REVIEW part4

(1・16〜)

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『心地良い停滞感 「ヨコハマ買い出し紀行」の世界』
ヨコハマ買い出し紀行・芦奈野ひとし
講談社アフタヌーンコミックス1〜6巻
(4/17もんぺーる)
 
 今朝、隣の部の部長が大声で最近読んだ本のことを話していた。
 プラス思考、プラス思考の本だよ!
 …プラス思考…ねえ…
 声にはもちろん出さないが私は絶句した。欲にまみれた際限の無いプラス思考があの狂ったようなバブルを生んだのに、巷のビジネス本はいまだにプラス思考を謳歌しているらしい。信仰を持たなければ生きられない人間の性かもしれないが、まるで与えられたプログラムを忠実に実行するオート・マトンのようで悲哀がにじむ。
 そもそも、拡大再生産しか生きる道が無いというこの強迫観念にとりつかれてから、人間は色々なものを捨ててきた。利益を生み出すために徹底的なコスト削減を図り、無駄なもの、役に立たないものを徹底的に捨て去った。ものを捨て、時間をきりつめるまでは良かったが、とうとう人まで捨てなければならなかった。今はリストラを強行する人間も5年経てば
確実にリストラされる立場にまわるのだ。別に誰が悪いわけでもない。確実な未来を欲しがる人間は、拡大再生産せざるを得ないのだ…
 「ヨコハマ買い出し紀行」というコミックスを最初に手に取った人は、この漫画がSFというジャンルに分類されることには気がつきにくい。
 描かれている風景やエピソードはそれが直接体験したものではないとしても、どこか懐かしく、記憶のどこかにしまわれているような原風景を想起させる。しかし、読者は時折断層のように描かれる水没した都市の風景や永遠に着陸しない巨大な飛行物体によって、その体験したはずの原風景が、これからはもう体験することができないのだということに少しづつ気がつき始めるのだ。
 客のいない暇な喫茶店…誰もいない砂浜…優しく気のおけない隣人…侵犯する異界(ミサゴ)…心地よい退屈な時間……体験したはずのその世界はもう私たちのものではなく、私たちはその世界を羨望の視線をもって眺めるだけだ。
 この心地良い懐かしい風景は、ともすればほのぼのとした牧歌的な世界に完結してしまう危険性があるわけだが、作者はそこに巧妙な仕掛けを用意している。
 魅力的な主人公アルファやその友人の一人であるココネがロボット(この言葉自体今使うにはかなり勇気が必要だ。)であるという前提は、完結しそうになる心地よい空間に無数の断層を生み、その構造は幾分アイロニカルなメッセージとなって読者を眩暈するのである。
 美しい風景や音楽に共鳴するアルファのみずみずしい感受性は、生来人間が持ちうべきはずのものをロボットが持っているという点でなお一層大切なものとして読者に訴求するものとなっており、さらに彼女が様々な無機物(たとえばカメラ、高速艇)と交感するシチュエーションは、マン・マシンインターフェースの終局形を予感させるとともに、彼女がモノの世界の意識を人に伝うシャーマニックな存在であることを暗示している。その交感の様式も
非常にエロティックで暗喩に富んでいる。人間の恋人同士の口づけがもはや記号のように制度化されているのに比較して、彼女達(=ロボット)のそれは意思伝達の重要な手段であり、それは意思を伝うがためによりエロティックな意味を付与されている。
 永遠の時間を生きるアルファは、未来に現在を束縛されていない。
 アルファという『永久時計』によって成立したこの「ヨコハマ買い出し紀行」の世界に登場する人物達もまた、物語世界内の現在や未来に憂鬱さを感じることなく、現実を自分の時間で生きている。

 諦観ではなく、自分の速度で歩くということ。

 長引く不況に明日の我が身を案じ、終局の予言に恐れおののき、この世の、あるいはわが身の破滅を憂うる全ての人間に、アルファはそっと囁くだろう。
 「…美味しいコーヒーをいれたんですけれど…飲んでみませんか?」
 全てのものには終わりがあり、また全てのものには永遠に忘れ去られない機会が残されているということが、そのコーヒーを飲んだ後にわかるのだ…
                              
 最後に、この素敵な漫画の存在を教えてくれた、まーちさん、ばくさんのかばんさんを始めとする、ネット上の「ヨコハマ買い出し紀行」のファンの皆さん、どうもありがとうございました。
                              

 

「いまなぜ青山二郎なのか」
(白洲正子著 新潮文庫 400円)
(3月8日・もんぺーる)
 

