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霊的な生き方とは


2 愛のある人生

 世界中、どの宗教でも、愛を説いてきました。愛という言葉でなくても、慈悲であっても、その真意には共通するものがあるのでしょう。細いところは皆、違っているのでしょうが、宗教は皆、おおむね愛を主張しているように思われます。それは、いわゆるスピリチュアリズムであっても、神秘主義であっても、大差はないと思います。愛を悪いという教えは、真面目な宗教では、まず、ないでしょう。

 つまり、皆、愛が貴いことは分かっているのです。ではどうして、それを何度も言わなければならないのでしょうか。

それは、人間という生命体が愛とは遠い行動をする事が多いからなのではないでしょうか。

 人々の心の中に愛の心が入っているのは、皆、知っています。ですが、現実の社会はどうでしょうか。愛に反する行為で溢れています。それが問題なのです。言わなければ、悪くなる一方なので、宗教はそれを口やかましく言ってきたのかもしれません。それでも現実は厳しいようです。人はなかなか愛を行動で表わすことができません。それはなぜなのでしょうか?

 それはおそらく肉体を持って生まれたからなのでしょう。霊魂学では、肉体の仕組みを指摘しています。もしも、人が肉体を持っていなければ、心の中にある理想だけを語り、理想に沿った行動をすることが可能かもしれません。ですが、肉体を持って生まれてしまうと、そう簡単には行かないのです。

 人は食事をしなければ一日も生きられません。一食抜いただけでも、おなかがすいて動けなくなってしまいます。赤ちゃんは、自分一人では何もできません。人に限らず、全ての動物は食べるために必死になるしかないのです。ですから、ジャングルは弱肉強食になってしまいます。強い者が弱い者を食べて生きて行くしかないのです。そこには、善も悪もなく、愛も憎悪も入り込む余地はないのです。

 人間も、肉体を持つ生き物です。生きるためには、豚や牛を殺して食べるしかないのです。つまり、人は生まれた時から、食べる為、家や衣服を得る為、教育されて、生き続けているのです。受験教育は将来の職業の為なのでしょうから、結局、衣食の為なのです。

 そのようにして、他に打ち勝ち、勝ち組みになるわけです。自然にしていたらエリート意識で人を見下し、弱い人を弾き出すに違いないのです。これでは、負けた人達は犯罪にばかり走ってしまいます。それでは、勝った人にとっても住みにくい社会になってしまいます。いつ襲われるか分からない社会では困ります。ですから、心や道徳、そして、愛の教育が必要になるのです。大勢の人達が暮らしやすい社会にする為には、人には倫理が必要なのです。

 ただ、基本的には人は肉体を保持しなければなりません。どうしても食べなければならないので、他を押し退けてもチャンスを掴みたいし、他の人はどうなろうと、買い溜めしてしまうのです。頭では愛の精神が必要だと思っていても、自分の子供が食べられないとなると、なりふり構わなくなるのです。

 人は肉体の保持がまず必要です。その為には、競争に勝ちたいし、自分の子供をよその子よりも下にはしたくありません。ですから、どうしても、愛は口先だけになってしまうのです。

 世界中の人にまで聞こえるのではないか、と思うほどに大きな声で愛を叫んでいるのに、家に帰れば全く違う行動を取っている人がいます。その人は、自分でもその矛盾に気付いていないのかもしれません。今、テレビを見て苛められた可愛そうな子に涙し、それを助ける主人公に感動したはずなのに、次の瞬間には、近所の奥さんに意地悪する為に、打ち合わせの電話をしていても、自分は愛が深いと思い込んでいる人も大勢います。

 愛、それは貴い言葉です。ですが、口で言うほど簡単ではありません。

 霊魂学は、そんな自分達の本当の姿を自覚し、その未熟な自分を知る事から進歩が始まると主張しているのです。

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