(01.03.02) 霊術室のご案内へ









 霊術家、それはとても大変な仕事です。

 もっとも、それは霊術を職業にしている人の場合と言えます。年に1、2度くらいしか依頼が来ない人の場合は、大変だといってもそれほどではありません。

 ただし、他の仕事が終わってから、毎日2人くらいの方の依頼をこなすという人も、相当に大変です。仕事を終えて疲れている体で、さらに霊術を行なうのは実に大変な事です。

 ところが、この大変な仕事を大変だと思っていないのが一般の人達なのではないでしょうか。いくら詐欺をする悪い人達がいるからといっても、全ての霊術家が悪者であるかのような扱いは、一刻も早く、改めたいものです。

 一方、広い世の中には、この霊術家同士が対立して、呪いを掛け合ったりすることがあるそうです。実に情けない話ですが、残念ながらそのような事が現実にあるのだそうです。

 「神伝の法」の実習者の場合は、呪いに対処する法は習っていますが、呪いを掛ける法は習っていません。ですから、そうした心配はありません。

 ところが、中には、呪いを教える流派もあるようです。ということは、のっぴきならない事が起きる可能性があるのです。

 どうして、そんな事になってしまうのでしょうか。師に聞いたところでは、挌闘技と同じような面があるのだそうです。空手とかカンフーとかを習っている人達は、ただ習っているだけでは面白くないのでしょう。入門してしばらくすると、自分がどの程度強くなったか知りたいという気持ちになります。そうなると、やはり、誰かと腕比べをしてみたくなります。つまり、練習したからには試合をしてみたい、これが普通の心理なのだそうです。

 別に挌闘技でなくても同じ事が言えます。どんな事でも練習した人はやはり、その実力を試してみたくなります。大会に出場したり、発表会に出てみたいものです。

 ですから、人間にとって、腕を他の人と競いたいという心理は自然な心理です。その自然な心理が霊術家にも働くことがあります。呪いの技術を知っている人は、自分の習った技術を使って威力を試してみたくなっても自然なのだそうです。

 ピストルならば、試し撃ちをすれば、実際に撃ったらどうなるのかは容易に推測できます。刀でも同じでしょう。ところが、それでも、ピストルを持つと撃ちたくなったり、刀で人を切ってみたいと思ったりする人が出てしまうのです。

 そうなりますと、呪いを掛け得る人は、やはり、1度くらいは試してみたいと思っても不思議はありません。

 ましてや、霊術家同士が口論になった場合は、呪いを使ってみたくなるのは、自然な心理と言えるかもしれないのです。

 世間では宗教の信者同士がどちらの宗教が正しいのかで口論になったりします。また、プロレスのファンと空手のファンがどちらが強いかで口論する事もあります。はたまた、巨人ファンと阪神ファンが殴り合うことなどしょっちゅうです。

 霊術家といえども、神でも仏でもありません。自分の流派の優位性を主張したり、個人としての実力を語りたい気持ちは一般の人と同じだと思います。

 そうした結果、不幸が起きることが充分考えられるのです。

 霊術家には、そうした面を指導をする、口やかましい師匠がどうしても必要なのだと思います。

 霊術家は神でも仏でもありません。そうした事をよく考えて付き合う必要があります。呪いを掛け得る人と付き合う時は、喧嘩になった時の事まで考えておいた方が無難です。 

 それが恐ろしい人は、やはり、呪いの方法を教えない流派の方と知り合うべきでしょう。


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