Memory

あたしのパパ

同じ屋根の下で暮らしても、やっぱり気の合う、気の合わないはあって、
パパとあたしは気の合わない方だったって思う。
パパが死んでから、もう、3年の月日が過ぎた。

生きていた頃よりも、パパのことを考える時間が増えたように思う。
パパという人間の人生を考えたりする。
幸せだったかな、幸せな人生だったかな、と考えることが多い。
自分がその幸せに貢献できたのかなと思う。
そして、むしろ、悩みのたねであったろうと思うとたまらなくなる。

あたしは、パパに「ありがとう」を言ったことがあるかどうか自信がない。
前は、そんな気持ちもなかったけど、
今は「ありがとう」を言いたい気持ちになっている。

パパはひどい喘息持ちだった。
のどがヒューヒューと鳴らないときを、あたしは知らない。
常に苦しい息をしていた。
パパにはそれが日常で、それに甘えることもなかった。
あたしたち、3人兄弟のためにフルに働いてたし、
真面目な人生を送っていた。
夫として、父として、自分が理想とするところを生きたのだと思う。


今はそう思うけれども、昔はそう思えなかった。
あたしはママに聞いたことがある。小学校のころだ。
「ねぇ、どうしてパパと結婚したの?」
その時ママは、こう答えた。
「そういう運命だったの」

あたしは、その時こう理解した。
「運命だから仕方がない」って。
この受け止め方が、
あたしがパパをどう思っていたかを如実に語っている。
あたしはママがかわいそうになるのと同時に、
自分の受けとめ方を信じたくない気持ちも湧き上がっていた。
ずっと、ずっと、気にしていた。
そして、大学を卒業して暫くして、再びママに尋ねたのだ。
「ねぇ、どうしてパパと結婚したの?」
ママは、こう答えた。
「やっぱり、パパには尊敬できる部分があったからよ」
その答えに、あたしはちょっとホッとした。


実は、その後、あたしは自分の兄弟にも尋ねた。
「どうしてママは、パパと結婚したと思う?」
そうしたら、今だ独身のオネーチャンはこう答えた。
「えっ?パパが面白かったからじゃないの?
パパって結構おもしろくない?」
同棲中のオトートはこう答えた。
「そりゃ、パパがカッコよかったからでしょ」

オネーチャンは多分、面白い人が好きなんだろうなって思う。
オトートは多分、キレイな人が好きなんだろうなって思う。
そして、それは当たっているように思う。

オネーチャンとオトートには、そういう魅力をたたえていたパパを想う。


小学校4年生ぐらいだったと思う。
突然、オネーチャンがパパの誕生日のプレゼントを買おうと言い出した。
それまで、親にプレゼントなんて考えたこともなくって、
オネーチャンの言葉にびっくりはしたけれど、
同時にその考えがひどく気に入ったことを覚えている。
あたしたちは、お金なんて全然持っていなくって、
プレゼントを選ぶのは一苦労だった。
選んだのは、プラスチックで出来たタバコ&ライター入れだった。
これが、かわいそうなくらいチープなシロモノで、蛍光ピンクみたいな色で
 New York
なんてロゴが入っていた。
今時、どんな田舎の土産物屋さんにも売っていないだろう。
でも、それは安かったし、他には何も買えなかったし‥。
苦労して選んだわりには、あたしはそれを忘れていた。
大事にされるような物ではなかった。


パパが倒れたのは四日市市に転勤になって、1週間たつかたたないかだった。
当時、別に暮らしていたあたしは、知らせをきいてすぐに駆けつけた。

見知らぬ街、見知らぬ家、聞きなれない言葉、信じられない状況。
全てがぼんやりと夢のような中で、あたしは現実を見つけた。
見知らぬ部屋にポツンと置いてあった、チープなタバコ&ライター入れ。
蛍光ピンクがアメリカの都市を宣伝している。
八戸、釜石、気仙沼、大宮、そして四日市。
パパと一緒に様々な場所を転々としながら、New York を宣伝してきた。


パパは神経質な性格で、
何を何処にどんな風に置くかを几帳面に決めていた。
だから、タバコとライターをそこに入れるって決めて、
そこから抜け出せなくなっただけだっていうのはわかっているつもりだ。
でも、あたしは、パパに愛されていたのだと感じて泣いてしまった。
安い、趣味の悪い、意味がないみたいなあたしたちのプレゼントを、
20年近くも身近に置いていたパパを思うと、どうしても泣けてしまったのだ。


パパの人生は幸せだったかなと考える。
あたしはその幸せに貢献できたのかなと思う。
そして、むしろ、悩みのたねであったと思うとたまらなくなる。


パパへ

あたしはパパの未来。
パパの未来をよいものにするために、頑張って生きていきます。
ありがとう、パパ。