Essay


   「アメリカの子供」

もともと本を読むのは大好きだ。でも、それには高低の極端な波があっ
て、読みたくない時には写真だらけの雑誌すら手にすることができな
い。波が底に達しそうな時には、読もうと思っても文章の意味が追えな
いからだ。おまけに、本の中のストーリーを追うこと自体が不毛で堕落
しているように感じてしまう。そんな時には、自分のお気に入りの本で
さえ用無しのゴミのように思えて、捨ててしまう寸前までいってしまう
こともある。

そして今は、幸運なことに、波は高い位置にある。
この1ヶ月ほどは、本を読む目玉と集中力を持っていて、せっせと近く
の図書館に通っている。
今、わたしの手元にあるのはミステリー小説。
パトリシア・コーンウェルの検屍官シリーズで、以前に読んでいる最
中に読書停滞期に陥ってしまい、それ以来手を出さなかったものだ。

ふと気がつくと、何の抵抗も感じることなく読んでいる。
文化の違うほかの国の人が書いた文章とはとても思えない。
「コンビニに寄って」とか「ドミノピザを取って」とか「シュワルツェ
ネッガーみたいな」(どの俳優よりも色んな本で引用されてるんじゃ
ないかな。マッチョの権化みたい)とか「テレビではカーク船長がク
リンゴン相手に」とか「ケンタッキー買って来て」とか「 O.J.シン
プソンみたいに無罪になる」とかそんな文章を当然のように読んでい
るのだ。
あぁ、あたしたちは本当にアメリカの子供なのだわと改めて感じた。


あたしはこういう風に考える。
日本はアメリカの子供。でも実際は血のつながりはない。
そして、ありがちなことに、幸せに育てられた日本くんは、自分が養
子であることにはまだ気付いていない。

世界は日本のことをこう思っている。
「あぁ、日本。アメリカの子供でしょ。でも知ってる?本当の子供じゃ
ないのよ。血のつながりはないの。何処の馬の骨ともわからない人の
子なのよ。」
アメリカはこう思っている
「この子は見つけたときには傷だらけだった。でもキリスト教の信者
なら、この子を見殺しにするべきじゃないだろ。だから引き取ったん
だ。でも引き取るからには俺の育てたいように育てる。文句をつけて
欲しくないな。」
日本は自分が貰われっ子であることをまだ知らない。
「ボクはアメリカの子供。アメリカの冗談で笑ったりする。アメリカ
の事には腹を立てることもあるけど、そのお蔭で何処に出ても恥ずか
しくない教育を受けたし、最後には、言うことを聞かなくちゃね。」
そんな会話が聞こえるようだ。

なんとなく、その考えが気に入って、色々と想像を巡らせてみる。

悲しいかな、日本くんが何処に出ても恥ずかしくないと思っているの
は、子供ならではの平等の精神と希望的観測だ。
子供の正義は幻想で終わることが多い。
実際は、頭の固い周囲の環境はよそ者を寄せ付けず、心の中で貰われっ
子である日本を小バカにしているのだ。

たった一度イタリア旅行に行ったとき、あたしはそれを体感した。
なんと説明していいのかわからないけれど、いかに日本人がとるにた
らないと思われているかというのを感じたのだ。
他の人にそう感じたと語った時、それを考えすぎだと一笑にふした人
が大勢いたけれど、考えすぎだという人の根拠を聞くことは全くなかっ
た。
あたしが思うに、その人たちはきっともの凄く鈍感なのか、ブランド
店で高い買い物しかしなかったのだろう。
一生懸命覚えたイタリア語を使って街角でビールを注文したときに、
正しく言えるまで何度も正されたりしなかったし、店に来るのが迷惑
だと言わんばかりの態度をとられることも無かったのだろう。
あたしたちは決して迷惑なお客さんではなかったのに。
あたしが北欧系の女性だったら、絶対にあり得ない対応だった。

