Essay


   「画像の奥行き」

オークションが面白い。
売り買いに参加するのも面白いが、ただ眺めるだけっていうのも面白いものだ。
特にあたしのお気に入りは、パソコン関連のカテゴリを見ること。

ビビくんはパソコン創世記からのメカに詳しくて、
「こんなクズにこんな値段を付けるとはバカだな。」とか
「うぉぉ、これは懐かしい。持ってた、持ってた。昔は何十万としたのに‥。」
などと言いながら出品物を舐めるように見ていく。

あたしは、パソコンそのものには全く興味が無いので、値段やら懐かしいなど
という思いとは無縁である。
では、一体何が面白くて、横に座って一緒に見るのかというと、出品者達の撮っ
た画像である。

他の様々なカテゴリの中で、このパソコンのカテゴリが一番面白い。
他のカテゴリと比べて、何がそれほど突出しているのかというと、画像に見られる
生活の奥行きだ。彼らの非潔癖ぶりだ。というか不潔ぶり。そして無頓着ぶりだ。

このパソコン出品者達というのは、マシンそのものが勝負品だから、汚れだとか
ホコリには全くの無頓着である。あたしとは全く価値観が違うのだ。
(もちろん全員じゃないけど)
この画像を載せるくらいだったら、スペックだけ書いとけばいいのじゃないかと
思うほどの恐ろしい画像を出してくる。
きっと、このマシンを落札したら、このホコリももれなく付いてくるのだと思う。
マシンの裏には虫のタマゴもついてくるのじゃないかと思う。
この人なら、平気でマシンそのものにガムテープを貼り付けるのだろうと思う。
部屋は決まって薄暗い。混沌の部屋の奥行きが恐ろしい。

あたしならだ、まず出品物を撮る時には背景を考える。床の上なり、壁の前なり、
机の上なり、決して出品の画像に生活の奥行きを感じさせない場所を選ぶ。
画像には出品物と平坦な背景。ただそれだけであるように心がける。
だから、彼らのことは全く理解できない。理解できないからすご〜く面白いのだ。

沢山の人々が見る可能性のあるオークションサイト。
敢えて皆が匿名性を望んでいる。

そんな中、彼らは惜しむことなく自分の部屋の一端を見せてくれるのである。

そして、何度も見ているうちに、ふと思いあたった。
彼らの撮った画像の中に見えるのは、ホコリとくたびれてすりきれた畳だけじゃ
ないということを。
後ろも上も横も、これ見よがしなマシン達である。部品である。残骸である。
(残骸に見えるけど、宝なのかもしれないな‥)
薄暗いからよくわからないけれど、なんだか沢山ありそうな感じなのだ。
何度か見ているうちに漸く、この恐ろしい生活と個性の奥行きが、実は自慢とか
主張の形なのかもしれないと考え始めた。



あたしたちには沢山の主張の方法がある。
そして、人間は五感を持っており、そのいずれにか頼って人を判断する。
年齢と経験によって偏ってはいるが、大層に積み重なったデータベースを駆使して
人を判断する。そして主張をする。

人を中身で判断しろというが、その中身とは?
わたしには、パソコンカテゴリで見られる恐ろしい画像は、充分にその人の中身の
ような気がしている。

人には膨れ上がる自我があり、それは人間の皮膚を超えて広がり続ける。
そして主張し続ける。

女の子は、可愛い服を着たいという。
自分が綺麗に見えるように着飾りたいという。

人に見てもらいたい自分を皮膚の上の洋服で作り上げていく。
やがて女の子はおばさんになる。
見た目が崩れるので、見た目で勝負するのはやめる。
見た目はちょっとまずくても、高い服を着始める。
それか、誰も着ないような奇抜な服を着始める。
女を辞めて髪を刈り上げたりし始める。
そして、見た目にこだわるのはやめて、自我の外側を家の外側に迄広げ始める。
綺麗に片付けられた部屋と家。庭に花を飾り始める。
綺麗な一軒家か、素敵なマンション。
なんだか自分のステータスを上げたような気持ちになって、インテリアに凝り始める。
自分は何も変わらないが、自分の中に素敵な部分ができるような気持ちになる。
リフォームのテレビ番組を羨望のまなざしで見始める。
家が住む人のステータスを上げるのだということを薄々認めてしまっている。

外見で判断せず、人は中身で判断しなさいというその中身は、家の中身であったりも
するのだ。


自分の中身は膨張する。

あたしは30歳を過ぎ、膨れ上がった自我が外に溢れ出ている。
大好きなカエルのコレクション。
スタートレックのビデオ。
安いけれど、お金を貯めて買った家具。
金澤和彦のシルクスクリーン。
どれも「これがあたし」みたいなものだ。

そう考えると、あたしはオークションの画像を見ながら、知らない人を見て楽しんで
いたのだと気付く。薄暗い部屋に広がる、知らない人の知らない個性。降り積もっ
ホコリと、そこから見える年月。自分の趣味嗜好の主張。


匿名性の高い世界の中で、惜しみなく自分を垣間見せてくれる人。
それはパソコンカテゴリの出品者たちだ。

パソコン好きな人たちは、ネット世界に早い時期から浸かっている。

パソコン通信時代から、ネット社会になるまで、まるで赤ん坊が育つのを見る
ように
見続けてきた人たちだ。

パソコンのスイッチが何に作用して、どれがどう熱を発し、発散させ、電力を消費し、
情報が走り‥というようなことも判っている人たちだ。

思えば、その人たちが、他の誰よりもネットの中に自分を投影できる無頓着さを
持つのは
当然かもしれない。自慢やら主張なんていう大層なものじゃなくて、もはや
自分の延長なのだ。


そういえばあたしは、小さい頃からあまり人の家に遊びに行ったことも無く、また、
あまり人を家に呼んだことがなかった。今でもそれは変わらない。

ホームページを作っても、派手に宣伝することも無く、
「誰も来なくてもいいや」

と少し投げやりな部分もあったりする。
自分の世界を狭く小さく押さえている。

オークションという世界に、自分の生活を垣間見せる大胆な人たちを、あたしは
し羨んでいたのかもしれないなとも思う。
不潔な世界を嫌悪する一方で、その画像から思いっきりの良さみたいのを感じてい
たのかもしれない。

今度、オークションを見る機会があったら、是非、皆さんにもパソコンカテゴリ
中に垣間見える素晴らしい個性を見ていただきたいなと思う。
オークションの楽しみ方が一つ増えるかもしれない。

画像の隅の奥行きに思いを馳せて‥。