REVIEW

part12
(最終更新日2002・11・3)


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「彼方からの音楽」
「Audio Sponge」 SketchShow CD

  昨晩は会社の観楓会(かんぷうかい=多分、北海道特有の会社行事だろうな。秋の紅葉を観るとは名ばかりで要は会社のおじさん達が表面上は和気藹々と仲良く酒を飲む温泉宿泊旅行のことである。)で、菓子屋の名前のついた温泉付きゴルフ場に泊まった。
 アジア人には到底似合わないゴルフウェアに身を包み、「グリーンは気持ちがいいねえ。」などと言いながら農薬漬けの芝を踏み、クラブのカタログスペックと技量を自慢しあうゴルフというのは、でえっ嫌いなので今までもちろんゴルフ場なんて足を踏み入れたことは無かったのだが、ううむ、やっぱり俺には全く理解しがたい空間だった。
 ロビーに流れる安っぽい「Take5」。クリムトの複製画。ドアやカウンター周りの金メッキの多用。頑丈な屋根と高い塀にガードされた全く開放感の無い豪華露天風呂。
 貧乏くせえ…
 金はそこそこかけているのだろうが、指向も思想も無い施設空間というのがどんなに空虚なものかようくわかりましたね。

 精神的にすっかり疲れ果てた私は帰路カーオーディオで「Audio Sponge」を聴きながら、田舎道を走った。
 薄っすらと雪の積もった寒々しい風景とSketch Show の乾いた音は不思議なほどに調和して、ささくれだった私の精神は幾分和んだ。
 細野晴臣と高橋幸宏からなるユニット「Sketch Show」のアルバム「Audio Sponge」は、テクノミュージックの最もシンプルな構造が表現されている。ポキポキと骨が折れていくような乾いた音とどこかノスタルジックな旋律。それはどこかの空間のいつかの時間に、砂漠の真ん中に置き忘れられた小さな再生装置の小さなスピーカーから、誰に聴かれるともなく奏でられているのだ。
 過去でも未来でもないそんな彼方のサウンドが今の私のお薦めです。

2002・11・3 by 久しぶりのもんぺーる)



「ヴィム・ヴェンダースさん、この小説を映画にしてみませんか?」
(「遥か南へ」 ロバート・R・マキャモン著 文春文庫  ¥819)

