−芝生の上でつかまえた−


「夏穂!待ってよ!!」
ボクは突然怒り、泣き出して走り去っていく夏穂を追いかけた。
だが、夏穂は新幹線が着いたばかりの混雑したホームの中、人込みの中にあっという間に消えてしまった。 「どうして怒ったんだろう...?」
ボクは自分のしたことに気付かないまま不思議そうに明日香のもとへと戻った。
「バカ!どうして戻ってきたのよ!」
「えっ...?」
「あんたってホントに鈍いねぇ...。」
「どうして?」
「分からないの?彼女がどうして怒ったか...。」
「どうして、って...まさか!?」
「もう、まさか!じゃないでしょ?私が隣にいたからに決まってるじゃない!」
「で、でも明日香はただの友達だし...。」
「そ、そりゃああなたにとってはそうかもしれないけど、彼女が怒るのは当然でしょ?」
「うん...。でもボクは後できちんと説明しようと思ってたんだけど。」
「あのねぇ...。どーしてそーゆー大事なコト、先に言わないかなぁ...。」
「だってまさかあんなに怒るなんて思わなかったし...。」
「んもう!相変わらずなんだからぁ。」
「何が?」
「何でもない!あたしはこっから一人で行くから、早く追いかけなさいよ!」
「う、うん...。ごめんね、明日香。」
「いいからっ!早く行きなさい!!」


 まさかこんなことになるとは思っていなかった彼。
明日香に強く背中を押されて走り出し、駅の中を捜し回ったが、夏穂の姿を見つけることはできなかった。
「でも明日香の言うとおり、夏穂が怒るのも無理ないか...。」
と叩かれた頬がズキズキ疼くのを、心もズキズキ痛むのを感じながら...。
それからしばらく駅の入り口で待ってみたものの、当然夏穂が出てくる気配はない。
「やっぱ怒ってもう家に帰ったのかな...?」
今は後悔の念と申し訳ない気持ちで一杯の彼は、一路「おたふく」を目指して歩き出した。

「こんにちは...。」
何となく申し訳ない気持ちではあったが、入らねばならぬと彼はおたふくののれんをくぐった。
「あっ、お客さん!まだ準備中だよ。」
「あっ...、いえ。そうじゃないんです...。」
残念ながら店内にいたのは夏穂ではなかった。そう答えたのは彼女の叔母。
「あらっ...?あなたは。」
「どうもお久しぶりです。」
「ホントあなたの顔を見るのは久しぶりね。どう、元気にしてた。」
「ええ。」
「でも今日夏穂はあなたに逢うって言って、早くに出てったけど...。」
「ええ...、実はちょっと...。」
ボクは少々恥ずかしく、未だ申し訳ない気持ちのまま、ここに来た理由を説明しはじめた...。
「なるほどねぇ...。あの子は昔っから早とちりするから。」
「そうなんですか。でも今日はボクが悪かったから...。」
「でもあんたは説明しようとしたんでしょ?」
「はい。そうしようと思って呼び止めたんですけど...。」
「あの子に一発くらったんだね?」
「は、はい...。」
「それでここにいないか来てみた、ってことだね?」
「はい。でもやっぱりいないみたいですね。」
「そうねぇ...。まだ戻ってないみたいだけど。」
「分かりました。別の場所を探してみます。」
「ごめんね。何だか世話焼かせちゃって...。」
「いえ。今日はボクが悪いですから。」
「それじゃ、仲直りしたら後でまた寄ってってよ!おいしいお好み焼き作ったげるから!」
「はい。」


 と言って店の外に出てみたものの、他に夏穂がいそうな場所が思いつかない。
ひょっとしたら大学にいるのかも知れないとも思ったが、残念ながら名前と場所をまだ聞いていなかった。
「さて、どこを探したらいいのかな...。」
行くあてを失った彼は、半ば途方に暮れかけていた...。
しかし、彼にはどうしても今日逢って、話をしなければいけないことがある。
そしてそれ以上に夏穂が彼に話したいことがあるということも察している。
卒業式の日に話したいということだけあって、夏穂にとってはとても大事なコトなんじゃないかと、逢えなかったことを今頃になって悔やむ彼。
「でも...、夏穂が話したかったコトって、何なんだろう?」
早く夏穂を探さないといけないと思っている彼だったが、それを考えることが夏穂の居場所が分かるような気がした。
「ひょっとして、あの時再会した場所かも!?」
そう考えた彼は、あの時、ほんとうにフイに出会った場所へと駆け出した。
再び逢えることを願って...。 
 だが、そこにも夏穂はいなかった。
「やっぱりここじゃないのか...。でもここじゃないとしたら?」
すっかり行くあてを失ってしまった彼だった。


