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霊をさぐる
霊をさぐるためには?
霊魂学の目標


4 霊的な訓

 大勢の人達が霊的トレーニングを行ない、一堂に集まり霊的な集会や行事を行なう時、その場には、高級、かつ高貴な力が降り得るようになります。

その時、そこに集まる人達の霊的な身体や霊的な意識は、その場の高級な影響を受け、変化しやすくなります。それは、個々の人達がこの世に生まれて為すべき課題を達成しやすくするだけでなく、霊的生命体としての進歩を促すことに繋がります。

 霊的な進歩は人間という霊的生命体のテーマでもありますので、存在そのものの価値を高める事に繋がります。



 つまり、霊魂学は、人々が単に学問的な意味で学ぶにとどまらず、霊的トレーニングの実践の中で、それぞれの方が、それぞれに、更に深めていってほしいものなのです。

 他の学問であれば、大抵の場合は、勉強ができる人ができない人よりも上に行きます。ですが、霊魂学はそうとも限らないのです。霊的トレーニングを深める事によって改めて理解できるようになる事が多いからなのです。

 たとえば、頭だけで「高貴な気」と言ってもまるで分かりません。ですが、霊的トレーニングを実践しながら、霊的な行事に参加していくうちに、独特な感覚を直感できるようになってくるのです。これは、いくら本を読んでも決して分からない事です。

 人は、死後の世界でもずっと生き続けて行く霊的生命体です。ですから、この世を去る時に消えてしまう肉の脳は、本質ではないのです。肉の脳だけの勉強では決して掴めないもの、それが、霊的生命体の本性なのです。

 ということは、人間は霊的トレーニングを行なわない限り、自分の正体が分からない、ということなのです。そして、それはただ単に霊的トレーニングを習ったから理解できるというものではありません。形だけのトレーニングでは会得するにはとうてい及ばないからです。技法だけを習い、心は他にある、では何の意味もありません。

なぜならば、霊的トレーニングは高貴な霊魂方が関与して初めて成立する訓練だからです。心が他にあれば、そうした霊魂方の力は降りて来ないのです。これが、体育との違いです。スポーツであれば、コーチの事が嫌いであっても、練習を重ねれば、上手になって行きます。ところが、霊的トレーニングは指導の為に働いてくださる高貴な霊魂方を無視しては成り立たないものなのです。

 人が霊魂である限り、肉体の脳だけでは真実は知り得ないということです。

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