Memory

チムとチロ

昔、ペットといえば犬で、しかも柴犬か雑種が普通だった。
今のように値段がつくような立派なペットなんて
何処にも見当たらなかった。
そう言えば、闘犬用の土佐犬を飼ってる人はたくさんいた。
もしかしたら、土佐犬は値段のつくようなペットだったかもしれないけど、
やっぱり今のようなおしゃれなペットとは程遠いものだった。

放し飼いにされている犬もどう見ても雑種だったし、
そこらへんを歩いている野良犬も雑種だった。
自由に歩き回る犬がたくさんいたのだから、
当然シーズンになると捨て犬をたくさん見かけることになる。
予期せず子犬が生まれてしまうのである。

近くの公民館には犬用のごみ箱があった。
子犬を捨てるごみ箱だ。
保健所に連絡することなく道端に捨てるよりも、
まだましだと考えたのだろう。
小さな投入口以外に覗きこむようなところの何もない、
青く塗られた妙にきれいなごみ箱だったと記憶している。


実際、へその尾がついたままの目も開かない状態の子犬が、
スーパーでもらうような紙袋に無造作に入れられて
道に捨ててあるのを何回も見ている。
ネコのような、人間の赤ちゃんのような、小さい弱い鳴き声をあげて
窮状を訴える彼ら。
横を通り抜ける時、紙袋が動いているのが見える。

紙袋ノ中ハ 生キテイル 1 2 3 ‥  タブン 6ヒキ 

今は、あたしの脳細胞の中にしか存在していない彼ら。


あたしも、いつもいつも子犬を見殺しにしていたわけではない。
かつて、助けることができた犬たちがいた。

当時(あたしが小学校4,5年の頃)、家の近くには
汚い川が流れていた。
あたしとオネーチャンとオネーチャンの友人
(小学生ながら主婦業をこなしていた可愛い子だった)で、
川の土手を散歩していたとき、何やら川面を動く点を見付けた。
よくよく見ると、それは3匹の子犬だった。
黒1匹、茶2匹。彼らは岸を目指して一心に泳いでいた。
そして、岸に手が届くやいなやの所に来ると、
2人の男の子(一人は石山くん)に行く手を阻まれてしまうのだ。
阻まれるっていうと語弊があるかも。
再び、川の中央に投げこまれてしまうのだった。

あたしたちはアワアワ言いながら見ていたけれど、
黒い子犬が川下に流されていってしまったのを目撃するに至り、
いても立ってもいられなくなった。
そして、弱りきった茶の2匹を抱き上げて、
家に連れ帰ることにしたのだ。


濡れそぼった子犬2匹はお互いを暖めるみたいに寄り添っていた。
1匹は眼の下に怪我をしていた。喘息みたいにのどが鳴っていた。
1匹は比較的元気で、怪我した犬をかばうみたいに
体をくっつけていた。

怪我をしたほうの犬は「チム」。あたしが名付け親だ。
もう一方は「チロ」。オネーチャンが名付け親だ。


しかし、あたしたちは両親に「家では飼えない」と言われてしまう。
やむなく、チムとチロの引き取り先を探す事になった。
これが結構簡単に飼い主が見つかり、
1週間後くらいには彼らはもらわれていくことになる。
きっとそこで、彼らの名前は変わってしまったろう。
「チム、チロ」わずか1週間だけの名前だったのだろうな。


あたしは複雑な思いでこの一連の出来事を思い出す。

きっと親に言いつけられたか何かで、やむなく何度も川に子犬を
投げ入れなければならなかった男の子たち。
生まれて間もなく、なんの罪もなく殺される子犬たち。
責任感不在のまま命を助け、
結局他人まかせにしてしまったあたしたち。
小さなかわいい、そして暖かいぬくもりをもったチムとチロのことを、
どうしても忘れられないあたし。
当時の八戸で、きっと何人もの人が同じような体験に
胸を痛めたことだろう。
誰も正しくなく、誰も間違ってなくて、
あの時の出来事は全部昔からの繰り返しだったのだろうと思う。


縄跳び遊びで、縄の1回転ごとに人が出たり入ったりするものがある。
捨て犬を見ると、そこに縄の回転が見える。
そして縄の回転に飛び込まざるを得ないあたしたちに気付く。
命を置き去りしようと、命に手を差しのべようと、
あたしたちは関わりを持たざるを得ないのだ。
どっちを選ぶかあたしたちは決心する。
縄跳びの回転をくぐるみたいに、
咄嗟に、慎重に、思いきりをつけて。
そして、縄をくぐりぬけていく。


あたしは、そうやって縄を何回かくぐった。
罪のない小さな命に対する、一方的な決心。


今、よくみかけるペットたちはとても幸せそうだ。
高い値段が付けられて、思案の上に買われて、
大事に育てられているみたいだ。
毛ヅヤのいい、愛想のいいペットたちを見ていると、
あたしがかつて見てきたペットたちとのギャップに驚かざるを得ない。

もらいもらわれて、種類なんか全然わからないペットたち。
ごみ箱に捨てられるペットたち。
紙袋の中で、兄弟たちの重みで圧死する子犬たち。

そして、突然、命に対して決断をせまられるあたしたち。
日本では、それは無くされていく感覚なのだろう。


多分地球上では、ペットなんかじゃなく、もっとハードな命の選択を
日常とする地域があるのだと思う。
冷たい人間だけが命を置き去りにするわけではないし、
分別のある人間だけが命を助けるわけではないことを
心に留めておかなくてはいけないと思う。

小さな命が、あたしに教えてくれたこと。


※因みに川下に流された黒い子犬は、
つりをしていた人が助けたみたい。
伝え聞きだけど。