11、霊 能 力 を 開 発 す る 技 術 (2000.05.26)

 霊能力を開発する技術は世界中に多数あります。けれども、実際に、それによって霊能力が開発されると思える技術はそれほど多くありません。

 中でも、有名な技術は、中国を中心とした「仙道の技術」、西洋の「魔術の技術」、日本の「密教、修験道、古神道の技術」などです。

 これら一つ一つの優劣を語る事は本意ではありません。ここでは、一般論として、霊能力開発の技術というものについて触れておきたいと思います。

 まず、大切な事は、霊能力の捕え方が、人によって少しずつ違っているという事です。

 たとえば、上記のいくつかの流派では、天使とか、精霊とか、あるいは、神、仏、龍、といった、霊的な生命体を呼び、その協力を願う事を強く意図する形式を持つものと、体内の気を動かすといった、自身の機能を発達させる事に主眼を置いているものとに大別できます。もちろん、これら両方の要素を兼ね備えている流派もあります。

 そして、一般論としては、前者は宗教的な信仰が前提になりますが、後者はそれがなくても技術の実修が可能になります。そのため、宗教的な精神を所持しなくても霊的な特殊能力を会得したと主張する人達が出現します。

 このことは、宗教が嫌いな人にとっては喜ぶべき事かもしれません。自分の主義を持ったまま、技術を所持できれば、特殊能力を会得する事も不可能でないからです。
 ところが、現実には簡単な事ではありません。本などで、気を操る技術を知り、盛んに実行してみても、本に書いてあるような特殊能力はなかなか身に付きません。それは、実際に師に付かないと、やはり難しいのです。師に付けば、それなりの約束事が伴うものなのです。

 前者の宗教的な技術は、それ以上に難関です。霊的生命体という自由なる存在を呼び寄せねばなりません。やはり、本などを独習しただけでは、なかなか成果が出るものではありません。

 スポーツを考えて下さい。教科書は確かにありますし、そこに間違いが書いてあるわけではありません。それでも、やはり、クラブに入っている人の方が上達が早いのです。つまり、きちんとしたコーチがいたり、仲間がいたりすると、自分の欠点も分かりますし、他の人とのレベルの違いも分かります。協力して練習する事もできます。

 しょせん、一人では致命的な欠点があっても、修正できずに時間ばかりがいたずらに過ぎて行ってしまうのです。そして、どうしていつまで経っても、何の成果もないのかと、溜め息を付くのが関の山なのです。

 どんな世界も甘いものではありません。特に、霊能力の世界は何よりも特別です。修験者が山に籠って数十年修行しても神通力を得る事が出来ない、という事が普通なのです。

 世間には、誰でも簡単に霊能力や超能力を持てるといった事を安易に説く本が多数出回っています。それは果たして信用できるのでしょうか。その本を読んだ大勢の人達が、果たしてそうした特殊能力を持ったでしょうか。

 先天的に特殊な能力を持っているという人も世の中にはいらっしゃいます。けれども、大多数のそうでない人達は、普通にしていれば物質しか見えませんし、物質しか分かりません。霊魂が見えることは決してないのです。それが知覚できる、感じられるという事は、先天的な要素を持つ人を除けば、よほどの努力をするか、あるいはよほど特殊な技術を用いなければ無理なのです。

 ゆめゆめ簡単には考えない事です。霊能力を得ようと試みると、その思いを知って、必ず霊魂が寄って来ます。ところが、そのほどんどはあまり感心しない霊魂達なのです。高度な修行をして、人間が高級な霊的な気を放出していない限りは、高い霊魂は人間のそばには寄りにくい、それが霊魂の世界の法則なのです。

 霊能力者に成ろうとして意識が正常でなくなったという人も大勢います。
 そして、実は、先天的に特殊能力があるという人の多くは、悪い霊魂に支配されていると思われます。

 霊能力を身に付ける技術は、それ以前に、霊的な身体や霊的に深い心理を調整した人でないと、本来、教わり、身につけるべきではないのです。