最近我が家で禁じられている言葉が2つある。
それは「小洒落た店」と「癒し」だ。
「小洒落た店」とは、両脇に観葉植物とワインのボトルを並べた小さな階段を数段降りると店の入り口にイーゼルが置いてあって、黒板にチョークでおすすめメニューが書かれており、ドアを開けると店の主人がフィレンツェの小さなホテルで買い求めたというベル(これが実は台湾製だったりする。)がしゃらんしゃらんと鳴るような店である。
 天井が低く木製のテーブルが数卓とカウンターしか無い狭い店内を見て「隠れ家っぽくていい店でしょ?」なんてうそぶく幹事を務めるマーケティング部の女子社員。はいはい、いいお店だね。
「このお店、イタリア料理なんだけど、家庭っぽい味で美味しいの。特に手作りのハーブ入りのソーセージがお勧め!それと魚介のパエリアがすっごく美味しいの!私このお店月に2回は来ちゃうの。とっても居心地が良くって。…わあ、これこれ、ここの店の特製ピザ!私このピザに病みつきなの!……あ、…マスター、すみません、このピザの上に掛けてあるチーズ取ってくれます?私、チーズは苦手な人なんですう!」
ふうん、イタリア料理通でチーズ嫌いなのね。まあいいや。
「部の飲み会も居酒屋ばかりじゃね。ほらね、こういう小洒落た店ってなかなか普段行かないじゃないですか。もんぺーるさんはこんな店に来ることありますう?」
いや、僕はいつも居酒屋ばかりですね。(あなたは月に二回くらいは来ているのでしょうが。)何て思っている間に部長が着席して「おっみんな揃ったな。それじゃあ乾杯といこうか」とのたまった途端、僕達私達流行に敏感なマーケティング部だかんねって感じの連中がワイングラス片手に差しつ差されつのご返杯合戦.。あははははははは。
「それでは今期の期間計画達成を記念してかんぱーい!」
おいおい、こういう店で全員起立して乾杯かよ。あはははは
……あ…ああ…店の特製だっていうワイン一気飲みしている。いくら年度の予算使い切るために店貸切にしたって言ってもなあ…札びらで頬叩きながらサービスを強要しているみたいで嫌だなあ…あ、部長がテーブルに肘ついて食べている。社員食堂で新聞読みながら肘ついて食べる習慣がこんな所で出てしまうんですね…
「おっ…マスターがマティーニ作ってくれたってさ。粋だなあ。でもマティーニは結構きついからな。ほらウォッカがベースじゃない。僕にはちょっと強すぎるな」と、ピンクのボタンダウンシャツの課長がショットグラスを傾けながら眉間に皺を寄せてすすっている。課長、マティーニはジンベースだってばさ。お願いだから間違った薀蓄を大声で話すのは勘弁してくださいよ。ああ、君達やめろよ、こんな店でワイシャツ脱いだり、ブリーフの柄の見せやっこするのは…ここは白木屋でも村さ来でもないんだ…ああ、出てくる料理を片っ端からデジカメで撮っている馬鹿がいやがる。君は自称グルメで自分のHPで食べたものリストを紹介しているらしいが、店に断りなく勝手に撮影するのは良くないよ。…それに、グルメならさ角切りの人参くらい残さず食べなさいね……え、何だって二次会無しで12時までここで飲むって?おいおいおい6時間耐久戦かよ!いくら貸し切りにしたって言ったって店の人の後片付けする時間くらい考えろよ…やっぱり俺達には洒落た店は似合わないのはもちろん「小洒落た店」も無理なんだよ。やっぱり「牛角」とか「白木屋」がお似合いなんだよ…

という調子で、「小洒落た店」での飲み会で私は激しく疲労困憊したのである。
(私はグルメでも食通でもないが、その店の料理は余り美味しく感じなかったな。)
「癒し」についてはその余りにも安易なカテゴライズが許せない。
「白い犬とワルツを」も「ピクミン」も「おさかな天国」も「癒し」なのだと言われて、「ああ、癒しなんだ」と簡単に消費しているけれど、何だか今一つぴんとこないのだ。まあ、一般的にカテゴライズされたものを有り難く感じる人とそうではない人に分かれるのだろうな、きっと。一つ確信しているのは、「癒し=ヒーリングミュージック」のCDを買う人と、パソコンの脇にトルマリンのリンゴを置く人と、アブトロニックを買う人は同じ人達なのだろうな、ということだ。
で、「癒し」という言葉でカテゴライズしたくないのがこのマキャモンの「遥か南へ」なのである。
この文春文庫の分厚い青背というのはどうにもページ数に比例して殺される人達も多くなるような印象が有り、本の紹介文の書き出しで「はずみで人を殺してしまったヴェトナム帰りのダンは…」なんてのを読むと「この本はもしかしたら、ランボーのようなやたらマッチョな奴がひたすら敵を殺していくというような恐ろしく退屈な小説なのではないだろうか?」と思ったりもしたのだが、実はべらぼうに面白かったのである。
ストーリーとしては、殺人を犯してしまった主人公が懸賞金稼ぎに追われる過程を描いたロードノヴェルなのだが、主人公の逃避行での道連れとなる顔の半分に痣の有る少女、懸賞金稼ぎとして主人公を追う二人組(腕が三本有るフリークスとプレスリーマニア)の人物造形が非常に巧みなのである。
そして追う者、追われる者という関係式が次第に共感めいた感情に変質していくプロセスが違和感無く自然に書けている。
逃避行の過程で起こる様々な事件・エピソードを通じて、主人公、少女、フリークス、偽プレスリーはそれぞれに「一つの答え=自己の存在意義の再発見」を見出していくわけだが、その過程が何とも言えない悲哀に満ちているのだ。答えを見出した登場人物達に拍手したくなるようなこの奇妙で不思議な感覚は何とも説明しづらい。読まなきゃわからんのだ。
「ベルリン天使の詩」「パリ、テキサス」「バクダッドカフェ」といった映画が良かったと思っている人には、お奨めしたい一冊。
(2002/5/12/by もんぺーる)
 
