言葉はなくても...
「あの、受験番号50602番の保坂美由紀ですけど...。」
「ちょっと待ってくださいね...。ああ、茶山高校の保坂さんですね?」
「はい...、そうです。」
「えーっとですね...、はい、合格です。」
「ホントですか!?ありがとうございます!」
「はい。おめでとうございます。」
「あの...、それで、合格通知は...?」
「はい。明日入学に必要な書類などと一緒に郵送しますので、2・3日中には届くかと思います。」
「はいっ!ありがとうございました!」
「あっ...こ、こんばんは。お久しぶりです。」
『うん、こんばんは。ホントに久しぶりだね。』
「そうですね。お互いこのところ忙しかったですからね。」
『まあね。それで、美由紀はどんな感じ...?』
高校卒業を間近に控え、なにかと忙しくなってきたボクと美由紀は、そのめざす道こそ違うものの大学進学という一つの目標に向けてこれまで努力してきた。
(まあ、それを努力と称することができるのは美由紀だけで、ボクの場合はその前に「無駄な」という言葉をつけなければならないが...。)
以前聞いた話では、地元金沢大学の合格ラインには完全に届いていると言ってたし、その他希望した大学は第一希望以外すべて範囲内だとも言った。
それにひきかえボクは...、滑り止めすら危うい状態。
互いの模試の結果を机の上に並べて、「このままじゃきっと浪人だな」と笑い飛ばした友人の言葉が徐々に現実味を帯びてくる。
というか、すでにその方向に進みつつあることを、見飽きた番号のない板を見るたびにイヤでも認識させられてるんだけどね。
「ええ、とりあえずいくつかは...。」
『そうなんだ。さすが美由紀だね。ボクなんかもう発表見に行くのイヤになっちゃったくらい。』
「えっ...。そ、そうなんですか?」
『そうなの。結構ヤバいかな、って感じだね。』
そう言って笑ったボクの表情がややひきつっていたことは鏡を見なくても分かったし、それ以上に心配そうに様子を伺い、妙に気を遣う美由紀にちょっと悪いと思った。
もちろんそういう意図での発言ではなかったし、それ以上につまらないコトで美由紀に気を使わせたくなかったからだ。
この先それが人生を変えるかもしれない美由紀に対してはあまりにも軽率で、そしてあまりにも無神経である。
ボクなんか特に目標がある訳じゃないし、どうしても大学に行かなきゃいけない理由もない。
全部すべったところで、全然イタくないんだけどね。
『あ...いや。ボクは...。ほら、まだいくつか残ってるから、きっと大丈夫だと思うよ。』
「そ、そうなんですか?」
『大丈夫だって。きっと何とかなるさ。』
「そうだといいんですが...?」
『えっ...どうして?』
「い...、いえ、その...。二人とも合格できたらいいな...、って。」
『そうだね。じゃあボクももうちょっと頑張らないと...って、もう遅いか。』
そういってボクは再び笑ったが、美由紀はさきほどのようにボクを心配するような雰囲気は見せなかった。
まあ、それ以上にボクが『大丈夫』と何度も繰り返し言ったこともあるが、美由紀は、
「そういう風に考えられると少しは楽なんでしょうけど...。」
とそう考えることのできるボクが羨ましいと言った...。
それからしばらくは、お互いの近況や友人の話題などで話しは盛り上がった。
おそらく美由紀はボクの結果が思わしくないことを気にかけていたのだろう。以降は一切その話題に触れようとはしなかった。
ボクとしてもこれ以上心配されるのも、それに神経をすり減らして自分を追い込んでほしくもなかった。
ただでさえ他人の気持ちを大切にし、必ずしもその必要もないのにすべてを抱え込んでしまう美由紀。
これ以上自分の問題で精一杯の彼女に余計な負担はかけたくなかった。
美由紀の胸に未だ秘められたままであろうその想いにはボクも気が付いている。
ただそれが美由紀の本当の気持ちであるかということはまだ確かめることができていないし、おそらく美由紀もボクの気持ちにはうすうす感付いているだろうと思うが、今までそれを口にしたことはない。
