MINI 1300の思い出

 

後編

 


〜発進!!行くぜ!野郎ども!〜

 

って来たのは、濃いぃ顔をした女の子であった。
俺達ふたりは『兄さん』というあだ名を付けた。なんか、ブル中野っぽい。
俺はこの表現を控えようと思ったが、ウソは書けない。どうしても。


だから書く。あえて書く。『ブル中野』

ブルは、なんとミニ乗りの友達がもうひとりいると言った。
(じゃあ、なぜ初めからそいつを連れてこない!!と思った)
そしてその友達もやって来た。友達は、なかなか男前である。
ちなみにブルのミニは赤だが、屋根まで赤いミニ。
その友達の子は、シルバーのボディに黒いルーフのイカした
左ハンドルのミニ1000だった。なかなかシブめ。


我々4人は、すぐに意気投合した。
そして、ここにミニ・オーナーズ・クラブ『名前なし』が誕生したのだ!

先のシルバーのミニの彼は、家が工務店で坊ちゃんである。
したがって我々は彼を『若』と名づけた。以後、ずっと『若』と呼ぶようになる。
で、話は戻るが、やるからにはもっとメンバーを増やそうということになった。
しかもタイミング良く、若がこの会合の翌日に雑誌で
呼びかけしてた場所に行くというではないか!
そこでスカウトしてこい!という初指令を俺が出した。
俺の指令としては、知り合ってわずか20分での最短記録である。



そうして、数人が集まった。
名前はこれ以上出すとめんどくちゃいのでやめとくね。
我々の目的は、楽しむことだけである。
何も真剣にレースに打ちこんだりするワケではない。
ただただ、アットホームに、ほのぼのとみんなで走れればいいだけである。




もちろん、ツーリング主体となるのは言うまでもない。
それにちょこっと、会合があるだけだ。



第1回の集まりは(っちゅうか、この後もずっとやけど)ファミレスで行われた。
ここで話すのは車のネタばっかり。そらそうやな。
ミニのクラブやねんからな。ミニスカートのクラブやったら、
もうちょい盛り上がり方も違うねんやろけどな。



ところで、Oくんは俺よりも金持ちだったので、
徐々にその差は広がっていってしまった。
ミニの問題点といえば、エンジンのブレによる振動や、
ホイルのハブのガタ、OIL洩れ、ライトの暗さ、などがあるが
それはスベテ、キットを取りつけることによって万全の対策が施されていた。
中でもJANSPEEDのマフラーは、カッコ良かったなあ。
車の後ろに立ってたら、顔面に排気が直撃するくらい抜けが良かった。
音質もまあまあ。
ワシもマフラーが欲しくて欲しくてたまらんようになってしまった。



ちょうど1月やったんで、俺の誕生日も近かったんで
当時の彼女にでも買ってもらおうと思ったが、いかんせん高い。
3万以上はする。しかも『マフラー欲しいねん』とか言ったが最後、
編まれたりでもしたらシャレにも何にもならん。
っちゅうワケで、自力で買うことに決めた。


当時の定番はブラバム・ルーキーという名の、センター出しマフラーが
流行っていたのだが、それは溶接せなあかんし、
みんな付けてたからイマイチ嫌やった。
そこでイロイロ探したのだが、なんとタイミングのええことか!!
日本製のマフラーで、車検対応の、しかも溶接なしの
ボルトオン・タイプのマフラーが出たではないか!!
しかもアルミ。バフ掛けされたフォルムも非常に美しい。
スーパーモデル並み。
トレビアの泉でタモリも20へえー出してしまうくらい完璧である。

 

名前は、名前は、・・・・あれ?名前は・・・あかん、忘れた!!
まあええわ。思い出したら書くとしよう。
しかしそいつは6万くらいしたんちゃうかな?
とにかく発売されてすぐのものやったから高かったわ。
尼崎の『ロンドン』においても、まだ取り付け作業をしたことがないと言うくらいだ。


俺は音も知らんのに、カタログで見ただけで決めてしまった。
その輝くスタイルに惚れこんでしまったからだ。
そんなことより、金はどうするねん!ま、なんとかなるわ!って感じで注文した。

一週間ほどで、それは届いた。


早速、LONDONの鈴木店長に取り付けてもらう。
『この車が第1号や〜』と、相変わらず#5くらいにカン高い声を出して、
店長は作業にとりかかってくれた。30分くらいかけて、ようやく終了した。


おおおお!!

