神様が人間になり、敵国は夢の国になった。少し時間はかかったがそれは理解できた。
 理解できないのは、この国が豊かなのか貧しいのか良くわからないということだ。
 失業率が増え、倒産も増え、銀行が倒れるという大変な時代らしいが、街にはモノが溢れかえり、次々と
大型店が進出し、マンションもどんどん建っている…

 女神タベルドはディスプレイをにらみながら、慎重にマウスを 動かす。そしてダブルクリック…カチカチ
 この音は多分、現代の石のみが石を刻む音に違いない…
 私は彼女にとってどんな父親なのだろう。
 フォトスタンドの中のペイオースが艶然と微笑している…



 
 1998・9・14
『ぐうたらやさん』

 大きくなったら何になりたい?
 小さな子供にたいして、大人がよく聞く質問。
 返ってくる答えは、看護婦さん、お花やさん、ケーキやさん、およめさん、おかあさん。それに最近だったらポケモンのキャラクター、ミューになりたい。
 飽きもせず大人達が同じ質問を繰り返すから、子供も今度は聞いてくる。
 おとうさんは?おかあさんは?せんせいは?おばあちゃんは?おじいちゃんは?おじちゃんは?おばちゃんは?大きくなったら何になりたいの?
 「もう大きいんだから、大きくなれないよ」と答えてしまっちゃ先に進まない。
 そう聞かれたときに、思わず答えた。「そうね、大きくなったらぐうたらやさんになりたいわ」答えてから思う、ぐうたらやさんなんて素敵だなあ。
 お店の中になあんにもなくて、ぐうたらだけがぐうたらぐうたらしている所を想像するとなんだかにんまりしてしまった。  そのままで既にぐうたらな性格じゃないかといわれると、返す言葉もありませんが・・・。


1998・9・9
『眠る事』
 
 人より沢山眠らないと機嫌が悪い。下手をすると、一日の半分近くが睡眠時間に当てられているような奴。私はそんな人間だ。隙あらば眠っていたい。
 眠っている所を起こされるのがなにより嫌い。どんなに本人が愛想良く対応しているつもりでも寝起きにかかってきた電話はばれてしまう。
 前世はきっと猫だと信じている。(いや、トリュフを探す豚だったという説も捨てがたいのだが)日当りの良い場所で一日寝ていたのだきっと。それぐらい眠る事がすきだ。
 学生時代、午前中の講義はほぼ全滅。いや、高校生の時だって、いかにして布団から出ないで済むかというのが大命題だった。
 子供が小さい時はお昼寝にかこつけて自分が寝ていたし、夜も寝かしつける前に親のほうが眠ってしまうという情け無い奴だ。
 そんな私が眠る事をけずってまでもパソコンに向かっているなんて考えもしなかった。
 

1998・9・8
『鋼鉄の背中』
 
 姿勢が悪い。
 猫背。
 運動は絶対いやだ。
 眼が悪い。
 寝転がって本を読むのが好き。
 そして、長時間パソコンに向かっている。そうするととても簡単に鋼鉄の背中が出来上がる。
 タイガーバームもアンメルツもバンテリンも太刀打ち出来ない最強の背中だ。
 

1998・9・7
『学習能力?』

 パソコンを始めたのは、一昨年の12月。
 96年のクリスマスにはちょっと早めのプレゼントに、今使っている「ぱふぉちゃん」がやってくることが決まった時は正直にいって、何が出来るのかもどう使えるのかも皆目解らなかった。
 それ以前はMacintoshのLCIIがあったけれども、私のではなかったのでゲームをする以外は触った事がなかった。旦那は仕事で原稿書いたりデザインやってるみたいだ、娘もマウスより小さい手でキッドピクスのお絵描きやら「らすたーちゃん」で遊んでいる、けれど私は触れない。LCIIが来てからぱふぉちゃんを迎えるまでの4年間はこんな状態だった。
 このままでは、家の中で一人電脳生活からおいていかれるぞという危機感が増幅していった。そんな時『パソコン買おう、あんた専用に通信も出来るのを』という旦那の発言。そして、初雪が舞う頃Performaの5270は私のもとへとやってきた。
 さて、とりあえずインターネットが出来るようだけれど、インターネットってなんだ?電話で繋がってるようだけど。メールというのが出せるらしい。ファックスとどう違うんだ?キーボードはとりあえず昔タイプライターを打ったことがあるけれど。ワープロはそうだ、卒論の時に使ったぞ。ああ、頭の中は真っ白。
 何度も確認して『壊れないから大丈夫だからとにかく自分で触っていろいろ動かしてみなさい』といわれながら、おそるおそる立ち上げる。おおお、動いた。起動できたのだああ。
 にこやかに迎かえ入れてくれたぱふぉちゃんとの出会いからもう間もなく2年が経つ。
 メール一つにしても、最初の時は10行程度の文章を送信するためには1時間以上かかって送るものだったし、添付なんて考えられないものだった。
 今日は平気な顔をしてやっていることが実は昨日はまったく闇の世界、というのが正直なところだ。今この様にインターネットを通して自分の思っている所を見てもらえる場所を持てるなんて、2〜3カ月前には夢にも思っていなかった。
 毎日解らない事は次々と出てくる。頑張らねば。