お互い何となく牽制しあっている感じだ。
そして会話のところどころで美由紀が、
「あの...。」
と言いかけてそれを止めるのはおそらくそうだろうからだとも思うし、その言葉の裏には、丁度2週間後に控えたビックイベント(?)が原因であるということも。
こちらから切り出しても良かった(美由紀のコトだから、言わずに電話を切る可能性もあると思った)のだが、なんとなくそれを期待して求めるような気がしたのでさすがに口に出すことはできなかった。
でも、ボクにもその日に美由紀のもとを訪れなければならない一つの理由があった。
それとは全く関連がないというよりは、立場的には全く逆になってしまうのだが、その2日後は美由紀の誕生日。
本来ならばその日に祝ってあげたいのはヤマヤマなんだけど、ボクも美由紀も高校卒業を間近に控えた身。学校を休むなどということは到底できない。
だから美由紀からそのお誘いがないのはチト困るし、さっきも言ったとおりその日の意味合いを考えるとどうしてもボクからは話を切り出せないので、そろそろ牽制球を一つ投げてみようかと思った時だった。
「あの...。」
『ん...、何?』
「あの...、再来週の日曜日なんですけど...何か予定はあるんですか?」
『予定、ってボクの?』
「え...ええ。」
『そうだねぇ...。今のところ特にないかな。』
「そ、そうですか...。」
『うん。だけどどうして?』
「あの...もしよかったら久しぶりにお逢いしたいんですけど...。」
『あっ、ひょっとしてさっきからそのコトを言いたかったの?』
「は...、はい。」
『何だ。だったらもっと早く言ってくれれば良かったのに。』
電話がかかってきた時点(ホントはそれ以前)からこうなることは予測してたし、正直に言えば美由紀のコトが気になり始めた頃からこの日には予定を入れないようにしていた。
二つ返事でボクが快諾すると、美由紀は意外なくらいほっとした声でその場所と時間を指定して、そして言いたいことを言うことができてすっきりしたのか、最後までその声のトーンを変えることなく電話を切った。
ホントはその日は滑り止め(?)の大学の合格発表の日だったんだけど、どうせ結果は見えてるから行くつもりはなかった。
翌日学校の先生にはこっぴどく叱られることになったけどね。
幸い天気は良かったが、久しぶりの金沢の街もこのところの寒波のせいかすっかり白い雪に包まれて、なんとなく雰囲気が違って感じられた。
まあ、雪自体は毎年降るわけだし、こちら側の人たちにとってみれば全然珍しくもないんだろうけど、普段それに触れることのないボクにとっては、少々言葉は悪いが「やっかいもの」である。
というのも、美由紀に渡す予定の、この手に大事に抱えたモノを守るために凍った地面とケンカした尻が少々痛い。
だが目の前を流れる犀川は、その形をとどめることなく脈々と、そして静かに流れていた。
美由紀と久しぶりに再会して最初に話したのがこの場所だった。そしてそれからも度々ここでいろんな相談を受けたが、今こうして考えると大好きなこの川が、そのツラい思いを受け止め、そして静かに流して忘れさせていてくれたのではないかと思う。
そして、
『この川の上流には、美由紀のこれからがあるような気がする...。』
そう思ったボクは、未だ姿を見せない美由紀も探してみようと、川のほとりを一人歩きだした...。
「ごめんなさい。遅くなっちゃって...。」
と背中からボクを呼び止める声を聞いたのはそれから間もなくのことだった。
それからはやや遅れていたものの、
『さすが美由紀、時間どおりだね。』
と振り返ったボクの目に飛び込んできたその姿に少々驚いた。
こんな言い方をすると自慢げに聞こえるかもしれないが、美由紀はその手に何も持っていなかった。
そして自分の期待の大きさが分かると同時に、胸にやや不安がよぎる。
「ごめんなさい。ホントに遅くなっちゃって。」
『いや、そんなことないよ。ボクが約束の場所にいなかったから探したんじゃない?』
「いいえ。だってここも犀川ですよ。」
