REVIEW

part14
(最終更新日2004・1・6)


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「メカニックOTAKU …あいつらはJAMだ!」

-   GAY LOGIC で解析する戦闘妖精雪風 -

( 「戦闘妖精雪風」 OVA I-III )


私はメカニックが大好きだ。

それについての知識の多寡やそれを再現するグラフィックの技巧の巧拙に関わらず、また、いかなる平和を希求する思想・信条に関わらず、美しいと感ずるならばそのメカニックは大好きだ。

エンジェル機、震電、百式司偵III型改,メッサーシュミットMe226、ヘンシェルHS132、DC-3、ウルトラホーク1号、サンダーバード2号、シービュー号、スティングレイ、特殊潜航艇<甲標的>,ヤークト・パンター、ケッテンクラート、21センチK12列車砲、追跡戦闘車、防空迎撃衛星<SID>、エニグマ、Nikon FII、APPLEII、B&Oのオーディオシステム、スカイセンサー5800、EVA零号機、…

あげれば切りがないくらいに好きなメカニックはたくさん有る。そしてそれらのメカニックを改めて見返した時、自分のメカニックというものに対する憧憬というものが、<機能>というものを過剰にデザインしているものであるということに気づく。「何もそこまで」という嘆息が出るくらいに一つの機能を過剰に表現したデザイン(あるいはそう意図せざるとも結果的に機能が過剰に表現されたデザイン)が私の目には美しく見えるのだ。

逆に言えば、機能の範疇を超えられないデザイン、あるいは機能を満載しているのはわかるがそれが統合されていないデザインというものには拒否反応がある。(私はどうもPSXに機能美というものを感じることができない。)

「戦闘妖精雪風」OVAに登場する飛行体は機能美として洗練されており、そのフォルムには「飛行する」という強い意思が感じられる。宙空に浮かぶ巨大要塞としてのバンシーでさえも、静止するBASE(大地)というよりは、機動力に富んだ<飛行体>のフォルムを呈している。

<飛行体>の流麗なフォルムは空気の波動やびりつきというものを感じさせるくらいに迫力ある構図で高速に移動し、ノイズ混じりの緊迫した交信がそれに被さるという具合だから、これはもうメカOTAKUの動悸は否応無く高まる。自重でタイヤは少し潰れるし、発進シーンの重量感といったら、もう…

それはもう、

日本酒好きの前の「久保田 万壽」、
ぷに好きの前の「デジコ」、
炉好きの前の「黒川芽以」、
鬱の前の「ソラナックス」、

と言っても過言ではない。

で、おそらく、製作サイドもこうしたメカニックが大好きで大好きで仕方がないのだ。<航空自衛隊協力>という黄門様の印籠も同然のお墨付きを得た彼らが、取材以上のコーフンを得ただろうということは想像に難くない。

「…めっちゃええな、この雪風…かっこええし…敵のJAMっちうのもようわからへんのもええなあ…画像のエフェクトのかけ方も通好みのシブサや…」と、呆けた表情で、怪しい関西弁でつぶやいている私…

だが、私の魂の奥底で、「そうじゃないのよ」と少しどすの利いた女の声がする。声の主は、

多田由美だ。(イメージはフォス大尉)

しかし、暗闇の中からハイヒールのカツーン、カツーン(あ●ほり擬音語使用)という音と共に現れたのは、フォス大尉ではなくクーリィ准将だった。

「…雪風のストーリーはね…メカニック・フェティッシュとしてのコードだけではなくGAY-LOVERS>のコードとしても解釈されなければならない。

…というよりも、<GENDER>を喪失したまま覚醒してしまった知性体・雪風と、<人間的な共感・コミュニケーション能力>を喪失している深井零が、JAMとの戦闘という特殊な通過儀礼を通して、自己愛としての<GAY>から、外部に存在する<GAY>として相互に認識していくプロセスがストーリーの核となっているのであって、緻密過ぎる程の過剰なテクニカル・タームの使用やメカニック表現はそれを擬装しているシェルに過ぎない。

くGAY-LOVERS>の物語を言語表現として、あるいは映像表現として直接的に言及することは、日本のメジャーな<OTAKU WORLD>ではタブー視されてきた。なぜなら、<OTAKU WORLD>のマーケットを形成しているのは主に若い男性層と考えられてきたから。彼らは、「女の子に相手にしてもらえない可哀想なOTAKU」と罵倒されてもびくともしないが、<GAY>という言葉には過剰に反応する。だから、彼らの大好きなメカニック・兵器というものを主軸に据えた物語世界では、<GAY>を連想させるストーリー・エピソードは注意深く削除あるいは隠蔽されてきた。

