REVIEW

part15
(最終更新日2004・5・23)


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「リアル・アニメーションの到達点」
(映画「 CASSHERN 」 紀里谷和明監督)


何言ってんだよ!アニメじゃないぜ実写版だよCASSHERN は!

と、このレビューのタイトルを読んですぐにツッコミを入れた人も多いだろう。
だが映画を見ていないわけでも言葉を間違えているわけでもない。

 「CASSHERN 」は「アニメ」と「実写」、「洋画」と「邦画」、「ドラマ」と「エンターテインメント」というようなレガシーな二項対立の図式を跳躍してあっさりと壊してしまったのだ。

これまでの映画・アニメーションに関するレビューでも何度か書いてきたことだが、私はディメンションが統一されていない映像というものがどうも苦手だ。2Dアニメーションの中に突然割り込んでくる艶々した3DCG映像や格闘シーンの中に唐突に現れるSFXに何度幻滅したことか。
だから私は 「CASSHERN 」のМАРИЯふみえの感想を聞いて面白そうだなとは思いつつも、ディメンション・ギャップが多いんじゃないかと若干危惧していたのだ。

だが、映画を5分見た段階でその危惧はふっ飛んだ。

濃密な映像美・過剰なまでの映像のメタファー・緻密な世界観。
おそらくどのシーンでキャプチャーしてもスチールとして成立してしまうほどに計算された構図・映像。
コントラストを強調しカラーバランスを崩した映像や不連続に挿入されるノイズ・モノクローム映像によって、「現実」と「非現実」、「現在」と「過去」、「事実」と「記憶」の境界が次第に曖昧になり、独自のディメンション・世界観というものが成立している。

映画を見ながら思わずううむと唸り、そして確信した。

これはアニメーションだ。

この映像の中に俳優は存在しない。俳優がアニメーションの一つのマテリアル(素材)として映像の中に完全に融合されてしまっているのだ。
こう書くと俳優がまるで演技らしい演技もせずCGボディに顔をマッピングされているような印象を与えるかもしれないがそうではない。この「CASSHERN 」に登場する俳優全てが監督に求められている演技・キャラクターを完璧にオペレーションしているから映像の融合が成立しているのだ。

そしてここが非常に肝心な所なのだが、この「CASSHERN 」には映像表現としてこれまでのアニメーションで試行・蓄積された手法が非常に巧妙に使われている。どこでどのようにどんな手法が使われているかは見てのお楽しみだが、ハリウッドで作られた鳴り物入りのSFX超大作がマッタリしていると感じるくらいにスピード感に溢れているとだけ書いておこう。

上質なエンターテインメントでありながら劣化ウラン弾よりも強力かつストレートなメッセージが込められているこの新造映像「CASSHERN 」。世界の中心で愛を叫んでいる暇が有ったら映画館に行って見て欲しい作品です。

(2004/5/23 もんぺーる記)