 



「類似性の遊戯」
(伴田良輔編『恋する写真』(マガジンハウス 1400円)

おお、やはり美しいのう…
20年来憧れ続けている甲田益也子さんが出演されていたというのにノーチェックだった手塚眞監督の映画「白痴」をレンタルビデオで見たのだが、物憂げで儚げな表情といい華奢な肩から細い腕のラインの優美さといい仕草の少女性といい、ああ、全く昔の甲田さんがそのままそこにいるのだ…
エージレスで鮮度保持されているのだろうか?それともコールドスリープしてたまに起きて映画に出ていらっしゃるのだろうか?それとも…それともタイレル社で造られたレプリカントさんなのだろうか?
おお、やはり美しいのう…
と陶然として思わず文章も輪廻してしまうのだ。

 この「恋する写真」には、マルベル堂のブロマイドに封印された少女達の旬のキュートな写真が仰山詰まっている。
 若き日の鰐淵晴子さんは息を呑むほどの神々しいばかりの美しさであり、セーラー服を着た浅丘ルリ子さんはまるでおおた慶文の画集から抜け出てきたような憂いを帯びた清楚な完全美少女である。
おお、やはり美しいのう…
600dpiでスキャンしてCD−Rに焼いておかなきゃ。

美しさに気を取られ肝心な事を言い忘れてはならない。この写真集の特徴は何と言っても特異なグルーピングにある。これは伴田良輔さんの得意技なのだが、花を一輪持っている写真ばかりとか、顎の下に人差指をあてているポーズばかりの写真であるとか、ホットパンツ(おお、これは死語だね!)をはいている写真ばかりであるとか、ポーズやコスチューム、小道具等の関係性・類似性に従って写真を分類しているのだ。これが滅法面白い。見ている内に何だか物語性が出てきてしまうのだな。そしてその物語性にさからうような少女達の凝固した微笑の不思議さ…

コレクションの一冊に加えたいユニークな写真集です。

(2002/4/21byもんぺーる)



「BroadBand Narrow Idea   音楽CDコピー防止の行方」

「全部穴を塞ぐことは簡単なんですよ。情報セキュリティ担当者で良くいるタイプですが、全部穴を塞いでおいて、自社のセキュリティは完璧だと言っている人間。殆ど自分は仕事をしていないと言っているに等しいんですけれどね。」
普段は軽口を叩いているばかりの同僚が珍しく真顔で言った。

非常に示唆に富んだ言葉だ。

企業を含めてどんな組織でも必ずいるタイプの人間が、この「何か問題が起こりそうならその問題の発生原因そのものを根絶せよ!」と言う原因根絶論者だ。一見論理的に見えるから周囲も言っている本人も頭が良いと勝手に勘違いしてしまうのだが、実はそれほど頭が良くない。

今日ネットのニュースを見て唖然としたのだが、おそらく現在日本で最も元気で最も先進的だと思われていたレーベルは、驚くほど愚鈍な原因根絶の方法で「音楽CDコピー防止」を狙うらしい。

そのコピー防止の方法によれば、Windowsマシンは音楽CDの楽曲をデータとして中に取り込むことができず、MacOSに至っては再生すら出来ないとのことだ。
家にiMac1台しかない純朴な音楽愛好者はそのCDを聞くためには、その辺の電器店で安いCDラジカセでも買いなさい、ということらしい。
 

こうした試みが保守的な死に体のレーベルから出されるのはまだ理解できる。「CDが売れなくなったらうちの会社つぶれてしまいます。」と、よよ、と泣き崩れてこんなコピー防止CDが発売されるならまだ理解できる。

しかし、「ブロードバンドで見れる人はお金払って見にきてね」と旬のアーティストのライブイベントを餌にデジタルディバイドなんて知ったこっちゃないかんね、とがんがんプロモーションを打っているレーベルがこんな行動に出たのである。

