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霊をさぐるためには?

霊的な生き方とは


3 霊的な人生?

 死後の世界があるとすれば、人はどう生きれば良いのでしょうか。昔であれば、地獄に落ちないように善い事をしろ、と言うのでしょうが、そう言うとしても、現代は価値観多様化の時代です。何が善い事で、何が悪い事なのか、人によって考えが違うと言えましょう。

 法律には従うとしても、その他の事になると、善し悪しの基準は人それぞれです。そんな時、宗教団体はいろいろと人生の基本を示しています。自分では考えられない、という人は宗教教団に入らなくても、本などを読んで参考にするのも良いかもしれません。

 ですが、宗教を悪く言う人達は、それには批判的です。宗教団体に入っている人達は、皆、同じ聖典を読んで行動していますので、皆、同じような事を言い、個性がなく、金太郎飴のごとしだと、批判する人は言うのです。それは、もっともな批判だと思います。

 ですが、霊魂学ではそのような批判の仕方はしません。宗教団体に入っていても、いなくても、他の人と考えが同じであっても、違っていても、どのようであっても自由だと主張するのです。要は、自分がそれを選んだのであれば、それは自分の人生であり、自分の責任だということです。それで、最終的に霊的生命体としての進歩が得られるならば、それはそれで問題はないというのです。どんなに立派な考えを持っていても、それが個性的であっても、肉体の脳の中の事にすぎません。実は、肉体の脳がどのような機能を発揮しようとも、霊的生命体としての本質にはそれほどの影響はないようです。

 つまり、霊魂学では、霊的な生命体としての人間を全体として捉えるのです。現時点では、『肉体』を所持して物質の世界に生きており、次は、『幽体』を使って、幽質の世界で生き、更に進歩した生命体は、更に上の世界で生きるという事なのです。 

 ですから、この世を幼稚園にたとえるとすれば、カトリック系の幼稚園でも、仏教系の幼稚園でも、そのどちらでもない幼稚園でも良いので、いずれ健康で元気に、小学校という幽体の世界に入ってほしいだけなのです。

 小学生になれば、もっと上の事を習います。幼稚園で全ての真実など分かるはずがありませんし、人の人格が完成するはずもありません。小学校の先生達から見ると、園児達が時には喧嘩する事もあるけれども、最終的には皆仲良く遊べる事が望みなのです。そこで、園児なりの社会性や人との交わり方を覚え、小学校の生活に馴染めるようになってほしいのです。

 ですから、霊魂学では、一人一人の生き方に干渉しないのです。上の世界の霊魂方からのメッセージを得て、多少の失敗を恐れるよりも自分で考えて行動し、困った時には幼稚園の先生たる先輩や園長たる指導者、あるいは、小学校の先生たる高級霊魂に相談して、苦難を乗り切ってほしいと考えるのです。園児が皆、幸福である事を願いますし、愛情溢れる子に育つ事を願っています。

ですが、園児一人一人は、個々の事情を持っています。お父さんがいない子もいれば、体の弱い子もいます。苛められやすい子もいれば、優秀な子もいます。様々な環境で育った子供達ですから、一人一人個性があるだけでなく、事情も違っています。ですから、むしろ何でも一律に教える事が無理なのです。

 規則は全員に共通ですが、指導の仕方は子供により様々です。毎日、いろいろな悩みを持つ子供達が、無事成長して小学校に入学できるように、霊魂の先生方も願っておられます。

 霊魂学では宗教的な教えや人生訓を強くは言いません。ルールは言いますが、生き方は基本的に自由です。ですが、宗教や宗教的な団体の教えで生活している幼稚園の子供達とも仲良くできる事を願っています。

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