今までのように、頼りなく車体の端っこから細い管が出てるイメージは、すでにない!
真ん中から、堂々と出ている。
それはまるで、スペースシャトル『ディスカバリー』を彷彿させる。
今にも真っ赤な炎と、ごうごうとした白煙を吐き出すような雰囲気を醸し出している。
もしかして、300キロくらい出たらどうしよう、と心配になるほどだった。

エンジン始動!!!

 

ブロロロロン・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ぬおおおおおお!!!!

 

なんか違ーーーう!!クッサイ音ーー!! 

 

6万出したのに、なんちゅう音やねん。
JBLのスピーカーと仁川小学校の校内スピーカーくらいの差があるやないか。
え? 仁川小学校て、ワシの母校やがな。

 


しかし、誰が責任取るねん。
これじゃあ、満足できん! しかも抜けもイマイチみたいや。
抜けてくれ!もっと!抜けてくれていいんだよう!
髪の薄くなったオヤジが聞いたら卒倒しそうなセリフだが、それでも
いいんだよう!抜けてくれて!

 


でもしゃあない。ここはひとつ我慢しよう。
俺は少々ショックを受けつつも、笑顔を連発している店長に
文句のひとつも言うことが出来ずに、そのまま帰った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

ずっとこんな↑気分であった。

うさ晴らしにスピードを上げてみる。

     すると!何ということだろう!!     

 

 

 クオオオオオオ!!!

 

素晴らしい!このストラディバリのような感動の音色は一体どういうプレーや!!
抜けるような青空のような音だ!
これか!これなのか!?これが実力なのか! 
さながら天へでも昇るような気持ちだ!



これまではスピードを上げると、断末魔の叫びのような
感じであったが、それも今はまったく違う。まるで別人だ。
同窓会で会ったとしても誰ひとりとしてわからんくらいなのだ。
まるで、解き放たれた奴隷たちの歓喜の声のように、
魂の叫びがストレートに出ているかのようである。
見事だ。これはすでに芸術だ。フェラーリの音がピカソだとすれば、
この俺のミニの音は山下清くらいまではキテいる。
そこそこ天才的だ。 そこそこて!

俺は一気に元気を取り戻した。
険しい山の上の大きなお城に、10年もの長い間幽閉されていた娘がママとパパの
元に帰れたときに見せる笑顔と同じような笑顔を、俺もしていたに違いない。

なんか、ようわからんがとにかく嬉しいということだ。平たく言えば。
不安は一気に雲散霧消した。バンザーイ!!!

 


 

日に日にマフラーの音は、ごっつええ感じになっていた。
裸足の季節の頃の松田聖子から、ハートのイヤリングの頃の
松田聖子への移り変わりと言えばわかってもらえるだろうか。 古すぎてわからんか!?



マフラー変えてイキッてた俺だが、さらに走りを極めるために
サベルトの4点式も導入した。これはすごいよ。
カチって締めると、気分はまさにパイロット。
万年筆ちゃうで。

 

 

我々のクラブで走りに行くことになった。(急に話しが変わるが)

神戸、西神のワイン工場へ行くことにした。
ここでバーベキューをしますのよ。牛、殺してバラバラにした肉を食うのよ。
狂牛病なんかこの頃はウワサすらなかったのよ。マジで。

 


初めて6台で出かけることになった。
阪神高速も北神戸線はガラガラ。天気も最高。そして俺も最高。
女の子(と、言ってもブル中野)もいるし、ゆっくり走っていく。
ツーリングってこんな感じやもん。



しかも、夫婦で参加が2組あったんで、なおさらゆっくり。
そういう状況下で、ひとりでキミ・ライコネンみたいな走りは出来へんやろ。
オレ・ダレヤネン!
高速を降りて、下の道を走るといろいろな人に手を振ってもらえた。
ワシらはタマちゃんか。。

mini.jpg (31507 バイト)



ほどなくワイン工場に着いた。
ここでは家族連れが多くて、写真も撮られた。
昔は6台も連なっていると、笑顔を出してくれる人もいなければ、
写真も警察にしか撮られなかったのにな。
今はなんてアットホームなんやろ、とさえ思った。




この時のツーリングっちゅうか、ドライブは楽しいモンだった。
ただただ友達とドライブっていうのと、全然違うからな。
徒党を組むのは嫌いではないし。
NETの飲み会(いわゆるオフという集まり)みたいな感覚やわ。



共通のモノを通じて、人と知り合うっていうところとかが。
まあ、大なり小なり色んな人がおるから、同じミニでも
楽しみ方が全然違う人もおるねんけどね。

 

 

季節は春になる。

そして俺とOくんは非常にラッキーな経験をすることになった。
ミニの専門誌であり、このコーナーの名前でもある『ミニ・フリーク』に
我々ふたりのミニが載ることになったのだ!