 それからしばらく、あてもなくただ歩き、偶然の出会いに賭けて彼は歩き続けた。
「ひょっとしたら夏穂も同じなのかもしれない。」
「同じ場所にじっとしていないかもしれない。」
きっと彼はそう自分に思い込ませることで、歩くことでその胸の不安と後悔を取り除きたかったのだろう。
再会してから夏穂に連れて行ってもらったいろいろな場所を歩くことで、また何か気付くかもしれないと...。

奇しくもその考えは正しかった。
不意に通りかかった川沿いの道を歩いていると、彼の脳裏に昔の思い出が蘇った。
「そうだ!確かここは夏穂が毎日練習をしてた河原。夏穂といろんな話をしながら、夕日を眺めた場所...。
そしてそれから...。そうだ!夏穂はきっとあそこだ!」
彼はそこにきっと夏穂がいると確信し、徐々に赤くなり始めた空を眺めることなく走り続けた。


 ボクが迷うことなく目指したのはここ、夏穂と知り合ってからよく一緒に練習した陸上競技場。
振り返って考えれば、ここが最も思い出深く、最も同じ時間を共有した、そしてボクの想いを残していった場所だ。
言ってみれば夏穂との思い出はここで途切れている。
そして夏穂はその思い出の結末をまだボクに話してくれていない...。
まあ、それに関しては今まで聞かなかったボクが悪いんだけど、夏穂はそれを言いたかったんじゃないかと思う。
「だからきっとここにいる。いや、ここ以外ないはずだ...。」
そう思いながらふとトラックに目線を移すと...、やっぱりいた!


夏穂はひとり、ただもくもくと走り続けていた...。

「夏穂!!」
ボクは大きな声で夏穂を呼んだ。
でも、夏穂はボクの方を見るどころか、立ち止まりさえもしなかった。
それでもただひたすら走っている...。
ボクは夏穂の走っているグラウンドに降り立ち、夏穂の後を追いかけた。

 だがボクが夏穂の後ろについて走っているにもかかわらず、それでも立ち止まろうとはしなかった。
ボクは走りながら、上がる息を必死にこらえながら夏穂に話しかける。
「ね、ねえ。夏穂!さっきはホントに悪かった...。」
『..........。』
「ボクだって別に悪気があってそうした訳じゃないんだ。あの子とはホントに偶然新幹線の中で逢ったんだ!」
『..........。』
「あの子は...ハアハア...、横浜に住んでる子で、ボクも中学2年の頃ここと同じようにオヤジの都合でボクも横浜に住んでたんだ!
その時仲良くなった子なんだ...。」
『..........。』
「今日逢ったのはホントに偶然で...ハアハア...、あの子が大阪が不慣れだって言うから...案内してあげようと...。」
『..........。』
「ホントに...ハアハア...、ホントにそれだけなんだってば!ちゃんと説明しようと...別に誤解されるような...もうダメだっ!!」
夏穂のペースについて走りながら、話しながら走ったボクは、もうこれ以上夏穂の後を追うことはできなかった。
ボクはグラウンドの内側に敷きつめられている芝生の上に仰向けになって倒れこんだ。
『....。だらしないなぁ。もうギブアップ?』
「ハアハア...ゴメン...、夏穂....。」
『そんなことじゃ、いつまでたっても私をつかまえられないんじゃない?』
「そ...、それはそうだけど...。現役ランナーに...勝てる訳...ないじゃない...。」
『あはっ、それもそうか。』
「夏穂...?怒って...ないの?」
『うん。ここでずっと走ってたら、何だか自分がつまらないことで怒っているような気がして...。
それに、訳も聞かずにひっぱたいたのは私だし...。』
「でも...、ホントにごめん...。」
『ううん、もういいの。疑って悪いと思ったし、それにせっかくあなたが逢いに来てくれたのに...。』

そう言った夏穂の表情は本当に優しい笑みを浮かべて、ようやくボクを迎えてくれた。
二人並んで芝生の上に寝ころがって、真っ赤に染まった晴れ渡った空を眺めながら...。