それは、 高校のとき青森の田舎から京都に修学旅行に行ったときに感
じた屈辱と似ているかもしれない。
京都の町の人は本当に丁寧に道を教えてくれた。でも、その態度が人
をバカにしたものだというのは充分にわかった。
慇懃無礼の典型だった。
彼らは、何処と無く訛っている田舎の女子高生の集団を、ただそれだ
けで軽蔑していた。京都が修学旅行の行く先なんて、大層田舎の方な
んでしょうねって感じだ。
それに、京都タクシーの運転手は目的地に着くまでずっと卑猥な言葉
を投げつけて、あたしたちを戸惑わせ、すっかり気分を台無しにした。
京都には沢山いい人がいるのをあたしは知っている。
大阪に移り住んでから出会った人は皆とてもいい人で尊敬もできるか
ら、あんまり京都ということで悪くは言いたくない。
それでもあたしは修学旅行では大層傷ついた経験がある。
同じ日本人なのに、田舎で育ったというだけで軽蔑されるのは何も京
都でだけの話じゃないし、同じ青森県内でもある話なんだけど(アホ
らし)、京都では何かそれだけではないものを感じた。
もはや身分が違うというか、君たちとは血のつながりがないといった
風情だったのだ。
あたしにとって、京都は今でも日本の中のヨーロッパである。
そこの中に住む人の精神がだ。

ま、ここではあたしの個人的な京都観は置いといて、日本くんの子供
らしい平等の目に戻る。

テレビでよく聞くのは「海外で成功しようと思うと、思ったよりも壁
が厚いことに気がつく」という言葉だ。
あたしはそれをさも有なんと思って聞く。
街を歩くだけであの風当たりを感じるのだから、生活して成功するの
は並みの根性ではないだろう。

でも、日本くんの意見の総括は、
「ボクはアメリカの子供で、何処に出ても恥ずかしくない」
のである。
これを如実に現しているのがアジアでの事件の数々だ。
世界史を習うと、日本が世界にどれだけ貢献していないかが良く判る。
世界史的には、日本の存在価値は薄い。
文化の発信が多少あったにせよ微々たるものだし、仕掛けたいくつか
の戦争のみが日本の存在だと言ってもいいくらいだ。
それなのに、今、日本くんは急にアメリカの子供気取りで世界に出て
行き、世界の歴史に貢献してきたアジア諸国で人々をバカにした態度
を取っている。これは国の尊厳を無視した恥ずかしいことなのだ。

国の尊厳という意味では日本はかなり希薄で、個人のプライドに頼っ
ているといえるかもしれない。だから、他の国の尊厳と言われても
ピンとこないのだろう。そういうあたしもピンと来ない。
でも、きっとそうなのだろうと思う。(ちょっといい加減)
なにせ今までどこの世界の舞台にも立ったことのない、何処の馬の骨
とも判らない子供なのだから、国々のいきさつとその尊厳は判らない
のだ。

そして、その国の尊厳は経済の状況とは必ずしも一致しない。
経済的に苦しい国だって、立派な尊厳を持っているのである。
でも日本くんはそんなこと知らない。
だから、中国でデモを引き起こした事件なんかが起こるのである。
(中国は今、経済成長著しいです。経済は関係なかったか‥)

実は、日本は思ったよりも世界には受け入れられていない。
冗談を理解してもらおうなんて虫のいい話で、こちらが相手を理解す
るのに奔走したりへりくだったりしないと受け入れてもらえないので
ある。
人間だから一対一で対すれば友情は生まれるかもしれないけれど、民
族というか国というか団体の感情となれば全然別なのだ。
日本くんは知らないけれど、実は日本くんはアジアでも孤児扱いなの
である。


でも、わたしたちが今いる環境で、日本はアメリカの養子で、さらに
アジアでは孤児扱いであるということを理解するのは難しい。
アメリカの子供であることを満喫するので精一杯だ。
あたしはいかにもアメリカの子供らしく、アメリカの社会生活を描い
た本を、何の注釈もなく読むことができる。悲惨な事件と主人公を取
り巻く環境を目玉でスクロールしながら、この本に描かれていること
がアメリカの真実に近いのなら、これは日本の真実に近いのではない
かと考えたりする。
「コーンウェルの周りにはどれだけレズがいるんだろうか。それは
日本でも同じなんだろうか。」
とちょっと真剣に考える。
「なんでこんなに体の引き締まった登場人物ばっかりになっちゃう
んだろう。あぁそうか、あそこはみんな健康中毒なんだよね。」
と思うのと、
「青森県ではりんごも有名だけど、にんにくも名産だよね」
と思うのとでは何ら差がないくらい自然に頭に浮かぶのである。