1998・9・6
『かき丼』

 どんぶりご飯はどうしておいしいのかなあ。炊き立てのご飯の上に何かをのせてでき上がり。それだけで簡単だけれども、家族はかえって喜んでいたりもする。
 きゅうりと生姜をさっともんだお漬物と、お味噌汁があればおっけいの、どんぶりご飯。

 道東に住んでいた数年前の事、車で更に1時間ほど東に走ると厚岸という町がありよく其処へ牡蠣を食べにいっていた。
 焼牡蠣、生牡蠣いろいろ食べ方はあるけれど、この町の普通にあるメニューに、牡蠣丼というものがある。初めてこれを注文して出てきた時にはちょっとビックリしてしまった。
 牡蠣フライがカツ丼の様に甘辛く煮つけられて、卵で綴じてある。
 野菜も玉葱人参が千切りになっていて、グリーンピースが4〜5個ちらしてあるではないか。
 一瞬の躊躇の後、箸をとる。…。美味しい!
 
 今日はちょっと忙しかったし、夕食は簡単にと言い訳しながら買い物に出たときに、おかずやさんの対面販売のおばちゃんが牡蠣フライを売っていた。久しぶりに食べたくなって、牡蠣フライを買って帰る。
 あとは上に書いただけの手順でおっけい。好評だった。
 
 美味しいものを作りたい!


1998・9・4
『らじお』

 台所でお湯を沸かしながら時計を見る。もうまもなく3時だ。猫の絵の付いた大きめのマグカップにインスタントコーヒーをスプーンですくって2杯入れる。カップの3分の2までお湯を注いで、後は冷蔵庫から取り出した冷たい牛乳を入れる。
 カップを持って階段を登る。大学のコンパで酔って帰ってきた兄貴の部屋からはいびきが響いてくる。
 机の上には、途中で投げ出してしまった英語のリーダーと、今週中に書き上げなければならない部誌の原稿がのっている。英語は明日の授業で絶対当たるはずだから後1ページは訳しておかなきゃならない。原稿もタイトルだけで真っ白だ。
 引き出しをあけて、灰皿と煙草を取り出す。煙がこもらないように窓を少し開けてから火をつける。
 前号の合評会の席でK子の作品に対して言った言葉が返ってくる。
『だから、あなたの文章は詩じゃなくて詞なのよね』
『さあ、どうだ、褒めてくれって感じ』
 ・・・・。自分に向かって言ったようなものだ。まったく。
 原稿用紙を丸めて屑かごに捨ててから、教科書をひろげなおして辞書を引く。
 ラジオのスイッチを入れると、聴き馴れたテーマ曲と軽快なDJの声が流れてくる。
『みゆきさん、ごくろうさま。GO.GO.GO!では今日の一曲め・・・・・・』

 高校生の頃、そんなふうに聴いていたラジオが懐かしい。


1998・9・3
『雷』

 今日は昼前、突然雲行きが怪しくなったと思う間も無く、雷が鳴り出した。反射的にパソコンを終了させると、家中のコンセントを可能な限りはずして歩く。
 以前は雷なんてそれほど怖くなかったのだが、去年の秋わが家に(正確には住んでいるマンションだが)雷が落ちた。8階建てで屋上にはちゃんと避雷針もあるのだからかなり近い雷が鳴っていても平気でいた。稲光りと雷鳴がほぼ同時になっていても「近いな」程度に思っていた矢先、部屋のTVやステレオの後ろがスパークした。建物のすぐ横に立つ電信柱に落ちた雷は、ゆうせんのケーブルを通ってチューナーまでたどり着いてくれたのだ。この雷は数時間の停電と断水を引き起こし、オートロック玄関の錠を壊していた。
 


