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霊をさぐるためには?

霊的な生き方とは


9 霊的生命体としての人生

 まずは下に落ちない事が大事でした。次に考えるのは、人間という霊的な生命体が地上でどう生き、何をしなければならないのか、という事です。

 実はこれには複雑な問題が絡んでいます。生まれ変わりという問題を語らねばなりません。どうして、あるいは、どのようにして生まれ変わるのか、という事が分からないと人生の意味は見えてこないのです。ですが、これは問題が大きく複雑ですので、HPで語るには少し無理があります。そこで、これに関しましてはあまり触れないで結論に至ります。詳しく知りたい方は霊魂学を本格的に勉強される事をお勧めします。

 ここで表現したいのは、霊的な生命体の本性です。霊的な生命体は霊魂として進歩向上するように出来ているそうです。それは、地上の人間の心が赤ちゃんの時から少しずつ勉強していき、複雑な事が理解できるようになるのと同じなのでしょう。

 ですから、霊的生命体としての人間も心と同じで進歩していければ良いのでしょう。ですが、現実は簡単ではありません。幽的な栄養が少ない時代です。肉体の脳を使用する心は変化していっても、人間の本質としての霊的な意識は何ら進歩することがないのでした。

 つまり、霊的な進歩向上をするためには、日常生活を正したり、善行を積んだりするだけでは無理なのです。それは、人間が物質ではなく、霊魂だからなのです。

 人間は社会を作って生きる生命体です。ですから社会を上手に生きる為には、社会性も必要ですし、一定の倫理や道徳は身に付けねばなりません。これは、人間であれば誰であっても必要な事です。別に宗教やスピリチュアリズムを信奉する人達だけに必要な事ではありません。

 もしも、人が社会人としてそれらしく生きる事だけが人生の意義であるならば、宗教的な信条は不要なのです。唯物論の社会の中で道徳や倫理に基づいて生きれば良いのです。

 では、なぜ、宗教やスピリチュアリズムが必要なのでしょうか。人は、社会人として立派であれば、それに越した事はありませんが、それ以上に、霊的生命体として、神や仏等、信仰対象となるような高貴な存在に対して意識を向けて生きる事が大切なのでした。

 そうした精神に基づく生き方をしないと、高級な霊的生命体との接点が得られないからです。 唯物論者で神も守護霊も大嫌いだという人に対して無理やり力をかける事は、その人の自由意思を踏みにじる事ですので、高級な存在になるほど決してなさらないのです。ですから、昔の達人は「求めよ、さらば与えられん。」と、言われたのだと思います。人は高貴な霊的存在との接点を持つ事を求め、自らの霊的な成長を求めて生きる必要があるのでした。

 この世に修行の為に生まれてきたという考えは、実は間違っているとは言い切れません。ただし、修行の中身は、単に肉体の脳を使用する意識の成長だけではなく、幽体の脳を使用する意識、更には、それ以上の意識の成長をも含んでいたのです。そして、それは、万人に可能な事だったのです。

 人は肉体を着る存在になってしまいました。その理由はともかく、それが現実です。その為に、霊的な事が分からないのです。ですから、仕方がない面もあります。しかし、高級な霊魂方はすでに沢山の情報を伝えてくださいました。もう言い訳はできません。知り得るのに、知ろうとしないのは、その人の自由意思による選択だからです。その結果はその人が自分で受け取るしかないのです。

*詳しくは 『霊的進歩』 をご参照ください。

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