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4 霊的な人生の根拠?

 いわゆるスピリチュアリズムや宗教の思想は何を根拠に人生に対して訓示するのでしょうか。

 もちろん、神や霊のお告げだからと言ってしまえばそれで終わってしまいますが、そうであるにしても、それぞれに根拠があるはずです。それは、いったい何でしょうか。

 たとえば、キリスト教の場合は旧約聖書にその基本があります。イエス師は教えを説きましたが、それ以前に、キリスト教には原罪という考え方があるのです。

 神様は人間を作られましたが、最初の人間が、神様が決して食べてはならないと言われた木の実を食べてしまったのです。男から女が作られたのですが、その女が蛇に騙されてしまったのです。その為、人間は楽園を追放されました。 そして、男は労働の苦しみを負い、女は産みの苦しみを負ったのです。女が男に従うのは当然ですし、労働は基本的に男の役目なのです。女性の社会進出は旧約聖書によれば好ましい現象とは言えないようです。初めに神様が万物を造り、人間は特別な存在として造られたので、人間が他の動物を支配するのは当たり前なのです。他の動物と平等に生きているわけではないのです。

こうした前提を理解すると、キリスト教本来の教えが理解できます。キリスト教も時代と共に考え方を変えましたので、現在では、原理主義的と言われるかもしれませんが、本来はそうした教えのはずなのです。キリスト教における女性の地位は低いので、男性がその教えに従えば、現代では浮いてしまいかねません。ですが、やはり、宗教の教えの根本は理解しておくべきでしょう。宗教の場合は、最初のお告げや聖典の記載が大事なようです。

 一方、霊魂からの通信を元にしたスピリチュアリズムは随分と違います。霊媒が複数いますので、どの説が正しいのかが問題になるのです。ですから、一人の霊媒からの説を信じている人達と、複数の霊媒による説を総合的に比較して、訓示としている人達に別れるのです。

 いくつかの有名な通信は、キリスト教の間違いや矛盾を指摘しています。ですから、現代の人達にマッチしやすいのかもしれません。そして、それらの訓示の違いを知るには、まず、それぞれの主張の違いを知らねばなりません。

 たとえば、生まれ変わりはない、というメッセージを信じると、人は死後の世界で永遠に生きるという前提が成立します。一方、生まれ変わる、と言うメッセージを信じると、死後の世界は一時的なものとなりますので、次に地上に生まれる事を前提にした生き方を考える事になります。更には、死後の世界で意識が進歩すると、やがて、大きな魂の集団に入り込むというような説を信じる人もいますので、その場合は、また別の訓示が出来上がります。

つまり、人が死後どのようになっていくのか、生まれ変わりはあるのかどうか、魂とはどういうものなのか、そうした霊的な事柄に対する捉え方の違いが、人生訓の違いを生んでいくのです。

 霊魂からのメッセージが感動的であればあるほど、それを信じたくなるのですが、それよりも、霊的世界の事実をどこまで正しく知っているか、人間の魂についてどこまで詳しく知っているか、それが一番の問題なのです。この点が最も正しいメッセージであるならば、たとえ感動的な訓示ではなくても、私達はそちらこそを知らねばならないのです。

 たとえば、仏教の教えは大変に深いものがあります。人間に対する造詣の深さは敬服する限りです。修行を積まれた高僧は、私達がとても及びもつかないほどに立派な説教をなさいます。ですが、霊魂を認めないという僧侶の話は、霊魂を前提にした生き方を知りたいという人達のためには何の役にも立たないのです。それが、たとえどんなに素晴らしく、感動を呼ぶ説教であったとしても、私達が知りたいそれではないのです。

 私達が一番知るべきことは、まず、霊魂の世界の実態、つまり霊魂とはどういうものなのか、そして、魂や霊魂としての身体はどのようなものなのか、そうした事実をどの通信が一番正確に伝えているかなのです。

その結論を出せば、自ずとより霊的に適切な人生に対する見方が分かると思われるのでした。

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