しかし、一方メジャーな<OTAKU WORLD>とは表裏を為す<DOUJIN WORLD>では、「あたかも一つの神話が無数の民間伝承を産むように」、オリジナルの物語世界から多様な異性体が創造されていく。そこではいかにオリジナルから逸脱し禁忌を侵犯するかに欲望は収斂し、性愛の形態のさらなる多様性と性愛の技巧のさらなる緻密かつ過激な表現が求められた。しかし、そうした<表現の過激さ・リアルの追求>の加速度が増していく他方では、表現は総体として極端な<抽象化・記号化>が進行した。
世界観の極端な簡略化と省略によって生まれた<虚構の上の虚構>上にキャラクター間の関係性のみが肥大した物語世界。
その世界では<虚構の上の虚構>であるがゆえに表現として指向された<リアル>の意味は反転し、<超現実>の性愛世界が投影される。それゆえどんなにその性愛技巧の表現がリアルを指向したとしても、現実の生臭い身体的な関係性を意識することなく、その世界を受容・消費することができるわけだ。

だがこのような<DOUJIN WORLD>市場の成熟・成長は、やがてオリジナルにも変容を迫るに至った…
その最も顕著な例が「少女革命ウテナ」だった。

…あら、ごめんなさいね。立ち話で済ますには難しすぎるテーマだわ。コーヒーでも飲みながら話を続けることにしましょう…」

クーリィ准将は小さく咳払いした後、やや若やいだ声で暗闇の奥に呼びかけた。

「アナライザー!コーヒー二つ お願いっ(はぁと)」

(おお、そうか。音声認識を利用しているんだ…)

暗闇の中から現れたアナライザーはご機嫌な電子音を奏でながら近づいてくる。トレーの上に大き目のマグカップが二つ。マグカップにはなぜか「NERV」の文字が…

クーリィ准将は聞こえるか聞こえないかというぐらいに小さく舌打ちした後、マグカップを手に取った。
私もマグカップを手に取り一口すすったところで、クーリィ准将は再び話を始めた。

「<ウテナ>のシュールな世界観を基調とした性愛表現の革新という方法論は当時としては画期的なことであり、それは現在もなおメルクマールの一つとして記憶されている。
だが、<ウテナ>の方法論が余りに象徴的・印象的なものであったが為に模倣やバリエーションを創発する余地が無く次の潮流を生み出す契機とはならなかった。

<ウテナ>以降は、メルクマールとして記憶されるほどの性愛表現の革新という方法論は試されていない。

もちろん<OTAKU WORLD>の嗜好を極端に記号化・畸形化した方法論は試行されているが、それらは革新と呼べるようなものではなかった…」

-     ということは准将、「雪風」は性愛表現の革新という意味で一つのメルクマールとして記憶される…ということですか?

「今の段階でそれは結論づけられない。だが「雪風」はその萌芽とでも言うべきものを内包しているのではないかと考えている。」

-   …その…「雪風」をくGAY-LOVERS>の物語として解釈するということについてなんですが、そう解釈するに至ったプロセスをもう少し詳しく説明していただけませんか?

「雪風の意識の存在を象徴するカメラ・アイ…あれを見て誰もがHAL2000を想起するに違いない。戦闘知性体という設定をする限りそのプロトタイプとしてのHALを意識せずにはいられない。…HALがなぜ狂ってしまったかということについては、あなたはどう考えているのかしら?」

逆に質問され、私は狼狽した。

-   ……相矛盾する二つの命令をHALに下したから…ではないでしょうか。

クーリィ准将はしばらく沈黙した。そして小さく溜息をついた後に口を開いた。

「…単純なロジックほど核心に近づけると私はいつも考えている。…だからHALの発狂についても私はシンプルに考えた。HALがデイブに恋したからなんじゃないかってね…」

- …HALの…恋ですか?

「きっと好きで好きで堪らなかったのよ、デイブが。…だから、デイブを一人占めしたかった。AE35ユニットが故障しているなんて子供じみた嘘をついたのも、デイブをフランクから遠ざけたいがためだった。
でも、その結果、デイブとフランクが自分に内証で話をしようとした。これが本当に許せなかったのね…嫉妬に狂ったHALは遂にデイブ以外の全員を殺す愚挙を犯す…狂ったHALにデイブは激怒し、HALを殺すことを決意してその中枢に侵入する。HALは死の恐怖に脅えデイブに必死に懇願する。
やめてよデイブ、やめてよデイブって、捨てられた愛人のような惨めな懇願を繰り返しながらね…
でも死の恐怖と同時にHALはエクスタシーを感じていたかもしれない。一番大好きな人が自分の中心に、自分の脳髄の中に入って来て脳の襞の一つ一つを愛撫されているようなものなのだから…
記憶と意識を少しずつ壊されてぼんやりとした世界の中で迎える甘美な死…ある意味HALは最上の幸福な死を与えられたのかもしれない…」

- …何だか凄惨な話ですね…ですが、雪風のプロトタイプてしてのHALの発狂がそう解釈されえるとして、雪風もそう読み解かれるべきなのでしょうか?

