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幸福のクローバー
四つ葉のクローバーは幸せの徴し。昔からそう言われている。
では、五つ葉のクローバーは?
更なる幸せの徴しだろうか?
それとも、もっと別なもの?


あたしたちが昔に住んでいた家は、玄関を開けるとたくさんの雑草が生えて
いるような田舎の家だった。
梅の木が実を付け、ハコベ、オオバコ、スギゴケ、それに名も知らない草が
生え、もちろんシロツメ草が赤白に花を咲かせていた。

シロツメ草の別名はクローバー。
四つ葉のクローバーは幸せの徴しと言われている。
あたしとお姉ちゃんは、よく四つ葉のクローバーを探したものだ。
そしてまた、よく見つかった。
家の前で見つからなければ、道路を一本隔てて間もなく川が流れていて、
その土手に生えるクローバーの中から見つければよかった。

あたしたちはクローバーを見つけると家に持ち帰って、ついぞ開かないような
何巻にも及ぶ分厚いの百科事典の一冊にはさんで、きれいな押し葉を作った。

作った押し葉はあたしの手元には残っていない。
何かの折に、人にプレゼントしてしまったのだ。
今考えると、四つ葉のクローバーの押し葉をもらって、本当に喜んでくれた人
がいたかどうかは疑問だ。
でも、あたしはそれが幸せを呼ぶんだと思っていたし、だからこそ自信満々で
それをプレゼントに選んでいた。

さて、そのクローバー探しの中で、あたしとおねえちゃんは本当によく五つ葉
のクローバーを見つけた。
見つける気もないのに見つけてしまうのだ。
あたしたちは、四つ葉のクローバーよりも五つ葉のクローバーの方が希少な物
に思えて、なんだかそれが誇らしかった。

そしてそれが見つかるのは、家の玄関の前だけに限られていた。
玄関の前の、ドラム缶の前だ。

玄関の前には、パパが週末にゴミを焼くための、ドラム缶で作った簡易な焼却炉
があった。
それは簡易すぎて、焼却炉っていうのは大袈裟過ぎるくらいのものだった。
ドラムかんに煙突をつけた ぐらいなものか。

パパは毎週、毎週、週末の朝にゴミを焼いた。
家で出すゴミの中で、燃えやすいものを燃やしていた。
ドラム缶がボロボロになって、やがて煙突が崩れると、また新しいドラム缶がやっ
てきた。そして何年もその習慣は続き、パパが単身赴任になるまで続いた。

あたしとお姉ちゃんはこう思っていた。
「ドラム缶の周りでパパが歩きまわるから、葉っぱに傷がついて成長するうちに
 五つ葉になっちゃうんだよ」
「五つ葉の子供は五つ葉だから、いつもあるんだよ」


そして今、あたしたちはそう思っていない。
ゴミを燃やしたときに出る、何か有害なもののせいだと思っている。
あたしたちも、多分パパだって考えもしなかったことだけど。

あの時代、ドラム缶のゴミ焼きはどこでも見かけた。
みんな焼いていた。
周りでみんな遊んだ。
ケムイ、ケムイ、ゴホゴホと涙のにじんだ目で笑いあった。
そして今、有害物質の出る自宅でのゴミ焼きは控えるよう報道されている。


あたしたちは、五つ葉のクローバーについて
「五つ葉のクローバーは幸せのしるしかなぁ」
「葉っぱが奇数だから、不幸の徴しかもしれないよ」
などと話していた。
そのことがあって、四つ葉のクローバーは人にあげたものの、五つ葉はあげるのに
躊躇したのを覚えている。
不幸の徴かもしれない。
そう思っていたからだった。

それに、なんとはなし、イビツなものだとも思っていた。
四つ葉みたいに対称性がなくて、葉っぱの付きかたがイビツだった。葉っぱの大きさ
がマチマチ過ぎた。
でも、それは希少なもので、なんとなくあたしたちは誇らしかった。


今、誇らしい気持ちは、気まずいようななんとも言えない気持ちに変わっている。

あたしたちは、確かに見つけていた。
それは、不幸の徴し。
時代の不幸だ。

まだ少女だったあたしたちは、これから生きていく時代の不幸をきちんと見つけて
いた。
ゴミさえ焼けない時代。
そして、当時は何が不幸か判らなかった。


これからあたしたちは、どんな世界を生むのだろう。
四つ葉のクローバーさえ、「それは奇形だよ」というような世界なのか、それとも
笑顔で「幸せの四つ葉のクローバー」と言える世界なのか。

あたしたちは、この世界を救う「輝かしい世代」となるのか、それとも悪化させる
「最低の世代」となるのか。
この時代に生まれついたのを、願ったんじゃないといってしょぼくれる世代なのか
それとも救うために立ち上がる世代なのか。


四つ葉のクローバーを最後に探してからもう何年も経つ。
それが、本当に幸せのクローバーと素直に考えられなくなったあたしは、昔を苦く
思い出すことしかできない。