霊をさぐる



  1. 4 邪教からの脱出について (2015.07.10)

    家族が邪教に入りました。
    どうしたら、抜けさせられますか?

    邪教と言っても、本人達はそう思っていません。まず、それを理解する必要があります。

    神や霊魂を信じない人達の間では、邪教というと、『カルト』などと言われ、反社会的な活動をしたり、強引な布教をしたりと、社会に迷惑が掛かる宗教団体を指しています。

    そういう意味では、周囲の人達は、その団体の活動方針が社会の倫理に反している、ということを説明すれば、その宗教を信じている人が納得してくれる、と考えがちです。

    ですが、ほとんどの場合、それでは納得しません。
    なぜならば、社会と宗教では、宗教の方が重いからなのです。

    例えば、ある国が、それまでの法律を変えて、妊娠中絶を合法化したとします。中絶を神の教えに反すると考える宗教の人達は反対運動をします。それは、小さな生命の殺害だからです。

    法律が正しいといっても、それは多数決の社会における議員の判断に過ぎません。神の判断と比べる対象ではないのです。

    ですから、宗教というものは、法律が「違法だ。」と言っても、素直に「はい、分かりました。」と言うとは限らないのです。


    という事は、一般の人達が反社会的だという行為は、法律に違反していたり、一般の人が倫理的だと考える行動と一致していない、というに過ぎないのです。神の教えの方が正しいのですから、反社会的だと言われても、納得する事はむしろ少ないのです。


    では、そうした宗教の教えは正しいのでしょうか。

    神や霊魂を信じない人達の良識と、神や霊魂を信じる人達の良識は違います。それを前提にしなければなりません。信じない人は軽い気持ちで教祖の悪口を言います。ですが、信じる人は、そんな人の言う事など聞く気になれません。

    例えば、一般の人が自分の親に対して侮辱的な事を言ったらどうでしょう。差別的な発言をする人の話を真面目に聞く気になるでしょうか。むしろ、怒って、喧嘩になるのが普通ではないでしょうか。

    教祖は一般の人から見れば詐欺師でも、信じる人にとっては実の親のような存在なのです。それを考えないと話し合いは成立しません。

    実は宗教の世界は、何が正しいのかをはっきりさせる事が難しいのです。


    真言宗と天台宗は大論争しましたが、お互いに一歩も引きません。それは、物理次元の話ではないので、霊魂の世界と同じで、絶対にどちらかが正しいとは判定しにくい分野だからなのです。誰も見たことがない神や仏を議論しても、どちらかが完全に折れるという分野ではないのです。


     

    ですから、邪教の間違いを指摘するだけで、納得してくれる人であれば良いのですが、そうでない場合は簡単ではないのです。

    そうなると、その人がそうした宗教を信じるに至った経緯や動機、そうしたものを知ることが早道です。


    孤独で友達が欲しかったという人もいれば、親が嫌いだったから、という人もいます。純粋に理論に感動したと言う人もいるでしょう。そのような人に対しては、論戦が有効な場合もあるでしょう。ただし、その人を上回る宗教知識が必要になります。

    一人一人事情が違います。一人一人の人生は重いと知るべきです。個人の人格の尊重が必要です。


    いずれにしましても、まず、信仰が自由であること、ただ教団や教祖の悪口を並べても、反対を向かれてしまうという事を考えて、むしろ、その信者が感動するような宗教理念を教えてあげる方が解決が早い場合があります。