Weekend
〜Another Epilogue〜


 ようやく答えを見つけた俺は、その後の7年間をここで過ごすことになる。
そう。俺が選んだ道は「北海道大学経済学部」だった。
別に経済学部なんて入る気もなかったし、将来それをどう生かそうと思ったわけでもない。
ただ、俺のこの頭脳で唯一入ることのできた学部だった、とだけ言っておこう。
そしてとうのほのかは、「親父さんの手前北大をめざす」と言っていたとおり無事合格を果たし、4月から同じキャンパスで楽しい(?)学生生活を過ごしているが、ほのかの友達(ずっと昔の俺のクラスメートでもある)でかつ同級生になった友達に聞いた話では、高校の先生にも、彼女の父親にもそのことを猛反対されたという。
まずは先生。
「親がいるから北大の獣医学部に行きたいからという理由は分かるが、その成績で北大を目指すのはもったいない」と。
ほのかの成績は十分に関東の大学を狙えるほどだったという。
そしてほのかの父も同じ理由であったが、何よりもそれ以前に、
「自分の後を継がせるつもりはない。」
と強く言ったという。
そしてその時には俺の存在も知っていたという理由もあって関東の大学を強く勧めたが、それでもなおほのかは北大を目指す道を変えようとはしなかったという...。
 最初に断っておくが、俺がほのかに北大合格を伝えたのは当然合格確定の後。
それ以前は北大を目指していることも、合格発表を見に行くことも一言も伝えなかった。
『落ちたら困る』という理由が最も大きかったが、俺がそれを言ってしまうと余計な心配をかけてしまうと思ったし、何よりもほのかのこれからを決めてしまうような気がしたからだ。
俺だってほのかと同じ大学に行きたいと思った。
ほのかの好きな、そしてかつてここに住んでいた俺も今度こそこの地の四季をこの目で見たいと思った。
つまり、ほのかは「何らかの目的があって北大にこだわったのではないか?」ということである。
 無論その理由はまだ聞いてないし、当分聞くつもりもない。
それを聞いたところでどうにかなるわけでもないし、それ以上に自分が聞き返された時に答えられないからだ。
まあ、俺の理由はわざわざ言葉にしなくてもほのかには伝わっていると信じているし、ほのかも聞くつもりはないらしい。
今更お互いそんなことを確認する必要もないし、聞いたところで何も変わりはしない。

たとえその理由が何であれ...。


 大学に入ってからもうかれこれ1月程経つ。が、経済学部の講義がこんなに退屈なものだとは思わなかった。
とえりあえず真面目に講義には出席しているものの、講師の言葉の端々に理解できない言語が並ぶ。
最初の講義で隣に座ってからすっかり仲良くなった友人(渡辺という奴で、最近はナベという愛称で呼ぶようになった。)は、
「俺だって同じだよ。ま、要は単位を取って卒業さえすればいいだけのことじゃないか?」
と俺と同じような能天気なコトを言う。
『内容理解しないで単位取れれば誰も苦労しないんだけどなぁ...。』
と俺が言って返すと、
「それができりゃこんな苦労してないっての!やっぱ結局やるしかなさそうだね...。」
とやや泣きそうな表情で帰っていった。
何故俺と同じ境遇にあるナベだけがそんな状態なのかと言うと、俺にはスバラシイ家庭教師(?)がいるからだ。
講義で分からなかったところは週末にまとめて教えてもらっている。
そう。言わなくても分かるとは思うが、その講師とはほのかのこと。
学部こそ違うが同じ大学に通っているということもあったし、ここでこんなことを言うのは少々恥ずかしいが、ほのかとは週末を一緒に過ごしているので、ついつい聞いてしまうと言ったほうが正しいか...。
自分で理解しようとしない俺が悪いと言えば悪いのだが、その俺の要求に、
「うーん...、ちょっと待ってね。」
と講義のテキストと俺の汚い字で書き取ったノートを眺め、しばらく考えた後淡々と説明をはじめる。
で、これがまた大学の講師よりも上手いこと説明してくれるんだよなぁ...。
『うんうん...、ほぉ、なるほど!そういうことだったのか!』
「もぉ!『そういうことだったのか』じゃないでしょ?よくそれで講義についていけるわねぇ...。」
と毎回呆れた顔で睨みつけられる。
『ごめんごめん。ほのかの説明が上手いからついつい講義聞かなくても大丈夫かな?ってね。』
「つい、って...。じゃあ、講義の時は何してるの?まさか寝てるなんて言わないでよね。」
と再びキツイ目線がこちらに向けられる。
『うっ...、あ、いや。まさかそんなことしてるワケないじゃない!』
「そっ。それならいいんだけど、今度からもっとちゃんと聞いてよね。」
『うん、分かってるって。』
(ホントは半分寝てるんだけど...ね。)

