Memory

 眼病み女と風邪引き男
学校の先生というのが昔から苦手だった。
身近な人であるとか、自分の面倒を見てくれる人というようにはとても
考えられなかったので、担任の先生でさえ、いつでも見知らぬおじさん
やおばさんと同じだった。
先生はいつも偉そうだったし、つまらないことに腹を立てて怒っては、
子供たちにつまらない罰を与えていたように思う。

そういった印象は、今考えれば、あたしの持っている世界が狭すぎたた
めに大人に関心が持てなかった結果でしかない。
遠い存在としてしか認識できなかったのだ。
遠い存在すぎて、あまり好き嫌いの感情も持たなかった。
怖いとか優しいとかは充分判断していたと思うけど、決してそれは好き
や嫌いには結びつかなかった。
あたしには関係のない人たちだったのだ。

そして、あたしは先生の言葉というのをほとんど覚えていない。
覚えている言葉は少ない。
ほとんどが注意されたことだけだ。
あたしが執念深い性格であるからなのは言うまでもないが(あはは)、
何か心に残る暖かい言葉なんて、全然覚えていない。
何かあったにしても、届かなかったのだ。
ただ一つを除いて。

それは奇妙な言葉。
「眼病み女と風邪引き男」というのである。


あたしは中学生だった。
1000人を超す反抗期の学生を抱えたマンモス中学で、あたしもまたヒネた
心を閉ざしつつあった。
男の子たちがからかって「ブタ」とか「二重あご」とか言うのをバカみた
いに気にして、決してご飯を食べなくなったり、自分の身に余る負担にな
るような仕事を引き受けたりして自分を追い詰めていた。
学校そのものが荒んでいて大嫌いだったし、何もかも面白くなかった。

ある日、あたしは眼帯をつけて学校へ行った。
あたしは昔からよく目の病気にかかる子で、1年に一度はそういう羽目に
なっていた。
その時も、多分ものもらいか何かに罹って眼帯を付けていたのだと思う。
そんなあたしが廊下を歩いていると、すれ違った先生が急に
「お、眼病み女だな」
と言った。
あたしは授業以外に先生に話しかけられたことなんかなかったし、まして
や、廊下で呼び止められたことなんかなかったので、凄く驚いた。
なんと言っていいのか判らなかった。
でも、とにかくバカにされたのだからと、
「ひどい、先生」
と言い返したのを覚えている。
すると先生は、
「いや、ひどくないよ。昔から、眼病み女と風邪引き男って言ってナ、そ
 ういう人はもてるんだよ。だから、いい事だ。」
と答えたのだった。
あたしはなんと言い返して良いやら判らなくて、そう言ってくれた先生に
「え〜?それでもなんだかヒドイ。」
などと言ってその場を立ち去ってしまった。
嬉しいのかどうか、複雑な気持ちだったのを覚えている。

その後あたしは何度もその言葉を思い返しては考えていた。
昔の人ってどうして病気の人が好きだったんだろうって。
それに、眼が病気の女の人が好きな人がいるのかな?などと真剣に考えた
りしていた。
納得がいかなかったので、先生はきっと、その場しのぎに適当なことを言っ
たんだと思ったりもした。
でも、そう思い切れない気持ちがあった。
あたしは少し、その言葉にすがっていたのだと思う。


その先生は凄く怖い顔をしていた。
四角くて、キズの引きつりが残る顔に、ごま塩頭の男の先生だった。
体つきががっしりしていて、簡単に人を怯えさせる風体をしているのに、
声は拍子抜けなほど高かった。
その先生はその風貌に似合わず、決して怒らなかった。
授業中皆が寝始めると「起きろよ」と注意はするけれども、やがてさっさ
と授業に見切りをつけて全然違う話をし始めるのだった。
それは、授業とは全然違う話。
戦争中の話や戦後の混乱期の話。
あたしたちにとっては見知らぬ国のような昔の日本と自分の体験談だった。
クラスの皆は突如として先生の声に注目した。
しんとして耳をすませた。
すっかり荒れていた学校の中で、そういう時間は凄く稀だったのをよく覚え
ている。

その後、先生は体の具合を悪くして学校を長い間休むことになった。
あたしの授業を受け持つこともなくなった。


そして、あたしはいまだに折節「眼病み女と風邪引き男」という言葉を思い
出す。
今では判るのだ。
そういう人はもてるのだということが。
テレビCMで伊勢谷友介を観るたびに、こういう奴を「風邪引き男」という
のだと思い笑っている。
ひどく痩せた細面の青白い顔は、ほつれ髪と咳が似合う。
優しい女の人なら、ついつい見過ごせない男だ。
そして、多分、眼病病みの女の人はいつもぬれた目を伏目がちにしているも
のなのだろう。
そういう人は色っぽいものだ。
この間、日本のファンに手を齧られたベニチオ・デル・トロの眼みたいな眼
だろうと勝手に想像してみる。
ま、彼は男だけど。
昔の人は病気の人が好きだったわけじゃない。
また、眼帯を付けた女の人が好きだということではないということも、今な
ら判る。


色々思い返してみると、先生たちはいい人たちだった。
あたしが勝手に関係ないと思っていただけで、随分心にかけてもらったこと
が今なら判るのだ。
当時は意味がないと思っていた色々なことが、自分の欠点を救い上げる為の
策だったということが判る。
今まで気が付かないというのは、なんというか、やはりあたしが子供だった
し、気付けばあたしが酷く傷つくということを判っていてくれた先生の優し
さのせいだったとも思う。
何せ、あたしはつまらないことに傷ついては一日に一度は涙をこぼし、その
涙が作るまつげの虹を10分でも20分でもぼんやり眺めているような、ちょっ
と遅れた子供だったのだ。


20年前の中学校の廊下で言ってもらった言葉。
あの時はすごく訳が判らない気持ちになっていたのだけど、今思えばあたし
は嬉しかったのだと思う。
それは、あたしが学生生活の中で、一番最初に先生に先生らしいことをして
もらったことに気付いた瞬間だったのかもしれない。
先生が急に身近になった瞬間だったのかもしれない。