Memory

プチ登校拒否
あたしが小学校に入学した時、その校舎はプレハブ校舎と呼ばれていた。
第二次ベビーブーム世代である私たちは、新築の鉄筋校舎からはみ出して
間に合わせのプレハブ校舎で新1年生生活を始めたのである。
なんの変哲もない普通の校舎を「鉄筋校舎」などと言って崇め奉るぐらい
プレハブ校舎はみすぼらしく、みじめだった。

実際は、その校舎はプレハブではなく木造2階建ての建物だった。
何しろ随分と古い建物だったので、床のはめ板は所々隙間が開いていた。
2階で牛乳をこぼすと1階の教室にも落ちてくるというような感じだった。

そのせいだろうか、校舎内は暗くて、その頃に天気の良い日があったとは
思えないような光景しか思い出せない。
思い出すのは、うす暗くて空気に薄く灰色の色がついてるみたいなぼんやり
した教室だ。

そして何よりも、恐怖をもって思い出すのはトイレだ。
当時なぜか お便所 などといっていたけれど、「お」が余計である。

その便所は男女の別が無かった。
入り口を入ると右が壁で左が個室になっている。
右の壁際にはお堀のような溝がついていて、壁に向かって用を足すと、それ
が壁伝いに溝まで落ちて、溝を流れてどこかへいくようになっていた。
シキリなんかなかったから、体の小さい一年生がズラリと並んだら1クラス
分の男子全員くらいは十分に用が足せたのではないだろうか。

そして個室の方、あたしがお世話になった方だ。
それは、今はめっきりお目にかからなくなったドッポン便所であった。
それがまた便器の形そのまま全部が穴になっているような代物で、下は見た
くなくても見えてしまう。うっかり落としたお気に入りのハンカチの無残な
なれの果てまでが、よく見えてしまうのだった。

あたしはハンカチが可哀想だった。どうしてかこう、「落としませんように」
と思うと落とすのだった。そんなことが実は何回かあって、やがて、いつか
自分も落ちてしまうのではないかと(物理的に可能だったのだ!)恐怖におの
のくようになった。

そんな恐怖と戦っているある日、それでなくても怖いトイレに、ある噂がたっ
た。こんなトイレには付き物の話なのだけれど、トイレに人が一人落ちたとい
うのだ。

それはコソコソ話でクラスに広がっていって、やがて給食の時間には皆が興奮
し始めた。
「1の2の子が行方不明だって」
と声が聞こえる。
何かの痕跡を見つけに皆がゾクゾクとトイレに押しかけはじめる中、あたしは
教室の自分の席に凍りついたように座っていた。
怖かったんである。

そのとき、教室のトビラがガラリと開くと、クラスでもひょうきんな男の子が
顔を出して声高らかに宣言した。
「見た見た!トイレに人が落ちてた」
そう言いながら、ご丁寧にも苦悶の表情で手を伸ばすといったモノマネまでし
てくれたのである。もちろん、伸ばしたその手は虚空の何かをつかむように
曲がった指をしていた。
今思い出すと、むしろ笑いを誘うようなその仕草に、当時のあたしは恐怖のど
ん底まで叩き落されたのだった。
そして心の中で
「お便所に落ちて死にたくないよう」
と泣き声をあげたのである。

みんながトイレの噂によってキャーキャー騒いで収拾のつかなくなったその日の
午後、授業がはじまる前に先生が
「変な噂をながすんじゃないよ」
と一言言った。
毎年そんなことがあるのだろう。きっとバカバカしくて、取り合う気もなかった
のかもしれない。
でもあたしはそれが不自然に言葉少なに感じられて
「先生は真実をもみ消そうとしている」
と思い込んだのである。

うちの学校はトイレで人が死んでる‥。

そう決め付けてしまったのだ。

そしてあたしは学校を休み始めた。
今で言う「登校拒否」なのである。由々しき事態だ。
社会現象にもなっているこの「登校拒否」の影が、幼きちっちの背後にも、ちゃっ
かりちらついてたのである。

さて、何日か休んだ後、不審に思った母に問い正されて、あたしは
「トイレが怖い」
と白状した。
そして母になだめすかされて、無事に再び登校を始めたのである。
「登校拒否」には「プチ」という接頭語がついて幕を閉じたのだった。


さて、ここまで読んでくれた人はこのエピソードをどういう風に感じたのだろうか。
微笑ましい話? 悲しい話? バカげた話? 笑える話?
こうして文章にしてみると、あたし自身、わりと可笑しな話だと感じる。
でも、実はつい何年か前まで、恐ろしくて口にするのも嫌な話だった。
もちろん、もうトイレは怖くないのだ。
人が死んだっていうのも嘘だと判っている。
それでも滅入ってしまうぐらい嫌な話だった。

あたしを縛っていたのは、その時のあたしの恐怖に悩まされた記憶である。
恐ろしい、怖い、恐ろしい、怖いと感じ続けた恐怖感の記憶がその中の滑稽な部分を
封じ込めるぐらいに強力だった。
今は「そんなこと」と鼻で笑うような噂に、芯から恐怖を味わされたのである。
そして、そういう記憶ほどが頑強に脳裏に焼きつくのだ。
バカみたいに長い間、その恐怖心だけが持続したのである。


今、些細な理由で登校拒否をしている小さな子供達はたくさんいるだろう。
でも、それは決して他の誰かが思うほど些細ではないことを考えてあげてほしいと
思う。

テレビニュースやら他のメディアで学校を休む子供に悩む親の相談を見かける。
子供に学校に行って欲しくて悩む親の辛さよりも、あたしは子供の心に思いを馳せる。
そして、大丈夫だよと言ってあげたくなるのだ。


大丈夫だよと自分にも言う。
大丈夫だよと記憶の中の小学1年生の自分に言う。
トイレを我慢して家まで走り帰る後ろ姿に「大丈夫だよ」と言ってみる。

「大丈夫」

きっと過去に小さかった誰もが、大丈夫といってあげたい自分を持っているだろう。
そんな記憶の中のあなたにも言ってあげたいのだ。

「大丈夫」
   「大丈夫」