Memory

放課後

あたしは実につまらない小学生だった。
授業が終わると、オネーチャンの教室の前でオネーチャンの
授業が終わるのを廊下に座ってじっと待ち、
オネーチャンが出てくるや否や家路につく。
そして家についたらすぐ宿題。
あとはテレビばっかり見ていた。
放課後に友達と遊んだり、
部活をしたりしたことなんかなかった。
お稽古ごとも何もしたことがない。
「放課後」なんて、自分と違う世界の言葉みたいに聞こえた。
そして、憧れみたいなイメージを持つようになっていた。


むりやり思い出してみると、放課後も学校にいたことはある。
小学1年のとき、先生が残りなさいっていうんで一人残された。
6年生のお兄さん、お姉さんたちが掃除している中で
先生のオルガンに合わせて歌を歌わされた。
ただ、2曲だけを唄わせて先生は「さようなら」と言った。
今でもどうしてなのかわからない。
それからママチャップとの奇妙な放課後。
大体、先生に何か用事を言いつけられて残った記憶しかない。
でも、1つだけ、忘れられないあたしの放課後がある。


小学6年生の時のこと。
多分、その日も何か用事を言いつけられて残っていたのだ。
あたしがグズグズしている間に、みんな帰ってしまった。
なんの物音もしない小学校にあたしは一人残された。
4階から階段を降りるとき、ちょうど階段の踊り場にある窓から
夕日が見えた。
寒い季節の夕日だ。
綺麗に澄んだオレンジ色をしていた。
あたしは階段の一番上に座り込んで、じっと夕日を見つめつづけた。
あたしがじっと見つめる中、太陽は確実にジリジリと
地平線に近づいていった。
太陽は動いているんだ、なんて当たり前のことを思いながら
長い間、あたしは座り込んでいた。
やがて、窓の外の桑畑、その向こうの地平線に、
太陽はくっついて丸い形を歪ませた。


あたしは「もう帰らなくっちゃ」と思った。
そして、心の奥の帰りたくないなという自分の気持ちに悲しくなった。
「でも、もう終わりなんだ。放課後は終わりなんだ」
そう思って階段を降り始めた。


あの日、わたしの何かも終わり、
色んなことを難しく考え、悩みに悩む思春期へと突入していった。
中学、高校になると、放課後なんてどうでもいい言葉で
実際、意識することもなかった。
でも、折節、階段の踊り場の窓から見つめつづけた
夕日の沈む様を思い出した。

あのときが、あたしの考え始めだったかもしれない。
そしてそれは、今もあたしに影響している。
あたしはいつでも中にいて、窓から外を眺めるのだ。
その姿勢はずっとかわらない。
考え始めが窓の外を見ながらだったから、
窓の外を眺めるようにしか物を考えられないのだ。


つい最近、「ちっちは考えが甘いよ」と怒られた。
本当にそうだと思う。


いつか、外に出てものを考えなければならないと思う。
建物の中から、窓という枠の部分で切りとって見た光景を元に
判断したり、考えを決めたりしてはいけないのだと分かっている。


あの時、あたしは外に出て夕日を眺めなかった。
誰もいない学校でポツンと一人、窓に切り取られた夕日を眺めた。


それは、あたしには美しい体験だった。
美しすぎてしがみついている。
バカみたいに涙を流しながら、あの日の夕日と
何かの終わりに思いをはせる。
そして何かの始まりに‥。


学校の終わりが放課後で、放課後は自分の時間の始まり。
あたしは今、まるで放課後のような状況にいる。
あの時始まった何かに終止符を打って
外に出て行く自分にならなければならないと思う。


美しい夕日を見に、外に出よう。
今。