雑誌の取材やでー!取材ー!!



俺は慌てた。今のミニではいかん。まだまだ未完成のミニを、
全国のミニ乗りたちに見せるワケにはいかん。
そこで俺は、さらなるドレスアップを施すことにした。

 

 

まず、しょーもないライトをスリーポイントのハロゲンヘッドにする。
これはライト本体の中に、ベンツのマークのような
(あるいは三菱のマークのような)デザインの入った、
昔ならではのアンティークなものである。
性能云々よりもデザインが強烈に深いインパクトを与える。
ディープ・インパクト。



それからウィンカーを白に変える。
これには2種類ある。ひとつはプラスティック・レンズを交換するもの。
これはレンズのみなので、非常に安価だ。
もうひとつは、Assyからスベテ交換するガラスレンズの白ウィンカー。
ポジション・ライトも内臓しているもので、古い
クーパーにはこれが用いられていた。
俺が選んだのは当然、後者である。1万円以上はしたと思う。

 



これで万全。あとは交換していない箇所を探すだけでも苦労するほどになった。
全とっかえである。
あさひ美容外科でもこれほどの全とっかえはできまい。
高須先生あたりはやるかもしれんが。
俺はこのおかげで極貧生活を余儀なくされてしまった。
だが、自分のメシよりガソリン代の方が大事な俺である。
だからミニは肥えて、俺は痩せる。
デブが聞いたら、畳たたいて悔しがるほど理想的なダイエットであろう。

 



もし、これを読んでる人で痩せたいと思ってる人は、まずミニに乗りなさい。
そして、俺の真似をしてください。そらもう半年後には、
自信持ってシャンゼリゼ通りを闊歩できるようになるから。
ロデオ・ドライブで買い物も出来るで。ジュリア・ロバーツみたいに。
あ、でも行き過ぎたら俺みたいにゾンビっぽくなるから、ほどほどにな。

さて、いよいよ取材の日がやって来た。
朝から洗車して、横山ノックも謝ってくるくらいピッカピカ。
天気はまあまあ。少し曇っているが、なんてことはない。
待ち合わせのLONDONへ、Oくんとともに出向く。



そこには、ミニフリーク誌で何度か見かけた編集部のミニがすでにあった。
そして今回の参加者であろう人々も、すでに集合していた。
で、みんなして阪神高速に向かう。壮観である。
15台以上のミニが走っている。今思えば、恥ずかしすぎる。
でも、なんか得意げにワクワクしながら走った。



神戸の摩耶埠頭で撮影は始まった。30台くらいは集結したと思われる。
我々2台の取材時間は2時間後くらいであった。
我々のミニは『ツインズ・ミニ』とかいう形で紹介された。
ほとんどが同じ仕様だったので、そう呼ばれた。
んなもんだから、後に地方に行っても『ツインズ・ミニ』を知ってる人がいた。
なかなかの影響力。



この頃にNETしてたら、確実にミニのサイトを作ってたわ。
っちゅうか、あの頃やったらNETでメンバー募ったりしたんやろなあ。
ほんでもっともっと全国規模になって、ますます金がかかって、
ますます痩せたんやろなあ。



ワシらはさらに、ミニ・フリーク主催のミーティング
『第1回ミニ・スーパーミーティング』にも行った。
これは毎年静岡で行われる『クラブ305』に続いて、
大きい全国規模のミニ好きの集まるイベントである。
場所は岡山の英田。Tiサーキットである。



めっさ田舎。とにかく田舎。チカラいっぱい田舎。
何が何でも田舎。まぎれもなく田舎。最高峰に田舎。
トシを取ったら住みたいかもしれない場所である。
決して嫌いな風景ではない。
いや、マジで俺は田舎って好きやねんよ。

 


俺のおかんも徳島出身で、鴨島っていう、
どえりゃあ田舎やねんけどもなかなか好きである。
なんか住むにはしんどいかもしれんけど、のんびりできるから。
都会の喧騒がイヤってことでもないけども。
見渡すかぎりの畑。そしてフロ場の窓からは山々が見えて、
スッキリ爽快って感じの風景な。
田舎の話はどうでもええねん。



話しをミーティングに戻そう。



そうそう、このミーティング、行きの道のりは、ほんま大変やったわ。
なんせアホほど雨。死ぬほど雨。中国自動車道の宝塚I.C、
なんで閉鎖せーへんねん!!って思うほどの雨。
マジな話し、途中の水たまりでは車が止まるかと思うほどの
水圧ブレーキがかかったくらいやねんで!