 インターネットのおかげで情報は何でも手に入る。
 クリントンも、立花隆も、もんぺーるも、ネットの前では公平だ。
 たかだか20万たらずの投資で、おそらく自分に興味がある分野ということで限定しても相当量の情報が入手可能だ。一昔前のビジネス本は「情報収集力が差をつける!」なんて見出しが多く見られたが、今はどれだけ無駄な情報を捨てることが出来るかということの方が肝心だ。
 情報量が過多になると今度は情報の質が気になってくる。誰もが入手できる情報というものがとたんに魅力を失ってくる。

 本物が欲しい。

 ライブ、肉声、直筆、手作り…記号化されないものを体験として所有したい、もしくは、人がいまだ評価していない無価値物に価値を与えて所有したい、という願望が沸き起こるのである。
 この所有欲にはパラドックスが有る。「これは本物です」と言われて何ら積極的な評価をせず買った絵には、所詮「これは本物です」と記号化されている商品を買ったに過ぎない訳で、「本物を所有する」ということは所有者のモノに対する積極的な評価が行われなければならないのである。
 嫌らしい言葉でいうと「審美眼」という奴だ。
 この本は、ものを評価するということ、ものを所有するということについて考えさせられる本だ。
 自分が欲しいと思って買ったもので、本当に自分の眼で見て買ったものがどれほどあるだろう?「今、売れている」、「みんな持っている」、「性能がいいらしい」、と大体こんな理由で買ってしまっているのが殆どだ。
 ああ、本物を観る眼を養わなくては…
 テレホで無料だというだけで闇雲にダウンロードするのは止めて、美しいと思った時だけダウンロードしようと心に決めたもんぺーるでした。
 (18禁でも稀に美しいと思うものもある。大体、人を本当に興奮させるような絵を描く
ということはとても難しいことなのだ。江戸の春画描きはその為にどれほどの作品を反故にしたことだろう。と、何だか訳のわからないことを書いている私…)


「三日月物語」
橋本 治  毎日新聞社 2900円
(2/6МАРИЯふみえ)
帯にうたわれているようにオールカラー240ページ。
岡田嘉夫の美しいイラストと、橋本治の綴る雅やかな物語が繰り広げられる。
王朝時代を舞台に左大臣家の三の姫君「葉桜の君」の恋の物語が描かれた絢爛豪華な絵巻き物。
評論やエッセイでは難しい事を易しい言葉で語り、窯変源氏物語や桃尻語訳枕の草紙では古典を現代口語へと、ものの見事に変化させてみせる橋本治。
創作に於いては艶かしい世界が展開していく。
「三日月物語」では主人公の少女が恋を知り女へと変わっていく姿を濃やかな筆使いで描き出している。
読んでいて、胸苦しい想いが伝わって切ない。
性愛や性器の露骨な描写をしなくてもこれだけ艶かしく狂おしいエロティシズムが描けるのだというのを橋本治はみせてくれる。

「心臓のない巨人」
佐藤史生 小学館 PFC 505円
(2/5МАРИЯふみえ)
 書店のコミックス売り場で佐藤史生を見つけた。「夢見る惑星」の頃からかぞえたら20年近く経つのに絵柄が変わらないなぁ、ああ、そうか買い忘れていたのかしら。そうね、装丁にお猿の絵も付いているし……。
 家に帰って読み始める。表題作ともう1編「バビロンまで何マイル」読み終って「えっ?」最近の作品だったの?表題作の方がプチフラワー今年の1月号、もう一つの方は2年前になってる。
 絵柄もストーリーもモチーフになってるものも佐藤史生ファンならこの20年来のおつきあいをしてきたものだ。いや、「ワン・ゼロ」を描き終った後一時期かなり絵柄が変わったから昔に戻ったのね。
 佐藤史生を読んでユーリズミックス(佐藤史生ファンにはいわずもがなのミュージシャンですね)のベスト盤を聴きながらこのレヴュー原稿を書いている。はてさて、新しいのやら古いのやらそんな事はどうでもよくなってくる。
 ただ、プチフラワーとは長い付き合いのはずの佐藤史生の本がPFCで、これと、「鬼追うもの」「ワン・ゼロ」だけ。辛うじて小学館文庫に「夢見る惑星」が入ってるだけというのが昔からのファンとしてはとても寂しい。
 「夢見る惑星」で最後にイリスがシリンを抱きしめて飛び竜で宇宙を駆ける所が好きだ。つまりこの人のポジティブな所。頑張って描いていって欲しいな。