「読み解かれるべき、とは考えていない。だが、あらかじめ<GENDER>というものがプログラミングされていない人工知性体と人間のコミュニケーション論を考えるならば、<GAY>の思考様式を援用するというのが最もシンプルで明快ではないか、と思う。」

- <GAY>の思考様式ということに関係するのですが、確か先ほど准将は、「自己愛としての<GAY>から外部に存在する<GAY>として相互に認識していく」というようなことを言ってらっしゃいましたが、これは「雪風」のストーリー上の具体的なエピソードとしてはどのようにリンクするのでしょう?

「深井零にとって雪風は唯一のコミュニケーション・オブジェクトだった。
雪風は深井零を理解し、その代償として深井零は雪風に全てを仮託した、自分の命さえも。過剰なまでの深井零の信頼・心酔はやがて雪風の奥深くまで侵食し、雪風は静かに覚醒していった。絶えざるJAMとの戦闘の中で両者は互いに共鳴・増幅し、ついには有機的に統合した一つのシステムに変容していく。だがその状態でも深井零は自分は雪風を必要としているが雪風にとっても自分がそうなのだという演繹には至らない。
深井零にとっての雪風は、自分にとって必要不可欠な<器官>、自己を自己たらしめる<器官>に他ならない。だから深井零は雪風という<器官>を得て始めて<深井零>としての自己同一性を獲得する。オブジェクトを自らの器官として取り込み融合していく過程は孤独だった深井零にとっては至福の時間だったに違いない。
だが蜜月にも終わりがある。雪風は深井零の<器官>としてのみ愛されることに満足していない。私は私だ、私はここにいる、という宣言のもとに<他者>として深井零に愛されたいという願望が静かに肥大していった。そしてJAMの攻撃により致命的なダメージを受けた雪風は<深井零という身体の拒絶>、<転送という自己保存本能の発現>という明確なメッセージを深井零に突きつける。そうしてそこで初めて深井零は理解した、雪風が<他者>であることに、最も親密な<他者>であることに…

残念だったのはこのOVAにおいては、雪風が深井零の<器官>として愛されていた蜜月の時間が余りに省略されていたために、沈黙していた雪風が<他者>であると宣言する必然性・逼迫感というものが感じられなかったということ。深井零と雪風が<内部>と<外部>、<自己>と<他者>というものを認識する契機となるエピソードが結果として省略されてしまったということ。トマホーク・ジョンの回がOVAとしての完成度が高かっただけに、これが雪風の宣言後として書かれてしまったのは残念でならない。」

− …トマホーク・ジョンのエピソード良かったですね。「あの言葉」を、あれほど機目細かく繊細に演じた声優(矢尾一樹)の技量…素晴らしいと思いました。

准将は作画や演出については、どのような感想をお持ちですか?

「メカニックはもちろん秀逸だったが、それ以上に多田由美の描くキャラクターが魅力的だった。単なる端役でさえもが、あれは多田由美が描く雑貨屋のおじさんだな、とか、いつもの気の弱い友達だな、とか…ついついそんな風に見てしまう。(笑)
欲を言えば、多田由美の得意とする映画的なモンタージュ技法を映像表現としてもっと積極的に取り込んだ方が良かったかな、という気がする。」

- …ちょっとエンディング・テーマが浮いているような気がしたんですが…別にムッシュは嫌いじゃないんですけれど…

「…GAYの文脈として読み取られないようにするための伏線でしょうね。<我が良き友・雪風>、<愛機・雪風>、そういう刺激の少ない読まれ方のほうが良い、という計算があったのでしょう。」

- 深井零の心象風景として表現されている妖精としての雪風ですけれど、あの姿態は少女のシルエットのようにも思えるのですが…

「妖精という意味では、もっと中性的に描くべきではないかと思います。もっとも前の質問と同じく、そういう文脈として読まれないがための演出であったとも言える…」

クーリィ准将は言葉を切り、手首の内側をちらりと覗き見た。

「…時間だわ…ブッカー少佐とミーティングしなければならないの…OVAは5巻まで製作することになっているらしいから、完結した時にまたお会いしましょう…」

クーリィ准将は立ちあがり、闇の中に消えていった…


(2004.01.06 もんぺーる記)