 ただ、俺がそうする(ほのかに教えてもらう)のにはほのか側の理由というのも存在する。
別に自分が理解しようとしないことの言い訳をしている訳ではないが、こうやって一緒に過ごすことができるのが週末だけだからだ。
まあ、ほのかも俺もまだ1年生でそこまで忙しいというワケではないのだが、部活やバイトなどで平日は時間が取れないからである。
ほのかはバイトなんかしなくても大丈夫なんだろうけど、さすがに俺はそれなしでは生活していけないからね。
んで、当然バイト先はオヤジのラーメン屋。
以前に比べればバイト代は随分値切られてしまった(あたりまえだ)が、それでも他のバイトに比べれば時給は良い。
ま、慣れてしまっている分こきつかわれるというデメリットもあるが、晩飯付きという条件は揺れる俺のハートをがっちりつかんで離さなかった。
という訳で平日は日付が変わってから家に帰ることがほとんどなので、当然女の子を呼びつける(?)時間ではない、ということだ。
 ほのかは「毎日でもあなたの顔を見たい」と嬉しいことを言ってくれるが、俺の言い訳がましいその理由で物理的にそれは無理である。
だから大学に入りたての頃、しっかりと約束させられた。
「週末はできるだけ私のために時間を作って...。」と。


 ようやく待ちに待ったゴールデンウィークが目前に迫る。当然この間は講義は(当然大学もだが)休み。
こっちに来て初めての大型連休なので北海道中を見て回りたいと思っていたが、残念ながらその野望は夏休みまで繰り越さなければならなくなった。
というのも、折からの慢性(悪性)金欠症と母が東京からやって来る、というのだ。
金がないのは今に始まったことではないが、俺のワガママで北海道に独り暮らしをさせてもらって迷惑をかけっぱなしの母が来るというのに、それをほったらかしにして遊びに行くようなコトはとてもではないが俺にはできない。
ほのかも、「せっかく来てくれるんだから、きちんとおもてなしをしないとね。」と観光案内の計画まで立ててくれた。
 しかし...。良く考えてみるとほのかも俺の母さんも、お互い面と向かって会うのは初めてなんだよな。
別に恥ずかしいとかそういうんじゃないんだけど、何となく照れくさい。
こんなこと言うとほのかにまた拗ねられそうなので口に出しては言わないが...、ちょっとだけ恥ずかしい。
だが、一緒に「どこに連れて行こうか?」と札幌周辺の地図を広げてああでもない、こうでもないと言い合っていたほのかのその目線が少し寂しそうに見えたのも気になっていた。

(週末はできるだけ私のために時間を作って...。)