4台で行ったけど、奇跡的にどれも壊れなかった。



サーキットに着いて、前夜から参加してるウチのメンバー(若)と合流した。
ここでは三重や長崎、沖縄のミニ乗りの人達と友達になった。
 しかし、なんてほのぼのしてるんやろ。
俺ってそういう世界にいるということが似合ってるんやわ。
家庭的なんやわ。きっと。

 

話しは変わるが、俺のマフラーは『RSーR』やった。
今思い出したわ。ステアリングはモトリタや。これも思い出した。
そんなこんなで、楽しいひと時を過ごしたっちゅうこっちゃがな。



ミニ万歳やわ。 友達の少ない俺にたくさんの出会いをさせてくれたしな。

 



最終章

〜それでもミニ やっぱりミニ ミニは最高〜

先のミーティングもおもろかったが、やっぱ英田はあかん。
あんなポッと出の新米サーキットじゃ話しにならん。
やっぱり、サーキットと言えば鈴鹿に限る。



俺は鈴鹿を走りたい。あの、アイルトン・セナの走った130Rを、
同じラインで正確にトレースしてみたい。
確かに鈴鹿は走ったことがあった。しかしマシンはゴーカートだった。
レースのない日は1000円かそこらでゴーカートに乗れる。
だがそれは、メインストレートからS字〜デグナーくらいまで
だったと思う。とにかく半分だけなのだ。
っちゅうか、最高に楽しみな130Rは走れなかったのだ。



男なら130Rはいっとかなあかんやろ!とにかくそれは、
そこらの松平健ファンのオバハンが、太秦映画村に行くのと
同じ感覚やわ。ま、そんな感じ。モナコに住んでたら絶対
アクアミネラリで突っ込んでみたいわ。マジで。




とかなんとか前フリをしてますが、そうなんですよ川崎さん。
きゃー!ふっるー!!!!
いよいよ鈴鹿に行くことになったのです。
ミニのワンメイクでしかも走行会やから、ブッ飛ばすようなもんやなくて、
ただただ流すだけやねんけどね。
でもそれでもええねん。とにかく130Rのアウト側の縁石に
乗り上げてみたいだけやねんから。

そんで俺は前日に友達にヘルメットとグローブを借りて、鈴鹿に臨んだ。


『いよいよやるぜ!うおおお!!!』

 

ここまでくると風吹裕也とやってること変わらんな。
なんせ風吹は、たかがA級ライセンスの、それも講習の走行会で、
車ボロボロになるまで熱いバトルを繰り広げた男やからな。
俺もたかが走行会で熱く燃えるぜ!イエー

 

当日は、日頃の行いが功を奏して大雨。ガガーン。
でも鈴鹿に着いたら、雨は本格的かつダイナミックに降っていたけど、
なんとか走行会は行われた。



そうそう、12月に会社の車で通行止めになる寸前の
六甲山に上ったことがあるが、えらい目に遭ったわ。
頂上までスムーズに走ったんやけど、ある1ヶ所がピカピカ光ってて、
俺は『水たまりかなあ』って思ってそこを通過したら、
なんと凍結してやがってクルクルクルクル!!ってスピンしてしまった。
それでガードレールに直行。テールが当たって、さらにスピン。
そのまま坂を下っていった。
そしたらその坂は大凍結してて、サイド引こうが、ハンドル切ろうが、
アクセル踏もうが、全然挙動はまともにならん。
幸い車はフロントに向きを変えたので、少しはマシになった。


だが最悪なことに、坂のはるか下に1台の車が立ち往生しとるではないか!

俺は急流すべりのような車の中で、死ぬんちゃうかな?と思い始めていた。
そしてサイド引いたり下ろしたり、アクセルを断続的に
踏んだりしてようやくスピードは緩まった。
最後は下で立ち往生してる車の横でピッタリと止まった。
その時の俺の車は、フロントを逆、つまり坂の頂上の方に向けていた。
バックの形になってたワケですわ。
となりのおっちゃんとスターティング・グリッドについてるみたいで、
ちょっと笑えた。俺はしばらくバックで坂をユルユルと下っていった。
そんで乾いたところまで来たらようやく走れるようになった。

ま、余談になったがそういう凍結以外は、結構好きなので、
ここ鈴鹿でも 『俺のための雨さ』 と、思っていた。

いよいよコース・インとなった。バック・ストレートから入っていく。
そう、レース好きの坊ちゃんお嬢ちゃんは、もうお気づきかもしれないが、
この先のストレート・エンドこそが、夢の130Rだ。


ついに来たのだ。 
あのセナが250km/hくらいで駆け抜けていった、あのコーナーに!!!

