Essay


    1999年という呪縛


憶えているだろうか?
1999年は地球が滅亡するか、人類が滅亡するはずの年だったことを。
わたしたちの世代は皆、それを信じていないのと同時に信じてもいた。
子供の時から滅亡のシナリオを突きつけられたわたしたちは、好むと
好まざるに関わらず、滅亡の不安に捕らわれた世代だ。
バカな男が一儲けするためにした作り話を、刷り込みのように何度も聞
かされた世代なのだ。


今のわたしが同じ話を聞いたら、どっかの無責任な人がマスコミを賑わ
せてお金を稼ぐつもりなのだろうと思う。
そして、笑い転げながらその話を聞いて楽しむかもしれない。
でも、わたしが滅亡の話を聞いたのは子供の時だ。
滅亡を予言する本が出ていて、その帯にある作者の顔は真剣そのものだっ
た。
なんだか未来が暗く思えた。
そして不安が胸をかすめたのを憶えている。

わたしたちが二十歳になった頃は、いよいよ10年後に1999年を迎える頃
だった。当時わたしは大学生で、滅亡話を当然のように笑い飛ばすよう
になっていた。
あほらしいと。
ただ、わたしたちの話の中で、滅亡話の真偽を問う話が出ることがあっ
た。「信じる??」と。

どうして、そのような会話が成り立ったのかというと「絶対に信じてる」
という人がいたからだ。
今思い返すと、すごく恐ろしい。
何しろ、信じるっていう人は冗談で言っていたのではなくて、本気で滅亡
すると信じていたのだ。

「就職活動しなくちゃいけないけど、どうでもいい。だって、どうせ地球
 は滅亡するもの」
それが二十歳を迎えた大人の言葉だ。
イカガワしい宗教にひっかかった人でもなく、常識はずれで有名な人だっ
たと言うわけでもなく、優秀で聡明なかわいい大学生の言葉だ。

わたしたちの少し下の世代は、もうちょっと病的だった。
自分が地球を救うために地球に派遣された使者だと思い込み、夢で出会っ
たその仲間を集めている子が大勢いた。
少なくとも、その子たちは1999年に死にたくないと思っていたわけだ。
つまり、死ぬかもしれないってどこかで思っていたのだ。


さて、わたしたちが子供のとき、すでに環境破壊を叫ぶ声が上がっていた。
自分たちの生活がその汚染を招くと知っていたから、どこかに罪悪感をお
ぼえながら今日まで生きてきた。
小さい頃から変わらない汚染の状況は、更に深刻になっているようで、地
球規模の環境破壊をなんとかしろという報道がなされている。
日々、ただ生活しているというだけで、地球環境を悪化させているわたし
たち。
そのどうしようもない罪悪感が、子供の時から頭のどこかにあり、その罪悪
感が滅亡を信じさせたのかもしれない。

子供の頃に繰り返された話は、そういうところから頭の中に入り込み、やが
てその人の常識となり、若い頃の破滅願望と重なって信じるに足るものになっ
たのだ。


本当に恐ろしいことだ。
多分、たった何人かの人が操作したのだ、謀らずも。
子供は信じる。
そして、大人になっても信じている。


わたしは、何人かの人を思い出す。
真剣に滅亡を信じると言っていた人たちのことを。
未来をどうでもいいと言っていた二十歳くらいの学生のことを。
本当に滅亡すると思う?なんていう質問に真剣に答えていた人たちのことを。

言ってみればわたしたちは、同じ部屋に入れられた囚人だった。
その部屋には扉が一つしかなくて、その扉から外に出れるかどうかは1999年に
なってみなければ判らない。
大方は当然出られると思っていた。扉は外に続くものだ。
でも、生まれた時から「扉が開く前に、部屋にガスが充満して処刑される」と
いうデマがあって、そのデマに侵された人たちは何かを諦めてしまっていた。
その部屋には、明らかにガスの出る穴などなかったのに。
そして、ガスが出ると主張していた人の根拠は、とっくの昔に死んだ天文学者
のつくった詩だった。とっくの昔に死んだ人の。
やがて、1999年がきて扉が開いた。
扉の外は、以前の部屋と何も変わっていなかった。
今まで暮らしていたのと何ら変わりない生活がそこでも待っていた。
ただ一つ、滅亡をうたうデマだけが無くなっていた。

1999年が無事に終わり、今2003年を迎えようとしている。
信じていた彼らにとって、閉ざされていた未来だ。
考えられなかった、言い換えれば、考えなくてもよかった未来だ。
考えたことも無い2000年の夜明けに、彼らは一体どんな気持ちだったのだろう
と思う。

ミレニアムという時には特別の贖罪の機会があり、とある扉を通ると罪が償わ
れるとキリスト教徒たちは言っていたっけ。
2000年に罪のない人間に生まれ変われるのだ。

そんな扉を目にすることはなかったけれど、少なくともわたし達は扉を通って、
まとわりついていた嘘を捨ててきた。嘘とわかっていても、その部屋から出る
ことのできなかった部屋から脱出したのだ。


あれから、滅亡を唱えた男はどうしているのだろう。
また、新しい年を設定して滅亡を唱えているのだろうか。
そして、子供をだまして一儲けするつもりだろうか。
わたしたち大人は、そんなくだらないことから子供を守ることができるのだろ
うか?
子供たちがまたデマの渦巻く部屋に入り込んでしまって囚われるのではないだ
ろうか?

今の子供たちは、嘘の滅亡話ではなく、環境破壊と紛争という恐ろしい現状を
つきつけられている。
それで十分ではないか。
それに気まぐれな大人の嘘を上乗せしてはいけない。

嘘の部屋の元囚人として、他の人をその部屋に送り込むような真似をしては
いけない。
知らないうちに閉じ込められた、その部屋の囚人として心からそう思う。