無理してはしゃいでいるように見える、ほのかのとの約束の言葉が俺の耳の奥で繰り返されていた...。

 連休初日。母さんは予定通り到着する。
そしてたった1月だが、久しぶりに俺の顔を見るなり母が口にした言葉。
「もう少し寒いかと思った。」
『あのねぇ...。久しぶりに見るわが子の顔を見て言う言葉かなぁ...。』
「あら?たった1月で成長するほど頑張ってるのかしら?」
『そりゃあそうだけど。ところでこれからどうするの?』
「そうねぇ...。とりあえず休みたいわね。人が多くて疲れちゃったし。」
『分かった。んじゃ行こうか...。』
 そしてそれから3日間、丸々母のお守りをさせられたことは言うまでもない。
何度か母に「あの子は?」とほのかのことを聞かれたが、稚内の別荘に家族で行っていることを伝えるとやや残念そうな表情を見せた。
まあ、その意味はなんとなく分からないこともないし、できれば俺もそうしたいと思っていたが、ほのかがそれを強く拒んだからだ。
「せっかくお母さんが来るんだから、私がいたらジャマだよ。」と...。
せっかく訪ねて来るのに逆に気を遣わせてしまってはいけないとのほのかなりの配慮だろうと母は言ったが、その真意はきっと違う。
それが嘘だとは言わないが、母が来る前日に稚内へ向かうほのかを空港まで見送りに行った時のコト...。

ほのかの父がこう言う。
「なんだ。君も来るんじゃなかったのかい?折角いろんな話をしたいと思っていたんだが...。」
それを聞いたほのかは慌てて、「ほ、ほら!ずっと前に東京からお母さんが来るって言ったじゃない!」と俺が一緒に行かない理由を肯定した。
「そうか、残念だね。今度は是非予定を空けておいてくれよ。」
『え...、ええ。分かりました。』
俺は今この場で初めて「連休中ほのかは稚内に行く」という事実を知った。
そしてその理由を問いかけるべくほのかに目線を向けたが、ほのかは意図的にそれを避け、
「私も誘ったんだけど、その前にお母さんから連絡があったんだって。」
とつぶやいた。
そしてその後は会話も交わすことなく、違う方向へ互いに背を向けて歩き出した...。
 母が3日に帰ることは随分前に伝えたし、一緒に観光案内の予定を組んでくれたほのかもそれを承知だったはずだ。
だが、それにもかかわらず残りの2日間、電話が鳴ることはなかった。
だからといってその間俺も何もしなかったワケではない。何度となく別荘にも、そしてほのかの携帯にも電話を入れた。
しかし前者は何度かけても受話器が上がることはなく、後者は「電波の届かない場所...」。
もう帰ったのかと思い自宅に電話を入れても、訪ねてみても留守であることは変わりなかった。

せっかくの連休に俺と一緒にいることができないから拗ねているんだろうとは思うが、どうしてそのことを言ってくれなかったんだろうか...。


 連休が明けても、ほのかは姿をみせるどころか電話すらしてこなかった。
バイトから帰ると点滅していた留守録も暗闇でこうこうと点灯しているし、キャンパスですら姿を見つけることはできない。
木曜日は何とも思わなかったが、留守電も入っていないことがとても気になったので、翌日ほのかの友達をつかまえて聞いてみた。
「えっ...。ほのか?」
『そう、ほのか。』
「そう言えば最近私も見てないけど...。」
『最近、っていつから?』
「えっとね...。ゴールデンウイークの前くらいかなぁ。」
『そう...。電話とかなかった?』
「うん、全然。っていうか最近電話では話さなくなったしね。」
『そうなんだ...。分かった、ありがとう。』
「どうかしたの?まさか最近うまくいってないとか?」
『い...、いや。別にそういうコトじゃないんだ。ありがとう。』

(さて、次は学務課か...。)

『えっ...!?休講、ですか?』
「そう、休講。でもどうして経済学部の君が獣医学部の講義の日程を?」
『い、いや。沢渡教授にちょっと聞きたいことがあったもんで...。』
「そう。教授の講義は次の月曜にはあるけど、何なら講座に連絡しとこうか?』
「い、いえ!...いいです。どうもありがとうございました。」
まあ、明日はまた土曜日だし、木・金と休みをとればかなり長期の休みが取れる。
学生にも好評の講義をする先生だから休講もほとんどないって言ってたし、たまには長期休暇も欲しくなるだろう。
しかし、それ以外の先生の講義は予定どおり行われているのだから、それにほのかがずっと同伴しているとは考えられない。
いくら自分の娘とはいえ北大の生徒でもある訳だから、特定の者だけを特別扱いすることは社会的に見て道理ある行動とは思わない。
ということは、ほのかは「故意に俺を避けている。」としか思えない。
それも確認したいと思ったが、さすがに『沢渡ほのかは講義に出席してましたか?』なんて聞くことはできない。
もしそうだとしたら、それを知ったほのかの機嫌はますます悪くなるに違いないからだ。
でも...。連絡が取れなきゃ謝れないんだけどなぁ...。