まるで錯乱しているとしか思えない。

音楽CDをコピーして私腹を肥やしている人間も確かいるのだろうし、著作権の概念も良く理解しないままに自分のサイトに好きなアーティストの楽曲を平気で載せている人もいるだろう。
しかし、大多数のユーザーは自分のCDのコレクションを自分の好みの選曲で楽しむために、あるいは携帯プレーヤーで聴くために、あるいはカーオーディオとして楽しむ為に、CD-Rに焼いたりMP3を作成したりしているはずなのである。

自分の音楽を聴く環境をより快適にする為に音楽CDから他のメディアにコピーすることは違法だろうか?
それをもし違法だとするならば、この世の中からありとあらゆる複製メディア製作装置を排除した方が良いだろう。カセットレコーダー、ビデオレコーダー、MDレコーダー、CD−R/RWドライブの所持は無期懲役、
高品質のAD/DAコンバーターやDVD-R/RWなんて所持していたら鞭打ちの上、獄門打ち首に致す!なんてね。(ほうら頭悪いだろう。でも音楽CDにコピー防止機能を付けるという発想も実は対して変わらないと思うよ。)

決してコピー自体は悪くない。それが悪いなんて言ったら、必死で原音再生・高品質再生を目指してカセットレコーダーやビデオレコーダーを開発していた「プロジェクトX」に出ていたおじさん達は号泣するだろう。

問題は、コピーした商品が不正に売買されたり、あるいはファイル共有のような形で誰もが簡単にコピーできてしまう環境が出来てしまうと著作権者が不利益を被るということだ。

これについては代案が有る。

それは、コピーを防止するという方法ではなく、「個人が個人の使用目的のみの為にコピーを作成する権利」を電子認証という手段で与えるという方法である。

手順としては個人はまず著作権保護を管理する団体に自らの姓名住所等の個人情報を申告し、認証キーを取得する。
音楽CDからCD-R,MP3等のメディアにコピーする場合には、必ずこの認証キーを求められる機構にする。(当然この認証キーが無いと複製はできない。)
そしてこれからが肝要なことだが、その認証キーは複製されたメディアに絶対に取り除く事が出来ないよう形で(暗号でも構わないが)埋め込まれるということである。(認証キーは削除不可、追記可能)

この機構により、不正に売買されているメディアに収容されている楽曲、あるいは誰もがアクセスできるファイル共有のスペースに置かれている楽曲には、全てコピーに関与した人間の個人情報のキーが埋め込まれるわけである。

こうすれば、簡単には友達にCDのコピーを作成するなんてことはしなくなるだろうし、まして無法地帯のファイル共有スペースに自分の名前が入っているものと同然のコピーを置くようなまねはしなくなるだろう。
あくまでも自分のパーソナルな目的の為にしかコピーしなくなるに違いない。

要は、個人が責任を持ってコピーすれば良いのである。= 匿名的なコピーの防止(結論)

ついでにもう一つ。

こんな風に熱く書いていながら、そもそもCDというメディア自体、そう遠くない将来に無くなると思っている。

音楽であろうと写真であろうと動画であろうと、デジタルデータ化される物は全てネットで売買される。だからこそ、近視眼的に利権だけを追求して欲しくないのだ。(レーベルの主張する文章で、著作権という語を利権と置きかえれば非常にわかりやすい文章が多いのはなぜだろう?)

消費者は、レーベルにではなくアーティストにわかりやすい形できちんと著作権料を支払いたいのだ。
もし、私がネット上で好きなアーティストの楽曲を買いそのアーティストから買ってくれてどうもありがとう、という文とともにその楽曲の製作エピソードを添えられたらどんなに嬉しいだろう。(例えそれが数万人に同じ内容のメールであったとしてもだ。特典画像なんて添付されているともっと嬉しいだろう。)
そして、アーティストに著作権料を支払っているようで実はその中からプロモーション料としてレーベルにきっちりお金が落ちていく課金システム。そういう方が余程レーベルにとっては得策だと思うのですけれどね。
 

(2002・2・28/by 怒りモードの もんぺーる)