『まあ、そりゃそうだけど...。』
「だからいいんです。でもホントに来てくれてありがとう。」
『いや。礼を言われるほどの事じゃないよ。ボクも久しぶりに美由紀の顔が見たかったからね。』
「えっ...、ど、どうしてですか?」
そう言ったボクの言葉に戸惑いの表情を見せる美由紀。そして当然ボクも戸惑う。
こう言うのはなんだが、仮にも逢いに来て欲しいと言ったのは美由紀。
まあ、美由紀がボクの考えていることを察しているにしても、その返答はあまりにも不適当だと思うし、ちょっとキツい。
『で...、でもこうやって美由紀の顔を見て話をするのも久しぶりだね。元気にしてた?』
「ええ、とりあえずは。あなたも風邪引かれませんでしたか?」
『うん、大丈夫だよ。美由紀は?』
「はい。私も今年は今のところ...。」
『良かった。まあ、もっともこんな大事な時期に風邪なんか引いてられないけどね。』
「そうですね。」
『ところで...、』
そう言いかけたボクの言葉を止めるかのように、美由紀は自分の口元に人指し指を当てる仕草を見せた。
そしてボクが開いたままのその口をゆっくり閉じると、にこりと微笑み、何も言わずくるりと向きを変えて、本来の待ち合わせ場所へと歩いていった...。
と、いってもそれはそんなに離れた場所ではないのだが、どうやらここは美由紀のお気に入りの場所らしい。
ボクの見る限りではそんなに変わらないと思うのだが、美由紀にしか分からない何かがあるんだろうということだけは理解できる。
しかし、それ以上に気になるのはさきほどの美由紀の言葉。
確かに美由紀は「久しぶりに顔が見たい」と言ったし、そしてそれが本来の目的でないことも...。
まあ、バレンタインにチョコレートという考え方はあまりにも安直かもしれないが、そうじゃないとしたら、美由紀の目的って一体...?
「どうしたんですか?」
『えっ...?』
「だってさっきからずっと黙ってる。」
『あ...、ごめん。ちょっと考え事をしてたもんだから。』
「ごめんなさい...。」
『どうして美由紀が謝るのさ。』
「えっ...、いえ...。あの...。」
『気にしないでよ。黙ってたボクが悪いんだから。』
「ごめんなさい。本当は今日は何か用事があったんじゃないかと...。」
『なんだ。そんなこと気にしてたの?大丈夫だって。ホントに何もなかったから。』
「そ、そうですか。それならいいんですけど。」
『それに今日はもっと大事な用があったからね。』
「えっ...、大事な用、ですか?」
『うん。美由紀、ちょっと早いけど誕生日おめでとう。』
ボクはそう言ってずっと大事に守ってきたプレゼントを取り出した。
すると美由紀は、喜びと戸惑いを混ぜ合わせたかのような、何とも言いがたい表情を浮かべる。
おそらく、順序の違うボクの行動にどういう反応を返してよかったのか分からなかったのだろう。
だがそれも一瞬のことで、ボクのプレゼントを受け取ってくれた美由紀の顔からは戸惑いの色はなくなっていた。
「あっ...、ありがとう。憶えててくれたんですね?」
『うん。本当は明後日渡したかったんだけどね。』
「いえ...、すごく嬉しいです。」
『よかった、ボクも美由紀に喜んでもらえて嬉しいよ。』
「はい。ずっと大事にしますね。」
日差しこそ差し込むものの、決して暖かくないこの場所でしばらく二人話していたが、それからは美由紀の表情は変ることなく本当に嬉しそうだった。
プレゼントを大事そうに胸に抱えて、にこやかに微笑んでいる。
だが、ボクの期待には気付いていないのか、一向にその気配を見せないのが少し気になる。
...。いや、ちょっと待てよ?
『美由紀はそうだとは一度も言っていない...。』
確かに今日は2月14日(バレンタイン)ではあるが、美由紀が今日を選んだ理由はそうじゃないのかもしれない。
ボクもこれまで受験や試験勉強などで忙しかった。そして明日からはまた卒業などで毎日追われることだろう。
確かに今日はちょっとした休息日ということは言えるし、美由紀にとってもきっとそうだろう。
やっぱり、たまたま重なっただけなんだろうか...?