 だが、その理由は以外に単純で、そして俺にとっては少々ショックなことだった。
あれだけ週末にこだわっていたほのかから金曜日の夜も、そして土曜日になっても連絡がないので、再び電話した時沢渡教授にそう聞かされた。
「はい、沢渡ですが。」
『あっ...どうも。こんにちは。』
「やあ、君か。こないだは一緒に行けなくて残念だったよ。」
『どうもすみませんでした。』
「いや、君が謝ることはないよ。せっかくお母さんが訪ねて来てくれたんだから。」
『はい、ありがとうございます。あのー...。』
「何だい?」
『ほのか、いますか...?』
「えっ、ほのか?ひょっとしてまだ君は知らないのかい?」
『知らないって...。何かあったんですか!?』
「そうか...。てっきり私はほのかから聞いてると思ってたから君には連絡はしなかったんだよ。」
『そ、そうですか。それで、ほのかは...?』
「私もそのことでちょうど君に電話しようと思っていたんだが、今は札幌市民病院にいるよ。」
『び...病院ですか?ほのか、どうかしたんですか!?大丈夫なんですか!』
「き...君。そんなに大きな声出さなくても聞こえてるよ。」
『すいません。でも、どうして...?』
 どうして今までほのかから連絡がなかったのかようやく事実を知ることができた。
ほのかは風邪をこじらせて入院しているよいうことだった。
ゴールデンウイークに稚内に行ったは良かったものの、予想以上に寒かったことと、前日から体調のすぐれなかったほのかは翌日体調の異変を訴え、3日に札幌に戻り病院に行ったところ、軽い肺炎を起こしているということで即日入院となった、ということだ。
 そして、沢渡教授は最後にこう付け足した。
「たぶんほのかは君に余計な心配をかけたくなかったんだろうね。お母さんも来てたし...。」
そして、
「すまないが、ほのかの退院に付き添ってくれないか?本来なら私が行かないといけないんだが、どうしても時間の都合が取れなんだ。お願いしていいかな?」
『はい、分かりました...。』
「ありがとう。」
『いえ...。』

 天気のいい土曜日の午後。
そしてようやくほのかに逢えるはずなのに、病院へ向かう俺の足取りは重かった。
その理由は今更言うまでもないが、違った言い方をすれば、『今まで気付かなかった自分が腹立たしい』というところだろうか。
まあ、普通に考えれば何の連絡もよこさないほのかが悪いのだろうけど、俺にとって「どっちが先?」ということなどどうでもよい。
そしてそれはほのかの気遣いでもあったんだけれども、俺としては少々悲しいことでもある。
どんな些細なことでもいいから、言って欲しかった。
精神的に弱くなっているほのかを、少しでも支えてあげたかった...。
 その気分が晴れないまま病室の前まで来た。が、目の前にあるドアに手をかけることができない。
自分の中で『最初に何て言ったらいいのか』分からなかったからだ。
さっきも言ったとおり、自分にも腹が立ち、今まで何の連絡もくれなかったほのかにも...。
すると、何分もドアの前に立ったまま動かない俺を不審に思ったのか、看護婦さんが俺に声をかけてきた。
「あのー、何かご用でしょうか?」
『あっ...、いえ。はい...。』
「ひょっとして、あなた沢渡さんのお兄さんですか?」
『はっ?』
「沢渡さん今日退院だから迎えに来られたんじゃないんですか?」
『えっ...、そ、そうです。』
「そうですよね。でも今沢渡さんは今病室にはいませんよ。」
『いないんですか?じゃあ、どこに...。』
「確か屋上に行く、と言ってたみたいですけど...。」
『そうですか。ありがとうございます。』
「それじゃあ、後で退院の手続きなどありますからナースセンターに寄って下さいね。」