1998・9・2
『バザーってなあに?』

 毎年秋になると、小学校や幼稚園では友愛セールなどといって、バザーをするところが多い。たいていはPTAのお母さん達の手作り品と、家庭の不用品の販売だ。名目は子供達への還元ということで。
 実際、運動会で使うゼッケンの購入やクリスマス会をPTAの主催で行うなど、確かに子供達のために還元はされているのだけれども。
 でも、ここ数年此の手の行事に参加するたびに思うことは、いったいなんのためにこんなことをしているのかなあ、という事。 動いている母たちの膨大な数と、時間と、労力を考えるともっと別な形で出来るんじゃないだろうかと思ってしまう。特に去年と今年は主催するほうのスタッフになってしまったので、なおさら考えてしまう。
 「こどものため」という大命題をはずしてしまったら、後は何が残るのかなって。


1998・9・1
 
『嫌いな音』

 苦手なものといったら漠然としすぎるけれど、苦手な音というと限定されてくる。金属音が駄目とか、発泡スチロールのこすれる音がとか、林檎の皮を噛る音がどうしてもなどと、人によってどうしてこの音がといわれながらも歯茎が浮き上がってしまう音の事を書いてみる。
 私の嫌いな音はコート紙を指でなぞるかすかな音。
 そんな音がするのかと言われると、するのだ。きしきしと、はっきり聞こえるのであればまだしも、可聴範囲(と呼ぶものがあるのだろうか?)を超えているような音は身悶えしてしまうほど嫌だ。
 グラビア雑誌のページをめくる音が一番辛い。書いているだけでも、もう既に歯が浮いてきた。
 自分で読んでいる時はもちろんだけれども、側で誰かが読んでいる音であればますます辛い。身勝手と言われようが、自分に甘いと言われようが、他所で読んでおくれと叫びたくなる。
 本を読まない生活をしていればなんということもないのだろうけれど、いかんせん本は読みたい。雑誌も見たい。でも、あの音は嫌だ。勘弁して欲しいと情けない言葉を吐いてしまう。
 
 そうして今日も背筋をぞくぞくさせながら本を読んでいるのであった。
 


1998・8・31
 
『レコード』

昨日ヨドバシカメラでレコードの針を見つけた。
わが家では、年代物のHITACHI Lo-Dというステレオ(死語?)が現役で働いている。
(昔YMOがカセットテープのCMに出ていた頃の話しではない、今だよ。)
CDの再生にも、ゆうせんを聴くのにも頑張っているんだ。
しかし、プレイヤーは死んでいた。
針を変えたのはあれは何時のことであったろう。
押入の中に潜んでいる数枚の(間違っても数百枚では無い。はずかしくて書けない事になってしまうもの)黒いビニールの丸い物がなんであったか知る人ももういない。
(おいおい)
12インチのディスクはLDだと思っている方がほとんどなのですからね。
しかし。
針を買ってきた。
ごみの山だと思われていたあの丸い物達から奇蹟の音がこぼれてきた。
どこかのレコードショップのコピーではないけれども、
NO MUSIC, NO LIFE.


1998・8・30

『7月と報道』

 今年の夏ももう終わったなと感じたのは今朝身支度をしたときだった。なんの抵抗も無くキュロットスカートの下にストッキングをはいていた。
 夏のはじまりの7月は、ちいさいころから、誕生日が来ることだけでわくわくしていた。誕生日が過ぎるとすぐ夏休み。なんてすばらしい月なんだろう。毎年そう思う月だ。
 年ごとに、いろんなことが過ぎていく。沢山の出会いと、沢山のさようなら。
 12年前の7月は、delete keyが欲しかった。大切な人の存在が消えてしまうことのなんとあっけないことか。しかも、そんなことになるとは思いもしなかったから、最後に貰った電話にはなんと冷たい言葉をなげつけていたか。新聞も、テレビも、写真週刊誌もみんな嘘ばかり言っていた。事故や事件の報道なんてそんなものかと、思わせてくれた。テレビに向かって嘘つきと叫ぶことしかできなかった。
 歳をとれば人間老獪になって、同じ事は繰り返さないはず、一度学習したことは、忘れないはずと思っていたのだけれど。
 報道されているニュースの陰にどれほどの涙があるのか、やっぱり忘れてしまって、気付かずに過ごしてしまっている。
 今年の夏は、沢山の人と出会った嬉しい時間だった。
 そして、大切な友達の一番悲しむ顔を見なければならなかったのも、この夏のことだった。
 報道され、簡略化された事実と、そのけずられてしまった事実との間での涙。
 夏が過ぎたからといって終わるものではないその気持ちを残されたもの達はかかえていかなければならないのだから。
 はからずも娘がニュースをみながらつぶやいた言葉が耳に残る。
「お母さん、このニュースの人達もT君のおうちとおんなじ気持ちでいるんだね。」
(了)

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