「そんなに心配ですか?」
『えっ...!?』
「だって、さっきからずーっと考えてるでしょ?」
『な...、何を?』
「うふっ...。そんなに心配しなくてもいいですよ。」
美由紀はそう言ってボクを笑った。どうやら見透かされていたらしい。
そう聞かれた自分の顔がみるみる赤くなっていくのがはっきりと分かった。
そして、「男の人って、やっぱり意外とニブいんですね」と...。
「それじゃ、そろそろ帰りましょうか...?」
『うん、そうだね。ホントはもうチョット一緒にいたいけど、明日学校に遅れちゃうしね。』
「そうですね。それじゃあ、駅まで一緒に行ってもいいですか?」
『もちろん。』
結局ボクの心配(?)をよそに時間だけが過ぎ、いつしか空は赤く染まっていた。
お互い「一緒にいると時間が経つのが早く感じるのはどうしてかな」と少し残念そうに話したけど、美由紀もそう思ってくれていると分かっただけで、ほんのちょっと嬉しかった。
そして駅まで向かうその間も、美由紀は時間を惜しむかのように話し続けた。
話の内容はたわいもないコトだったけど、しばらく逢えなかった間に話したかったことをすべて聞いて欲しい。
なんとなくそう感じた...。
『じゃ、ちょっと切符買ってくるね。』
「はい。私も家に電話してきます。」
『うん、分かった。それじゃあ5分後にここで。』
「はい。」
『ごめんごめん。ちょっと混んでて...。』
「いえ。私も今戻って来たばかりですから。」
『あーっ...、何だか今日は帰りたくないなぁ。』
「うふっ。相変わらずストレートですね。」
『そ、そうかな?』
「ええ...。それじゃあ、はい。コレ。」
そう言って美由紀は今まで後ろに組んでいた手を前に出し、その手にしっかりと握られていた小さな包みをボクにくれた。
『あ...、ありがとう。』
ホントに嬉しかった。さっきまで期待まる見えだったので、ちょっとだけ恥ずかしかったけど...とっても嬉しかった。
「あの...、一つだけお願いがあるんですけど...。」
『何?』
「あの...、それなんですけど、私の前では絶対に見ないでください。」
『うん、分かってるって。ボクだって目の前で開けられるのは恥ずかしいしね。』
「ありがとうございます。それと...。」
そう言った美由紀は、持っていた小さなバックの中から1つの封筒を取り出し、ボクにそっと差し出した。
『うん。これも電車の中で見るね。』
「うん...。」
『それじゃあ、またしばらく逢えないけど、体に気をつけて頑張ってね。』
「はい。私は...、嬉しい知らせをお待ちしています。」
『ははっ...。そうだといいんだけどね。』
「いいえ、きっと大丈夫ですよ。だって私に言ってくれたじゃないですか。「何とかなるさ」って。」
『うん。そうだね。』
「ええ、そうです。」
『ありがとう。それじゃあ、もう時間だから...。』
「また今度暇ができたら、必ず逢いに来てくださいね。」
『うん。嬉しい知らせを持ってくるよ。』
「はいっ。楽しみにしてます。じゃ...。」
静かに締められたドアの向こうに写る美由紀は、満面の笑みでボクを見送ってくれた。ボクもそれに笑って返す。
『ホントに今日は逢いに来てよかったな...。』
心の底からそう思いながら、美由紀からもらったプレゼントにちらりと目線を移した。
そして再び『ありがとう』と美由紀の顔を見つめた時、それはあった。
少しだけ...、笑顔の奥に隠された、ほんの少しだけ不安な表情が...。
そして東京へ向けて動きだした列車の中で、約束どおりボクは美由紀からもらった手紙の封を切った。
『バレンタインにくれた手紙だから、きっと美由紀の本当の気持ちが書いてあるんだろうな...。』
そう思いながらゆっくりと手紙を開く。
でも、帰り際までそれを渡してくれなかったことに、あの美由紀の言葉が少しだけ気にかかり、ちょっとだけ開くのをためらうボク。
でもこれはきっと牽制球じゃなくて、美由紀がボクに投げてくれた真っ直ぐなボールなんだと信じ、ゆっくりと開いた。
それは、東京学芸大学の合格通知だった...。
Fin...
P.S.今回のSSはなかなかまとまった時間が取れず、自分でもあまり満足のいく作品ではありませんが、
美由紀の言葉と、その言動に隠された美由紀の想いを書いたつもりです。
なんとなくゲームの補足のような内容になってしまいましたが、その辺は許して下さい(笑)
1999.06.20 Writer:R.M.
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