 晴れ渡った青空が見えるここには、5月の爽やかな風が吹いている。
あまりにも気持ち良いその風が、先程まで重かった俺の足取りを軽くしてくれたような気がした。
そして俺がずっと探してきたほのかは...、いた。
屋上の手すりに寄り掛かり一人、頬を優しく撫でるようなその風に身を任せて静かに街を眺めていた。
でも...。その後姿は心なしか淋しそうに見えたのは俺の気のせいだったんだろうか...。
早くほのかの顔をみたい、ほのかと話したいと思っていた俺だったが、今話しかけることが何となく悪いことのような気がして、そばにあったベンチに座ってしばらくその後ろ姿を眺めていた。
だが先程まで誰もいなかったせいか、ほのかは俺の気配に気付いたようにパッ、と振り返った。
その瞬間俺は「ほのかはきっと驚いた顔をするだろう」と思ったが、その顔は以外にもおだやかで、そしてとてもにこやかだった。

 俺はその笑顔を見た瞬間胸がせつなくなり、何となく弱々しく歩くほのかの傍に駆け寄った。

『ほのか...。元気だった?』
ホントはもっといろんなことが聞きたかった。もっといろんなことを言いたかった...。
けどその俺の想いを知ってか知らずか、ほのかは素直にその喜びだけを精一杯表現する。
そしてその俺の問いかけに何も言わずにこくりとうなずいた。
そんなほのかを目の前にして、俺はそんなことはどうでも良くなった。
俺も...、ただ素直に逢えたことが嬉しい。




そして俺は、素直にほのかを抱きしめた。




「今日はありがとう。わざわざ来てくれた上に退院の手続きまでしてくれて...。」
『いいんだって。どうせ暇だったし、それに...。』
「それに?」
『いや...、その...。』
「うん、分かってるから言わなくていい。」
『うん。』
「それでさ、明日...逢えるかな?」
『うーん...、忙しくないけど、ダメ。』
「どうして?」
『だっていくら風邪が治って退院したからって言ってもまだ家でゆっくりしてないとダメだよ。』
「それは分かってるけど、でも...。」
『うん、分かってるから言わなくていい。』
「うん...。ホントにごめんね。」
『そ!明日だけが週末じゃないよ。』


 そして週明けの月曜日からほのかは何事もなかったように大学のキャンパスを歩いていた。昨日家でゆっくりしていたせいか、土曜にみたときよりも随分と顔色がいい。
『すっかり良くなったみたいだね。』という俺の問いかけにも、
「昨日はちゃんと家で勉強してたの?」と皮肉をまじえて答えるほどすっかり気分もいいらしい。
そしてそれからは翌日も、そしてその次の日もいつもと変わらない日々が続いていたが、少しだけほのかの様子が違っていた。
まあ、さすがに1週間近く風邪で寝込んでいたためやや痩せたかな?という感じは受けたが、それはその外観に関することではない。
そして当然俺はその理由を知っている、というよりはそうだろうと確信している。
そう...。今度の金曜日はほのかの誕生日なのだ。
恐らくほのかはこう聞きたいに違いない。
「金曜日はバイト、休みじゃないの?」
 当然俺は何もしていないワケではない。
バイトに関しては既に手配済。というよりは俺がそれを頼み込む前にオヤジは、「金曜日は休み。」
相変わらず自分の都合で勝手に定休日以外に休む癖(?)は治ってないらしい。
そして相変わらずのその表情は何か言いたそうにニヤニヤと笑っている。
『あのねぇ...。』

