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霊をさぐる
霊をさぐるためには?

霊的な生き方とは


6 何の為に生まれ、生きるのか?

 それでは、人はなぜ、この世で生きるのでしょうか。私達は皆、気が付いた時にはこの世で生きていました。生きるしかなかったのです。おなかがすいては辛いので、とにかく働く事が必要だったのでした。でも、本当は何か意味があるのでしょうか。

 最近、修行する為に生まれてきた、という説が出ているそうです。修行するというので、滝にでも打たれるのかと思ったら、そうではないとの事です。修行とは日常生活で心を磨くという事のようでした。

心を磨く事は大変良い事です。霊的、宗教的な分野の方でそれを間違いだと言う人は少ないでしょう。けれども、本当にそうなのでしょうか。それをそのまま信じるのもどうかと思ってしまうのでした。

 また、生まれて来るのは、高級霊魂が決めたからだとか、自分自身で親を選んだのだとか、いろいろな事を言う人もいるそうです。ですが、本当にそんな事があるのでしょうか。私は疑問に思うのでした。というのも、飢餓の土地で生まれてすぐに死んでしまう子や、犯罪行為によって生まれた子もいるからです。そうした子が親を選んだと言えるのでしょうか。また、出産で母が死んでしまう事もあります。母を死なせても生まれて来たいと思ったのでしょうか。

 そうした説を唱える人は何かしら理由付けをするのでしょうが、私には無理があるように思えてなりません。人が生まれるのは明らかに地上の男女の事情のように思えます。霊的な世界では生まれる必然を持つ魂がいる、という事であれば分かりますが、それでも最終的には地上の男女が避妊すれば決して誕生する事はできないと思うのです。霊魂の世界にはいろいろな状況があるのだと思われます。それでも、最後の決定権は地上にあると言わざるを得ません。地上の側の事情で生まれて来る人数も決まってしまいます。

 地上に生まれて心の修行をするのが目的であれば、霊魂からの重要なメッセージは、もっと子供を生んでくださいとか、今は生む必要はありませんとか、そんな事になるのではないでしょうか。それが本当に生きる目的であるならば。

 霊魂学は言います。

 「地上の人間の心というものは、肉体の脳によって限定されている。霊魂の世界で使う身体の脳ではない。幽体で生きる世界は、この世よりも遥かに広いし、期間も長い。当然、脳の限界も肉体より大きい。人にとって肉体の脳は自分という巨大な意識のほんの一部にすぎない。薬によって、おとなしくなったり、幻覚を見たり、歳を取ると正しく働かなくなったりするような脳では、意識が変わったように見えても大した変化はしない。人格者になったつもりでも、老いれば、勘違いばかりして、白い物を黒いと言って、自分は正しいと言い張ってしまう。どんなに立派な人でも肉体の脳の老化によって性格まで変わってしまう。

 人はその程度の意識の変化の為に修行するのではない。」

 霊魂学は人間を霊的生命体として捉えています。そうした霊的生命体としての意識全体の進歩を霊的な進歩と呼んでいます。たとえ、老いて認知症になり、脳が正しく機能しなくなっても、それで霊的な退歩はしないのです。

 肉の脳による表面意識の進歩は大事です。努力しなければなりません。ですが、肉の脳はしょせん肉であり、霊魂の全体ではありません。私達は霊的な生命体として、今、生きているのだそうです。

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