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霊をさぐる
霊をさぐるためには?
霊魂学の目標

5 霊魂学の夢

 肉体の脳を使用する意識、これは、年齢と共にしか成長しません。小学生が大人の恋愛を語っても、やはり、それは、小学生のレベルでしかありません。知識だけがたくさん詰まっても、肉体の成長が伴わないと、心理も伴ってこないのでしょう。

 つまり、「肉体が成長しないと成長しにくい意識」があるのです。霊的な身体にも同様の面があるそうです。霊的な身体が成長していない人の霊的な意識は随分と未成長なようです。霊的生命体としての人間を考える時、霊的な身体の成長は不可欠なようです。

 この世を生きる為には、人は自己中止的すぎてはいけません。誰でも肉体を持っている限りは自己保存の本性を持っていますが、だからこそ、皆が皆、自己中止的になると、対立と争いばかりになり、お互いに住みにくくなってしまうからです。

 ですから、なるべく大勢の人達と仲良くできる社会にする為には、相手の事を考えた発言や行動が必要になります。

 とはいえ、人は動物の身体の所持者です。自分の子供を犠牲にしてまで動物を守る事はできません。肉体を持っている限界を自覚しながらも、社会人としてより良い行動をするように心掛ける事が必要になります。それが出来ていれば、後はどのように生きても、それはその人の自由です。霊的生命体としての人間は基本的に自由を好みます。それをあまりに抑圧してはいずれ爆発してしまいます。

 ですが、人は目的の為であれば、自由を殺しても我慢できる事があります。

 たとえば、優勝の為であれば辛くても走れます。合格の為であれば、見たいテレビも我慢できます。それを我慢しなければ目的は達成できません。人は目的があれば耐える事ができますし、心を強く持つ事もできるのです。その目標が霊的な生命体としてこの世に生きる意味に沿っていれば最善なのでしょう。そうではなく、ただの肉体の脳の満足の為であったなら、その時は良くても、その時だけの喜びや栄光となることでしょう。

 受験の合格、スポーツの優勝、恋愛の成就、どれも皆、人間にとっては大きな喜びです。達成して心の底から喜ぶのは素晴らしい事です。皆が皆、そうなれば良いと思います。ですが、現実は違います。何事も、勝者の影には敗者あり。敗者の涙の重さを知っての勝利であれば更に貴いのかもしれませんが…。

 いずれにしましても、全員が勝利の喜びを得る訳ではありませんし、その勝利は、霊的生命体がこの世で為すべき事とも限りません。

 問題はそこなのです。いかなる喜びも霊的な意義を持っていないのです。素晴らしい事ではありますが、それは、高級霊魂から見ると、むしろ、どうでも良い事なのです。人々は神や仏に勝利や成功を願います。ですが、真の高級霊魂から見ると、刹那的な喜びにすぎないと言えるのです。

 スポーツの選手が立派な成績を出せば、マスコミも大々的に取り上げます。それは、この上なく素晴らしい事なのでしょう。そして、それは、大勢の人に夢や勇気を与えたのかもしれません。その事自体は素晴らしい事です。

 ですが、人はその為に生まれた訳ではありません。人が霊的な課題をこなせた事、それが真に立派な偉業なのです。その他の事は立派で素晴らしい事ではありますが、その次の事なのです。

 強いて言えば、霊的な課題をこなした上に、何かの勝利や成功も得たのであれば、言う事なしなのかもしれません。

 

 霊魂学、そして霊的トレーニングは人間にとっては不可欠です。この世で最も大切で貴い行為だと思っています。その他の事は、それを前提にして考えるならば最良でしょう。

 霊魂学の目標は、人々が霊的生命体として真に為すべき事を知り、それを目指す事であり、ついには、神的存在の力がこの世に降りるような理想的な状態を作る事なのです。

それが単なる夢で終わらない事を願っています。 (「更に知りたい方のためのページ参照

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