 そしてついに迎えた金曜日。最後の準備に走り回る俺がいる。
講義は当然のごとく代返。ノートもナベに頼み込んで後で見せてもらう約束を取りつける。
「いいなぁ...。お前はデートで俺は淋しく講義か...。」
とぼやいてはいたものの、休み明けの俺の説明(ほのかに教えてもらった内容の受け売りだが)が聞けなくなると相当困るらしいのか、意外とすんなりと受けてくれた。
それからバイトでため込んだ金で、小さいながらも一応ケーキを買って、花束を買って、プレゼントを買って...。
それらすべてを家に運び込み、すべて準備が整ったトコロで最後の手回し。
俺は電話帳をパラパラとめくり、ダイヤルを回した...。
「はい。沢渡教授室です。」
『あ、あの...、沢渡教授、いますか?』
「あのー、失礼ですがどちら様ですか?」
『お、俺ですか?あっ、経済学部の...。』
「はい、ちょっと待ってくださいね。沢渡教授ーっ!お電話ですよーっ!」
『...(おいおい、聞こえてるって)...。』
「はい、沢渡ですが。」
『あっ、どうもこんにちは。』
「やあ、君か。今外からだよね?今日は経済は休講かい?」
『い...、はい。』
「ところで今日は一体どうして電話を?用があるなら私の部屋を訪ねてくれば良かったのに。」
『い...いえ、ちょっとそこでは話しにくいコトだったんで...。』
「そうか。で、用件というのはひょっとしてほのかのことかい?」
『はい。そうです。あの、今日ですね...。』
「そうか。そういえば今日はほのかの誕生日だったね。」
『はい。』
「君の言いたいことは分かった。私も今日は研究が忙しくて家に帰れそうにないから、私の代わりにご機嫌をとっておいてくれ。」
そう言って沢渡教授は笑う。
『ご機嫌が取れるかどうかは分かりませんけどね。』
それに俺も笑って返す。
「分かった。それじゃ。」
『はい。ありがとうございます。』

 夜7時。最後の準備。
もう家に帰っているだろうほのかにオヤジの店の前から電話をする。
だが、何度鳴らしても誰も電話に出る気配もない。
ま、いつも電話を取るのはほのかか沢渡教授だけなので、教授は今家にはいないんだから、誰も出ないということはほのかもいない、ということなんだけど。
(でも...。そういやほのかの母さんの声、って聞いたことがないな...。)
そしてそれから20分ほどたってからもう一度かけてみたがやはり誰も出なかったので、今度はほのかの携帯に連絡を入れる。
(プルルルルル.....プルルルルルル....。)
電話の向こうでほのかの携帯を探す音が聞こえる。
そしてその数秒後...。どこかで聞いたような着メロが聞こえてくる。
どうやらほのかはよほど俺に逢いたかったらしい。バイトだと言っておいたのもかかわらず、店の前まで来ていた。
その直後、俺の両方の耳から、「もしもし?」と聞こえる。
『やあ、ほのか。今大丈夫かな?』
「う、うん。大丈夫だけど、今何処にいるの?」
と答えたほのかだったが何となく違和感を感じているらしい。辺りをキョロキョロと見回している。
どうやら俺がまだ後ろにいることには気付いてないらしい。
『どこって、今日は金曜日だよ。あそこに決まってるじゃない!』
「そう...、だよね?でも、電気付いてないんだけど、どうして?」
『うん、ちょっとね。それじゃ今から行くからちょっと待っててね。』
「うん。」
俺はそう言って受話器を公衆電話の傍に置き、ほのかに向かって歩く。
そしてようやくその気配に気付いたのか、受話器を耳に当てたまま、ほのかは静かに振り向く...。
「えっ!?どうしてここに?お店の中じゃなかったの?」
『ごめん。今日はオヤジの都合で休みなんだ。』
「そ、それはいいんだけど...。じゃあ、今日は休みなの?」
『うん。そうだよ。』
「じゃあどうしてここにいるの?」
『きっとほのかは迎えに来てくれる、って思ったからここで待ってたんだ。』
「ホントに?じゃあ今日は...?」
『うん。ごめんね、ホントは言おうかと思ったんだけど...。』
「ううん、いいの。でも今日はホントに?」
『うん。ほのか...。』
「何?」
『誕生日、おめでとう。』
俺はそう言って後ろに隠しておいた花束をほのかに差し出す。
「あ...、ありがとう...。」
『ごめんね。こんな小さな花束で...。』
「ううん、いいの。誕生日を覚えてくれただけで嬉しいから。でも...、初めからここで渡す気だったんでしょ?」
『さすがほのか。何でもお見通し...か。』
「うーん、さすがに何でもって言う訳じゃないけど、何となくそんな気がしただけ。」
『でもそこまで俺のコト分かってもらえて、とても嬉しいよ。』


