REVIEW part3


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「恋愛的瞬間」1〜5巻(12/28)
(マーガレットコミックス集英社 410円)
吉野朔実
 
『他人を愛するということは
いつかおとずれるであろう
その恐怖に耐えることを意味する
それを思えば
無駄な時間は ひとつもないのだ』

 吉野朔実は痛い。
 綺麗な服を着た可愛らしい絵柄の女の子達・男の子達と、これでもかとまで描き込まれ執拗なまでに登場する艶やかな背景の花や果実に眼を奪われながら読み始めたことを忘れてしまうほどに。
 この作品の主人公はいったい誰だなどということもいつか気にならなくなるほどバイプレイヤー達の心の深みに引きずり込まれて行くほどに、心を逆なでされていく痛みを覚える。
 「いたいけな瞳」「ECCSENTRICS」「少年は荒野をめざす」……。吉野朔実の作品は、自分の中に存る密かにしまっておいた、もしくは忘れていた感情をいやおうなしに引きずり出してくる。しかもさりげなくあたかも偶然を装って眼の前に置いていく。
 「恋愛的瞬間」ではさらに『私はこんなことは思ってもいない!』と声高に叫んで逃げたくなるような感情まで引きずり出してくれた。しかし事実それも自分のものだと再確認しながら痛みを受け入れて行くといい。
 完結してしまったのが残念。もう少し続けて欲しかった、そんな作品。是非ご一読を。

(ふみえ)
 

「心はどこへ行こうとしているか」(12/13)
(マガジンハウス 1500円 )
 著 大澤真幸 町澤静夫 香山リカ

 昨日から、ブックオフで1冊100円で購入した「24人のビリー・ミリガン」を読んでいたのだが、今日、入手したこの本が滅法面白くて中断してしまった。
 タイトルはNHKの特集番組みたいで紋きり型で全く面白くないが、内容は非常に濃く、一気に読める本だ。
 対談形式のこの本の中では、オウム、酒鬼薔薇聖斗、そしてエヴァンゲリオンが、時代を、あるいは社会を読みとくテキストとしてしばしば引用されている。
 なかでも、エヴァンゲリオンは、対人関係や家族、とりわけ、精神的な父殺し、母殺しを
説明する上で重要なテキストとなっている。
 決して目から鱗状態というようなコペルニクス的転回の解決を見るわけではない。この状況を何とか説明しようとする若い学者達の言説にうなづきながら、なお底知れぬ闇を前にしてため息をついてしまうといった感じだ。
 物理的にも精神的にも飢えを感じることなく成長し、「欠如する」ということを欠如してしまったチルドレンにどんな答えを用意すれば良いのだろう?「私は私だ」と言い切る自同
律の根拠、あるいは自己を自己として保持する精神的な甲殻(ナイフ以外に私を私として認知させるもの)を果たして用意できるだろうか。読みながら何度もページをめくる指が止まる。
 「偉大な母」「優しい巨大な母」が子供達の精神の甲殻を脆弱にし、他者からの攻撃に対しての抵抗力を失わせているのだとしたら、「父」はどうするべきなのだろう?
 ゲンドウのように強権的、家父長制的な父への回帰の道は無いらしい。現在の父親像を壊し、「父」を再構成しなければならないようだ。
 娘達の寝顔を見ながら、果たして俺は父として再構成できるだろうか?と疑問符を並べたてるモンペールであった。


「ゴールドラッシュ」(柳 美里 新潮社 1700円)
(12/7)新刊書評   
 新聞の書評で著者 柳 美里の言説を読んだときから気になっていた本だ。
 柳 美里は、神戸の連続殺傷事件をモチーフにしたこの小説について、「闇を光で照らすのではなく、闇を闇で照らしたい」と述べていた。その意図は多分達成されている。
 登場人物が多少誇張が過ぎて類型的に感じる部分が存るにしても、1998年に表現されるべき特質は充分備えている。事実のみを実証的に論証するドキュメントを超えた文学の力を感じさせる小説だ。
 パチンコ店の経営者である父を殺してしまう少年。少年に関わる親分肌のやくざ。救済者
としての少女。無垢な兄。人物の設定でさえ、色々なモチーフを連想してしまう。
 街並みの表現や貧しい人間達の描写は臭いを感じるほどリアリスティックで、時折り挿入される妙にごつごつした比喩の手法は、一昔前の小説を想起させる。…例えば、高橋和巳、椎名燐三、大江健三郎、埴谷雄高といったあたりかな。きれいはきたない、きたないはきれい…そんなつぶやきが漏れてしまう。
 読みごたえのある小説ではあるけれど、決して読後の爽快感は無い。ざらざらとした生理的な不快感と諦感が深いため息とともに残るのだ。決して内容をけなしているわけではない。答えなど有るはずが無いのだ。古典的な精神分析やFBIの快楽殺人プロファイルなんかで答えなど出やしない。そういった大人の分析を子供達はもうすっかり跳び超えてしまって、解析不可能な回路を光速で疾走しているのだ。柳 美里はボディはちょっと古いのかもしれないけれども、エンジンを波動エンジンに積みかえて喧騒のサルガッソーを必死で少年をトレースしているのだ。暗黒速でのワープ、ワープ…
 表現者としての苦渋、戦いを体感できる一冊です。  (by もんぺーる)