「藤原悪魔」
藤原新也著 文芸春秋 1714円
(1/20もんぺーる)
 初めて藤原新也を知ったのは、創刊後間もない写真週刊誌「フォーカス」誌上に掲載されていた「東京漂流」というコラムだった。
 何か漠然とした不安、当惑、違和感を感じさせる写真と硬質の文章は、写真週刊誌という新しいメディアの誕生を実感させる新鮮な内容だった。が、その期待を全く裏切るような形でこの連載は突然打ち切られた。(詳細は書きません。藤原新也の「丸亀日記」にある程度書かれています。)
 本書「藤原悪魔」のタイトル、装丁、内容、全てが挑戦的だ。
 特に帯のプリクラ風にレイアウトされた猫の写真。これを「カーワーイー!!」なんて騒ぎながら見る女子高校生の視点が充分計算されている。この猫は実は死んでいるのですが、それを悪趣味だとか残酷だとかいう言葉で片付けて欲しくない。死も生も等価なんだという(まるで渚カヲルの言葉じゃないか!)視点をせめて想像して欲しい。
 掲載されている写真は、やはり藤原新也特有の印象の強いものだ。死も生も境界を失った幽体が見ているような像…虚眼レンズとでも呼んだらいいかな…
 文章もどれも良いのだが、タイトルとしても素敵なのが「エンパイアステートビル八十六階の老女」。写真が持つリアリティーの意味を考えるためにも良い作品。
 「マユゲ犬の伝説」、「猫の島探訪」も温かみのある良い作品。
 そして「バモイドオキ神の降臨」…これについては多分説明はいらないだろう。別に私は藤原新也の言うこと全てが正しいなどとは思っていない。ただ、あの事件の事を考える一つの手がかりにはなるのではないかと思う。
 とにかく、この本の1800円は安い!身銭を切って買って読んで下さい。多分後悔はしませんから…
 

読んで旅する世界の歴史と文化「ロシア」
原卓也監修、新潮社3100円
(1/16МАРИЯふみえ)
 マリアに興味を持ってからもう少しで1年経つ。思い起こせばいろんなことがあったなぁ。年寄りの冷や水、で事もあろうにホームページ上で駄文を公開してしまうという暴挙にも出てしまった。それもこれもマリアに対する「愛ゆえに」なの。こんな私を笑って寛大に受け止めてくれてる皆様ありがとう!
 ということで、そうなってくると、まずロシア語。いや〜〜〜ん、これって、文字が反対向いてる。何でマリアさんの設定って日露ハーフなのぉ?と恨めしく思いつつでも必殺技の時に何をいってるのか知りたい一心で辞書を繰る。
 「へぇ〜〜〜〜、Щелкунчикって、くるみ割人形なのね。Снегурочкаって、雪娘なのね。へっ?……雪娘って何だぁ?????」
 伝承、慣習、自然、歴史。ユジノサハリンスクなんて北海道からとっても近いのに、知らない事がいっぱいの国、ロシア。
 ボルシチ、ピロシキ、コサックダンスにマトリョーシカ。寒くて大きな国。シベリア鉄道。ロシア革命とソビエト連邦の崩壊。ロシアと言われてすぐ思いつく言葉はそんなぐらいしか出てこない。知っていることはほとんど無い。
 調べたい!
 ロシアに関して調べようと思い立ってからあちこち資料集めを始めたのだがいま一つ集まらない。意外と役に立つのが子供の頃使っていた学研の百科事典というのだから情けない。北海道新聞のコラムなんかも結構お役立ち。毎週載る一口ロシア語講座に、不定期だけどサハリンからの記者の生活通信など。でもでもこれじゃものたりない〜〜〜〜!と書店の本棚はコーナー問わず「ロシア本」探しの日々。
 そんな時に見つけたこの一冊。
РОССИЯ
 ロシアの歴史、民俗、宗教、自然、地理、文化、生活、風俗。各々が更に深く項目事に解説されていく。丸ごとコンパクトに知ろう!という帯の言葉通り、ぱらぱらとめくりながら「ふ〜〜〜〜ん、そうだったのかぁ」などと気軽に読める。写真もいっぱい入ってるのも読みやすくて嬉しい。
ネタ本レビューしちゃうと、困るかなと思いつつも是非お勧めの一冊。私のマリア小説読んで、「ああ、元ネタはここね」と思って下さると幸いかしら(自爆)。