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霊魂学の主張

悩み編

9 悩みの克服

 人は悩まないと成長しないとも言われています。ですから、多少の悩みは仕方がありません。ですが、その悩みが重すぎては困ります。 悩んで成長する前に心が潰れてしまっては、本格的な心の病気になってしまいます。最悪の場合は自ら生命を絶つ事になってしまいます。そうならないように、悩みはなるべく小さいうちに解決しておきたいものです。

 悩みにもいろいろな種類があります。努力もしないのに有名校に入学したいとか、誰かの足を引っ張って自分が上に立ちたいとか、そのような悩みは単なるわがままですので、それは、その人が自分で解決すべき問題でしょう。

 そうではなく、これは何とかしてあげたい、と思えるような悩みもたくさんあります。悩みを相談できる家族や友人がいる人は幸いです。ですが、相談相手がいない人もいます。また、相談しても、簡単には解決しないというケースもあります。

 そうした時の為に公共機関やカウンセラーが必要だと思うのですが、なかなか、それで解決するというものでもないようです。話を聞いてもらって楽になったと言う人もいると思いますが、それだけではどうにもならない悩みを抱えている人もいるようです。

 では、そうした人達はどうすれば良いのでしょうか。そのままじっと耐えて時が解決してくれるのを待つ、という人もいるでしょう。その場合、心の負担がどんどん大きくなって行くうちに、心が疲れ切らなければ良いのですが…。心が不調になる前に、何とか悩みを軽くしなければなりません。悩みは軽いうちに解決するのが得策と言えます。

 そのためには、まず、悩みの本質を検討する必要があります。悩みの原因は何なのかを考えてみるのです。

 たとえば、背が小さい、という悩みだとします。この悩みを解決するには二つの手段しかありません。一つは、背を高くする方法を考えること、もう一つは、背を高くすることは無理だときっぱり諦めて、どう生きるかを考える事です。

 まだ成長期であれば諦める必要はありません。いろいろと調べて最善の手段を判断し実行するのみです。ですが、一定の年齢を過ぎていたとします。実際には、それでも背が伸びるという宣伝もあるそうですが、ここでは、分かりやすく、無理だとします。

 その場合は、靴を高くするなどして工夫する、あるいは、背が低い事を前提にして生きるしかないと言えます。靴では限界があるとすれば、背が低い事を受け入れて生きるしかありません。

 その場合は、それを気にし過ぎて萎縮すると、かえって魅力が無くなってしまいます。芸能人の方でも背が低い人は大勢いらっしゃいます。それでも、スターでいられる人もいます。結局、他の部分に魅力があればカバーできるのです。

 つまり、現象を変え得る部分は変える努力をして、変えられない部分は他で補うことを考えるのです。

 それでも、どうしても駄目だ、という人もいるかもしれません。なぜならば、人は心で生きています。実際はどのようであっても、自分が魅力的だと勝手に思い込んでいる人はルンルン気分で歩いていますし、その逆の人はうつむき加減に生きているものです。他の人には魅力的に映っていても、勝手に下を向いている人もいるのです。こうした人には心の転換が必要です。

 人は悩みが尽きない生き物です。どのようであっても、大なり小なり悩みはあるものです。それは、人が霊的な荷物を背負っているからなのです。

 だからこそ、信仰心が必要なのです。実は、霊的な意味での『信仰心』とは、困った時に頼る心理ではなく、霊的生命体として生きていくために必要なものなのです。

 信仰心は自由意思の法則により、より高級な霊魂を呼び得るからです。それが、守護霊であったり、指導霊であったりします。

 そして、いわゆる高級霊魂ほど、神霊に対する敬愛が深いのです。ですから、地上の人間が、神霊を愛する、神霊を求める、という気持ちは、守護霊、指導霊とも一致した思いとなるのです。気持ちが一致している方がしないよりも良いに決まっています。

 人は追い詰められると孤独になってしまいます。そんな時、守護霊、指導霊の存在が大きな救いとなります。なぜならば、守護霊、指導霊は、人が霊的生命体とし進歩を求めている限り、常に味方だからです。

 地上の人間ではどうする事もできない悩みもあるでしょう。そうした時、心の支えとなるのは、やはり、守護霊、指導霊、そして、神霊なのです。地上の宗教的組織は信頼できなくても、神霊は別です。宗教組織は肉体を持った人間ですから、時として間違いも犯しますし、欠点もあります。ですが、神霊は別です。

 霊魂学では、霊的な存在して一番高貴な存在を『神霊』と呼んでいます。恐れ多くてお名前を呼ぶ事もありません。ですから神霊なのです。

 霊魂が実在すれば霊魂の世界があります。そして、高級な霊魂も、その逆の霊魂も存在します。そうであれば、その一番上の存在を神霊と呼ぶというのですから、霊魂の存在を認めるのであれば、神霊の存在も認めるのが自然なのです。

 神霊が実在するのであれば、神霊を愛し、求めるのも自然な事です。

 私達はそれでもどうしても頭の中でしか神霊が分かりません。ですから未熟なのです。

 そんな未熟者ですから、悩みも終わりがないのでしょう。

 そんな悩みを一つ一つ解決しながら、進歩を求めるならば、神霊の御力によって地上に誕生した霊的トレーニングは、いずれ未熟な私達にも一滴の甘露をお与えになることでしょう。

(110922)