霊 的 進 歩

10.霊的真実 (01.06.01)




ある霊魂がこんなことを言っていました。

「人々は自分の考えを絶対視している。だが、それが霊的真実に照らして正しかったことは一度もない。なぜなら、それは肉の脳の限界の範囲にあるからである。だからこそ、人は達人に教えを請うべきなのである。」

更に、別の霊魂がこう言いました。

「最近の神秘哲学には大きな欠点があります。それは、何も知らないのに知ったようなことを言うことです。それは真実を遠ざけ、霊的な進化を遠ざけます。

たとえば、こうです。

ある人が特定の宗教を信じている人に対してこう言いました。
『あなたはその宗教の教義の中に自分を押し込めています。それは、自らに限界を作ることです。』

その信者は、それを聞いて、
『自分は何が正しいかなど知る由もありません。ただし、自分よりも先を行く人に謙虚に学んでいます。あなたは、他人の考えを間違いであると指摘することにより、自らの考えに限界を作っているのではありませんか。』

私はその2人の会話を知って、宗教の信者に感心しました。しょせん、宗教の教義は、あらゆる真理を表現することなどありません。ですが、神や仏を信じ、それを敬い、自分に力を与えてくださることに感謝するのは大変よいことです。それによって、その宗教教団に働く高級霊魂からの力を得ることが出来ます。

たとえ宗教教義に間違いがあっても、地上の宗教は真理への道の過程にすぎません。それはむしろ、当然なのです。その過程を一歩一歩進んで行くにしたがい、より高度な思想に巡り合えればそれでよいのです。

宗教団体にとって大切なのは、教義の高低よりも、高級な霊魂の影響下にあるかどうかということなのです。そして、問題なのは、そのような高級霊魂の指導下に入った宗教が大変少なくなったことです。

最近は、一宗一派を信じる人達を蔑む傾向があります。ですが、自分が頭を下げて先輩から学ぼうとせず、霊的事実ではない事を信じている人が大勢います。

そのような人達に高貴な光が輝くことはありません。肉の頭で考えられた哲学はどんなに高度に見えても、事実でなければ意味がないのです。つまり、神を求めて何も見えなくなっていても、そうでなくても、それらは霊的成長のための様々な段階にすぎず、善くも悪くもないのです。

一方、悟ったような顔をして宗教教義からの脱却を主張する人達は、それによって、先輩から学ぶことにより高い気を得るという事が出来なくなっているのです。なぜなら、自分1人では、普通は自分の霊的レベルよりも上の気を吸収することが出来ないからなのです。

人々がどんなに立派な思想を語ってみても、思想は、ひとつの考え方にすぎません。ですから、高級な幽体や霊体を持つことはないのです。大切なのは、真剣に神を信じ、神を愛することなのです。

イエス師が言われるとおり、最も大切なことは、『父なる汝の神を愛せよ』、それに尽きるのです。」


そして、更に上の段階としては、霊的なトレーニングにより、確実に霊的変化を起こすことなのだそうです。



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