Essay


    何処へ行くのか?


わたしたちは、漠然とした未来像を持っている。
自分の将来とかいう話じゃなくて、この社会、地球がどうなっていくのかについてだ。

思えば、未来の姿は最初から決まっていた。
そこに行くんだって誰もが思っている。
そして、進んでいっている。
なんの疑いもなく。


小さい頃に見たアニメの世界の未来。
それは、科学万能未来だった。
ロボットが心を持ち愚かな人間を諌めるというものや、宇宙からの侵略者をやっつけ
たりするものだ。
建物は空へ空へと伸び、その建物の間をスイスイと小型の飛行自動車みたいのが
すり抜けていく。
未来の人は、妙に簡素な体にピッタリの服を着ていて、毎日何をしているのかは不明。
ロボットのお陰で家事は消滅しているみたいだし、そんな世の中で、それでも人間が
しなくちゃいけない仕事っていうのは、子供の時には思いつかなかったものだ。


本が読めるようになると、近未来小説を読んだりした。
そこにある未来も科学万能の未来。
子供の頃には何をしているのか分からなかった人類は、未来の世界でロボットに
殺されそうになってたり、核の冬を生き抜いたとかでミュータントになってたり、または
地球がなくなって、仕方なく宇宙に羽ばたいていたりする。
どんな状況にあっても、共通するのは科学技術の向上。それがあれば、どんなストー
リーにあっても、そこが未来の世界だとわかったものだ。


そして今、人類を火星におくるなどという途方も無い、しかし現実の計画をテレビにみ
るにつけ、未来は科学技術の発展なしには語れないような気持ちになってくる。
ぼんやりと、死ぬまでには宇宙にいけるかもしれないなぁと思ったりする。


そう思う一方で、わたしたちは地球の惨憺たる現状を知っている。

化石燃料があと何十年かで枯渇するだとか、人類は数を急激に増しているから、
全員が食べていく食料を生産するには化学肥料なしには無理だとか、森がどんどん
無くなって砂漠になっていってるとか、そのせいもあるからかCO2が増えていて気象
がおかしくなってるだとか、モルジブはもうすぐ海に沈むんだねなどということを知っ
ている。
そして、その理由も知っている。
それは、科学で太った無礼な社会が、もっともっとと全てを奪い、汚いツバを撒き散ら
すからだ。

それだけの影響を地球に及ぼしながらも、科学技術の恩恵に預かっている人類は
全体の中の一握りの数にすぎない。
全員に‥というのは難しいのだ。
人類全てに同じ未来は来ないということも、私たちは知っている。
だのに、人類は同じ未来を目指している。
科学技術に彩られた、あの未来を。



さて、私たちは自分たちが何処から来て、そしてどこに行くのかという命題を昔から
携えてきていて、その答えを探している。
その答えを、科学が見つけてくれると信じて、実験やら研究やらに明け暮れている
たくさんの人たちがいたし、今もたくさんいるはずだ。

ただ、実際にわたしたちが欲しい答えは、科学の中には見つからないだろう。
芥子粒みたいに小さな宇宙が、どういうわけでビックバンを迎えて、どういうふうにな
っていくのかなんて知っても「へぇ」としか言えないのだ。

私たちが知りたい答えはそういうものじゃない。

思えば、誰もが小学生くらいから
「どうして自分は生まれたんだろう」
「何のために生きてるんだろう」
と考えてたきたはずだ。
だのに、誰もそれを声高に言うことなく、むしろ
「そんなことは考えなくてもいいの」
というような風潮に、その答えもうやむやのままにされてきた。
それは、人類がきっと何千年も前から考えてきたはずのことなのに。


「何処から来て、何処へ行くのか」という命題には、科学じゃなくても答えを出すこと
が出来る。
だのに、だれもその答えを示そうとはしない。
そして、目指すべきものはないがしろにしたまま、このまま科学が進んだら‥という
想像図を未来の姿だと信じてしまいがちな私たち。
なんとなく生まれた時から見てきた未来の姿、ただの未来想像図を盲目的に信じて、
その未来像だけを目指してきたのだ。
そこに矛盾があるかどうかなんて考えもしないで。



「どこへ行くのか」
その命題。


大切にしていくべきもの。
人のあり方。
目指すべき場所。


目指していく場所は、想像図に忠実な場所ではなくて、もっと別なところにある。
「どこへ行くのか」
の答えは結果論ではなくて、私たちがめざし、作っていくものだと思うのだ。


だのに、その大切な答えは、有史以来の繁栄を誇るという人類には、難しすぎる
らしい。
私たちの出した答えは、ただの結果論、想像図だけなのだから。


科学のイロハは知ってるかもしれないけど、その他は昔のままの人類。
使う道具は増えたけれど、人間としては何かを得てきたのだろうか?

今のわたしたちは自分たちの目指すべきものを知らないまま、結果論という
未来へ進んでいっている。
なんの疑問ももたずに。

何千年前と変わらず、ただ愚かしく、時間の進むままに進んでいくだけ。