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霊的な生き方とは


5 霊的な事実の訓示

 世の中には霊訓という呼び名で出されている本もありますし、霊魂が語ったという本も数多く出ています。それらの中には参考になるような本もあるでしょうが、中には、これはおかしいと言える本があるのも事実です。霊魂からのメッセージにミスは付き物ですから、一つ間違っているからといって、それが全て偽物であるという事はできません。

 ですが、霊的な事実に大きな間違いがあれば、人間としてこの世を生きる上での間違いにつながる事もあります。ですから、そうした事柄については、より正しいと思える事を主張していかなければならないと思われます。

たとえば、生まれ変わりもそうですが、地獄、極楽についての主張も大きな事柄です。地獄が有るのか無いのかでは、地上での生き方が大きく変わってしまいます。また、仮にあるとして、どのような人が下の世界に向かうのか、そして、どのような人が上の世界に行けるのか、は特に大きな問題となります。下の世界に落ちるなど、皆、「いや」に決まっているからです。ですから、霊的な世界の主張を知る場合は、人生に対する訓示を知る前に、死後の世界はどうなっているのか、というような真実を先に学ぶ必要があります。

 多くの宗教や霊魂からのメッセージが、善い事をせよ、と勧めています。ですが、その善い事の基準は宗教によって、まちまちです。ある宗教では許された事が、別の宗教で許されません。実際に死んだ場合、どちらの宗教が正しかったかで、その後が大きく変わってしまいます。これでは、下の世界に落ちた方は納得できないと思われます。

 西洋では、その時々、その方が正しいと思って為した事であれば、それは善になる、という霊魂からメッセージもあるそうです。ですが、それはおかしな事です。それならば、キリスト教を批判する必要はありません。キリスト教でも、オームでも、それを正しいと信じて為した行為であれば、下には落ちない事になってしまいます。それはあまりにも不可解な説だと言えましょう。

 善い事、悪い事といった、あいまいな基準で死後が決まるとする教えには、大きな疑問が沸いてきます。私も霊魂学と出会うまではそうした事が謎のままでした。ですが、霊魂学に出会うことによって、すっきりしました。

 霊魂学では、霊魂の世界に上下はあるけれども、それは、善とか悪とかによって決められるのではなく、単に法則のままに、適切な所に入るのだ、という事でした。

 人はこの世で生きる間は、『幽体』という、霊的な身体を、肉体と重ねて生きています。そして、その幽体は死後に使用する身体なのです。その身体の状態が良ければ、それに相応しい霊魂の世界に入り、状態が悪ければ、良くなるまで、悪い状態の人が過ごしやすい世界に入る、というだけの事なのでした。人は、単に法則に沿って移動するだけという事でした。善も悪もなかったのでした。

 ある霊魂はこうおっしゃいました。

 「人は善い事をしたつもりでも逆恨みされる事があります。恨んでいる人は強い怒りの念を発します。それが災いして幽体が不調になる人もいます。そうした場合、すぐに上には向かえません。幽体が耐えられないからです。

 善い事をしているつもりでも、下の世界に入りやすい状態になる人もいます。ですが、幽体に良い影響が与えられれば、地上の世界に居るうちに良い状態に戻ることができます。」

 善い事をするのは結構な事です。悪い事ばかりしていれば、恨まれる事も多いからです。そういう意味では、悪い事をしていれば下の世界に入りやすいのは確かです。昔の宗教も間違っているとは言えません。ただ、厳密に言うと、正確ではないのです。

 愛の心を持って善い事をするのは大変に立派な事です。ですが、それが死後の世界の上下に直接的に関わる事ではないという事です。むしろ、人は霊的生命体として、どう生き、何をすべきなのかを学ぶ必要があると言えます。

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