『じゃ、明かり消すよ...。』
俺が一緒に迎えてあげられる、二人だけの、初めてのほのかの誕生日。
そして二人の目の前で、並んで座って座る二人を照らす、弱々しいながらも明るく光を放つろうそく。
それを嬉しそうに見つめるほのか。そしてその顔を見つめる俺...。
真暗になった部屋の中で、しばらくその神秘的な光に魅了されていた。
そしてほのかは俺の目線に気付いたのか、ゆっくりとこちらに顔を向け俺に向かって精一杯の笑みで答える。
『ほら、ほのか。そろそろ火を消して。』
「イヤ。」
『どうして?ほら、そのままにしとくとケーキが食べられなくなっちゃうよ。』
「いいの。だって...。」
『だって?』
「だって...、この日を消してしまったら何だかこの幸せな時が夢のように消えてしまいそうだから...。」
『そんなことないさ。確かにとても綺麗で少し消すのはもったいないけど、この火を消すのは、新しい光...、新しい明日を迎えるためなんじゃないかと俺は思う。』
「でもいいの。新しい明日なんかいらない。今はこの幸せな時がいつまでも続いて欲しいから...。」
そう言ってほのかは再びゆらゆらと燃える炎に目を向ける。

でもこの火はきっといつか消える。新しい光を迎えるために...。
でもそれは決して昨日までが消えてなくなるんじゃない。
昨日までの思い出は決して消え去ることのないよう、お互いの胸にしっかりと刻み込まれているから。


そしてたとえこの火がどんなに風で揺らいでも、
お互いの気持ちは決して揺らぐことはない、と...。



『ねえ、ほのか。実はもう一つプレゼントがあるんだ。』
「えっ?ホント?」
『うん。ほのか、ちょっと左手を貸して。』
「うん。でも何?」
『いいからいいから。ちょっと目をつぶって...。』
「えっ?ひょっとしてまた何か変なこと考えるんでしょ?」
『違うよ。ほら、早くしないと火が消えちゃう。』
「う、うん...。」
ほのかは俺がまたよからぬことをするのではないかとやや疑いの目線を向けながらも、静かに目を閉じた。
そして俺は、後ろに隠しておいた包みから小さな箱を取り出し、その差し出されたほのかの左手に静かに指輪を付けた...。
ほのかはその金属の感触が何であるかすぐに気付いたようで一瞬目をあけそうになったが、俺が、
『まだ目を開けちゃダメ。』
というと、開きかけた目を再び閉じた。
そして俺はその小さな箱からもう一つの指輪を取り出し、ほのかに右手を差し出すように言う。
そして差し出されたその小さな右手に、その指輪を乗せて、静かに握らせる。

『目、開けていいよ。』
「ううん、開けない。」
『どうして?』
「だって、開ける必要ないもん。」
『それはそうだけど...、できれば見て欲しいな。』
「ううん。そんなこと確かめる必要ないもん。あなたの気持ち、しっかりと受け取ったから...。」
そう言ってほのかは、目を閉じたまま俺に左手を出すように言う。
そして先程ほのかの右手に託した、もう一つの指輪を静かにその手に付けてくれる。
『ほのか、ありがとう...。』
「うん...。」
そううなずいたほのかの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
『今まで待たせてゴメン。そしてもう絶対に離れないからね...。』
そう言って俺はほのかを静かに抱き寄せた...。


そして揺らぐ炎が消えてしまう頃には、ほのかの生まれたこの日に、生まれたままの姿で互いの愛を確かめあう。
その形がなくなってしまっても、二人が見つけた光は決して消えることがないように...。

Fine...

1999.05.14 Writer:R.M.
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