さて、こんなことを考える。
本のストーリーだったら、日本くんがいるこういう家庭に何が起こる
のかっていうことだ。
本のストーリーはドラマティックで悲劇的だ。
昼メロ用に脚色するまでもない。
そう、いつかは養子であることがバレるのだ。

ある日突然、世界から総すかんを食う。
アメリカが何かヘマをしてしまう、もしくは日本くんがお金のやりく
りに失敗して、とんでもない苦境に見舞われるのだ。
日本は迫害される。
アメリカは自分の体面を取り戻すのに精一杯。突然
「お前は養子だったのだ。俺の本当の子供じゃない」
などと言い出す。
「世話をするのもこれまで、なんとか自分でやっていけ」
などと言われる。
日本はショックを受けつつも
「今まで育ててくれて有難う。がんばるよ」
と殊勝に立ち直ろうとする。
でも世界は?
後ろ盾のないよそ者を世界はどう扱う?
歴史的にみれば、日本が経済的に裕福なのは一瞬。
産業革命からこっち、世界的規模の会社を持つような国とどう渡り
合う?
そもそも、資源もないし食料輸出もできないし、ゲームとアニメと車
しか作れない国に何を期待する?

日本くんは今までと同じように、世界の舞台に立ってみる。
教育を受けたし、別に恥ずかしくない。
背広も着こなしているし、スターバックスのコーヒーを見ても怯まな
い。今までと同じアメリカの子供に思える。
でも、日本くんが気付かなかった世間に根強い偏見は続いている。
後ろ盾がなくなれば、ただの馬の骨。
急に風当たりがきつくなる。
お前のことを心の中ではずっとこう思ってたんだと世間が知らしめる。
自分の親がいるのといないのとでは、親戚のおじさんおばさんの態度
が全然違うと感じるのに似ている。
世界がこっそり日本くんを蔑視していたのに気がつく。

今は世界情勢が微妙だから、あたしは何だか不安を感じる。

とはいえ、それは一瞬の話。
あたしはパトリシア・コーンウェルの本を読み、これが映画化される
としたらケイの配役には誰がふさわしいかなぁなどと考えたりしている。
知的な金髪美人の中年おばさん。20歳も年下の男性をくらっとさせる
ほどの人って思いつかないわ‥などと真剣に考える。
ベントンはリーアム・ニーソンかなぁとか、ルーシーはジョン・ボイト
の娘、ええっと、誰だっけ、アンジェリーナ・ジョリー?
それはちょっとセクシーすぎるかもとか。
マリーノに合いそうな人はうんざりするほど思いつくけど、ロバ−ト・
デ・ニーロは有能そうだし、例の如く役作りで太ってもらって、やって
もらいたいもんだわとか。
ハリウッドの意見とあたしの意見はそう違わないのではないかと錯覚す
る。
極東の国日本が、アメリカの足元にいるように感じる。
関係ないけど、しょうゆのキッコーマンは世界ブランドだなどと、つま
らないことで足元が磐石だと感じたりする。


日本はアメリカの子供。
養子であることにはまだ気付いていない。
世界がこっそり陰口を叩いているのではないかとあたしは少し不安になっ
ている。
あたしはいつでもちょっぴり被害妄想的で、大げさで、日本がアメリカに追
随していることを嫌っている。ハリウッドスターやジャンクフードは大好き
だし、foxが配信するドラマはどれも面白いと感じるけれど。


自分の妄想の中に、まだウブで自信満々の日本くんがいる。
年をとるにつれ、傷ついていくのが目に見えるようだ。
日本くんのストーリーがまだまだ平穏であることを祈るばかり‥。