「青の6号」
(11/17)OVA

 潜水艦ものが大好きだ。
 古くは「原子力潜水艦シービュー号」、「海底大戦争」の時代から、あのソナーの探信音のピコーン、ピコーンという音が堪らなく好きなのだ。
 と、いうわけで古の潜水艦漫画「青の6号」がOVA化されたというので、結構真剣に期待していたのだが、うーむ、うーむと唸ってしまった。
 この映像に対する違和感は、「ヴァンパイア」、「フラッシュゴードン」、「トロン」から綿々とつらなっているものなのだ。
 今や、アニメーションからはセルが消え、ほとんどの処理は全てCGで行われているのだが、それでもなお、二次元的な表現にするか三次元的な表現にするかの手法の選択は残されている。だが一つの映像表現の中に事なるディメンションを持ち込むとどうなるか?
 残念ながら私の場合は、うまく解釈(再構成)することができなかった。省略的な二次元のアニメーションの表現から高精細度の3D表現に変わった途端に、ストーリーが断絶してしまうのだ。
 ここまで出来るのならいっそのこと「トイストーリー」を凌駕するくらいの3D表現にしてしまったほうが良かった。技術や予算上の制約があるとするならば、3Dの表現を一度 二次元的なアニメーションに落とし込む手法(もののけ姫のたたり神のように)を選択するべきではなかっただろうか。
 海の波光や水中爆発の表現が優れていただけに残念だった。

                                  (もんぺーる)

「脳内イメージと映像」
(吉田直哉著、文春新書 710円)
(11/16)

  脳という器官に興味を持ってから、大分時間が経っている。
 高校時代の倫理社会の知識の範囲からそう広がってはいないけれど、現象学のハイデッガーとかメルロー=ポンティとかドラッグおじさんティモシー=リアリーなんかを読んだりすると、脳っていう器官がとても気になったりする。というわけで 脳という言葉がつく本は必ずチェックする。もちろんこれは結構流行の分野で、養老猛司の本がばーんと平台に並んでいたりするのですね。
 今日、眼にとまったのがこの一冊なのですが、脳と視覚もしくは意識といったハードウェアの問題ではなくて、どちらかといえば、映像論の色彩が強い。
 モンタージュ理論、演出論という観点からこの本を評価するならばポイントは高い。エイゼンシュタインやゴダ−ルなんかに興味が有る人には読んで欲しいなあ。何といっても、常識と良識を標榜する日本国営放送のディレクターが理論と実践、経験から映像論を語っているのですから。実名で音楽評論家 の批評に反撃している文章には、放送屋としての気骨を感じましたね。
 本書、冒頭の臨死体験とドラッグ体験の記述だけでも読むに値します。
 怖いもの見たさっていう感情は誰にでも有ると思うけれど、見た人は果たして幸せなのかなあってちょっと思ったりもしますね。

(モンペール旦那)
 

 「幻の秘密兵器」
(光人社NF文庫 木俣滋郎著 ¥695)
(11/16)
 どうも、VAIOは人気らしい。ご近所の旦那さん達の中にも、VAIOが欲しいなあ、という嘆息を洩らしながら、年末のボーナスの使い道を算段している人がいるようだ。
 この原稿も実はVAIO PCG505Xを使って書いている。といっても自腹を切って買ったわけではなく、会社から貸与されているものを使用している次第だ。
 キーストロークは浅めだが、慣れるとそんな違和感は無い。キーボード手前のパームレストは本体の薄さも手伝って心地よい。操作感の上でこれは意外とウェイトを占めるかもしれない。カメラアイ付きの新しいVAIOも確かに魅力的なのだが、キーボードの操作感については疑問が残る。テキストをがんがん打ちたい人にはB5サイズのVAIOの方がお勧めだと思う。
 このテクノロジーの凝縮の密度とフェティッシュな質感はSONYならではのものだ。汎用のOSをこれほどまでに自己流のハードウェアの中に溶け込ませたSONYの力量はやはりたいしたものだ。たとえ言語やOSが同じであっても、その解釈の仕方と表現方法でこうも売れるパソコンが作れるのだ。
 過剰なマーケティングとコストダウンに標準化された国産パソコン市場の中で、VAIOが成功したのは、手垢にまみれたWINDOWSOSをSONYのデザイン言語で表現したことにほかならない。
 大衆が求める最大公約数を形にしただけでは売れない時代なのだ。求めているのは決して新技術や新発明、技術革新などではない。既存の技術であっても、それを独自のデザイン言語で解釈し表現するアレンジメントの能力なのだ。
 だから、別にVAIOに右ならえする必要は無いのだ。そのメーカーが自負する独自のデザイン言語が有るならばそれで対抗するべきだ。もしその言語を持たないならば、積極的に新しい血や遺伝子を外に求めたほうが良い。フィリップ・スタルクデザインのノートパソコンがあってもいいと思うし、カシオのGショックのようなデザインがあってもいいと思う。とにかく万人がのぞむデザインという思考は捨てたほうがいい。
 過去のマーケティングデータなど糞くらえだ。所詮VAIOも今となっては既存のデザイン言語。プロダクトデザイナーは自信を持つべきだ。(たとえば全天候型のノートパソコンなんていいなあ。)
 と思い切り長い前振りだったが、今回紹介したいのは「幻の秘密兵器」(光人社NF文庫¥695)。
 「サクラ大戦」の光武や三笠、翔鯨丸等のメカニックデザインが好きな人にはお勧めの一冊だ。
 もちろん、本書のなかで紹介されているのはSFではなく、旧日本軍の海軍、陸軍が実戦で計画もしくは実戦配備した兵器である。
 特殊潜航艇や水陸両用魚雷艇、空飛ぶ戦車に、ジェット戦闘機…その発想とデザインの奇抜さには脱帽ものだ。これらのデザインが半世紀も前に、ある技術者の頭の中で必死に考えられていたのだ。
 敵に勝つことだけを目的にしているはずなのに「橘花」のフォルムはどうしてこんなに奇麗なんだろう…
 VAIOでテキストを打ちながら、僕はVAIOを超えるデザイン言語を夢想していた…
(モンペール旦那)