夕暮れが迫り、すっかり汗で冷えきった...、
ほんの少しだけ肌寒くなっていたボクの心と体を温めてくれた。


「ありがとう、夏穂。ところでさ、前ボクに話したいことがあるって言ってたよね?」
『えっ...。私そんなこと言ったっけ?』
「うん、言ったよ。卒業式の日にどうしても来て欲しいって言ってたじゃない。」
『確かにそう言ったけど、言いたいことがあるなんて一言も言ってないけど。』
「それはそうだけど...。」
『あなたこそ今日は私に何か言いたいことがあったんじゃないの?』
「そ、そりゃそうだけど...。あなたこそ、ってことはやっぱり夏穂も言いたいことがあるんだね?」
『えっ...、あっ...。そ、そのー...。』
「ほーら、やっぱりあるじゃない。」
『そ、そうだけど...。後で話す!』
「夏穂が話してくれないんなら、ボクも言わない。」
『そう。でも私は走りながらじゃないと話せないな。』
「どうして?今でもいいじゃない。それにもう走るのは勘弁してよ...。」
『まったく...、だらしないんだから。でもホントに走りながらじゃないとダメ。だから、あなたから話して。』
「わ、分かった。って言うか、もう走れないからね。」
『だらしないの...。で、話したいことって何?』
「うん...。」
ボクは寝そべったまま、隣にいる夏穂の顔をじっとみつめた。
しばらくは空をみつめたままの夏穂も、ボクの視線に気付いたのか、気付かないフリをしていたのか、はっと気付いたようにボクの顔を見る。
「夏穂...。誕生日おめでとう。」
『あ...、ありがとう。』
「.........。」
『ね...。ねえ。それだけ?』
「それだけ、って何が?」
『あなたが私に言いたかったコト、ってそれだけ?』
「そ、そうだけど。何か変な言い方したっけ?」
『う、ううん...。そういう訳じゃないんだけど。』
「ふうん...、何か変なの。」
『いいじゃない!』
「ま、いっか...。それとコレ、誕生日のプレゼント。」
『えっ...?』
「ハイ。まさか受け取ってくれないんじゃないよね?」
『う、ううん。ありがとう...。ねえ、開けていい?』
「うん。ボクも今すぐ見て欲しい。」
ボクがそう言うと、夏穂は嬉しそうにその包みを解いた。
『これ、って...ペンダント?』
「うん、そう。ボクのとセットになってるんだ。」
そう言ってボクは付けていたペンダントを見せる。
『ねえ、付けていい?』
「もちろん。」
『うわぁ...、ありがとう。ねえ、似合ってる?』
「もちろん。ボクの想像してたとおりだよ。とっても似合ってる。」
『良かった...。でもさ、このペンダント何か形、変じゃない?』
「あれっ、さっき言ったじゃない。ボクのとペアになってるって...。」
『でもなんだか形が違うんだけど?』
「あのね、これはこうなってるんだ...。」
そう言ってボクは寝そべったまま、同じ姿勢の夏穂に近づく。
すると夏穂は一瞬ピクリと身体を動かしたが、ボクが握る、夏穂が付けたままのペンダントに目線を向けた。
「これはね...。こうすると1つのペンダントになるんだよ。」
『あっ...、ホントだ。きちんと星の形になるんだ...。』
「そう。だから片方ずつだと形が変なんだよ。」
『ふうん...。』
そう言って夏穂は1つになったペンダントを珍しそうに眺め、そして手に取った。
『あれっ...?でもコレどうやって外すの?』
「えっ...、外すの?」
『だって...、このままの姿勢じゃちょっと...、ね。』

どうやら夏穂は付けたままの、外そうとしても外れないペンダントのせいで、ボクの顔が近すぎることがどうも恥ずかしいらしい。
さきほどから目線を合わせないし、何よりも本人は気付かれてないと思っていたようだったが、その顔は真っ赤だった。

「本当に外すの?」
『う、うん...。』
「それじゃ、動かないでね...。」
『うん...、えっ?ち、ちょっ...、待っ...。』
ボクはそのまま姿勢を変えることなく、夏穂の肩に手を回し、そして静かに夏穂を抱きしめた。
ゆっくりと、そしてしっかりと...。
突然のボクのこの行動に驚いたのか、最初はボクの手を外そうと抵抗していた夏穂だったが、しだいにその全身の力が抜けていくような感じを受けた。
「夏穂がどうしても外したいっていうから、仕方なかったんだよ。」
『...ウソ...。』<
「ホントさ。このペンダントはね、お互いの気持ちが一つにならないと外れないんだ...。
だからボクは正直に言う。
もう絶対に夏穂を離さない。どんなに逢えなくても、どんなに離れて暮らしていても。
ボクは夏穂が好きだから...。」
『.........。』
「ねえ...。夏穂はどうなの?」
『私も...、好き。』
「ホント...に?」
『うん...。』

そして見つめ合う。
そして、静かにお互いの距離が縮まっていく。


そして...、静かに唇を重ね合わせる...。

そしてボクは、唇を合わせたまま、静かにペンダントを外した。
「ねっ?外れたでしょ?」
『うん...。でももう外れなくてもいい。』
「それじゃもう1回付ける?」
『そしたら私を抱き抱えて、家まで連れて言ってくれる?』
「それもいいけど...、何だか今日は走っていきたい気分だよ。」
『ホントに?さっきはあんなにへばってたくせに。』
「ホントだよ。でも二度と外れなかったら、夏穂の焼いたお好み焼きが食べれなくなるもんな。」
『そうね。ちょっとお腹空いちゃったね?』
「うん。ボクに作ってくれるかな...?」
『もちろん!おたふく特製の夏穂スペシャルをね!』
「良かった...。」


そしてその帰り道、夏穂は今まで渡そうと思っていた白いバトンを思い出の川へと投げ入れた。



昔の思い出なんてもういらない。だって...。



お・わ・り♪

1999.04.17 Writer : R.M.
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