TVで観てたら短いストレートも実際走ると、やけに長い。
神田うのの足並みに長いと言っても過言ではなかろう。
ちなみに神田うのは、みんなお嫌いのようだが俺は好きだ。
もちろん藤原紀香のそれには勝てないが、ええとこまでいく。
また話しが脱線になってもいかんので、ここらでやめておこう。

 



そして、ついに!ついに130Rにきた!!!

なんとも言えん感動。めくるめく官能。押し寄せる悦楽の嵐。

 


みんなはアホやからコースの中央をチンタラ走っているが、
俺はそいつらを尻目にセナの車載カメラで見た通りのコースを
トレースした。ここにタイヤ乗せなくてドコに乗せるんじゃ!!!と、
叫びながらひとりではしゃいでいた。
さらにそこを通った感動で、ついつい車の中で

 

 

『エ〜フワァングゥランプリィィ!!!』

 

などと言うてしまった。
そしたらヘルメットがちょっと曇って困った。 
ちょっと人には見せたくない姿であった。


俺は今回のために友達にVIDEOカメラと
車内後方に取り付けるカメラバーを借りていた。
あとでVIDEO観ると、やっぱりどの角度から見ても、
どう贔屓目に見ても300%激烈バカだった。


20分の走行は、あっという間に終わろうとしていた。

そして、これがファイナル・ラップという合図が出た。

 

俺は考えた。

 

 

やっぱ130R、

全開で飛びこみたい!!

 

そこで俺は、ワザとスピードを落として、全車にパスさせた。
その後も高架下、ヘアピンとゆっくり走った。
そして、裏ストレートに俺が来たときには、前に車は1台もなかった。
俺は雨にも関わらず、メラメラと燃えていた。


『行くぜ!うおおおお!!』

(こればっかし!)

 

2速で引っ張り、3速へ。そして4速。スピードはミニの限界、
140km/hのメーターをブッちぎっていた。
遅い!とか言うな。これが限界やねんから。

そして130Rへ!

セナには100km/h以上足りないが、この際それは言わない。


グオオオン!!!!

 

 嗚呼!!!

 

 

やった!俺はついにやったのだ!

太秦映画村で白馬の『雷電号』に触って感激しているオバハンと同レベルだが。
なんせ嬉しい。とにもかくにも俺はやった。
それだけでメシ3杯は食える。満足。
こんなことでいちいち感動していてはいけない。
だが、あふれる涙は止めることは出来ない。(ウソ)

 


俺のミニ。1300やけど、十分やった。

芦屋〜有馬専用道路を走ったときは圧巻であった。
Oくんと深夜に走りに行ったのだが、車はほとんどおらず、
おってもみんなが道を譲ってくれる。
アホほど飛ばしてたから、みんなよけてくれた。
この時に俺の後ろで俺の走りを見ていたOくんは。
車を降りて俺に興奮気味にこう言った。

 

『たっちゃん!たっちゃん!! 
たっちゃんのミニ、マフラーから火ィ吹いてたで!!!』
コーナー入り口でシフトダウンする時に、青白い火が
パパッ!!と吹いていたらしい。
これがマシンやん!!とかワケわからんこと言うてた。
あれはなんでやったんやろう。ミスファイヤか?まあ、なんでもええか。

 


とにかく、それから急にマフラーの音質が変わった。
それはもう、杉本哲太の芸風のように変わった。
グリースの時代からは想像もつかへんもんな。
今の彼は。あ、若い人はわからんかなあ。

 

関ジャニ8の時代とNEWSになってからの錦戸くんの違いみたいなモンだ。
ちゃうわ。あんまし変わってへんわ、あの子。



そんなこんなで俺のミニは、マイナートラブルこそあれど、
結局は大きなトラブルには見舞われなかった。
それが今となっては少しだけ残念である。
話しのネタにならんからね。
阪神大震災でも壊れなかったし、ガタガタに壊れた道なき道を、
こいつは東へ西へと走ってくれた。
見ず知らずの親子が困っているところを、俺が見つけて、
ミニの狭い車内におばさんと兄ちゃんを乗せて走ったりもした。

エライ、俺。 メッチャ男前。

 

でも金銭的な理由で手放さざるを得なくなってしまった。
みんなも事情があって、ミニを手放した。
もっとオモロイエピソードもあったんやけど、
もう書くのも読むのもしんどいから、ここらで終わる。

 

 

みなさんも是非、ミニに乗ってみてください。
こんなゴーカートみたいなハンドリングの車、ちょっとないで。
ノーマルではアレなんで、絶対ハイローキット入れて落として乗ってね。
でも、壊れても気は落とさないでね。

 

ウマイね。

 

 

 

 

 

 

                              1999.11.11(2003年改訂)

 

 


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