「せめて、人猫らしく…万能文化猫娘DASH」
(11/1)OVA 
 BYもんぺーる

 冬が近づいている。
 部屋の中もひんやりとしてきた今頃、ホットカーペットの心地良さと言ったら全く筆舌しがたい。筒井康隆の新刊文庫本を読みはじめて10ページもたたない内に睡魔に襲われて、多分数分間だと思うのだが、深い眠りに落ちてしまった。ああ、いかんと思い起き上がると、
口元には大量の唾液が…
 まったくホットカーペットというものは、人間の精神を猫にしてしまう。
 「万能文化猫娘DASH」がようやくレンタルできた。
 1巻目がレンタル中だったので、2巻目から見ることとなった。
 ヌクヌクが女子大生ねえ…などと一人つぶやきながら、なかなかオープニング曲がハウス
ミュージック風でいいじゃないか、うんうん、とうなづいていた。おお、髪の色指定も変えたんだ…ううむ、戦闘ゴーグルにボディラインにフィットした戦闘コスチュームか…ちょっと大人っぽく、かっこ良くなったんだね。ううむ、ただしちょっと砲弾型の胸のラインはいただけんなあ、などとオヤジ的に4話を見た。
 1巻目を見ていない上に今後の展開もわからないので安直に発言はできないのだが、猫っぽさが薄められたのがちょっとマイナスポイントかな?
 昼寝ばかりして美味しいものには目がなくて毛づくろいばかりしていて肝心な時にあまり役に立たないといった猫的な特性が面白かったんだよね、ヌクヌクは…
 あまりシリアスにはならず脳天気な展開を期待しながら、またホットカーペットに横たわる、猫脳親爺もんぺーるでした。


NADJA/DAVID LYNCH
(10/28)映画
 David Lynchの映画を見た。
 最新作ではないので、家でビデオで見たのだけれど。彼の映画の中ではやはりERASERHEADに尽きるとファン心理では思っているので、どうにもその後に出た様々の作品に関してはついつい辛く当ってしまう私。
 あの有名な、日本から大挙して観光客が流出した、例のあれも途中で力尽きて最後まで見ることが出来なかった私だから、そんなに大きな声でLYNCHのファンだと言えないけれど。
 でも好き。
 制作者にとって、いつまでも昔の作品を持ち出されるのは迷惑な事だろうが、やはり初めてERASERHEADを映画館のスクリーン上で見たときの感覚は忘れられなくて、次はそれ以上のものを見せてくれるのだろうと過剰に期待してる部分で失望感も大きくなるのだろうけれど。
 で、LYNCHは何を見てもERASERHEAD に戻ってしまうのだけれども、今回4年ほど前に撮られたこの作品は久々に面白かった。
 サイモン・フィッシャー・ターナーのサウンドと、モノクロームで撮られた画像の、特に意図的に荒く処理された画像が醸し出す現代の吸血鬼NADJAの姿が、監督自身久しぶりに作りたいもの作っているんだろうと感じさせてくれる。
 父も双子の兄も吸血鬼で存ることを捨ててしまってなおかつ主人公NADJAは吸血鬼で存り続ける。最終的に彼女の選択は破滅ではなく永遠であったという結末は、この映画が撮られた年の2月にAIDSで亡くなったあの天才DEREK JARMANへのDAVID LYNCHによる追悼なんだなぁと見終わってしみじみ思ったのであった。
 (ふみえ)